第231話 アオイさんの聖典研究(11/16)
かつてのマリーノーツ王室が管理していた書庫について、カノさんが言うには、二つあることが広く知られているという。
しかし、俺たちがこれから向かうのは、隠された三つ目の書庫だ。
実は三つ目以降もいくつかあるらしいが、その情報も少数の人間しか知らないという。
この世界ってやつは、秘密だらけだなとあらためて思う。
さて、レヴィアとフリースも連れて行こうと思ったのだが、二人は朝早くに出かけたという話だった。心配なので、一応鳥を飛ばしておこう。
俺を置いて何をしているのか知らないけれども、フリースと一緒ならレヴィアも安全だろう。
「まあ、どのみち第三書庫には、連れて行ける従者は二人までっていう縛りがあるから、アオイちゃんとラックくんで埋まってたからね」
カノさんのそんな言葉を考えると、効率よく動けていると言っても良いかもしれない。
「さぁ、ついてきて」
赤髪のカノさんが先導して、俺とアオイさんはその後に続く。
アオイさんは、普段のキリッとしたギルド服に身を包み、長い黒髪を風になびかせながら、顔にはメガネを装備していた。
「アオイさんって、視力よくないんでしたっけ?」
「良くも悪くもないかな。無くても問題ないくらいだね。これ掛けてると知力ステータス上がるから、集中して本を読む時とかは装備するようにしてるのよ」
「なるほど、ちょっと俺にも貸してください」
「ラックに一瞬でも知力で負けたくないから、嫌だよ」
「どういうことだ……」
高台の領主の邸宅から、かなしみの宿泊施設の横を通り過ぎ、坂を下っていく。
カレー屋が軒を連ねる庶民街を抜けて、書店街に出た。やはり何度見ても、青空の下に連なる本棚は壮観である。
「どうもここに来ると、棚の本を見て回りたくなるけどね、今日は通り過ぎるだけ。いいね?」
なぜカノさんが釘を刺すように言ったのかというと、アオイさんがふらふらっと書物に誘われて棚の方に向かって行こうという素振りを見せたからである。
「あのね、アオイちゃん。これから行くのは、本の故郷と言われている地域なんだから、ここよりもレアな書物との邂逅が待ってるんだよ?」
「でもでもカノさん。本との出会いは一期一会ですよ」
「否定はしないけども……ラックくん。ちゃんと捕まえといて」
「あ、はい」
言われるがまま、俺はアオイさんの手首を掴んで、引っ張った。
「ちょ、待ってよっ。一人で歩けるから」
アオイさんはそう言うけれど、カノさんは、念を押すようにもう一度、
「絶対離しちゃダメだからね。ここから先も、本の誘惑がいっぱいなんだから」
確かに、アオイさんは、そのうち目的を忘れて目先の本の引力に負けそうな気がする。
「ラックくん、待って。せめて、手首を引っ張られるのは嫌だよ」
「じゃあ……」
俺はアオイさんの手を握った。
カノさんは振り返って、手をつなぐ俺たちの様子を見るや、フッと軽く笑ったのだった。
★
しばらく青空書物市場の棚たちの間を進み、やがて右に曲がって、坂をのぼる。アオイさんは名残惜しそうに何度か書物市場を振り返っていたが、やがて森に入って、その景色に目を輝かせた。
くり抜かれた樹木が本棚になっており、そこに古い本がびっしりと並べられている。その樹木型の本棚の並木道が狭い道の両側に続いているのだ。
「あれは……古代の獣人語に翻訳された『聖典マリーノーツ』だ。いくらかな。むむっ、あっちは、『幻の村ツノシカ』に関する調査記録! ほ、ほしい……えっ? まって、あれって、マイシー先生の論文集じゃない? あっ、カノさん。カノさんの出した本もありますよ!」
あちこちに目移りしているようだ。
「アオイさん、ダメですよ。ここは通り道です。今は我慢してください」
「すごいすごい。カノさん、ここが秘密の第三書庫ですか?」
「いや……ここはエルフの古書街ね。残念ながら、あたしらみたいな人間相手には売ってくれない店が多いよ」
それはなんとも、悲しいことで。
続いて、道は地下に潜った。地下道にも、そこかしこに本棚が置かれている。ここの本は、タイトルからすると、子供向けや、軽く読めそうな娯楽用のものがほとんどだったが、中には、この異世界に来る前に見た覚えのある漫画雑誌が数冊、混じっていたりした。
俺は並々ならぬ興味を抱いたが、アオイさんが繋いだ手にぎゅっと力を込めてきた。
「ラックくん、ダメだからね。今は先を急ぐんだから」
アオイさんに言われたくない。
さらに追い打ちをかけるようにカノさんが、
「ていうかラックくん、言っとくけどね、この地下道は非合法な書物のブラックマーケットだから、買い物しちゃダメよ」
これでカノさんには二人とも釘を刺された形だ。
薄暗い地下道から地上に戻って、坂を上がったり下がったりを繰り返した。
けっこう険しい道であったが、そのクライマックスに、最も危険な場所が待ち構えてた。
