第222話 アオイさんの聖典研究(2/16)
宿泊費が高いだけあって、清潔で、美しく、素晴らしい設備であった。
部屋入口の壁にあったスイッチをいれた瞬間、室内のあちこちで炎魔法が発動し、そこらじゅうを明るく照らし出した。すごい技術。まるで電気照明のようだ。
ふと部屋をぐるっと見回して、あるものが目に留まった。
「お前、こんなところに流れていたのか!」
この背の低いオシャレ棚には見覚えがある。俺はこの宿泊施設の一番良い部屋で、懐かしいものと再会したのである。
「どう見ても、俺が以前買ったやつだよな……」
もし、本当にそうなら、引き出しの底面に、日付とオリハラクオンっていう名前が刻まれているはずだ。
そう思って引き出しを開け、中の聖典を取り出して、底をのぞいてみたら、刻まれた文字が赤く光っていた。偽装によって、普通の人間には見えないようにされていたようだ。でも、曇りなき眼をもつ俺には丸見えである。
やはり、俺が持っていたものだ。
俺がラストエリクサー転売でもうけた時に、金にものを言わせて様々な家具や装飾品を買い漁ったり、作らせたりした。このサイドボードもまた、特別に作らせた凝りに凝ったオーダーメイドであり、税金取り立ての際にアオイさんに差し押さえられたものでもある。
職人にイメージを伝えながら一緒に作り上げたマリーノ―ツにただ一つの品だから、地味ながらかなりの思い入れがある。けれども、高級宿泊所に置かれて大事にしてもらえるなら、この棚にとって、それが最高に幸せなんじゃないかな。
まるで、旅立った我が子がちゃんと仕事しているのを物陰から見守る親にでもなった気分で、俺はひとり頷いたのだった。
★
さて、一番良い部屋をとって三人で泊まったわけだが、ものすごく広々としていた。部屋の中にいくつもの部屋があり、寝室に至っては、雰囲気の違う部屋が三種類もあった。そのため、女性陣二人とは別々の部屋で眠ることになる。
高いものだらけの広い部屋を探検し、大きな風呂を順番に堪能し、ふかふかのベッドに飛び込んだり、肌触りの良いソファを撫で回したり、無人で自動演奏してくれる楽器のロマンティックな音色をききながら星空と夜景を楽しんだりした。
夢のような良い部屋だ。これまでの宿とは比較にならない高級感がある。
そして俺は部屋の電気を落とし、明日の書店街探索を楽しみにしながら肌触りの良いベッドに入り、眠りについたのだった。
しかし、しばらくして、妙な重みを感じた。まるで、腹の上に大型犬でも乗っけられたかのような感じだ。
「ん、なんだ……?」
目を開けてみると、そこには、
「や、ラック」
フリースが小声で言った。馬乗りになって俺の腰の上にまたがっていた。
夢だろうか。
「ラック、見て」
彼女は軽い身体を一度持ち上げたかと思ったら、裾をたくしあげ、するするっと青き衣を脱いでいく。
「え? え? おいフリース、酔ってんのか?」
「酔ってない。さっき言った。見せたいものがある」
フリースは、一度止めた手を再び動かしはじめ、一糸まとわぬ姿になった。
一枚脱いだらもう全裸。
闇の中にぼんやりと白い肌が浮かび上がっていた。
俺は思い切り、首が曲がるんじゃないかってくらいの勢いで顔をそらした。
身体が熱い。冷や汗が止まらない。
一体これは何だ?
夢だろう。夢でないと危険だ。こんなところをレヴィアに見られたら大変なことになるぞ。
「ほら、ちゃんと見て」
「みみみ、見るって何をっ!」
「ほら、こっち見てよ」
俺の胸は、どうやら指先で突かれているようだ。くすぐったい。
「ちょ、ちょっとまて。何を、何をしているッ! レヴィアの許可はとったのか?」
「は? そんなのいらないでしょ」
それは、そうかもしれない。混乱でおかしなことを言ったかもしれない。
でも、え、いや、なんだこの状況。
フリースって裸を見せたがる人だったっけ? 思い返すと、出会ったばかりの頃、ネオジューク近くの森で目覚めた俺に裸を見せつけようとしてきた気もする。実は家ではいつも全裸派の人なのかもしれない。
だとしたら、これまでの旅はさぞ苦痛だったことだろう……って、そんなことじゃなくて!
