第23話 通りすがりの大勇者(3/5)
まなかさんの言うことはもっともだ。やらねばわからぬこともある。
だけど、俺は、なんとか絞り出すように言葉を続けた。とても情けない言葉を。
「もう俺、ムリなんですよ。まなかさん、何とかしてくれませんか」
「嫌だよ。わたしには、どうすることもできない。ラックのやりたいことを、わたしがかわりに見つけてあげることはできないんだよ」
「やりたいこと……ですか」
「そう。やりたいこと」
「年上の可愛い女の人と幸せに暮らしたい。とかですかね。まなかさんが、勇者やめるっていうなら、どうです? 結婚でもして、ホクキオのまちで、それこそレストランでも経営して、一緒に暮らしませんか?」
「甘ったれは好きじゃないから、世界がひっくり返っても嫌だよ」
「そんなあ」
一瞬でふられた。
「あのさぁ、ラック、本当に何があったの? 心が濁って汚れちゃってるよ」
「もともとですよ。まなかさんのように純粋な天才にはなれませんよ。生まれた時からねじ曲がったような下等生物なんですよ」
「本当にそう思ってるんだとしたら、その根性をじゃぶじゃぶ洗濯するために、ラックは異世界に飛ばされてきたのかもよ? ラックは本当はそんなんじゃなかったはず。なんでこんなことになった?」
またしても何があったのかと問われたが、言いたくなかった。俺は黙り込んだ。
まなかさんは、しばらく俺の沈黙に付き合った後、ふぅと溜息を吐いて、こう言った。
「とにかくね、ラック。ホクキオなんて狭い世界でひきこもってちゃだめ」
そこで、俺は爆発した。我慢の限界を迎えた。
自分でもこのままじゃダメだってことくらいわかっているんだ。自覚している痛いところをザクザクと痛めつけられたら、誰だって激しく反応するだろう。
大きな怪我をした人が痛そうに横たわっているところに、「ここが痛いの? ねえここが痛いの?」と言って傷口を突いたり叩いたりするようなものなんだぞ。
だから俺は、自分の心を守るため、怒りに我を忘れ、わけのわからない発言をした。
「うるさいうるさい! 大学院生は研究をするのが仕事なんだぁ! 日差しの入ってこない図書館がホームグラウンドなんだ! 不健康だと何だと言われようが! ひきこもらなきゃ論文はかけない!」
「落ち着いて!」
「いやだいやだ! こんな世界、もううんざりだ! でも現実に戻るのもいやだ! この世界で死んで魂がとんでくのもいやだ! もう何も考えたくない! 何もききたくない! 何もしたくない! このまま俺は永遠にこの世界の住人になって、永遠にスリルのない甘ったるいモブ狩りを続けるんだ!」
それでも、俺がどんなに情けない発言をしても、まなかさんの唇は冷静に言葉を繰り出してくる。
「――あなたは魔王を探す旅に出なきゃいけない」
現実に戻るのを諦めてはいけないと、彼女は言っているのかもしれない。だけど、正直な話、もはや俺は人とあまり関わりたくない。裏切られて傷つくのはもう嫌なんだ。
「大丈夫。ラックならできるよ」
「何を根拠に!」
「ラック、お願いだよ、ちゃんと聞いて」
「うるさい!」
「そんな風に閉じこもっていたら、いつまでたっても魔王と立ち向かえないよ!」
「うるさいうるさい!」
「実はね、旅の助けになるように、わたしからプレゼントがあるんだけど」
「うるさいうるさいうるさい! 静かにしろォ! どうせまなかさんも、現実では俺みたいにひきこもってるんでしょう! ひきこもってゲームばっかりやってるダメな大人なんだ! そんな人に外に出ろなんて言われたくないですよ!」
その瞬間、彼女の目の色が変わった。
怒りのオーラを身にまとい、歯を食いしばって鬼の形相で勢いよく剣を抜く。壁に掛けてあったガラスのランプが叩き落とされて砕け散り、火のついた蝋燭が地面に落ちた。彼女は刃を床に突き立てた。
「このぉ! 堕天灰燼殺!」
叫びと共に、俺の視界は黒い炎に包まれて、足元が蒸発し、俺は思わず目を閉じたのだった。
何が起きたのか。
簡単に言うと、俺の家、大爆発。
ホクキオ郊外の草原に、俺が生きているのが不思議なくらいの大穴が生まれた。跡形もない。瓦礫すら残さず灰燼に帰したようだ。市街地じゃなくてよかった。
爆風は家を吹き飛ばしたけれど、どうやら俺だけを避けていったらしい。
大穴の真ん中で恐る恐る目を開いた俺は、ただ呆然と座り込むしかなかった。
おそらく上空高く飛び上がっていたのだろう、まなかさんが草原に華麗なる着地を決めた。そのまま大穴のなかに飛び降りて、俺に駆け寄ってくる。
家は唯一の自慢だった。この異世界に来てからの自分が持てる小さな小さな誇りだった。出来はあまり良くなかったけれど、自分の手で手間ひまかけてつくりあげたものだった。なんてことだ。
こんなふうにさ、年上の女は寄ってたかって、何から何まで奪っていくんだ。
アンジュさんには一時的に心と持ち物全てを奪われ、二度も身ぐるみ剥がされた。ベスさんには、インチキ裁判で、これでもかってくらい尊厳を奪われた。そして今、俺は大勇者まなかさんの一撃で住む場所を奪われたのだった。こんなことってあるかい。似たような不幸があるなら是非とも教えてほしいもんだよ。
