第239話 大書庫からの脱出作戦(2/2)
「いざという時のために、カノさんに縄をつけときますね。何か起きた時には、この縄を思い切り引っ張って機械たちから助けたいと思います」
「そうかい。まあ、思うようにやってみな」
俺は、以前レヴィアから没収した縄をカノさんの身体に巻き付けた。
使う機会なんて無いと良いけども。
「カノさんの腕っていうのは、けっこうすぐに短くできるものなんですか?」
「本当にヤバい時には、急速に縮めることも可能だけどね、その緊急で元に戻る技を使うと、しばらく尋常じゃない疲労感が残るから、できれば使いたくないね」
「なるほど」
何事もないことを祈ろう。
心の中で祈りをささげたとき、アオイさんが駆け寄ってきた。
「ラック、ここに置いていけばいい?」
「ええ、お願いします」
アオイさんは、俺の近くまで本を運んでくる係。
俺は、その運ばれてきた本を通路に並べて城壁を築く係だ。
共同作業を繰り返し、見事に脱出を果たしてやろう。
★
「ちょっと! ラック! どういうこと!」
アオイさんが怯え混じりに責める声が、機械のモーター音で騒がしくなった書庫に響き渡った。
「こんなつもりじゃ!」
俺は赤髪の年上女性を抱えながら、出入り口の扉に向かって走っていた。
「どーすんの! どーすんのよ、これ!」
アオイさんは、俺のところに持ってくるはずだった輝く本を抱えながら、迫りくる卵型の機械たちを見て、混乱状態に陥っていた。
その横を、カノさんを右腕に抱えた俺が通り過ぎた。カノさんは俺に縄で引っ張り上げられた後、緊急で腕を元に戻す技を使ったため、すでに疲労感でぐったりしている。
何が起きているか、簡単に言っておく。どういうわけか、通路内にいた卵たちがいくつか、急にカノさんをのみ込もうとするように口を開けたのだ。
俺はその光景を目撃し、反射的に縄を引っ張って助け出し、赤髪の女性を片腕に抱え、建設途中のバリケードを自分で破壊して駆け出した。「アオイさん、逃げて!」と叫びながら。
そして今、出口の扉近くで本を運んでいた彼女とすれ違ったわけだ。
「すみません! アオイさん、状況が変わりました! その本捨ててダッシュです!」
「わ、わかった。あとで引っ叩かせてね」
「気が晴れるまでどうぞ! あと、顔も腫れるまでどうぞ! 今はとにかく! カノさんをつれて扉まで!」
アオイさんは、一斉に動き出した大量の巨大卵たちに背を向けて、俺を追って走り出した。卵たちは、散乱した本を避けながら近づいてきているので、まだまだ遠いところにいた。
俺は、その光景を見て、一度安心して扉のほうへと走り出した。この状況なら、アオイさんの走力でも何とかなるだろう。
ところが、もう一度振り向いた時に、俺は目を疑った。
「えぇええ! アオイさん?」
転んでる。
自分が手放した本に足を引っかけて、転倒していた。
何やってんの。
死ぬよ? 死んじゃうよ?
卵が口を大きく開けて、今にも召し上がろうとしている光景が見えた。
「やだ、やだやだやだっ」
恐怖に顔を歪ませるアオイさん。こちらを向いて、手を伸ばしている。
このままでは、大口をあけた卵の中にとりこまれて、ひどいことになって、跡形もなくなってしまう。
どうしよう、どうすればいい。
このまま走って戻っても追いつけない。どうしようもない。
軽くパニックに陥りかけたとき、俺の脇腹をノックする感触に気付いた。
カノさんだ。赤髪のカノレキシ・シラベールさんが、疲労状態のなかで俺に何かを訴えかけている。
「なんですか、こんなときに」
「ラ、ラックくん……あたしを、アオイちゃんの方に向けて」
俺の右腕に抱えられながら、弱った声で呟いていた。
「わかりました!」
外の世界へ続く扉を開けたあと、言われるままに身体ごと振り返った。
すぐさま、カノさんの腕が伸びていくのが見えた。
一直線に、アオイさんに向かっていっているけれど、もう今にも卵に飲まれそうになっている姿をみると、間に合いそうもなくて、絶望感が襲ってくる。
何か、解決策を……どうにか……どうにかしないと……・
「エ、エリザマリー!」
脳みそのどこから出て来たのか、俺がぎりぎりで放った名前に、機械たちは見事に反応した。
本当にアオイさんがエリザマリーなのか、確認するためだろう、一秒か二秒か、短い時間だったけれど、卵たちは全ての機能を失ったかのように停止していた。
奇跡が起きたのだ。
「ナイスだよ、ラックくん」
カノさんの腕がアオイさんの脇の下に滑り込み、俺たちは脱出を果たすことができた。
★
一体、何が起きたのか。出口の扉が消えた後、石畳に座り込むカノさんが苦しげな声で説明してくれた。
「作戦自体は間違っていなかったんだと思うね。本を使った防御壁は、良い作戦だった。あの卵の機械には、『書庫への侵入者の排除』というシンプルな指令があったけれど、同時に、『書庫を汚さないようにする』という制限もかかっていた。だから、完全に取り込んでから侵入者を裁く設計になっていたし、やつら大事な本を踏まないように避けて進むから、なんとか追いつかれずに済んだってわけさ」
「カノさんがいなかったら、俺たち終わってましたよ。本当にご迷惑をおかけしました」
「なんの、あたしも楽しかったからね、別にお礼も謝罪もいらないよ」
「でも、どうして通路の中にいたはずなのに、機械たちが急にカノさんに襲い掛かってきたんでしょうか?」
するとカノさんは、解釈次第だけどね、と前置きしたうえで、仮説を語ってくれた。
「アオイちゃんとラックくんの共同作業で書物を通路に並べてたわけだけど、一千冊くらい通路に持ち出した途端に、一斉に動き出した。その事実が示すのは、一定以上の書物が集まって置かれたために、通路だったはずの場所が書庫になった、ということなんじゃないかな」
書庫で人を襲うのが、あの警備機械の役割であり、通路で人を襲うことはなかった。だが、本を大量に持ち込んだことで、通路までも書庫だと認識される結果になったということである。
確かに、その説明は納得できる気がした。
さて、外に出た場所の風景は、石畳の市街地だった。オレンジ色の屋根が並ぶ街並みは、始まりの町ホクキオやハイエンジの市街地などにも見られるものだ。マリーノーツ世界の庶民街によく見られる景色である。
「とりあえず、あたしは緊急スキルを二度も使って疲れたちまったからね。先に休ませてもらうよ。たぶん、明日までは目覚めないから、安全なところに連れて行ってくれると有難いね」
カノさんはそう言い残すと、よほど疲れていたのだろう、俺の返事を待たずに石畳に寝転がり、カーカーと、いびきをあげながら眠りの世界に駆け込んでいった。
そんな赤髪おばさんの向こうには、アオイさんが、毛先が乱れた黒髪を石畳に垂らしながら、ぼーっと座り込んでいた。
「あの、アオイさん、大丈夫ですか?」
「ラック、生きてるって、すばらしいね」
どうやら死を目の前に感じて、この異世界で生きるよろこびに目覚めたようだ。
「アオイさん、命に感謝をささげてるところ悪いんですけど、カノさんを背負うの手伝ってもらえます? 家まで運んでやらないと」
「こっちもラックに背負ってもらいたいな……なんてね」
「二人は無理ですよ。冗談言ってないで、さっさと行きますよ」
「はぁい」
アオイさんは甘い声で返事をしてから立ち上がり、カノさんを俺の背中に載せてくれた。