第240話 二人きりの打ち上げ会
ミヤチズへの帰り道。
目的地は、ミヤチズ領主の屋敷であり、アオイさんの地下書庫がある場所だ。そこに至る道は、アオイさんが知っていた。
俺はアオイさんの案内に従って、カノさんを背負いながら坂の多い石畳の道を歩いていく。
しばらく歩いてると、鳥が飛んできた。
「ん、何だ……?」
アオイさんに手紙を見てもらうと、それは、フリースからの返信だった。
「あっ、まずいな。ずいぶん長いこと書庫にいたから、フリースのやつ心配してるんじゃないかな……ちょっと、開いて中を見せてほしい」
俺の言葉に頷いたアオイさんは、開いたうえ、勝手に読み上げてくれた。
開いて見せてほしいとはいったが、読んでいいとは言ってないんだけどな。
「えと、フリースさんは、ザイデンシュトラーゼン城に行ったみたい。レヴィアちゃんも一緒だって」
「そりゃ何で」
「さあ、書いてないから、わかんない」
本当にレヴィアが一緒なのだろうか。ちょっと心配になってきたぞ。
「念のため、レヴィアにも鳥を飛ばして確認してみるか。アオイさん、ちょっと手紙を送ってくれない? 書庫での暗号解読に手間取って、連絡が遅れたって」
「その必要はないんじゃない? たぶん、体で感じたよりも、全然時間は過ぎてないと思うよ」
「何を根拠に」
「だって、こっちにマリーノーツ新聞が全然届いてないからね。普通だったら、受取れる状態になったらすぐに、鳥が運んでくるはずだもん。もしかしたら、一日も経ってないかも」
「なるほど、そういう仕組みなんですね」
「ていうか、ラックくん、もしかしてマリーノーツ新聞とってなかったり?」
「ええ、まあ……」
「さすがにやばくない? マリーノーツで何が起きてるかもわかんないじゃん。さては、ここ最近、水源の池、フロッグレイクの近くで魔物が大量発生したり、凶暴化したりしてることとかも知らなかったり?」
俺は無言を返した。この話の流れで、知らないと正直に答えるのは負けた気分になるからだ。なめられ過ぎるわけにはいかない。適度になめられた状態でありたい。
「とにかく、レヴィアに手紙、書いてもらえませんか? 『無事でいるのか』とか、『心配してるぞ』とかっていう一言だけでいいですから。念のため、本当に一緒にいるのか確認するためにも、お願いします」
「わかったけど……」
そして、さらさらっと布を寄せ集めて作ったような粗末なメモ紙に文字を書き、鳥の足にくくりつけて送ってくれた。
しばらくして、また鳥がきて、返信があった。今度はアオイさんに実際の手紙を見せてもらう。
――過保護すぎ、うるさい。
と、フリースの字が書いてあった。レヴィアに送ったはずなのに、フリースが書いてくるということは、やはり一緒にいるというのは間違いないということになる。
そして、さらにレヴィアからの伝言として、「よめません! 文字じゃない方法で伝えてください!」とも書いてあった。
文字じゃない方法、か。
俺は鳥に向かって「ごめん」と謝る。それが無意味なことと知りながら。
「アオイさん、『今はどのへんにいるのか』って、返信してもらえます?」
「はいはい」
また鳥が往復して、届いた手紙をアオイさんが開いた。
「えっと……『ほんの半日もレヴィアと離れてられないなんて、レヴィア依存症もいいかげんにしたほうがいい。このエロエロクソ野郎』とか書いてあるけど……ラックくんとフリースさんは、仲間なんだよね? 人間関係、大丈夫?」
「大丈夫です。俺とフリースはこんな感じが平常運転ですから」
「そうなんだ、変なの……」
とにかく、どういう理屈なのかは不明だが、これで書庫の中での時間の流れが違っていることが、よくわかった。
数週間くらい滞在した気がしたんだけど、実際には半日も経っていなかったのだ。
「アオイさん、とりあえず一段落つきましたし、一緒に打ち上げでもしませんか?」
「いいけど、メッセージにあった川を遡るってのは、やらないの?」
「メッセージのところに行くのは、すぐじゃなくていいでしょう。レヴィアやフリースも連れて行きたいですし、カノさんも、この調子じゃあ……」
赤髪の歴史研究者は、俺に背負われながらぐったりしている。はやくベッドに運んでやりたい。
「うん、じゃあ、一旦、カノさんの家に行ったあと、二人でご飯にしよっか。こっちも翻訳スキルを使ったから、お腹すいたよ」
スキルを使うとか、ズルいじゃないかと思ったけれど、そんなことを言ったら俺の『曇りなき眼』なんか、もっとズルいよな。
★
レヴィアとフリースはいない。カノさんは領主の家のお手伝いさんに預けた。
アオイさんと二人きり、俺の宿泊中の高級施設に戻って、謎を解いた記念に、ささやかな打ち上げ会を行うことにした。
つまりは、超高級店で夕食というわけである。
景色を見て、グラスをぶつけて、料理を口に運ぶ。
「すごい、すごい! なにこれすごい!」
見るもの、触るもの、食べるもの。全てにおいて、レヴィアやフリースよりも激しく感動する姿を見せてくれた。いい反応だ。
こういう普通の人間らしい反応をしてくれると、金貨を消費した甲斐があるというものである。正直、レヴィアとかフリースの反応は、ちょっと俺の感覚とはずれているからな。
