第207話 フリース靴を買う?(3/3)
フリースは俺の地味な冒険者服の袖を掴んで、二店目のショーウィンドーを指さして言うのだ。
「ラック。さっきの靴、売ってる」
俺は仕方なく、するすると滑っていくフリースの背中を追いかけた。
重たいガラスの扉を押し開けると、先ほどの店よりも、やや個性的な印象だ。白黒の光沢のある石壁はどちらかというと閉塞感を与えてきて、そうでありながらも狭い通路のあちこちにガラスや鏡を配置して飽きさせないようにする工夫をしていた。
奥の方に、青いものを集めた部屋があり、そこにフリースが目指している靴がある。
ここの店員は、客が来たというのに自分の中指の爪に何やら薬品を塗っていて、挨拶の一つもなかった。それどころか、こちらに目線をくれることもない。買いたいとこちらが言うまで放置するスタイルのようである。
フリースは白黒の石が交互に敷き詰められた、市松模様の床をするすると滑って進んでいった。
「さっきの店ほどじゃないが、ちょっと割高だな。この靴だったら、ネオジュークで買えば半額だぞ」
「ふぅん、そうなんだ」
フリースは気のない返事をした。
うまく俺の考えが伝わっていないようだ。全く同じものを買うなら安いほうがいいに決まっているのに。
「知り合いのバンダナ商人に頼めば、もっと安くなるかもしれない。そうだ、ボーラさんだったら、絵とか彫刻とかができるんだから、靴ぐらい一瞬で作れるかもしれない。そうすれば安上がりだ。あいつはレヴィアをモデルとして差し出せば喜んで引き受けるだろう」
「それは靴職人ナメてない? 絵描き女のこともレヴィアのことも馬鹿にしてない?」
「えっ、そんなつもりは……」
「…………」
いやな沈黙がかえってきた。いたたまれない。予想外の沈黙だ。
……ナメている? 馬鹿にしている?
そうなのだろうか。
言われると、そんな気がしてきたぞ。
ザイデンシュトラーゼンにいる絵描きのボーラさんに頼むにしても、ネオジューク第三商会のバンダナに頼むにしても、愛するレヴィアに協力してもらうにしても、自分が得をするために他人を利用しようという思いがゼロだったとは言えない。
いや、ゼロか百かで言えば、百のほうだった。利用してやろうと舌なめずりしていた。
そうだ……確かに、言われてみればそうだ。
「フリースの言うとおりだな……すまない」
「あたしに謝られてもね。まあ……安く買えたらいいっていうのはわかるんだけどね、でもね、ラック。それでもやっぱりあたしの初めての靴は、この町で買いたい。だって、この美しい町で買ったものなら、きっと大事にできると思うから」
「同じ菓子でもデパートで買ったものの方が美味しい、みたいなやつか」
「デパート? なにそれ?」
「いやなんでもない。どうでもいいことだ」
「あぁそう」
出会いのひとときは、値段には変えられないということなのかもしれない。他人の買い物だから冷静になろうと思っていたけれど、値段ばかり気にするんじゃなくって、もっと俺も一緒に買い物をする時間ってやつを楽しめばよかったのかな。
「いい出会いをしたら大事にできる、ってことだな。それが、フリースの価値観ってやつなのか」
彼女は深く頷いた。自分の考えが伝わったと思ったのだろうか。ほんの少しだけ微笑みながら。
さっき少し険悪になりかけた時は、どうなることかと思ったけれど、いい雰囲気になってくれて本当に嬉しい。
オトちゃん鎮圧の件の御礼として、アイテムだけじゃなくて多くのお金ももらえたからな、いつも世話になっているフリースには喜んで金貨単位の靴を買ってやろう。
「フリースは、その青い靴が気に入ってるみたいだな、俺が買ってやる。大事にしすぎて履かなくなるっていうのはナシだぞ」
「え、やだ」
「ん、なんで」
そしたら彼女は、沈黙とともに失望の視線をくれた。軽蔑の色とかは特にないけど、ショックを受けているようだ。
「ちょ、ちょっとまって、なんで嫌そうなんだ。俺に買ってもらうがそんなに嫌か?」
「…………」
ものすごい嫌そうな顔のまま沈黙を続けている。わけがわからない。
「あの……なんで黙ってるんですかね……? また俺に何か落度でも?」
「あたしがね」
「はい!」
俺は緊張しながら次の言葉を待った。
フリースは、また少し沈黙した後、少し震えた声で語り出した。
「あたしが、知り合いのハーフエルフからきいた話では、プレゼントで靴を贈るってのは、不吉な意味を持つんだって。その人に向けての『去って欲しい。どこへともなくいなくなれ』っていうメッセージだから、よくないらしい」
いやそれは、俺の知っている話と違う。
「だから、あたしが自分で買う」
でも、俺はフリースに買ってやりたいんだ。それに、靴を贈ることについて、俺はそれが不吉だなんて全く思わない。別の話を紹介してやろう。
「俺の昔好きだった人は、『靴のプレゼントはその人を歩かせるのは自分だって意思表示だから、重たい意味を持つ。恋人とか好きな人に贈るものなんだ』って話をしてくれた」
解釈次第で裏返る世界に、俺たちは生きているんだ。どうか受け入れてほしいと思い、彼女を見つめる。
「…………」
フリースは色の読めない複雑な沈黙を返した。そして、自分の口でなく、氷文字を描き出して言うのだ。
――それって、あたしのことが好きってこと?
