第191話 ドラゴン鎮圧戦(5/7)
ドラゴンの姿が見えなくなった。ただでさえ陽が沈んでしまって暗くなっているのだが、そうでなくとも毒の竜巻の中を旋回し続け、広範囲に毒を飛ばし続けているため、視認するのが難しくなった。
時々、爪やアゴをのぞかせることはあったが、全体像を見るのは無理である。竜巻と一体化しているとでも表現すればいいだろうか。
もしも味方だったら、この堅牢な防御壁はどんなに心強いことだろう。しかし、残念ながら、今は人類の敵である。
攻撃されたことで、身を守るためのスイッチが入ってしまったようにみえる。この毒水のカーテンは、どう考えたって簡単には破れないし、かといって放置しているのも絶対にまずい。
何とかしなければと思ったのは俺だけではないようで、遊女チームの中で、まだ諦めていなかったアチキさんが、強力な炎での攻撃を仕掛けたが、表面を少し蒸発させただけで、一切の穴を開けることもなかった。
あの異常な火力をもったアチキさんでさえ、有効打を与えられない。
天災級の竜巻は、炎攻撃を受けて、さらに勢いが増したようだ。壁が分厚くなり、地面を剥がし巻き上げる勢いも増した。
樹木なんか一瞬で根っこから引き抜かれて、空に舞い上がっていく。
絶望的な光景が、目の前を支配していた。
だんだんと近づいてくる竜巻。周囲の空気が毒になっていき、遊女チームは袖で口元を覆いながら素早く距離をとった。
俺と八雲丸さんも、しばらくの間、後退を続けたものの、やがて、止まらざるをえなくなった。
崖だ。これ以上後退すれば、崖から真っ逆さま。このフォースバレーの地を、起伏の多い地形にした人は、反省すべきであるな。なんて、いまさら言っても仕方ないか。
とにかく、事態は最悪だった。
だんだんと迫ってくる毒水の竜巻にのまれるか、それとも空中に後ずさりして落ちていくか、状況は二択を迫ってきた。
皆が助かるための三つ目の選択肢を出すためには、何か突破口が必要だ。
けれど、目の前の竜巻があまりに圧倒的過ぎる。無理だ。俺には何もできない。
諦めたくないけれど、諦めざるをえないのだろうか。
俺は、もぞもぞ動いているコイトマルをしっかりと抱きしめる。ひんやり冷たかった。
「おい、ラック、こうなりゃ仕方ねえ。あの竜巻の中に入るぜ。そんでもって、何が何でもラックに結着の切札になってもらう」
「え? ちょっと八雲丸さん、何言ってんですか? 中に入る? 毒の竜巻の? 無理でしょ、危険です。しにます」
「いいか、作戦はこうだ。おれが防御術でお前を守りながら突入するだろ?」
「いやいや、やぶれかぶれ過ぎません? どう考えても瞬殺でしょう。竜巻ですよ、竜巻」
「大丈夫だ、おれがついてる」
この竜巻の事態を招いたのって、八雲丸さんが首とか翼を落としちゃったせいだろうから、この現場においては、もう信用できない。客観的に見ていると、他のパーティメンバーたちと意図が合わない一人相撲を繰り広げているようにしか見えないのだ。
巻き込まれて死ぬ未来が見えた気がした。
俺はきっぱりと言う。
「だったら、大丈夫だってことを証明してください、八雲丸さん」
「証明だぁ?」
「一度中に入って、出て来られたら信じて命をあずけてもいいです」
「言ったな! 上等だ、やってやろうじゃねえか!」
そして八雲丸さんは、俺と遊女たちの諦めムードを切り裂くように、「うおおおおお!」と叫びながら向かっていく。
跳ね返されて、猛毒を受け、膝をつく。
「ぐぅぅ、身体が……動かねぇ……」
自分の周囲を空中に浮いた注連縄で囲んだままダッシュで竜巻の中に入ろうとしたのだが、一瞬で注連縄が溶けて、生み出した盾も吹き飛ばされ、全身に毒水を浴びてしまい、ごろごろと草原を転がって、膝をつく結果になった。
さらには、座っているのもしんどくなって、仰向けに夜空を見上げた。
この一連の流れを目撃した遊女チームの評価は辛辣であった。
「愚かでありんすな」
「往生際の悪い。あれでも大勇者候補って本当なのでありんすか?」
「あちきが炎で浄化しても?」
「それ毒まわる前に死ぬでありんしょ? しょうがないでありんすな。わちきが洗うゆえ、皆は下がってるでありんす」
