第238話 大書庫からの脱出作戦(1/2)
「カノさん、カノさん」
呼吸が止まっているわけではなかったが、呼びかけてみても起きなかった。
赤髪のカノレキシ・シラベールさんは、腕を伸ばして、ひしめく警備機械を抑え続けている。
もう本当に、殺人機械がぎちぎちに詰まっていて、軋んだ音を立てている。今にも決壊しそうなのを抑えながら眠っているというわけで、その姿は、まさに超人といったところだ。
いずれにせよ、このままでは帰るに帰れない。最大の功労者を放って帰るのは、人間の行いではないだろう。
「アオイさん、どうしましょう」
「髪の毛を軽く引っ張ってみるとか?」
「この綺麗な赤い髪をですか?」
「そうそう。鮮やかに染められたスカーレットの髪を」
「どうします? 俺とアオイさんが待たせ過ぎたストレスで、ごそっと抜けたりしたら」
「やってみてよ、ラックくん」
「えぇっ、俺がですか? そういうデリケートな作業はアオイさんがやるべきなんじゃ。髪は女性の命、みたいな話があるじゃないですか」
「まあ確かに。じゃあ、こっちの髪で練習してみる?」
そう言って、アオイさんは頭を差し出してきた。自慢の長い黒髪が美しい……とは思ったが、さっき警備機械に噛まれた影響か、毛先が少し乱れていた。
「アオイさん、今さらですけど、それ真っ直ぐに戻さなくていいんですか?」
「へっ?」
そして彼女は、自分の髪先がぐしゃぐしゃになっていることにやっと気づき、「なによこれぇ!」などと声を裏返していた。
「……なんだい、さわがしいねぇ」
誰の髪を引っ張るまでもなく、カノさんは目を開いてくれたのだった。
これで合流して、あとは帰るだけだと思ったのだが、
「あたたっ、あいたたたっ」
痛みに顔を歪ませるカノさん。
「どうかしたんですか? カノさん」
「いやぁ、ちょっと、ずっと同じ姿勢でいたもんだから、腕がしびれてきててね」
「じゃあ、しばらく待っていれば大丈夫ですかね?」
「そう思うかい? でもね、今、あたしの長い腕をちょっとでも動かそうもんなら、水風船が水の入れ過ぎで破裂するみたいに、一気に殺人機械が書庫になだれこんで三人とも全滅ゲームオーバーってとこだね」
「えっと……じゃあたとえば、カノさんが腕を引っ込めながらダッシュで扉まで走るとかで、何とかなりませんか?」
「走り出すスピードよりも、機械がなだれこむ速度のほうが勝るから、喰われる前に轢き殺されっちまうよ」
「もしかして、まずい状況なんじゃ」
「もしかしても何も、絶体絶命だけどね。この状況を打破するアイデアをね、アオイちゃんと二人で何とか絞り出してほしい」
無茶ぶりもいいところだ。
俺も戸惑っていたし、アオイさんも、「いやいや」と状況が信じられないようだった。
「ほらほら、いつ決壊してもおかしくないから、さっさと名案を出して」
「じゃあ、わかった。こんなのはどうです? カノさんの旦那さんを呼ぶ」
俺は自分でも良いアイデアだと思いながらそう言ったのだが、
「無理だね」カノさんは残念そうに、「そもそも仲悪いし、今は大勇者だか大魔王だかの名を騙った極悪人の事件があって、その後始末で忙しいって言ってたから、いっくら呼んでも無理だろうさ」
偽ハタアリ事件がここまで影響を与えているのか。
「そうだ、フリースをよぼう」俺は人差し指を立てた。
しかし、カノさんは、
「無理無理。そもそもここは異空間みたいなもんだから、外と連絡はとれないんだよ。旦那とも氷の大勇者とも連絡できないよ」
二つの案を突っぱねられたところで、アオイさんも提案を出す。
「出口のドアがここまで迎えに来てくれる」
「わけがわからない」
あっさり却下されていた。
「あっ、そうだ。天井を破って空から出ていく」とアオイさん。
「なるほど、悪くない」一度は頷いたカノさんだったが、すぐさま否定の色を帯びた声で、「でも、さっきも言ったけども、この場所は一種の異空間だから、無理矢理な破壊がもたらすのは、破滅っぽいよね?」
