第21話 通りすがりの大勇者(1/5)
ある晩、夢を見た。夢を見るスキルというわけではない。
この世界でも睡眠には夢がセットでついてくることがあるのだ。見たい夢を見たり見せたりするスキルというのも存在するようだが、俺はスキルポイントを一切使わず溜め込んでいるので、いまだにスキルゼロ。自由自在に夢を見るというわけにはいかない。
というわけで、三つ編み裁判の悪夢にうなされることも何回かあったけれど、この日の夢は違った。
なつかしき冒険者まなかの夢だった。
★
十年ぶりに彼女の勇姿を見た。
暗い夜の世界。赤く輝く剣を持った軽装の彼女は、無音の夢の中で躍動していた。
対峙するのは巨大な化け物。ホクキオ草原で出会った鬼なんかとは比較にならない。五階建ての建物に匹敵する大きさだった。ホクキオの町の教会にある自慢の塔やベスさんたちの新居の豪邸くらいの大きさだ。
人間が戦うには、あまりに無謀すぎる相手のようにも思えた。
闇に溶け込むような深い紫色をした肉体は筋骨隆々。背中からは翼が生え、鋭利で巨大なねじれた角が突き出し、爪先立ちで、手足には長く伸びた爪を持つ。目を真っ赤に光らせた獣人型の化け物。
あれが魔王ってやつなのだろうか。いかにも悪魔っぽいシルエットだ。
飛び上がった冒険者まなか。巨大悪魔の切り裂きは空を切った。まなかさんが空中でくるりと回転して相手の攻撃を風のように避け、角を斬りにかかる。角に切っ先が触れた。しかし剣は弾かれ、また空中で悪魔の爪が襲い、咄嗟に剣で受け止めたが、地面に叩きつけられた。
砂が舞うような荒れ地だったから、ダメージは大きくないようだ。まなかさんの身体は柔らかい砂の中に完全に埋もれる形になったけれども、すぐさま脱出して、パーティメンバーの待つ場所に華麗に着地を決めた。
巨大悪魔は反撃に出る。赤く光る目から禍々しい光の帯が発射された。それは荒れ地にクレーターを生み出した。冒険者まなかのパーティは散開し全員が回避した。光の帯が襲ったのは、さっきまで彼女らのパーティがいたところだった。
無音の世界で、冒険者まなかが何かを叫びながら飛び上がる。
仲間の一人が赤い銃を構える。闇に融ける漆黒の外套を羽織った銃使い。繰り出される赤い援護の銃撃が、暗闇を切り裂き照らす。
激しい光の束となった銃撃は、巨大な悪魔の右手を貫き、ちぎれた手は砂地に落ちて、激しく揺れた。
ところが、上腕部から、もこもこと禍々しい肉が湧いてきて、すぐに元に戻ってしまう。禍々しい爪が鋭く光る。
反撃する間も与えずに、まなかさんが悪魔を輪切りにしたが、切り離された肉と肉はすぐにくっついた。アホみたいに長い数字列が躍る戦い。それでも、凄まじいダメージを与えても、すぐに再生してしまう。
まなかさんパーティの一人が氷の魔法を放ち、魔王の足を凍らせて動きを奪う。赤い目玉が援護の銃撃で貫かれて、体液が飛び散った。
まなかさんの輝く赤の剣が悪魔を縦に両断して、だけどまた再生していく……と、そんなところで、夢から醒めてしまった。
きっとこれは戦いの途中で、激戦はまだまだ続くのだろう。
ゆっくりと目を開くと、まだギリギリ夜だった。これから朝日が昇り始めるくらいの時間帯。見慣れた天井の木目が、かすかに見えるくらいの暗闇だ。
いつになく静かな夜だった。
「まなかさん……」
起き上がりながら、まなかさんと出会った十年前のことを思い出した。
主に、まなかさんと別れて直後の、弾む心でアヌマーマ峠の坂を下りだしたときのことを。
「あの時は、旅に出るんだって意気込んでいたけれど、ほんの一瞬だったなぁ……」
――くそう、あのインチキ裁判さえなければ!
