第196話 伏魔殿へ
マイシーさんは、さあ切り替えましょうとばかりに手を叩き、美しい装飾が施された銀色の籠手をポフンと打ち鳴らした。
「それでは、早速ですが、鉄は熱いうちに打てということで。夜のうちに全ての後処理を完了したいと思いますので、宮殿の方へお越しください」
オトちゃんがスモール黒蛇になってしまったため、甲冑美女のマイシーさんが皇帝の意志を代弁する存在となっていた。
マイシーさんは、かつて俺がフリースにぶっ飛ばされたフォースバレー宮殿に俺とフリースを連れてきて、残った宝物を、なんと全部くれると言った。
賓客を迎えるための建物であるフォースバレー宮殿の中に入ると、輝く宝物が出迎えてくれた。
フリースが破壊した部屋の一部は修繕されていたから、もしかしたら、あの黒い板も復活しているかと思ったのだが、しかしその姿は見えなかったので、ちょっとガッカリした。
スマートフォン……。
いや、もうアレはあきらめるしかない。仮に手元に戻ってきたとしても、嫌な記憶を再生させるだけの装置だ。アレを見るたびにフリースが、「そういえば魔女って言われたな」などと思い出してしまう可能性があるなら、むしろ戻って来てもらったほうが困る。
ていうかね、落胆なんてするのが、そもそも贅沢なんだ。新たに受取れる宝物たちは、本当に一級品ばかり。国を傾けてしまうレベルとさえ言えるほどの宝物たちなのだから。
琥珀色の塊は、スキルリセットアイテムとして知られる世界樹の樹液。
触ったら崩れるような古い本、『聖典マリーノーツ』のもとになった『原典ホリーノーツ』。
水色の瓶に入った液体は、無印のエリクサー。
尾の長い鳥の形の小さな黄金香炉、これは紫熟香を焚く専用のもののはずだ。
どれもこれも貴重品であり、億の値段がつくこともあるだろう。
仮に盗賊などに絡まれる可能性が高まるとしても、それに見合うだけの宝物たちだ。
そして俺が、緊張しながら小型の黄金香炉を手に取った時、
「おっとラックさん。条件があります」
マイシーさんの落ち着いた声が響き渡ったのだ。
「じょ、条件? それって、どういう……」
「簡単な仕事です。参考人として議会に立ってほしいのです」
「議会っていうと? あの議会?」
「ええ、御存じの通り、それぞれの町の首長レベルの者たちが集まり、話し合う場所です」
祭りの時の握手イベントに来ていた人たちの吹き溜まりってことだよな。過半数が偽装モンスターだったと記憶している。その中には偽ハタアリさんまで混じっていたほどだ。
そんなヤバすぎる連中の前に、俺は引き出されるというのか。
「あの伏魔殿に、俺が? 取って食われるの? それともギルティ裁判?」
「大丈夫です」
だからお前は大丈夫って言うんじゃねえ。今のところたしかにギリギリ大丈夫な結果になってるけど、マイシーさんが「大丈夫」って言った後には、そのたび一歩間違えたら終了っていう場面が訪れるじゃないか。
草原で黄色いやつらに襲われた時も、祭り開幕の儀式の時もそうだった。精神的苦痛を受けたと訴えに出たいレベルだぞ。このピンチ製造機め。
「いえね、ラックさん。単純に、事の顛末を説明してもらいたいのですよ。それと、オトキヨさまが黒蛇になってしまわれたことも、報告する必要があります」
「そういうのは、マイシーさんの方が得意なんじゃ……」
「いえ、わたくしは今回の鎮圧が済んだ場には立ち合えておりませんので」
「じゃあ、張本人の大勇者まなかさんに頼めばいいんじゃ」
「あの人が来ると思われますか?」
たぶん来ないな。
「わたくしも護衛しますので、大丈夫です!」
「それもう襲われるフラグじゃん! やめてくれぇ!」
そこでフリースが、氷文字を記した。
――あたしも行っていい?