そこで、続いて俺が指を鳴らしていいこと言った風の雰囲気を無理矢理に出して、
「ひしめく卵型の警備機械を全て破壊する」
「この数を見なよ。だいたいにして、あんたらにこれを壊すだけの力や技術や知識があるとでも?」
そんなのは言われなくたってわかってるんだ。
「ラック、まかせた」とアオイさん。
「いやいや、何言ってんですか。アオイさんのほうがまだ望みがありますって。俺なんてこの詰んでる状況を抜け出す作戦を捻り出すことのできない、史上最低の役立たずです」
「何なの? 言い出した以上は、何か策があるんでしょ? なんとかしてよ。ラストエリクサーとか食べれば、機械をちぎって捨てて、とかできるんじゃないの?」
「ラスエリは、全部ホクキオの倉庫に放置したまんまですから、それは無理ってもんです」
「ほんとに役に立たないなぁ」
「アオイさんだって、ひとのこと言えないくせに」
「なによ!」
「なんだよ!」
「こんな状況も覆せないなんて、頼りない男よね!」
「アオイさんだって、年上のくせにマトモなアイデアが全然出てこないじゃないですか。なんです? ドアのほうから来てくれるとか、天井を破って出てくとか。真面目に考える気ないでしょ?」
「他に浮かばないんだからしょうがないでしょ。こっちは頭が疲れてんの」
「疲れてんのはお互い様ですよ! 真面目に考えないと、俺たち全滅なんですよ?」
そしたらアオイさんは、「ふぅ」と一つ息を吐いて、こう言った。
「落ち着こう」
「そう、ですね」
もしも、このまま争い続けていたら、いずれカノさんの腕の限界が訪れてしまう。見た感じ、びくともしてなくて余裕に見えていても、実際は、かなりしびれてきているらしい。
事態は切迫していると思っていい。
「とにかくアオイさん。状況を確認しましょう」
首が縦に振られ、彼女の長い黒髪が揺れた。
「いいですか、アオイさん。まず、出口は、入ってきたあのドアだけ。通路の途中にある場所で、ここからは柱が邪魔で見えませんが、あまり距離はありません」
「うん」
「何とかするには、カノさんの腕のかわりに、つるつる卵型の機械を足止めするものを用意するのがいいと思うんだけど、どうでしょう」
「たとえば?」
俺のアイテムボックスにあって、なんとか即席の壁を形成できそうなものといえば……これかな。飢える賊軍のところで手に入れた、袋いっぱいの石ころの塊たち。重たいから、ある程度の壁を作る時には役立つのではないかと思う。
けれど、全く量が足りないため、ダメだ。やっぱ役に立たない。しまっとこう。
たとえば、土魔法とかが使えれば、地中から壁を呼び出したり、岩を変形させたりして壁を築くことも簡単だろう。でも、俺もアオイさんも、魔法なんて使えないから無理だ。
どうしよう。どうしたらいい。
「うーん……」
俺とアオイさんは、二人で頭を抱えて考え込んだ。
そんな中で、先に閃いたのは、俺だった。
「本を使おう」
要するに、カノさんの腕にかわる何かを用意できればいいのだ。そして、機械たちが移動のみしか行わない通路の中に、やつらを封印できればいい。
この条件に合致して、しかもこの空間内で手に入るものは何か。それは、この秘密の第三図書館にある、百万冊をゆうに超える宝物級の書籍たちである。
ご存知の通り、本ってのは一冊ごとは大した重さじゃなくても、集めて置くと簡単に床を破り抜くほどの重みをもつ。
通路に大量に配置することで、機械たちの車輪を足止めできるに違いない。
本棚を使う作戦も考えたが、非常に強く固定されているため、無理だった。
つまりは、書物をバリケードにしようというわけだ。ここの蔵書は全て宝物であるため、このような雑な扱いをするのは気が引ける。けれども、命にはかえられないのだ。
「そうと決まればアオイさん。手伝ってください」
「まぁ、たしかに本って重たいもんね。試してみてもいいかな」
アオイさんの許可が出た。カノさんも不安そうな顔をしながらも、「まぁそれなら」と頷いていた。