すっかり目が醒めてしまって、また眠ることもできないので、俺は夜の散歩に出ることにした。昔は外に出るだけで自警団が駆け付けたものだ。だが十年間で得た信用のおかげで、誰からも追い掛け回されなかった。
この世界で普通に生きられるようになって本当によかった、なーんて安心してしまうのは、冷静に考えると病んでいるように思えて悲しくなってくるね。
夜のモンスターは昼間の敵に比べるとかなり強いけれど、長年のモブ狩りでレベルの上がった俺の敵ではない。そもそも敵が出てこない。
なんだか妙だけど、もしかしたら敵も俺とのレベル差をわかって攻めてこないのかもしれない。
とても静かだった。
難なくアヌマーマ峠の頂上付近、見晴らしの良い草原にまで辿り着いた。
何かに駆り立てられるように登って来てしまった。旅に出たいと思える景色。かつて夢あふれる瞳で眺めた場所。今となっては、ただの見慣れた地元のきれいな風景だ。
間もなく東にある漆黒ピラミッドの向こうから、朝日がのぼる。
ふと、強い風が吹いて、思わず俺は身構えた。大型の鳥型モンスターでも出現したのかと思ったからだ。
しかし、生あたたかい風はただ吹いただけだった。モンスターの声も一切ないし、人間もいない。ただ静謐な夜の静寂が再び訪れていた。
「なんだろう、胸騒ぎがする」
世界の空気がおかしい。なんだか静かすぎるし、いつもと全く違う感じだ。
ふと、南の荒れ地から、流れ星みたいな光が飛んでくるのが見えた。
「あれは……」
光は流れ星のように線を残して飛び、俺の頭上を過ぎ、北へ北へと向かっていく。沼地を通り過ぎ、大樹の森を飛び越え、霧の中に消えて見えなくなった。
その光を見送った後、またすぐに十個近くの光が飛び去って行った。
「何が起きているんだ」
言っている間に、また流れ星が数えきれないくらい飛んでいった。
ピラミッドの向こうから昇る朝日が空を照らし始めるなかで、飛び続ける無数の星々。幻想的な光景ではあるけれど、心に引っかかるものがある。
――そこで俺は、またしても飛び起きた。
「あれ?」
もう朝だった。
★
「夢……?」
嗅ぎなれた臭い。この木造の家は、最近老朽化が目立つようになってきた家だ。つまり、アヌマーマ峠の上にいたはずが、ホクキオ郊外の自宅にいる。俺は瞬間移動スキルなんて持っていない。ということは、二重の夢から目覚めた、ということだろう。
まなかさんが戦う最初の夢は、俺の夢のなかで見ていた夢だったのだ。
確かに、流星群の夢についても、何となく現実感のない雰囲気があったから、夢だと言われれば納得できる。
「じゃあ、今いるこの自宅は本当に現実かな」
窓を開けると、見慣れた草原だった。霧をたっぷり吸った緑色の芝生が、太陽の光を浴びてキラキラしている。
現実だ。
いや、まてまて。現実っていう表現はどうなんだろうな。
「違うな。現実じゃない。本当の現実じゃないんだったな。ここでの生活が長すぎて勘違いしそうになるけれど、ここは、あくまで異世界だ」
ここは境界の世界。生と死の狭間だ。
本当の現実に戻るには、たぶん、まなかさんが夢の中で戦っていたような怪物じみた魔王と戦って勝たなきゃいけないんだ。そのためには旅に出る必要があるのだろうが、今の俺には町の外に出て行く勇気なんてもんは無い。
この世界の人間どもは俺に苦痛しか与えてこない。
きっと町の外に出たら、また初対面の年上の女の手によって窮地に追い込まれることになってしまうんだ。だからもう、俺は余程のことがない限り、ホクキオを離れることはないだろう。
たとえ師匠のまなかさんが「わたしとパーティ組んで魔王倒そう」とか言ってきても、「じゃあ魔王を連れてきて下さいよ」と返すつもりだ。
そのくらい、俺の精神は蝕まれている。
ゼロからの再スタートとか、イチからの再スタートとか、マイナスからの大逆転とか、そういうドラマチックは俺には無理なんだ。どうか諦めてほしい。
今の俺が求めていることってのは何かっていうと、ちょっと古くなってきた家を新築したいということくらいだ。最近は、上空をちょっと大きな鳥が通ると風圧や鳴き声で揺れるようになってしまったからな。
けれども、お金がないから、しばらくは、今の小屋を修理しながら使うしかない。
ちなみに、市街地に引っ越すのはナシである。掃除洗濯とかの家事全般はご近所同士の当番制だから面倒だし、そもそも人間関係が面倒だし、やっぱり新しく建てるとしても、住み慣れたこの場所がいいな。
できれば、ものすごい瀟洒な洋館風の豪邸だとか、ギリシャのパルテノン神殿みたいな宮殿風建築でも建てて、ベスさん夫婦を悔しがらせてやりたい。それをもって、あの三つ編み裁判に対してのささやかな復讐としたい……などと夢見ている。
まあ、スライムやら小型犬モンスターやらをコツコツ狩ったところで、収入なんて微々たるものだから、あと何十年もかかりそうで、そうこうしてるうちに、この世界の住人であるベスさんや旦那さんも寿命を迎えてしまいそうではある。
お金を稼ぐには、ホクキオの町は健全すぎる。
――じゃあもう、お金なんていらない!
――ぜんぶ諦める!
これが、今の俺の思考回路である。
病んでるとお思いだろうか? じゃあ君も、年上の女に騙されて全てを失ってみればいいんだ。お金も、大切な持ち物も、人間としての尊厳も、三つ編みは、俺から全てを奪っていった。これで元気を出せと言うほうが無理だって話だよ。
と、そんなふうに、あらためて自分が絶望的な苦境にいることを再認識した朝だった。不意に響いた柔らかいノックの音が、通りすがりの大勇者の到来を告げたのは――。
ノックに反応し、「はぁい」とユルい返事をしながら、扉を開けた。起きたばかりでぼやけた頭のまま扉を開くと、そこには背の高い女の人がいた。
あの頃と変わっていない。夢の中で見た彼女とも服装が少し違うくらいだ。
麗しい長身美女の姿。くりくりと大きな目、とても背が高く、いい感じに錆びた剣を抜き身のまま腰に差し、白銀の鎧を身にまとい、短い黒髪を揺らしている。見た目の年齢は、以前とまったく変わらない。二十代後半くらいの年齢である。
「まなかさん……?」
「や、ラック。久しぶり」
本当に久しぶり。十年ぶりの再会だった。




