第200話 一夜明けて
「ここは……あぁ。そっか……議会の……」
黒龍の暴走、反逆の偽ハタアリさんの死、この二つの特大イベントに彩られた長い長い一夜が終わり、その翌日のことである。議会の「凸」の形をした建物の中にある宿泊施設で、俺はスッキリとした目覚めをむかえた。
スキルの使いすぎだったのか、泥のように眠った俺が起きたのは、もう昼になってからだった。
天気は、雲一つない晴天。台風の過ぎ去った後みたいな快晴だった。まぶしい。
壁一面の窓ガラスの方をみると、青い服の銀髪エルフが、窓に手をつきながら立っていて、青空を眺めて物思いにふけっているようだった。
なんだか、いつもより圧倒的にキレイだと思った。
「フリースいたのか」
「やっと起きた」
心地よい声を発しながら振り返った彼女は、いつものフリース。
そのとき、ふと俺は、フリースだけでは足りないと思った。
何が足りないって、もう一人、フリースのとなりで一緒に振り返ってくる女の子が足りないんだ。俺が起きるのを待っていて、「遅いです。何時だと思ってるんですか」とか文句を言ってきてくれる女の子がいてくれなきゃおかしいはずなんだ。
なのに、もうずいぶん長い事、彼女の姿を見ていない。
炎に貫かれたあの時から……。
「なあ、フリース」
「どうかした?」
「レヴィアのこと、何か聞いてないか?」
「……本当は秘密だけど……今は、遠いところにいる」
俺から目をそらし、窓の外に目をやった彼女は、再び空を見上げた。
「ちょ、それって、どういう……」
「…………」
「まさか……」
「…………」
「いや、え、嘘だろ……」
「…………」
「何か言ってくれフリース。レヴィアは……」
「無事」
「なんだ、脅かすなよ」
「――だといいけど」
「おいぃ! どっち」
「うふふ」
なんてやつだ。俺の反応を見て本気で楽しんでいやがる。素直なレヴィアとは比較にならんくらい性格が悪いぞ。
でも、こういう冗談めいたやりとりを仕掛けてくるってことは、レヴィアは大丈夫ってことなんじゃないだろうか。
そうだろう。そうに違いない。そうであってくれ。そう思うことにしよう。
ふと、俺の腹の虫が鳴いた気がした。
スキルの使い過ぎは、眠気と空腹を招く。
多くの問題が解決して、議会宿舎のフカフカ高級ベッドで眠れたことで眠気の問題は解決した。じゃあ今度は腹の中で泣き叫んでいるであろう何かに美味しいものを供給する必要がある。
いや実際は、感覚として空腹というものを感じることはないのだが、いずれにしても、スキルを使うための魔力の補充は、転生者にも必要なのである。
「フリースは、ごはん食べたのか?」
彼女は頷いた。
「何食べたんだ?」
「これ」
フリースは小さな実をてのひらいっぱいに載せて、見せつけてきた。見た目はクルミに似ている。
「これは……木の実?」
「クリムナッツっていう、罪深いたべもの」
「罪深い?」
「おいし過ぎて食べ過ぎる」
「へぇ、買ってきたのか」
「朝、森の中でとってきた。ラックに食べさせたくて」
「どれ……」
俺はフリースの手から大きめの木の実をつまむと、口に運んだ。
口に入れた瞬間、ほんのりとした苦みを感じた。奥歯で噛んでみたら、じわっとする苦みが広がっていく。噛めば噛むほどに豊かな苦みが溢れ出して、苦い苦い苦いなにこれ。
「……フリース、これ本当においしいの? エルフの味覚狂ってるんじゃないの?」
「そんなことない。だってそれ、生で食べるもんじゃないし」
「おい、じゃあ止めてくれよ」
「…………」
そっぽを向いて知らんぷりをしてきた。なんてやつだ。
「この……性悪クォーターエルフが……」
そう言って怒りを表現したとき、俺は彼女の長い耳に木くずみたいなゴミがついているのに気づいた。森に行ったときにくっつけてきたのだろう。
「フリース、ゴミついてるぞ」
手を伸ばして、とってやる。
ひんやりした耳に俺の手が触れると、ぺこっと変形して、ゴミは元に戻る反動でどこかに飛んでいった。彼女は「ひゃん」っと小さく声をあげた。
ビクッと身体を震えさせて、恥ずかしそうに頬を赤くしていた。
「うわ、ごめん」
「あ、謝らなくていいけど……急にだと、びっくりする。心の準備が……」
普段は冷静なフリースらしくない態度を見せられて、なんだか心臓が高鳴った。
「……ラックさえよければ、続き、してもいいよ」
何の?
戸惑うしかないんだけれども、耳を触ることの続きって一体何だ。
「…………」
フリースは目を伏せて沈黙している。
誰か、この場合の正解を教えてほしい。俺は何をすればいいんだ。
フリースは落ち着かない様子で俺のアクションを待っている。
いやほんと、どうすりゃいいんだ。
今までも沈黙がこわいと思ったことがあったけれど、この沈黙は、過去最大級に居心地が悪い。
だれか、なんとかしてくれ!
