第246話 遺言(3/7)
「たぶん、あれだな……」
川幅が少し狭くなり、両側が石垣の壁に挟まれたエリアに差し掛かったとき、ぎっしり積み上げられた石の壁の一部が紅く光っているのを見つけた。
その先に細い水路があるのが見えた。
紅色の向こうには、深い闇が広がっているようだ。
「カノさん、ちょっと替わってください」
「ん、見つかったのかい? 秘密の入口ってやつが」
「ええ」
俺は再びオールを握り、緩やかな流れに逆らって舟をこぎ、偽装された紅い場所に向かって突っ込んでいく。
「ラック! 何してんの。ぶつかる!」とアオイさんが声を裏返した。
恐怖の表情を浮かべているであろう両隣の二人が息をのむ声がきこえた。
けれど、ここに壁はないのだ。
スキル『曇りなき眼』を持たざる者には、ここが石垣の壁に見えているのだろう。
水の流れる向きから、壁の位置から、何から何まで紅く光っているので、その偽装を辿っていくことにする。
「ラック、どうなってる?」
フリースが珍しく慌てた声をあげた。
「真っ暗で何も見えない!」
アオイさんがきょろきょろする姿が視界の端に映った。
「誰か、明かりになるものは?」
カノさんの呼びかけに答える者は誰もいなかった。
みんなが、誰かが持ってくるだろうと思って用意していなかったようだ。
俺たちは真っ暗な地下水路に突入してゆく。
幸いだったのは、俺の曇りなき眼には、はっきりと水路内の様子が見えていることだ。その理由は、俺たちが乗る舟が光っているからだ。
曇りなき眼の能力の一つに、宝物が黄金のオーラをまとって見えるというものがある。暗闇の中での光源にもなるのだ。舟を貸してくれたカノさんに感謝である。
それから、生き物の気配が全くない清浄な地下水路には、ところどころ紅い偽装の光が置かれている。まるで、曇りなき眼を持つ者を導くための目印のようだった。
やがて、分かれ道があった。
「ラックさん、カーブです」
この声はレヴィアだ。
闇の中でも物がハッキリ見える視力を持っているレヴィアが、ガイド役を買って出たようだ。
「水路が右に曲がるみたいです」
レヴィアはそう言うが、俺の目に映っているものは違う。ここはカーブでなくて、右か左かの分かれ道なのだ。
「いいや、ここは左だ」
なぜなら、左側に紅い空間があるからだ。おおかた、また偽装の壁が建てられていたのだろうが、それはつまり、「あなたが求めているものはこっちですよ」という誘導に他ならない。
罠の可能性も無くはないけど、怪しいのは偽装された道である。とにかく飛び込んでみよう。いざとなれば、頼りになるフリースやカノさんもいるんだ。
勇気をもって漕ぎ出してみよう。
俺は左に向かっていって偽装の壁を突破してみせた。
しばらく進むと、今度は行き止まりになった。
地下水路の迷宮ダンジョンの洗礼を受けているかのようであるが、あんな思わせぶりな偽装の先に、ただの行き止まりがあるなんてのは受け入れがたい。
レヴィアは、「私は右って言いましたよね」とでも言いたげな視線を向けてきたが、俺が持っているのは、偽装を暴くスキルだけではない。
「開眼一晴!」
誤認スキルを打ち消すためのスキルを放った。
「やっぱりだ」
道が開けた。壁だったところがなくなり、水路の続きがあらわれた。
レヴィアは少し悔しそうだ。
「ね、ねえ、何が起きているの?」とアオイさん。
俺とレヴィアにしか見えていない世界が、ここにはある。他の人にとっては暗闇でも、二人だけには地下水道が見えているのだ。
知識を共有していなくても、生まれた世界が違くても、ちゃんと目で繋がっているんだ。
レヴィアと目が合って、俺が微笑みかけると、レヴィアも申し訳なさそうに笑った。
それだけでもう、ここに来てよかったなって思える。
「また行き止まりですね」
俺は再び、『開眼一晴』を発動した。今度は、それでも壁がなくならなかったが、それならばと、俺は次のスキルをぶつけてやる。
「『天網恢恢』!」
これは、さらに高度な偽装と誤認を暴く能力である。
触れることができて、通り抜けることができなかったはずの壁が消滅した。
ただし、水路はここまでで途切れていて、ここからは自分たちの足で進んでいかなければならないようだ。
黄金に輝く舟をキツい思いをしながら石の床にあげ、先に進むことにする。
ここからは、宝物の黄金の光を頼ることはできない。なぜなら、偽装の目印もめっきり無くなったし、俺の所持品の中で、闇の中で光源になり得るほどの宝物は、レヴィアの嫌いな紫熟香の塊だけだからだ。
進んでいる方向が合っているのかどうかさえ、俺には判断できない。
今度はレヴィアの目と鼻が頼りである。
案内人レヴィアの仕事の時間というわけだ。
だんだん深く、だんだん下っていく階段の先に待っているのは、宝物なのか、それとも罠なのかさえわからないのだ。
「レヴィア、どう思う? 引き返した方がいいと思うか?」
「いえ、このまま進みましょう。私としては気が進みませんが」
「え、何でだ?」
「くさいからです」
水路は清浄そのものだったし、階段の下からも別に何の匂いもしなかったのだが、レヴィアの鼻は苦手な匂いをとらえていたようだ。
「もしかして、紫熟香の匂いでも感じるのか? 俺は出してないぞ?」
「わかってますよ。ええとですね、ほんの微かなので我慢できるレベルなのですが、下の方から漂ってきてます」
だとするなら、行ってみるしかあるまい。
「ちょ、ちょっと待ってよラック」
アオイさんがてさぐりで俺の身体に手を伸ばし、ぺたぺたと触れた末、俺の手をつかまえた。
「ラック、何も見えないんだけど、どうなってるの?」
「これから、レヴィアが匂いをたどって階段の下に連れてってくれます」
「危なくない? 大丈夫? ちゃんと帰ってこられるの?」
「手を離さなければ大丈夫ですよ」
俺はアオイさんを握る手に力をこめた。
レヴィアは、フリースと俺の手を握ったまま、進んでいく。俺はアオイさんの手を掴み、アオイさんはカノさんと繋がっていた。
無明の闇の中、方向感覚を失いそうになる中で、声を掛け合って先に進んだ。
階段の崩れたところからに落ちそうになって、カノさんの長い腕のおかげで助かったり、短気を起こしたフリースが階段を氷の滑り台にして、闇の中の滑り降りに皆で恐怖の大悲鳴をあげたり、こわすぎてアオイさんが泣いちゃったり……。
深く深く、かなり深くまで。
時間の感覚も方向感覚も失いかけながら、ついに俺たちは終着点に辿り着いた。