第234話 アオイさんの聖典研究(14/16)
アオイさんと向き合いながら、二人で絨毯の上に座り、『原典ホリーノーツ』の中巻を持ち、開いた。
俺が手に持つことによって、『聖典マリーノーツ』に見せかけている偽装はなくなり、真の姿である『聖典ホリーノーツ』となる。
俺が本を支えて、アオイさんが次々にページをめくっていく。時々読めない文字がある時には、別の本を持ち出してきて、何冊も床に広げていく。
頭をかいたり、遥かな天井を仰いだり、俺に向かって「ちゃんと持ってて、見づらい!」とか八つ当たりしてきたり、そういう時間を長く長く繰り返して、結局上巻と下巻と同じく、文字列として成立していない滅茶苦茶な内容であることが分かった。
そこから先の手掛かりは見つからない。
「ラックくん。ここからどうすればいいかな」
完全に行き詰まったわけだが、どうするか……。
とりあえず、俺は書棚にもたれかかって脱力するアオイさんに、「ちょっと待っててくれ」と言うと、001の棚の最初と、596の棚の最後に差し込んだ原典の上下を持って戻った。
「アオイさん。これをどうぞ。三冊あわせて読むと見えてくる何かがあるかもしれないし、通してタテ読みとかしたら、気付くことがあるかもしれない!」
「う~ん……」
アオイさんは不満そうに受け取って、ぺらぺらとめくりはじめた。
一度読んで、二度読んで、三度読んで、首をかしげて、反対側から読み始め、上下を逆さにして読み始め、何度もメガネを頭にかけたり戻したりして結論を出した頃には、この世界の時間で、もう何日間かが経過していた。
「わかった!」
ついにアオイさんが閃いた。
「これを……こうして……」
いそいそと上中下の三冊の四隅をピッタリ重ねて置いた。
そして次の瞬間、
「えいッ!」
ギルドの仕事着の懐から取り出したのは、錐のようなものだった。千枚通しとも言うのかな。いずれにしても、先の尖った金属製の大型針が、三冊の本のど真ん中を貫いた。
深く深く貫いた。絨毯まで届いたかもしれない。
何が起きたのか、一瞬わからなかった。
中巻は偽装されていたからともかく、上巻も下巻も宝物なんだぞ。なんで穴をあけちゃってんの!
「なーにやってんすかアオイさん! やけくそで頭おかしくなったんですか!」
俺はアオイさんの肩を掴み、勢いよく前後にゆすった。
彼女は、あわあわと声を出した後、俺を突き飛ばすと、「ちがうよぅ」と言って身体を守る姿勢をとった。
何が違うというのか。
「本をザックリと刺し貫くのが頭のおかしい行為じゃなくて何なんだ!」
「ラックくん、そのおっきな針を抜いて、中巻のページを見てみて」
「何だってんですか……」
俺は文句を呟きながら、言うとおりに尖ったものを抜いて、上から二冊目にあった本のページをめくっていく。この本だけは、上下二冊よりも綺麗だ。
「こっちで刺した穴の開いたところに注目しながら、見覚えのある文字が見えたら手を止めて」
「はあ」
気のない返事をしながら言うとおりにする。
「これでいいですか? アオイさん。これで何がわかるんです?」
「いいから」
しばらくめくっていって、中巻の中盤くらいにさしかかった時だった。
「へいへいラックくん。節穴なのかな?」
「え、なにがですか」
「見覚えのある字のところまでって言ったでしょ? もう過ぎてるよ。六ページくらい戻って」
「何なんだよ、自分でやりゃいいのに……」
「は? なにそれ。こっちが一人でめくったって、偽装された後の普通の『聖典マリーノーツ』が表示されちゃうんだから、ラックくんに触っててもらったほうが都合いいの。わかんない?」
問題は俺がやらされてるってことじゃなくて、言い方が頭にくるってことなんだけど、そっちこそ、そこんところ、わかんないのかよ、俺は年上の女性には優しくされたいんだよ、と言いたいところだ。言わないけど。
「そこっ、そのページから」
穴があいている文字を見ると……何だろうな、どっかで見たような字だけど、よくわからん。
「ラックくん、まさか……」
「ええ、わかりませんけど」
「やばくない?」
「なんでです」
「その古代文字、最近見なかった?」
「どっかで見たような……」
「じゃあ、隣のページの穴の開いた文字は?」
「いやあ、穴があいて字の形が変わってるのかなぁ、わからないですね。どっかで見たと思うんですけど」
「だったら次のページ。ほら、めくって」
「はい」
次の文字は、これもどこかで見た。
「ラックくん……」アオイさんは溜息を吐いて、「これ貸してあげるから」
「あ、はい」
渡されたのは、ずっしり重い書籍。早い話が辞書である。古代語を現代マリーノーツ語に翻訳するための辞書である。
見出しは古代語なのだが、俺は古代語なんてものはサッパリなのだった。文字の検索方法すらわからない。
「ほんっと、研究手法の基礎も全然知らないなぁラックくんは。辞書の引き方なんて初歩の初歩でしょう?」
