第199話 議会ホールの反逆大会(3/3)
「儂は、憎しみの魔王じゃ」
偽ハタアリはそう言って、また下卑た笑いを浮かべている。この世の悪を煮しめたような、見ているだけで吐き気がするような顔だった。
「魔王……だと?」
「そうじゃ。儂は人間社会への憎しみを達するためだけに生み出されたのじゃ。そのためだけに動く魔王なのじゃよ。知っての通り、ハタアリなどという汚泥のような名前は偽名。もともと名前など無いのじゃ」
魔王だとか、偽名だとか、そんなことはどうでもよかった。
俺は、この男に、どうしてもぶつけなきゃいけない質問があった。
「どうしてだ……」
「うん? よかろう、何でも質問するがよい。ここまで儂を追い詰めたオリハラクオンからの問いならば、特別じゃ、喜んで答えよう」
「あんたが育てた暗殺者は、どうして次々にこの世界を去っていったんだ」
宿屋で襲ってきてダイナミック自刃した女暗殺者や、夢のなかで見た金城比たちは、本当に死なねばならなかったのだろうか。
俺は、夢のなかでマリーノーツに来てからの金城のことを見た。ひとつ歯車が狂えば、俺だって金城のように暗殺者に仕立てられていたかもしれなかった。だからこそ、金城を暗殺者にして、挙句の果てに死なせたことについて、俺は許せなかったのだ。
「誰のことを言っておるのかわからぬが、みな、儂の崇高な目的のための、尊い犠牲じゃった」
「人の命を、なんとも思わないのか」
「思わぬ。儂は人間ではない。魔王なのだからな」
「金城は……金城比は、あんたにとって、捨て駒だったのか?」
金城の選択は、途中から俺にとって理解も賛同もできないものになっていったけれど、この老人にとって、それが本当に正しいことだったと言うのなら、そんな未来の可能性を摘み取るような悪魔の跳梁を、俺は絶対に許せない。
「金城か。あやつの働きは見事じゃった。あやつこそ必要な犠牲じゃった。命を賭けて、よくやってくれた。儂もあやつの死に報いるためにも、どうにかして腐った人間の世界を変えてやりたいのじゃがな」
「ふざけるな……」
「うん? どうした、オリハラクオン。儂は何か間違ったことを言ったかの?」
「ふざけるなよ! 何だ必要な犠牲って! 誰かの犠牲がないと成り立たない世界なんて、現実世界だけでじゅうぶんだ! お前たちの汚い世界を! 俺たちの世界に持ち込むな!」
「やれやれ、いつまで幸せな夢を見ておるのだ、オリハラクオン。おぬしも見てきたであろう。狡猾で争いを好むのが人間というものよ。生き物はみな、一皮むけば獣よ……。強欲、傲慢、凶暴。ある時は闘争し、またある時は逃走し、卑怯にも相手を出し抜くことしか考えず、自分の欲望ばかりを通そうとする。
群れの中で弱者を見つけ出し、虐げ、結束を固める。下らぬ勝ち戦を追い求める獣こそ、人間なのじゃ。儂は人間を憎む。故に、原初の混沌に戻すことを目指してきた。分厚い面の皮を剥ぎ取り、獣の一種であることを実感する日がくれば、儂の憎しみは解消されるじゃろうからな」
争いが人の本来の姿だなんて、そんなわけないと思いたい。簡単にあきらめたくはない。
この老人の過去に何があったのかなんて知らないけれど、こんな魔王を名乗る人間離れしたやつに、偉そうに人間を語られたくないと思った。
俺は感情的に反論する。
「もしも人間が戦う生き物ってのが本当なら……だったらさぁ……戦う相手を間違えてる!」
「ほう、何と戦うというんじゃ」
「この世界の悲しい事、苦しい事、つらい事、泣きたくなる事、どうしようもない事、そういうのから抜け出したり、そういうのに抗ったり、そういうのを乗り越えたり! 俺の相手も、あんたの相手も! お互いじゃない! いつだって世界が相手だ!」
「まるで世界のすべてを見てきたかのような言い振りじゃが、貴様の見てきたのは米粒ほどの狭い世界じゃぞ」
そんな偽アリの言葉を潰そうとするように、俺は続ける。
「スキルは何のためにある! 理不尽な世界を相手どった真の戦いのためにあるんだ。そのほかに、本当の戦いなんか無い! 悪い事以外に使い道がないような偽装のスキルだって、きっと優しい嘘のためにあるんだ! 曇りなき眼の俺が見る世界は! そういうふうにできているんだ!」
「はっ、わけがわからぬ。何もわかっとらんな、小僧」
「なあ、偽のハタアリさん。初めて会ったとき、ネオジュークで俺に語ってくれたことは、本当に全部が嘘だったのか? 慈善事業だって言ってたじゃないか。元奴隷の人たちを集めて作った『オリジンズレガシー』ってのは、本当に反乱のための人集めだったのか? あんたには、一点の光も無かったっていうのか?」
「どれもこれも、魔王に向かってする質問としては、下の下よな」
「だいたいにして、オリジンズレガシーってのは、どういうつもりで名付けたんだよ。これも、ただの憎しみだけの、真っ暗な名前だったって言うのか?」
「無論、真っ暗じゃよ。儂らにはどす黒い闇しかないのじゃ。世界をこのような形にした元凶たる人間。その人間が残した負の遺産。それが、儂らじゃったというわけじゃな」
そこで、俺は失望して、押し黙ってしまった。
もう、この老人からは光明を見いだせないと思ってしまったのだ。
簡単に言えば、
――この男はいない方がいい。
――消えるべき邪魔者だ。
そう思ってしまった。
そう思ってしまった俺自身が、この男が忌み嫌うような、卑怯に逃げ回り、大勢で弱者を追い込み、くだらない勝ち馬に乗り続けている浅ましき人間の姿を証明する気がして、目を背けたくなる。
ああ、そしてまた、俺と同じ考えを抱いた人間らしい人間たちが二人、反撃する気のない弱者に襲いかかっていく。
マイシーさんに剣を向けていた者が、みずからフードを剥ぎ取ると、赤みがかった全身甲冑の男だった。反逆者専門の捜査官サカラウーノ・シラベール氏である。
彼は、マイシーさんを解放し、勢いよく踏み出すと、無抵抗の自称魔王の片腕を切断した。切断面から流れ出す赤い液体。
そして、俺の背後に立っていた本物のハタアリさんは、俺を突き飛ばしてからフードつきの服を破いて剥ぎ取ると、黒髪から桜色の髪に変身して、背中から赤い猟銃を抜き、引き金を引いた。
胸を貫かれて、また、赤い液体が飛び散った。
死んだ。
二人の潜入捜査官の手で、名も無き反逆の老人が死んだ。
動かなくなった。
しゃべらなくなった。
あっけない。
魂が抜け出るでもなく、身体が砕け散るでもなく、ただ死体だけが、ずっとその場に残されていた。
この世界で唯一のハタアリになった女性は、銃を背中に戻しながら言うのだ。
「あんたの仕事に、ハートはあったかい?」
本物の決め台詞に答える偽者は、もういなかった。
どう考えたって、ハートなんか、無かっただろう。