幼い少女の見た目の花魁娘が一人、少しだけ歩み出て、八雲丸さんに向かって大量に放水した。
水で流して事なきを得た、というわけである。
「うわっぷ」
水圧で風に飛ばされる紙みたいに転がる大勇者候補。
大の字に寝転がって、苦しげな呼吸をしている。
俺はずぶ濡れの八雲丸さんに駆け寄った。
「助かった。あの水鉄砲かましてくれた小っちゃな遊女ちゃんに、ありがとうって伝えてくれ」
「それはいいですけど、どうするんです、この状況」
「なあラックよ、おれはもうだめみてーだ、全身が思うように動かねえ……身体の一部ならともかく、全身に毒をうけちゃあ、もう……」
「そんな、まさか……このまま……」
俺は深刻になりかけたのだけれど、
「いやいや、そこまではいかねぇよ」
平然と返してきた。
心配を返せ。損した気分になるじゃないか。
「いやな、ラック、さっきから無茶してんのは確かだが、命を落としたりはするわけねえだろ。おれを誰だと思ってる?」
この会話を地獄耳で拾って、遠くから遊女の一人が、「奴隷丸でありんしょ?」などと茶々をいれた。
「おいこら! 男同士の真剣な会話に入ってくんじゃねぇ! おれは八雲丸だぞ!」
大声を出す元気はあるようだ。
「ともかく、全身にくらったダメージを修復するのには、時間がかかる。本来即死級の毒だからな」
「むしろ、何で耐えられるんですか? さっきのフリースとの戦闘も、移動だけで傷つきまくって、まるで寿命をおろし金で削るような感じでしたけど」
「寿命か……転生者だぜ、おれは。そんなもん、現世に置いてきたのよ」
「それにしたって、無茶し過ぎなように見えます。あの『天王剣』とかいうのだって、移動するたび死にかけてるように見えましたよ。たぶん回復術でなんとか命を繋いでたんでしょうけど」
「ほう……よく見破ったな。さすが切札になりうる眼をもっていやがるぜ……。『天王剣』ってのは、八重垣流の秘剣中の秘剣でなぁ、身体を強く柔らかくする技と、回復強化技に加え、七星剣に秘められた急速修繕機能を組み合わせて、ギリギリ自我が保てる本数まで神化串を使うって技なのよ」
要するに、危険な技なのである。
「一言で言うと、菅・七連、雲・七連、七星剣・織女モード、神化串・七本挿しだな。転生者の肉体をもってしても、普通は使いこなせねぇがな、おれは天才だから、できちまうんだ、コレが」
「ひょっとして、俺の傷を治したのも八雲丸さんですか?」
「おう、よくわかったな。感謝しろよ? 死の淵から引き上げてやったんだ」
「感謝したいのはやまやまですが、これから竜巻で死にそうなので助けてほしいんですが」
「ハハッ、それは欲張りってもんだぜ、ラック。おれは、しばらくは戦えねぇ……」
信じたくないけれど、本当にそうだとしたら、これでもう、戦力と言える戦力がほとんどなくなってしまったことになる。
それに対して、黒龍はさっきよりも狂暴化している。
あの黒龍は、俺たちという敵が片付いたら、今度は別の水を求めて飛び去ってしまうだろう。雲を食べ尽くし、湖を飲み干し、海の水をくみ上げていくんだろう。際限なく頭が増え続けて、各地に厄災をもたらす正真正銘の化け物になってしまうに違いない。
そんな展開にさせてなるものか。
今ならまだ間に合う……気がする。
頭が四つもあって、禍々しい翼を生やし、毒水で大規模竜巻を作るとか、どう見たってラスボスみたいな動きをしているけれども、それでもまだギリギリ、なんとか間に合う気がするんだ。
今、止めることができれば。
どうにかして、止めれば……。
だけど、俺にどうしろっていうんだ。俺にできることなんて、何一つないじゃないか。フリースや八雲丸さんでも歯が立たない相手を、どうやって止めればいいんだ。
一瞬たりとも止まってくれないだろう。こんなの。
本当にもう、万事休すだ。俺なんてゴミは時間稼ぎにもなりはしない。
ここで力なく、腕を垂らして毒々しい竜巻に飲み込まれてしまうんだ。
と、絶望に支配されかけたとき。
「ようやくの、おでましか……」
八雲丸さんが、かすれた声で呟いた。
安心しながら苦笑いする彼の瞳をよく見てみれば、そこには……あの大勇者の姿が映っていた。