よろこびをちゃんと共有できる幸せというのを、久々に感じることができて本当に嬉しい。
そして、ほろ酔いの良い気分になってきたところで、俺は言うのだ。
「さ、それじゃアオイさん、約束のものを……」
「約束?」
俺がメイドさんに合図をすると、彼女は軽く一礼して、盆にのせた二つのグラスを持ってきた。
目の前に置かれた透明な液体は、とても静かに揺れている。
「えっ、えっ、ええっ、これって、もしかして、もしかして」
「ええ、そのもしかしてです」
マリーノーツの最高級甘味、スイートエリクサー。
霊薬エリクサーの名がつくものだが、薬っぽい味は全くせず、とても甘くて最高に美味しい。
美味すぎるためにエリクサーの仲間入りをしたのか、使う材料の貴重さによってエリクサーと呼ばれるに至ったのか、名付けの経緯は不明だが、とにかくそれは、幸せを呼ぶ甘い甘いエリクサーなのだ。
俺たちは周囲の目など気にしないことにして、品のないことに長いグラスをぶつけ合い、スイートエリクサーを味わった。
「おーいしー」
甘い吐息をもらしながら恍惚とするアオイさんを見て、俺はすごく幸せだった。
しかし、アオイさんの並外れた探究心は、この高級な飲み物にすら向けられた。
「ラック、お酒をこれで割ったら、もっと美味しくなると思わない?」
他人のおごりだと思って、まじで好き放題だなと思う。
「すみませーん、エリザシエリーの小瓶をくださーい!」
アオイさんは挙手をしてメイドさんを呼んだ。そういう頼み方をする店ではなかったので、他の客からは少々眉のほうをひそめられたりしたが、メイドさんは快く頷き、他の従業員に指示を出して持ってこさせてくれた。
アオイさんは、小瓶を受け取ると、スイートエリクサーに数滴落として、軽く揺らしてから口にする。
「どうですか?」
「……めっっっっっちゃうまい!」
「へぇ」
「ほんとほんと、ひとくちあげるから、ラックも飲んでみ」
「じゃあ……」
俺は差し出されたアオイさんのグラスを受け取り、少しだけ飲んだ。
「うわ、うまい!」
この発見は、アオイさんのファインプレーである。互いの味が引き立ち、見事な調和を奏でている。
ところがどうだ、俺とアオイさんの間には、いつのまにやら不協和音が響いているようだ。
数秒前とは打って変わって、怒った瞳でこちらを見ている。
なんでだ、わけがわからない。
「ちょっとさラック、ひとくち、多すぎない」
「そんなつもりは……」
「もう一杯のみたいなぁ」
目線を合わさず、呟くように彼女は言った。
なんだろう、全然強い態度ではないんだけれど、目には見えない圧力というか、強制力を感じる。抗えない。
「わかりました。頼みましょう、もう一杯」
「ほんと? やった」
とても喜んでくれて俺も嬉しい。
だけどね、もしかしたら、この流れを作るために、あえて俺にグラスを渡してきたとも考えられるよな。
あまり考えたくないけれど、そうだとしたら……ちょっとこわいな。
★
「それにしてもアオイさん。俺たち、無事で本当によかったですよね」
「ほんとだよ。一生のトラウマになったなぁ。途中の崖でカノさんに投げられたのも、書庫で卵ロボットに襲われたのも、一生忘れらんないよ」
「そうですね。俺ももう、高いところにのぼったりしたら足が震えそうですし、卵をみたら反射的に恐怖するようになるんじゃないかって思います」
「こうなったらさあ、メッセージを辿った先に、ものすごいお宝が待っててくれないと割に合わないよね」
メッセージというのは、暗号を解読した結果でてきた次の合言葉だ。
――いつか来るであろう強く優しき探求者。あなたに渡したい宝がある。
――ミヤチズよりネザルダ川をさかのぼり、隠れた水路の先にて、次の合言葉を唱えなさい。
――終わりは初め、初めは終わり。マリーノーツよ永遠に。
この合言葉については、ちゃんとメモってあるから安心だ。もうあの危険だらけの書庫には行きたくないからな……。
「いや、ほんとさあ、あの暗号をたどった先が、何の危険もない安全なところだといいね」
フラグを立てるのは控えていただきたい。
★
しばらくスイートエリクサーやら、高級酒やら何やらを堪能した俺たちは、高級な部屋に来ていた。
「ラックの泊まってる部屋、いい部屋なんでしょ? 見てみたい」
と探究心旺盛な彼女の要望に応えた結果である。
酔っぱらったアオイさんを、落ち着くまで休ませてあげようという考えもあったし、基本的に書物への信仰が強いミヤチズ市街地は夜間に出歩くことを嫌う傾向にあるのだ。
この地には、本に休息を与えるために、人間が夜間に出歩かないようにするという、奇妙な思想が広まっているのである。
「すごい部屋! こんなの初めて!」
酒の力も手伝って、素直にはしゃぐアオイさんだったが、
「わぁーい!」
とか言いながら柔らかなベッドにダイブしたところで、ぐーすか眠ってしまい、透けるくらいの薄い布をさっと掛けてやると、彼女は肌触りを味わうように寝返りを打った。
一つ大きく息を吐いて、俺は別の部屋にあるベッドに向かった。
そのまま、何事もなく、一夜を明かすこととなった。