「ああ、大事な仲間だからな」
――レヴィアとあたし、どっちが好き?
「そりゃレヴィアだ」
即答したらムッとした。
――やっぱ自分で買う。ゆっくり選びたいからどっかいって。
トゲトゲしい氷文字が踊り、白黒市松模様の床に落ちて、冷たい音を立てた。
俺はいらないってことなのだろうか。それは困る。
「待て待て、そうはいかない。靴が本物かどうかを知るには、俺の曇りなき眼と商品知識が必要だろう」
なんとか自分の価値を認めてもらいたくて言ったけれど、もしかしたらこれは逆効果だったかもしれない。
彼女は氷文字を紡ぐのをやめ、自分の口から言った。力強く、突き放すように。
「ラックとの買い物って、楽しくないんだよ」
「え……」
「一人のほうがマシだから」
俺を店に残して、一人で出て行ってしまった。
「あ……ふ、フリース……」
俺は追いかけて、彼女を捕まえようとしたけれど、その手は横から捕まれた。さっきまでネイルをいじくり回していた店員に捕まったのである。
「…………」
店員は、まるでフリースのように無言だったが、もう片方の手には、モップが握られていた。
「あ、すんません……」
フリースが出した氷文字によって、掃除の必要が生じた結果である。
★
店員の無言の威圧によって、俺たちが汚してない場所まで一人で掃除させられて、許された頃には待ち合わせの時間が迫っていた。
その後、フリースを探して、あちこちの店を歩き回ったけれど見つからなかった。
一人で買い物をしているのだろうけれど、だまされていないかだとか、怒って凍りづけにしてないかだとか、色々と心配だ。
見つからないまま時間になってしまった。フリースのことは心配だったが、レヴィアが帰ってくるってのに遅れるわけにはいかないし、マイシーさんを待たせるのもよくない。
フリースが見つかっていなくても、ここはまずマイシーさんに事情を説明しに行ったほうがいいだろう。
と、そう思ってマイシーさんの指定した場所に急いだのだが……。
「ラック様、どういうことですか?」
ピリピリした空気の中で、マイシーさんは俺をにらみつけた。
そこにはフリースとマイシーさんの二人だけがいて、言い争いでもしたのだろうか、思いっきり険悪な空気が漂っていた。
「なんというか、話せば長くなるんだが……」
フリースは裸足のままだった。
「いいですよ、長くなっても。どうぞ。説明してください」
「いや、そのぉ……」
どう言い訳すればいいのやら、言葉を探していると、横からフリースがぶちかました。
「あたしに指図する立場じゃないでしょ?」
珍しく俺以外の前で声を出したかと思ったら、なんかもう尖ったナイフのようである。意地を張っている状態がまだ続いているようだ。
「靴を履かないのは、あたしの自由」
マイシーさんに険しい声を向けたかと思ったら、俺をキツくにらみつけた。
「ごめん、マイシーさん。俺が悪いんだ」
そしたらフリースが、「ちがう、ラックは悪くない」とか言った。もう何なんだ。俺に怒ってるんじゃないのか。
「あたしはラックが買ってくれた靴しか履かないことにした」
わけがわからない。だったら、さっき俺が買おうとした時に買わせてくれても良かったじゃないか。心境がめまぐるしく変化しすぎて、ついていけない。エルフの思春期は遅くやって来るとでもいうのだろうか。
マイシーさんは、仕方ないとばかりに息を吐いて、言う。
「エジザの街は、皇帝権限から独立した独自のルールを持っています。それを破るのは心苦しいですが、なんとか例外を認めてもらうことにします。大勇者様であり、護衛でもありますからね。靴を履くと力が弱まるため、そのようなことになれば国家の危機。みたいなことを言って丸め込むことにしましょう」
それができるなら最初からそうしてくれよと思ったけど、きっとマイシーさんは本気で信じてくれていたんだ。俺ならフリースに靴を履かせられるって。
その期待に応えることができなかったのは愚かな俺なのだから、意見なんかできないだろう。