「そんなこと言われても」
こっちは冒険者であって研究者ではないのである、と言っておく。現実世界では辞書を引くスキルはそれなりにあるはずだけれど、古代マリーノーツ語の辞書なんて触ったことないのだ。
いきなり青森弁からラテン語に翻訳するための辞書を渡されたって、簡単には読めないだろう。だから仕方ないんだ。
「しょうがない。まずは古代文字ってものの特性からいうとね、これは我々にとっては馴染み深い漢字と同じで、文字そのものが意味を持つの。
一つの文字が複数の意味を持つことも多いから曖昧で難解で、知識人にしか扱えなくなって廃れていったんだけど、先人が行き届いた分厚~い辞書を作ってくれててね、読み方すらわからなくても探せるから、チャレンジしてみて」
右も左もわからない俺に、アオイさんが厳しめに手ほどきをしてくれるようだ。
「まずは、最初のページを開いて」
「はいっ」
開いたページには、縦棒やら、横棒やら、角張った記号やら、クロスした記号やら、柔らかな曲線やらが描かれていて、その横に、対応する番号が書かれている。
「これらの記号が、古代文字の四隅の形に対応してるの」
「ん?」
「わっかんないかなぁ。だから、左上の隅っこが縦棒の形なら『1』を、横棒なら『2』ってこと。これを左上、右上、左下、右下の順に書き出していって、四桁の数字を出すでしょ?」
「んん?」
「知識もなければヒラメキもないの? その辞書の中の文字の並び順は、その四桁の数字の順番だから、すぐに探している文字が見つかる」
「えーと、えーと……」
「さ、やってみて」
「無理です」
俺は投げ出した。
「無理じゃないよ。できないからできないんじゃない。やらないからできないの。ラックくんの限界はこっちが決めるから、ほら、考えて考えて」
「でもほら、カノさんを待たせてるわけですし、アオイさんが読めるなら……」
「甘えてんじゃないの。ラックくんならできるから、ゆっくりで良いから読んでよ。ほい、紙とペン貸したげるから」
「ふぅ……」
気が進まないな、と思いながら、俺は受け取った。
★
解読した。
「アオイさん、順番に言うと、『しるし・拾って・集まる・探す』で合ってますよね。この四文字は……」
「聞き覚え、あるでしょう?」
「なるほど。カノさんと一緒に発見した、偽装を外した暗号の文字列だったわけで、もしかしたら、この先を読んでいけば、新しい手がかりがあるってことですか?」
「手がかりなのか、答えなのかわかんないけど、たぶんね」
というわけで、古代文字から現代マリーノーツ語への翻訳を通して、俺は、わけわからん検索方法をマスターした。この世界の時間で数日間かかった。
いやもう、何なんだよ、文字の四隅で検索する方法って。今後使う機会なんか絶対に無いような限定知識じゃないか。正直、時間を無駄にした気分だぞ。
「なにはともあれ、これでラックくんも、マリーノーツ古代文字研究者の卵だね」
嬉しそうに笑うアオイさん。
アオイさんには悪いけど、ずっと卵のまま孵りたくないと思った。
「さて、ラックくん。出てきた古代文字の文章を、どう解釈すればいいのかだけど……」
『原典ホリーノーツ』の中巻、そのど真ん中を貫いて印がつけられている。見知った四文字の後には、続きがあった。
アオイさんは、俺から紙を取り上げ、そこにすらすらと文字列を書き込んでいった。
――しるしを拾い探し集めよ。龍の足跡を探し集めよ。尾と頭。頭と尾。川は蛇行し、さかのぼる。まがり角に徴をのこして。1954の120を紐解け。
「おぉお! それっぽい!」
「ラックくんなら、どう解釈する?」
「前半部分は、何か文章の読み方の指定って感じですね。ひょっとして、この『原典ホリーノーツ』三冊セットを、ここに書かれているような読み方をしていけば、何か出てくるんじゃないですか?」
ところが、アオイさんは首を横に振った。
「それはもう確かめた。ラックくんが古代文字に悪戦苦闘してる間にね」
「ん? もしかしてアオイさん、俺に文字を遠回りで読ませてる間に、自分だけ暗号解読を試みてました?」
「……ど、どうかなぁ」
絶対そうだ。
この顔、この目線、この仕草、この態度。
俺を出し抜いて、自分が先に答えに辿り着いて優越感に浸るために、あえて俺に文字解読に取り組むように仕向けたんだ。なんて策士だ!
「でも、残念でしたねアオイさん。結局、俺に追いつかれてちゃってるじゃないですか」
「うん? ってことは、ラックくんには、この暗号の意味がわかったの? 一瞬で?」
「ええ、たぶん」
突然に、閃きが降りてきたのだ。もしかしたら、古代文字解読で頭が疲れていて、閃き状態になりやすい状態にあったからかもしれない。風呂入ってるときとかトイレとか、何も考えて無いときに限って、神がかった閃きってやつは手をさしのべてくるもんだからな。
「へっ? うそでしょ?」
ショックを受けている。ずれたメガネごしに涙目になっているのが見えた。