俺が心の中でそんな言葉を思い浮かべていたところ、フリースの頭の後ろのフードから、イトムシのコイトマルくんが出てきてくれた。
コイトマルは、ジャンプして俺の腕にとりつくと、そのまま肩まで這いのぼり、前足でげしげしと俺の頬を殴ってきた。
「いたい、いたいたい……なんだっ、ご主人様を守ろうってか。いいだろう、やるか? スキル『天網恢恢』まで習得した俺に、果たしてイトムシである貴様が勝てるかな?」
などと敵対するようなことを言ってみたが、正直、この襲い掛かりは本当に助かった。この蟲は心が読めるのだろうか。
俺がコイトマルくんを両手でつかみながらじゃれ合い、ベッドに飛び込んでワチャワチャやっていたら、フリースはちょっと頭にきたらしく、氷文字で、
――ばか。
とだけ大きく書いて、コイトマルを乱暴に奪って部屋の外へと出て行ってしまった。
氷の塊がゴトゴトと落ちて、すぐに溶けて水たまりになった。
で、その水たまりの気配を感じたのだろうか、フリースと入れ替わるように、来客があった。
にょろにょろと蛇行しながらやってきたのは、小さい黒蛇の姿になった神聖皇帝オトキヨ様だった。
「おう、オトちゃん」
しかし、黒蛇は返事をせず、水の上に乗っかると、くるくるっと身体を丸めて落ち着いた。
「たぶん清浄な水が好きなんだろうが、それはもともと、悪口、毒舌、つまり俺に対する毒が由来の水だぞ。そこにいたら暴走しやしないか?」
蛇からは返事がなかった。けれどもかわりに、銀色甲冑の女騎士、マイシーさんの返事があった。
「大丈夫ですよ」
本当に大丈夫なんだろうな。今度こそ大丈夫なんだろうな?
マイシーさんが大丈夫だと言った後には何度も危険な事態に陥ってきたからな。
あれ、でも、結果だけ考えれば確かに全部大丈夫だったから、なんというか、実を言うとプラスの言霊だった可能性もある。
実は、マイシーさんの発した「大丈夫」という声によって、悪い結末が何度も覆され、無事で済んできたのだとしたら、それは呪いの言葉なんかじゃない、言祝ぎの言葉だったんじゃなかろうか。
きっとそうだ。そう思うことにしよう。何でも悪いほうに考えるのはよくないことだ。解釈次第でいろいろ変わるもんだ。世の中ってのは、よくできてるもんなのだ。
「それはそうと、ラックさん。昨日はお疲れ様でした。ラックさんのお話の途中でフリース様がお暴れなったので、中途半端なところで報告が止まってしまいましたが、議会への報告は書面で済ませましたので、もうラックさんが議会に立つ必要はございません」
「マイシーさんの作戦通りだったわけですね」
「まあ……フリース様がぶっ放すところまでは作戦の一部でしたね。それによって原典派の黄色い連中が襲ってくるところまでは計算の範囲内でした」
「その後の白銀の自警団だとか、フードの暗殺者たちは予想外だったと」
「それだけじゃなく、偽者のハタアリと本物のハタアリ様が出てきたのも正直ビックリでしたし、王室親衛隊の捜査官の存在も予想外でしたし、ラックさんがあの新技……何でしたっけ、『天網恢恢』でしたっけ。あれも度肝を抜かれましたね」
「ああ、『天網恢恢』だな。あれは見事にあの場面にハマッたよな。……でもさ、もしも俺があのスキルを使ってなかったら、マイシーさんはどうするつもりだったんだ?」
「殲滅ですね」
「このひとこわい」
「というのは冗談ですけど、実際のところ、やむなく武力行使で解決を図るしかなかったかなとは思います。そういう意味では、ラックさんを連れて行って本当によかったな、と思っていて、深く深く感謝しているんですよ」
「ありがたいと思っているなら、お礼としてレヴィアと再会させてはくれないだろうか」
「それはできませんね。でも、しばらくしたら絶対に会えます。今は気にせず、ゆっくり休む時です」
「そうなのかな」
「特にフリース様には休養が必要ですので、ラックさんが心も体も、存分に癒してあげるといいと思いますよ」
「早速、さっき怒って出て行っちゃったけどもな」
「えっ、まさか、愚かなラック様は懲りずにまた『魔女』と呼んでしまったとか……」
「いやいや違うんだ。フリースの可愛い耳にゴミがついてたからとってあげたんだけど、そしたら『耳を触った続きをしてもいい』とか言われちゃって、どうすればいいかわかんなくてな、コイトマルと遊んで誤魔化してたら出てっちゃったんだよ」
「はぁ、なるほど、フリース様が勇気を出して触れ合いを求められたのを、アホのラックさんがはぐらかしたわけですね」
「ふ、触れ合いだぁ?」
「したかったんですよ、イチャイチャを。それをなんとまぁ……女心を理解しようともしないとは、ひどい男ですね。許せません。あげた宝物返してください」
お前、俺に深く深く感謝してるとか数十秒秒前に言ってなかった? 浅くない?