危険、というより、こんな場所を渡れるわけがないじゃないか。本来は、ここに吊り橋があったのだろうが、橋はすでに残骸になって久しい様子である。目の前には断崖しかなかった。
「さあ、若いお二人さん。問題です。この先に書庫への入り口があるんだけど、どうすればいいと思う? ちなみに入り口のある場所は、テーブル状になっていて、迂回路は存在しないよ」
「鳥でも呼んで運んでもらう」と俺。
「一旦、下に降りて、崖をよじのぼる」とアオイさん。
「二人とも不正解。まずはラックくん。ここを渡れる鳥なんて、皇帝様が持ってる化け鳥くらいさ。当然、あたしらはそんなの持ってないし、持っちゃいけないからね、あれは皇帝特権なのさ」
巨大な伝言鳥であるナスカくんが思い出された。確かに、あの鳥の背中は乗り心地が抜群だったよな。
「次にアオイちゃん。下を見ても同じことが言える? ちょっとのぞき込んでご覧なさいよ」
不思議そうな顔をした後で崖下に身を乗り出すアオイさん。
俺は両手でアオイさんの手を引っ張りながら、落ちないように支えてやった。
「うげ、モンスターがうじゃうじゃいるぅ……」
俺もアオイさんの後にのぞき込んだら、どう見ても俺たち激弱パーティでは太刀打ちできないような強力なヤツらが跋扈していた。
「ありゃ戦闘力だけでみたら魔王なみだね。自我を失ったバーサーカーだから、落ちたら、たちどころに八つ裂きコースだ」
こんなところで死ぬわけにはいかない。
フリースでもいれば、堅牢な氷の橋でも架けてくれるんだろうけど、そんな橋をかけるような能力を持つ人が、そうそう居るとは思えない。
いや、待てよ……。
カノさんは、腕が伸びるスキルを所持している。はるか遠くにある向こう岸に届くほど伸びるとしたらどうだろう。
ここは一つ、きいてみるか。
「カノさんが腕を伸ばしたら、届きますよね」
「ラックくん、正解!」カノさんは、俺の両肩を掴んだ。「じゃあ心の準備はできてるね? 一番カタい装備をつけといて」
「え」
「大丈夫! よほど運が悪くなければ死なないからね」
そしてカノさんは、俺を、赤ん坊を「たかいたかい」するように、頭上に持ち上げると、そのままぐんぐん腕を伸ばしていく。
「えっ、えっ、ちょっと……」
遠ざかっていく視界。アオイさんも、カノさんも、どんどん小さくなっていく。
目的の場所を見ると、確かに断崖絶壁に囲まれた、外界から隔絶されたテーブルマウンテンの岩山だった。こんもりとブロッコリーみたいな森が広がっているのが見える。
反対方向を向くと、これまで通ってきたミヤチズの街やら、神馬がいる学問所やら、大勇者指名の儀式に使われたマリーノーツ祭壇やらが見えた。これまで辿ってきた「コの字」型の道が見えて、ネオジュークのピラミッドまでが視界に入った。
さらに高く、高く、地上の建物がミニチュアに見えるくらい高く、高くまで……こわいこわい、無理!
「えっ、ちょっと待って、これからどうなるの! まさか、俺はこんな高さから振り下ろされて叩きつけられるの? 防御力で何とかなるもんなのっ!」
その叫びは、たぶんカノさんには届かなかっただろう。俺を掴んでる中年の腕をぺしぺし叩いても、やめてくれる様子はない。
またなのか、またシラベール家の連中は、俺に苦痛を与えにくるというのか!
クテシマタさんは俺が牧場のモコモコヤギを食ったことを証明してギルティを確定的なものにした。
サカラウーノさんは、ラストエリクサーを集めていたことが原因で俺を反逆者扱いして死刑にしようとしてきた。
絵描きのボーラさんことハニノカオさんは……いや、彼女は特段、俺を追い詰めるようなことはしなかったか。強いて言うなら、俺にザイデンシュトラーゼンの黄金を溶かすように唆したけど。
そして今、長い腕を持つミヤチズ領主代理、カノレキシ・シラベールさんは、俺を岩山に叩きつけようとしている!
このシラベールとかいう一族には頭のおかしいヤツしかいないのだろうか。
「あっ、あっ、ちょっと待って、待って」
うわずった情けない声を出したところで、待ってくれない。だんだんと彼女の両腕が傾いていく。視界が流れ始め、そのスピードはあっという間に速くなり、風切る音で俺の悲鳴はかき消された。髪が逆立つ。頭の奥からよくわからない脳内物質が溢れ出すのを感じた。ものすごい速度で、緑が迫ってくる。
このままだと、背中から森の緑に叩きつけられる。
俺は咄嗟にアイテムボックスを開き、オトちゃんから賜った銃弾をも弾く盾を選択すると、それを背中に装備。頭と背中を守るようにした。
無数の枝が無残に折れる音色が響き、背中に尋常ならざる衝撃を受けて「ぐえ」と声をもらす。
俺の身体の下は、かなり凹んでいた。まるで小型隕石でも落ちたみたいに。
「ぅおお……なんとか生きた……」
しゅるしゅると引っ込んでいく中年女性の両腕に、俺は枝を投げつけてやったが、届かずに落ちた。
「いや……殺す気か!」
俺の全身全霊のツッコミは、きっとカノさんにもアオイさんにも届かなかっただろう。