第228話 アオイさんの聖典研究(8/16)
『聖典マリーノーツ』は、エリザマリーという人の創作物である。そのもとになった書物として、『原典』がどこかにあるとされてきた。
俺の持っている二冊の崩れそうな本が、『原典ホリーノーツ』と名前のついた宝物であったが、それはどうも怪しいものらしい。
甲冑のシラベール兄弟の母、カノレキシ・シラベールさんは、俺が持ってきた『原典』をなめるように読んでいた。
俺も暇だったので、アイテムの中から、以前アオイさんからもらって、ちょくちょく読み進めていた『和文マリイノウツ』という聖典の和訳を開いた。
シラベール母と一緒に謎の書物を読んでもいいんだが、あれは何度読もうとしても、全く読めなかったものだから、読める人に任せられれば、それが一番いいかなと思ったのだ。
しばらく、ページをめくる音だけの静かな時間が続いていたのだが、赤髪のカノレキシさんは、顔を上げて、声を掛けてきた。
「アオイちゃんのこと嫌いなの?」
突然そんなことを言われるとは思っておらず、準備の出来ない俺は、「いえ、そういうわけでは……」などとあいまいな返事を返すことしかできなかった。
「じゃあ、付き合っちゃえばいいのに」
「お、俺にはレヴィアがいますので」
「レヴィア……あぁ、このあいだ、浮気だって騒いでた子か。ああいう小さくて可愛くて、めんどくさい子が好きなの?」
「なんていうか、守りたくなるんですよね」
「アオイちゃんのほうが良い女だと思うんだけどな」
「それは否定も肯定もしかねますね、どっちがいいとか比べるのはよくないですし、そもそも、イイ女と好きな女というのは、同一平面上で比較できないんですよ」
「ふぅん。ま、ラックくんはまだ若いから、アオイちゃんの良さはわからないか」
「挑発するようなことを言って誘導しようとしてません? 俺とアオイさんをくっつけて、カノレキシ・シラベールさんに何かメリットがあるんですか?」
「おやまぁ、カンがいいこと。まあくっついたら面白いかなっていうのは思うけども、別にメリットなんか考えてないよ。単純に相性がいいかなって思っただけさ。それぞれが一人きりじゃ出来ないことばかりだけど、アオイちゃんとラックくんの二人が協力すれば、できることが一気に増える気がしてね」
「それは俺も思いますけど……でも、なんていうか、アオイさんは一緒に仕事したい人って感じなんですよね。ずっと一緒にいたいのは、やっぱりレヴィアなんですよ」
「そうかい」
カノレキシ・シラベールさんは原典をそっと閉じた。どうやら読み終わったようだ。
「読めましたか?」
と、俺がきくと、彼女はニヤリと笑った後、こう返してきた。
「こんなの読めるわけないわね。燃やしちゃいましょうか」
「ちょっと、冗談ですよね」
「そうね。冗談だけど、でもこれはアオイちゃんも言ってたように、本物の『原典』じゃないわね。後世につくられた偽書だと思う」
「やっぱり偽物ってことなんですかね」
「ま、偽物だから価値が無いってことにはなりやしないけどね。まあ、ちょっとこっちに来て見てごらんなさいよ」
俺は言われるがままにカノレキシさんの指差す『原典』の中の文字を見つめた。
「この文字は、古代にはなかったものね。少なくとも、序文に書かれている年号からはかなり時代が下らないと使われない文字。こっちは、エルフとの交流が続く中で、混ざり合って生まれた言葉。あと、こっちの言葉は、獣人の使っていた言葉の音に文字を当てたものだけど、当て方が比較的新しい形。これらを総合して、この書物が書かれた時期を考えると……エリザマリー様がご子息に国を譲って一線から退いたくらいだから……少なくとも序文に書かれた年号は嘘っていうことになるわね」
「なんかすごいですね。研究者みたいです」
「みたいも何も、言わなかったっけ? あたしは本気で歴史を研究していて、講師もやってるし、秘密の大書庫にも入る権限さえ持ってるって」
そういえば、学問所の臨時講師だって自己紹介してたし、大書庫に入れるってこともアオイさんが言っていた。
「そうだ。カノレキシさん。この本って、アオイさんが言うには大書庫のものだっていう話ですけど、本当ですか?」
「にわかには信じがたいけどね、そこは本当。書庫から失われていた二冊の本が、こんな形で見つかるなんて……」
「それと、書庫から本を持ち出したら死罪だなんて物騒な話を小耳にはさんだんですが、さすがに今はそんなことないですよね?」
