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ファイナルエリクサーで乾杯を  作者: 黒十二色
第十章 書物のまち
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第245話 遺言(2/7)

 フリースは、ふと思い出したように空中に文字を描いた。アオイさんやカノさんと打ち解けられていないからか、自分の口から声を出したくないようだ。そんなわけで、氷が生み出される。


 ――ラック。暗号っていえばさ、これ、何だかわかる?


 フリースが横から見せてくれたのは、紐で綴じられた薄い本だ。夢で見た表紙だ。中身を見せてもらうのは初めてだから、並々ならぬ興味がある。オールを向かい側のカノさんに渡し、運転を交替してもらって、本を開いた。


 紅い光が出ないので、特に偽装されているわけでもないようだ。


 一つの暗号を解いたことで、自信があったのだが……。


「これは、蛇の絵か何か?」


 ――わからない。エルフのじじいからもらった。


「へぇ、タイトルも何も書いてないけど、これはもしかしたら最終ページの右下から、普通とは反対方向に読むのかもしれないな」


 ――どういうこと?


「実はだな、フリース。俺たちが解いた暗号においては、こういう風に蛇がグネグネとうねるようなものは、尾から頭へと向かって流れていくものだったんだ。この手書き感あふれる古文書も、何か秘密が隠された暗号的なものであるとしたら、そういう順番で読めば、何かわかることがあるかもしれない」


 ――じゃあ、ラックの予想は何?

 ――何が書いてあると思う?


「うーん……わからん」


 うねり絡まる五本の線とにらめっこしても、さっぱりわからない。絵のようであり、折れ線グラフのようでもあり、文字のようでもある。


「ちょっと見せて」


 アオイさんがしなやかな手で、俺から本を抜き取ると、ぱらぱらとめくった。


「ねえラック、もしかして――」


「アオイさん、だめです。違います」


 俺はアオイさんの発言を(さえぎ)った。


「なんだよぅ」


 アオイさんが口に出そうとしたのは秘密の大書庫のことだ。五匹の蛇が絡まり合いながら空を目指してのぼっていくかのような形は、俺たちが暗号文を解くときに、「その本が書架の何番目か」を探して一冊ずつ数えていった順番と重なるし、もっと言うと、拾い集めた文を読む順番とも重なる。


 ということは、秘密の第三書庫に行けば、この薄っぺらい本を解読する手掛かりがあるかもしれないとも思える。


 俺たちが解いた暗号の他に、いくつかの暗号があの場所に関連づけられていてもおかしくはない。


 けれど、あの場所に行くということは、大変な苦労を味わうということだ。外では高所から地面に叩きつけられ、中に入っては人食い機械に襲われた。


 しばらく行きたくない。


 だから、好奇心の(かたまり)であるアオイさんの言葉は、せき止めねばならなかったのである。


 もしかしたら、フリースほどの氷の力があれば、襲い来る機械を防いだり破壊することも簡単かもしれない。外から橋を渡せることもできるから、危険な谷を渡るのも涼しい顔でやってのけるかもしれない。


 だとしても、しばらくはあの場所に近づきたくはないんだ。


 カノさんも言う。


「どのみち、しばらくの間、大書庫には近づかない方がいいね」


「なんでですか?」とアオイさんは不満そう。


「あれだけ本も床や絨毯の上に放置しまくってしまったら、死刑一直線だと思うからね。あれだけ書庫を荒らしておいて、もう一度調べに行こうなんて、自殺行為もいいところじゃないかい? 無敵の門番たちに攻撃されるかもしれないよ」


 そういえば、書庫内の書籍を動かして元に戻さないと死罪とか、そんな話もあったっけ。


「そうだった、どうしよう……」


 謎を解いて気分がハイになってしまって、今までそのことを忘れてしまっていた。


 アオイさんは頭を抱えている。俺も同じ気持ちだ。マジでどうしよう……。


「ていうか、カノさん。よくよく考えたら、そのままにしておく方がまずいですよね。命をかけても本を戻しに行った方が良くないですか……?」


 そんな俺の不安に、カノさんは答える。


「大丈夫、あたし()旦那の権力で何とでもなるから」


「カノさん()、ですよね? 俺とアオイさんも、ついでに助かったりしないかなぁ、なんて……」


「どうかな。そこまで(かば)いきれないかも。ラックくんとアオイちゃんは、自力で何とかできない?」


「またか……」


「えっ、ちょっと、何とかしてよ、ラック!」


「安心してくださいアオイさん。俺も権力を使えます」


 皇帝側近であるマイシーさんに事情を説明する鳥を飛ばせば、きっと何とかなるはずだ。何とかなってほしい!