「さ、ラック。つかまって」
まなかさんは、とてもすっきりした顔で俺に手を差し伸べてきた。
どうあっても立ち上がれ、ということらしい。
まなかさんは、さっきまでの怒りはどこへやら、優しく語り掛けてくる。
「あのね、ラック。なんていうか、ラックの言うことも、ちょっと当たってるところあるんだ。たしかに現実のわたしは、立派な人間とは言えないと思う。だけどね、ラック、この世界で得たものは、確かにわたしを変えたんだよ。わたしはこの境目の世界に来て魔王と戦うことで、ちょっとだけ現実に立ち向かえるようになった」
それができるのは、まなかさんが強いからだ。生まれついてザコな俺は、始まりの町がお似合いなんだ。
「ラック、ここは確かに現実じゃないけれど、この異世界の時間の中を必死に生きている人がいる。それを、ちゃんと知ってほしいんだよ」
そんなのは知っている。三つ編みのベスさんは歳をとって色っぽいおばさんになったし、旦那のシラベールさんとの間に子供が二人もできて、すごいスピードで育っている。転生者は時が流れても年を取ることはないけれど、町の人々はこの世界なりの喜びや悩みや苦しみや楽しみを抱えて、生まれ、育ち、老いて、死んでいく。
――だけどね、まなかさん。俺だって、何もしてこなかったわけじゃないんですよ。転生されてホヤホヤの人が教会への道で迷わないように案内して、いろんな人に感謝されたりしてるんですよ。
なんて、もしもそんな発言をしたら、「それがラックのやるべきことなの?」という冷たい視線を浴びせてくるに違いない。
そこで俺は、差し出された手を無視して黙り込んだ。せめてもの反抗である。
まなかさんは、優しい声のまま続ける。
「ほらほら、ラック。家が壊れたんだからさ、これで心置きなく旅に出られるよ」
なんとまあプラス思考は結構なことだが、盛大に爆破した張本人が放っていい言葉なのかどうか、もうすこし考えて発言してもらいたいものだ。
さすがに頭にきたので、俺は、まなかさんの手を借りずに立ち上がってみせた。
「よし、元気出てきたね。そいじゃラック。手を出して」
「なんでですか?」
「いいから」
彼女は俺の腕をぐいと引っ張って手を開かせると、そこに手のひらサイズの小さな麻袋を置いた。
「これは?」
「見ればわかるでしょ、家を吹き飛ばしたお詫び。ラストエリクサーだよ」
「ラストエリクサーだと!」
エリクサーというのは、錬金術で生み出された霊薬である。飲めば不老不死になるとかいう伝説的なものである。エリクシールとも呼ばれ、たいていのゲームでは最高グレードの治癒薬だ。
同様のものとしては、ギリシア神話のネクタルだとか、中国道教に伝わる金丹や仙丹などが挙げられる。その他同様のものは枚挙に暇ないほど多い。
エリクサーといえば、以前、ホクキオの町の入口付近に居を構える小さな薬屋で、瓶に入ったエリクサーを見たことがある。埃まみれになっていたので、中の液体の色などはわからなかった。興味本位で値段をきいてみたら、たまげた金額を言ってきた。ナミー金貨七千枚とかなんとか。
ほんともう桁違い。豪邸が何百軒建つのかってレベルの金額だった。
埃に埋もれてしまうのも無理はない。あんな値段をつけられたら、誰も買い手がつかないだろう。そう思った。
しかし、数日後に薬局に行ってみたら、驚いたことに貴族の女が買っていったというではないか。お金ってのはあるところにはあるもんなんだな。
その後、財政が潤った薬屋は二号店をオープンし、店の衛生レベルもようやく薬屋らしくなったのだった。
さて、そんなエリクサーよりもさらに上位のラストエリクサーを受け取る時に、まなかさんは次のように説明してくれた。
「ラック、いい? このラストエリクサーは、体力の限界を超えて回復するの。しかも副作用なし。すっごく貴重だけど、ラックにあげる。絶対に旅の助けになるから」
説明というよりかは、ちゃんと使えよという念押しのような気もする。
かつて家があった場所にできた大穴の中で、俺はラストエリクサーを手に入れた。
「見た感じは……草ですね。これでもかってくらい草の見た目で、草っぽい匂いがするただの草にしか見えませんよコレ」
「そうなんだけど、戦闘中にその草をそのままムシャムシャ食べると、ありえないくらい回復するんだよ。あんま美味しくないけどね」
「なるほど」
「ラック、わかってると思うけど、ちゃんと旅に出て、戦ってる時に使うものだからね」
「わかってます」
「ちゃんと使うんだよ?」
「わかってますって!」
「それじゃあ、わたしはそろそろ一瞬だけ現実に帰るけど……いい? ちゃんと使わなかったら、ラックは絶対後悔することになるからね?」
「しつこいですって」
大勇者まなかは、心配してくれたのだろうか、何度か振り返りながら、草原を去っていく。ホクキオ市街のほうへと消えていった。
なお、普段は草原が傷ついてもすぐに元の地形に戻るのだが、大勇者の「堕天なんとか」で開けられた大穴は、どういうわけか穴になったまんまだった。