「あー、その、フリース。ひとつの傷もない上質なシルクのように滑らかな白い肌は、とてもきれいで、自慢したくなるのはわかるんだけどな、こっちにも心の準備とか、万全の準備とか、やることがあるわけで、いきなり、その……」
「は? ちがうよ。あたしが見せたいのはこっち」
「こっち? どっち? その小さくてかわいらしいであろう胸や、細いであろう腰や、透き通るような白い肌じゃなかったら何なの?」
「ほら、ここ見て」
「いや、だから、そっちみたら、色々見えちゃうから」
「これだってば」
氷で俺の頭を無理矢理動かし、自分の法に目を向けさせると、目の前にすべすべの青い服を差し出してきた。
「え? 服? なに? え? どういうこと?」
「ここだってば。フードの中」
「フードの中?」
混乱しすぎて、おうむ返ししかできなくなっている。
フリースは、なかなか理解しない俺の為に、少し苛立ちながら言葉で説明してくれた。
「ほら。コイトマルが繭を張ってる」
見ると、ひょうたんのような形状の、大きな純白の繭があった。
「あ、そうっすか……」
自分でも驚くことに、俺はフリースとの触れ合いイベントじゃないことにガッカリしているようだった。イトムシ小糸丸の成長は俺としても嬉しい限りだが、うまいこと反応を示してやることができなかったのだ。
俺が落胆したのを見て、フリースは軽蔑の視線で言う。
「ラック最低、凍らしていい?」
「ごめん。謝るから、やめてくれ」
そしたら、フリースは、
「でも……そうだね……せっかくだから、胸くらい撫でてもいいよ? 減るもんじゃないし」
小さな胸を隠しながら、おかしなことを言い出した。
けれども、俺はレヴィアひとすじを気取る男だ。この氷の乙女の柔肌に触れるわけにはいかない。
「急に何言ってんだ。だいたい、俺は雰囲気を大事にする男だからな、恥じらいがない誘いには乗れないんだ。それと、胸を『撫でる』という言葉は俺にとって何のときめきももたらさない。もめない胸は贔屓にしてないというわけだ」
かたい言葉を選んで返してやった。
「このエロエロクソ野郎……。見せるんじゃなかった……」
大いなる不満をこぼしながら、フリースは再び青い服に身を包み、ベッドから降りたのだった。
★
翌日は雨だった。朝、雨だれが屋根や石畳を打つ音に起こされた形だ。
昨日、フリースの夜這いみたいな繭づくり報告があった。ベッドにフリースの白銀の髪の毛が落ちているところをみると、やはり夢ではなかったようだ。
「にしても、コイトマルくんがサナギになったか……めでたいことだ。でも、成虫になったらどんな形状になるんだろうな」
一夜明け、あらためて感慨にふけっていたところ、ふと前触れなく響いたノックの音。
扉を開けると、そこには宿泊所の男性スタッフがいた。
「ラック様、お鳥様が届きました。お部屋にお入れしてよろしいでしょうか?」
「鳥?」
「アオイ様という方からの伝言鳥です」
「ああ、ありがとう」
てのひらにアオイさんの鳥を受け取ったら、すぐにメイド服を着た胸の大きな女性が声をかけてきた。麗しい女性だ。
「ラック様、お食事のご用意ができております。運び入れてよろしいでしょうか?」
「あ、ああ、頼む」
俺は軽い返事をしながら、アオイさんからの手紙をがさがさと開いた。
「待ち合わせ場所の変更?」
それは、単純な指示だった。書店街の入口ではなく、地図で指定した店に来てほしいとのことだ。
これだけ聞けば本当に簡単だし、地図までついてるとは気が利いている、とさえ思うことだろう。しかし、例のごとく、アオイさんから示された地図は無意味を通り越して人を迷い惑わせるものだった。
○×ゲームでもしたいんだろうか。道を表すであろう「井」の字が大きく書いてあって、マルが現在地、×が目的地とのことだが、どう見たってアバウトすぎる。
「おい、鳥よ。お前のご主人さんは、俺を試そうとしてるのか? 僅かな手掛かりから、待ち合わせの店を見事、発見してみろというメッセージなのか、これは」
しかし、鳥は答えない。
かわりにメイドさんが、料理を運び込みながら、「ラック様、こちらのテーブルに三人分をご用意してよろしいでしょうか?」などと聞いてきた。
「ああ、お願いします」
至れり尽くせりのルームサービスをしてくれるメイドさんのようだ。
さすが、お値段の高い部屋だけあって、扱いが手厚い。
しかも、ここの朝食は、なんとも素晴らしいものだった。至高にして究極。一流のパン、一流の野菜ジュース、一流のハム、一流のヨーグルト、一流のフルーツ、一流のデザート。
ややこだわりが強くて、食べる順番にうるさいメイドさんがいて、人によってはそこがマイナスポイントかもしれないが、それにしたって最高だった。
今まで生きてきた中で最も幸せな朝食だった。レヴィアとフリースがいたというのもプラスポイントだ。
「うまい、これはうまいです!」
「おいしい」
二人が目を輝かせて美味しそうに食べる姿は、何度見たって俺をときめかせてくれるのだ。
「ゆっくり食べていいんだぞ、二人とも」
がちゃがちゃと品のない食器のぶつかる音に、ほんの少しだけ眉をひそめるメイドさんに申し訳なく思いつつ、しあわせなひとときは過ぎていった。