「もちろんです。フリース様が来てくだされば、百人力です」
あ、これ絶対戦闘になるやつだ。そのつもりでマイシーさんは話を進めているようにしか見えなかった。
★
フォースバレー宮殿から東に少し行ったところに、月に妖しく照らされた議会の建物があった。遠目に見ると、凸字型に見える木造の建物は、一国の議会だというのに、あまり荘厳には見えなかった。
フォースバレー宮殿は、どこを切り取っても美しかったけれど、それとは比べるべくもない質素さである。
特に紅い偽装があるわけでもなく、黄金の宝物オーラがあるわけでもないから、これが皆に見えている議会の建物なのだろう。
マイシーさんの人形が牽く快適な車に乗って夜の並木道を通っていくと、裏口があり、そこからは車を降りて中に入っていく。
臙脂色のふかふか絨毯を踏みしめて進むと、焦げ茶色の扉があった。
マイシーさんは、扉の前で立ち止まり、
「おそらく、エルフ首長の一人息子であるエラーブルという者が、何かと突っかかってくるので、くれぐれも注意してください」
「注意ったって、どうすりゃいいんだよ」
しかしマイシーさんは、俺の問いに答えてくれることなく、真鍮のドアノブに手をかけた。
「さ、開けますよ」
軋む音を立てて開いた扉の向こうには、なんというかな、化け物たちの集会所があった。
緑の服を身にまとったひときわ目立つエルフがいたので、あれが要注意人物のエラーブルさんなのだろう。若く見えるが、エルフ族は長命だという。その代表として議会に参加しているのだから、そうとう長生きなのではないかと思う。
エルフの他には、人間はもちろんのこと、犬型、トカゲ型、豚などの獣系から、樹木型や花型などの植物系、アンデットや有翼系魔族のような存在さえ来ていた。
他の人には人間ばかりの議会に見えても、俺の目には赤みがかった多様性が見えていて、地獄に近い光景が広がっているわけだ。
気になるのは、偽ハタアリおじいちゃんの姿が無いことである。他にも、握手会のときに見たはずの人間が何人か欠席しているのも気になる。あるいは、アスクークの町が崩壊した影響で来られないのかもしれない。
救いだったのは、知り合いの姿があったこと。ホクキオ自警団の白銀甲冑シラベールさんと三つ編みのベスさんがいたことだった。
あれ、でも、待てよ?
これって、昔の三つ編みギルティ裁判のときの位置取りに似てない?
★
議会は、マイシーさんの事情説明から始まった。
「神聖皇帝側近のマイシーです。早速ですが、夜のうちに済ませてしまいたいので手短に報告いたします。今回のラキア町より発生した大水と、それによるアスクーク壊滅の原因についてですが、これは自然災害ではなく、オトキヨ様の暴走によるものです」
議会全体がざわついた。
「やはりか」
「暴走とは、なんと不安定な」
「雨を自在に呼べるから貴重な存在だったはずだ!」
「軽い口調で暴走だとか言われるのは誠に遺憾だ!」
「どう責任をとるつもりだ!」
「誰のせいだ!」
「詳しく説明しろ!」
色々な反応が返ってきたが、マイシーさんが小さな木槌で机をカツカツと打ち鳴らすと、彼らは静かになった。
「なぜオトキヨ様が暴走することになったのか、それは何者かが差し向けた暗殺者の手にかかったからです。犯人は金城比。転生者です」
「転生者とはな。まったく、人間側の失態ではないか」
そう悪態をついたのはエルフの男だった。要注意人物、エラーブルさんである。
ここで人間という種そのものを責めようとしたのは、転生者がマリーノーツに生まれるシステムを構築したのが人間だったからであろう。転生者システムは、予言者エリザマリーという人が魔王を駆逐するために作り出したシステムなのだ。
マイシーさんは、慣れているのか、平然と返す。
「失態? そうは言いますが、暴走を抑えたのもまた、二人の転生者です。細かな経緯については、後ほど冒険者ラック様から説明があると思います」
「その犯行に及んだ転生者は生きているのか? 動機は?」
これは犬型モンスターの質問。マイシーさんは答える。
「すでに、わたくしたちの護衛の手によって排除しました。動機についてはわかりません」
そこで議会は、意見の坩堝と化した。
「それは証拠の隠蔽ではないのか! 捕えて動機を吐かせるべきだった!」
「まさか自作自演か?」
「そうだ、疑わしい! アスクークで何の研究をしていた?」
「研究といえば、ハイエンジの動植物研究所での人体実験について、まだ説明を果たされていない!」
「いくら古の神龍だからって、こうも気軽に暴走されたんじゃかなわない。オトキヨ様を追放処分にすべきなのでは?」
「――バカか人間! それで何が起こるかわかってるのか? フロッグレイクの清浄が保たれているのは、オトキヨ様の浄化力があってこそなんだぞ」
「水源の汚染は、元はと言えば、あんたらエルフの防衛ラインが突破されたからだろうに」
「それはお互い様だ。炎の兵器を奪われたときに悪魔どもを招き入れたのは、貴様ら人間だっただろうに」
「何ぃ? 責任転嫁も甚だしい!」
「薄汚い穢れた人間どもめ」
途中から偉ぶるエルフのエラーブルと荒ぶる血の気の多い若い人間が一触即発となり、再び打ち鳴らされる木槌の音色。
「はいはい皆さん、落ち着いてください。今は、まず何が起きたのか、冒険者ラック様から説明がございます。それでは、ラック様、こちらへどうぞ」
え、俺、こんなピリピリした空気の中で証言台に立つの?
生きた心地がしないんだけど。