  ★


『何がどうなって深く深く秘匿(ひとく)された秘密の第三書庫に辿り着き、ああまで派手に荒らすことになったのやら、ラック様はいつも予想を飛び越えてきますね。こうなると、いっそ痛快であるとさえ思います。さっそく人形を行かせて確認しましたところ、あまりに酷い有様に、呆然とさせられました』


 マイシーさんからの手紙を読みながら、俺は心の中で申し訳ないと呟くしかなかった。


『ラック様にはオトキヨ様のことで大きな恩がありますので、今回の度を越えた狼藉(ろうぜき)について責めることは致しません。シラベール夫人や、サウスサガヤギルド員のアオイ様についても、不利益が生じることのないように処置いたします』


 心の中でありがとうございますと頭を下げた。


『後始末はわたくしに任せて、思う存分、マリーノーツ観光をお楽しみください。いいですか? 観光ですよ? 調査などではありませんよ? くれぐれも、この世界の秘密を暴いて、わたくしを忙しくさせることのないようにお願いいたします。まあ、大丈夫だと思いますけどね』


 俺は「(きも)(めい)じます」と口に出して誓ったのだった。


 何とかなりそうで本当によかった。


 これも、俺がオトちゃんを助けるのに役立ったおかげだ。


「えっと……ラックがオトキヨ様を助けたって嘘じゃなかったんだね」


 アオイさんは驚きの表情である。信じてくれていなかったようだ。


  ★


「カノレキシ・シラベールさんは、どんな研究をしてるんですか?」


 水路をさかのぼりながら、俺が思いついた素朴(そぼく)な疑問。


 カノさんは優しげに答える。


「この世界の全てだよ。異世界マリーノーツが、どうやって形成されたのか。日の光はどうして昇って沈むのか。星空はどうして動くのか。どうして荒れ地が生まれたか、どうしてエルフの住むフロッグレイクにはいつも虹が架かっているのか。エルフとは何なのか、獣人とは何なのか、転生者は何のために()ばれるのか……そしてあたしたちは、どこへ行くのか……」


 遠い目をして長い話を始めそうだったので、俺は、「なるほど、歴史の研究ですね」と言って次の話題に入ろうとした。


 しかし、カノさんもまた、アオイさんと同じように、話のわかりそうな人を見つけると自分の研究を浴びせたくなるタイプの人だったようだ。


「いいかい、ラックくん。これはあくまで仮説だから、学生には決して語らないことにしているんだけど、君は特別だ」


「はぁ、光栄です」


 どうやら、満足いくまで語らせるしかないようだ。歴史オタクはこれだから。


「あたしの仮説は、このマリーノーツという世界は、多く存在するうちの一つに過ぎないというものだ。今の繁栄も、いずれ限界を迎え、しおれて、くずれて、何もなかったように溶かし尽くされていく……。これは、避けることのできない宿命なんだ」


「限界、ですか」


「ああ、あたしは腕が伸びるし、旦那は足がのびる。二人で協力して伸びあって、想像を絶するほどの最も高いところから、世界の上下左右を見渡したことがある。その結果、何が見えたと思う?」


「カノさんの腕は、かなり伸びましたよね。あれを二人分となると、もうそれは雲のはるか上、世界で一番高いところを飛ぶ鳥の視点みたいなものだから……ええと、地球は丸かったとか、青かったとか、そういうやつですか」


「うん? 『地球』ってのが何なのか知らないけれど、丸くも青くもなかったよ。どちらかと言えば、平たくて、赤かった」


 まったく想像できない。


「この世界は、灼熱の液体金属の上に生えた、一つの巨大な植物みたいなものなのさ。一つの卵の中に、世界が閉じ込められていて、散りばめられた夜の星々も常に動き続けているけれど、マリーノーツの大地のほうが、より激しく動いている」


 地動説、というものだろうか。現実世界の科学知識では当たり前になっていることだ。かつて、地球が全ての中心となって空が動いているのか、それとも実は地球が回転しているのかという議論があった。地球が中心ではなかったということを信じられない者たちは、天が動いているとされる天動説を支持したという。


 あれ、でも、今のカノさんの言葉では、両方動いているっていう話だから、地動説でもないのか。地()動いているのではなく、地()動いているというわけで


「ただし、すべてが一律にそう単純な動きをするのではなく、昼の光と夜の光だけは、マリーノーツの大地とともに動いている」


 昼の光というのが太陽で、夜の光が月のことだろう。もともと両方が動いているという複雑さのうえに例外が生まれると、一気にややこしくなってくる。


 要するに、俺の生きて来た世界と違うってことだけ理解していればいいか。それが本当の意味での理解ではないんだろうけども。


「あたしは、空のかなたで、隣の世界を見た」


「隣の世界?」


 カノさんはアオイさんにオールを渡し、漕ぎ手を交替してから、目を閉じ、その時の風景を思い出しながら言う。


「マリーノーツよりも一段上の世界だ。高く高く遥かに高く伸びる太い(くき)と、その先は花が咲き誇るように広がっている。まるでワイングラスのような形をしたところから、水が流れ落ちている。