俺はへらへらしながら、大丈夫よ、みたいなことを言ってもらえると期待した。けれども、
「いや? 普通にバレたら死罪だけど? マリーノーツの初代の王、エリザマリーの遺言だからね。どんな理由があろうと、書庫の外に本を持ち出したら死刑だもの。それだけじゃなくて、書き込みやページやぶりも死刑になるし、こんなにぼろぼろになったのがバレたら、無事じゃ済まないでしょうね」
「やっぱ燃やしましょう」
「そうね」
カノレキシさんはもしかしたら冗談のつもりだったのかもしれないが、俺としては、命を守るためにも、プライドを守るためにも、こいつを燃やしてやろうと割と本気で思ってしまった。しかし、その時である。俺の曇りなき眼が、偽装の紅き光をとらえたのは。
ぱらぱらと何気なくカノレキシさんがページをめくって何か挟まってないか確認していたのだが、ちらちらと紅い光が躍っているのが目に入った。
「あっ、ちょっと待ってください! そこに置いてもらっていいですか?」
「え? 何だい?」
カノレキシさんが序文のページを開いたまま置いたが、そこに偽装はない。でも、さっき見た光は、たしかに偽装の光だった。神聖皇帝のオトちゃんからもらったほうの原典にだけ、偽装が施されているようだ。
次のページをめくり、手を放す。
触れていると偽装の光が消えて、真実の姿だけになってしまうので、どこが偽装されているのかわからなくなってしまうのだ。
実際、これまでこの書を読むときに、手に持ちながら読もうとしていた。そのとき常に肌に触れていたので、特殊スキル『曇りなき眼』が発動し続けてしまい、発見できなかった。偽装された物体に手を触れている時には、偽装の紅い光は消えるのだ。
まったく、不完全なスキルだ。
次のページをめくり、手を放す。
そうして何度かページをめくってみたとき、俺は本文の一文字に、偽装の光を見つけた。
「カノレキシさん、ちょっとこの文字を見てもらえますか?」
「上から何文字目だい?」
「三行目の、上から三文字目です」
「こりゃ、『大きい』っていう意味の字だね。これがどうかした?」
「じゃあ、その文字をそのまま見ていて下さい。文字が変わると思います」
俺は紙に指先で触れた。すると、カノレキシさんは驚きの声をあげた。
「これは、古代文字でいうところの、『予兆』とか『しるし』とか『足跡』とか『目印』というような意味の文字ね。『予言』という意味でつかわれることもある。偽装で文字が隠れてたってこと?」
手を離すと、元の文字に戻った。
「すごいスキルだねぇ、こりゃ、アオイちゃんが惚れるわけだ」
「次にいきますよ。何文字かあると思うので」
カノレキシさんは紙を取り出し、細かな炎魔法で文字を焼き付けてメモをとると、俺がページをめくるのを待った。
次の紅い文字は、偽装された『隠れる』という文字と、隠されていた『拾う』を意味する古代文字。
その次の紅い文字は、偽装された『図書館』という文字と、隠されていた『集める』を意味する古代文字。
そして最後の偽装文字は、スキルを発動する前も後も同じ意味の文字、『探せ』と書かれていた。
「偽装された状態で読める文字列と、偽装を外した状態で読める文字列の二パターンがあるみたいですね」
俺がそう言った後、カノレキシさんはメモをとった紙を見ながら、黒板にチョークで文字を書き出した。
大きい・隠れる・図書館・探せ。
しるし・拾う・集める・探せ。
上が、現在使われているマリーノーツ文字。下が、古代文字だった。
「さて、見ててね、ラックくん。二つのパターンをそれぞれ文にすると……」
黒板に書いた四文字ずつを一度消して、再びチョークを走らせる。
――隠された大図書館を探せ。
――しるしを拾い集めよ
俺は意味が通る文になったことに感動をおぼえた。これはもう、誰かが意図的に、『曇りなき眼』を持つ者にしか届かない偽装の暗号を仕込んだということだからだ。
「大図書館ってとこを探しに行けば、何かわかるかもしれませんね」
「下のほう、『しるし』ってとりあえず訳したけど、何を指すのかハッキリしないのが気に入らないわね。その意味するのが予言なのか、足跡なのか、印章なのか……どうとでも解釈できてしまうから……」
「それでも、これは大きな手掛かりじゃないですか? この指示に従えば、隠された真実とかを突き止められるかもしれませんよ」
「そんなに言うなら……明日、行ってみる?」
「お願いします!」
事態が進展する予感に、俺は心を躍らせたのだった。