透明な坂を滑り落ちるようにして、回転しながら落ちた水は、やがて、マリーノーツの北、フロッグレイクに決して止まない恵みの雨をもたらし続け、世界樹と呼ばれる巨木を(はぐく)んでいる。


はるか下には、幾重にも重なる雲の隙間から、煮えたぎる金属の海があるのが見えた。根元は雲に隠れていたし、遠すぎるしで見えやしなかったけど、きっと同じ根っこをもつたくさんの(くき)が、上に向かって伸び続けているんだ。まるで熱を嫌がるかのように、高く高く、どこまでも高く、伸びようとしている。


きっとマリーノーツと隣の茎だけじゃなく、さらに高く伸びゆく茎もある。マリーノーツよりもずっとずっと低い場所で、これから伸びてくる茎もある。この世界はそういう構造をしてるんだ。


……あたしは、信頼できる転生者に、自分が見た風景を図にして伝えた。そしたら、そいつは言ったよ。『まるで蓮の花みたいだ』とね。そこで二人で、この仮説を蓮を意味する言葉で、こう呼ぶことにした。『ロウタス』と」


「大胆な仮説ですね」


「あたしには偽装を見破る目は無いし、誤認スキルなんか使われたらどうしようもない。とんでもない偽の情報を世界から掴まされたのかもしれない。この目で見えたものが全て真実とは限らない。けれど、あたしの目で見た世界は、いつか滅ぶ残酷が約束されているようだった」


「マリーノーツの茎も、限界まで伸びきったら滅びを迎えてしまうってことか……」


「そうだと思う……。あたしは、真実が知りたい。マリーノーツが、いつか滅ぶ場所なんだとしても、あたしたちが生き残る道を探したい。隠された過去には、運命を(くつがえ)すヒントがあると思うからね」


「運命を変える……ですか」


「そう、過去を見て未来を考える研究によって、それが出来ると思うんだ」


 そこまで語ったカノさんは目を開き、次の言葉を軽く笑いながら吐いた。


「ま、研究と引きかえに、旦那との関係は滅んだんだけどね」


「え、それってどういう……」


「単純な話さ。あの男は、あたしの見たものを信じなかった。妄想だとか、悪魔に取り憑かれた、とか言ってきたんだよ」


 オカルトとみなされ病気扱いされた、ということらしい。


「本当、どうしようもなく頭の固い男でさ、この世界がいつか滅ぶなんてこと、信じたくなかったのさ。『そんなに言うなら、あなたも見てきなさい』って言っても、拒否するしさ、本当、やってらんなかったわよ」


「それはまぁ、何と言ったらいいのやら……別れても仕方ないというか……」


「でしょ? もともと子供の教育方針も違っていたし、潮時だと思ってたのよね」


「はあ……」


 かなり年上の女性から愚痴を浴びせられている。誰か助けてほしい。


 ところが、アオイさんは苦手な舟こぎに必死だし、フリースとレヴィアは、俺を挟みながら、さっきの本を二人で眺めて閃きを待っている状態だった。


 どうやら俺は、ひとりでカノさんの相手をしなくてはいけないらしい。俺が研究について質問したんだから、一人で相手をして当然と言えば当然だけど、誰か助けてほしい。


「決定的だったのは、『おまえの研究は時間の無駄』とか言われたことだね。家を叩き出してやったよ」


 つまり、まだ離縁はしてないものの、絶賛別居中であるとのことだ。


「ラックくんは、旦那とちがってさ、あたしの話を真面目にきいてくれる良い子だからね、いっそのこと、あたしと再婚を前提に付き合ってみないかい?」


「えっ、ちょっと……」


 年上の女性からの突然の告白には、これまで話に入ってこなかった三人が次々に反応した。


「ラックさん、またですか?」とレヴィア。

「ほんと、見境ないよね」とフリース。

「ラック、レヴィアちゃんに謝りなよ」とアオイさん。


 なぜ俺が責められ、謝らされならねばならないというのか。


 絶対に俺は悪くないはずなんだけどな。


 カノさんを見ると、クククと笑いをこらえているようだったから、どうも三人の怒りを引き出して、俺が困っているところを見たかったらしい。


 まったく、お茶目なおばさんだけど、ちょっとヒドすぎるんじゃないのと思った。


 アオイさんの下手な操縦で、がつがつ壁にぶつかりながら、小舟は、またひとつ石橋の下をくぐった。




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