第189話 ドラゴン鎮圧戦(3/7)
「――天王剣」
落ち着いた八雲丸さんの声が響いた次の瞬間、姿が消えた。
かと思ったら、風で地面がめくりあがり、地面に溝ができていく。その溝は、まっすぐフリースに向かっていた。
「ッ!」
フリースは空に飛びあがった。
これまでは、その場から動かずに氷で受け止めていたフリースだが、この技に対しては、回避を選択したのだ。
「逃がすかよ!」
一瞬だけ八雲丸さんの姿が見えた。
それは、なんともこの世のものとは思えないような、異形。肌が張り裂け、血が噴き出し、肉が見えている箇所もあって、腕や脚があらぬ方向に曲がりながら、恐るべき柔軟性で立て直し、傷は一瞬で修復されて、またジャンプの瞬間に壊れた。叫び声がきこえる。
再生と破壊を繰り返しながら、攻撃しているのだ。
推測するに、さっき八雲丸さんが「雲」だの「織女」だのと唱えていた技の正体は、超回復術なのだろう。
秘剣の神化串は分身さえ可能にするブースト技だが、プラムさんが強化のために簪を使ったときも高速戦闘に肉体がついていかないという現象が見られた。
串の本数が増えるごとに肉体への負担もかかる仕様なのだ。プラムさんは三本でもう限界を超えていたくらいである。八雲丸さんにだって限界があるはずである。
けれども、限界を超えても戦い続ける方法があるとしたらどうだろう。
つまり、尋常ならざる高速戦闘を継続するために編み出された技があって、八雲丸さんはそれを使った、ということだ。
もともと四本挿してたところに、追加で三本を盛って、七本挿しになっている。
一体何本挿しまで可能なのか、俺は知らないけれど、かなり無理をしているんじゃないか。だって、さっきから痛みを誤魔化すような、本能を解放するような叫び声が響き続けているから。
目にも止まらぬ二人の空中戦を、なんとか目を凝らしてみてみると、どうもフリースは黒龍を盾にして八雲丸さんの天王剣から逃れようとしているようだ。
そうした結果、どうなったか。
なんと、黒龍が斬撃でいくつもの裂傷を負い、身体のあちこちから毒水が噴き出しはじめた。
「いやぁ……やっと協力して戦う気になったんですね……とか言いたいんだけどなあ」
絶対に違う。フリースは必死の表情で防戦一方だし、時折一瞬だけ姿を見せる八雲丸さんは、もう完全に狂戦士のようにしか見えない。
そしてついに、龍の首が、斬られた。
地面に落ちて、黒い煙となって消えた。
きれいに切断された黒龍の肉体は、手放したホースのように踊り狂い、濁った毒水を撒き散らした。
そして、運の悪いことに、その撒き散らされた水ってやつは、俺のほうにも飛んできた。
あ、あれ、これは、ひょっとしてヤバいんじゃないのか。
黒龍の毒の水ってのが、どのくらいのダメージを与えるものか、俺は知らない。
けど、なんだか俺の勘は、これが、とても良くないものだと告げている。
絶対に触れてはいけないレベルの、即死級の猛毒のような気がする。
「――あ、え」
そんな声しか出てこない。
今度こそ、俺は死ぬと思った。炎で撃ちぬかれた時もそうだったけれど、こういうとき、何もできない。
動くことができない。
何をすればいいのか、次にとるべき行動がわかっているのか、わかっていないのかすらも、わからない。
車が突っ込んできたのに車道の真ん中で止まって、交通事故に遭うっていう場面を映像で何度か見たことがある。そういうときってのは、こういう感覚になるんだろうな。
――ああだめだ。
こんな風に心の中で呟きながら、どうすることもできないまま、死ぬのか――。
あきらめかけたその瞬間、視界に青白いものが出現した。細長く見えたそれは、回転しながら平面をつくり、水を弾き返した。
俺に当たらずに跳ねた毒水たちは、草原の緑色の芝生を、一瞬で真っ黒にしてしまった。
「コイトマル……!」
優秀なイトムシが、目にもとまらぬ速さで糸を吐き、俺を助けてくれたのだ。一瞬のうちに、返し切れないほどの恩ができたわけである。
「お前、すげえな!」
俺は胸に抱いたコイトマルを撫でてやった。
もぞもぞと踊り出すイトムシの感触から、誇らしさや嬉しさ、みたいなものが伝わってきた気がする。
黒龍の身体は、地面に横たわり、トクトクと毒水を吐き出し続けていた。
相変わらず戦闘は続いている。するすると逃げまわるフリースと、着地の瞬間に一瞬だけ姿を現す八雲丸さん。
着地場所が毒の水たまりだろうと何だろうとお構いなしである。
足元から毒がまわるよりも再生スピードのほうが上回るのだろう。
だが、黒龍の首をも落とす天王剣の火力もすさまじいが、フリースの逃げも負けてはいない。目にもとまらぬ八雲丸さんの動きを、しっかりと捕捉しているようだ。
しっかりと見切った上で着地点に氷を生み出し、足をすべらせた八雲丸さんの動きが一瞬だけ止まる。そこを見計らって、さっきの氷の檻を生み出し、それは出したそばから砕かれるものの、その頃にはフリースは八雲丸さんの射程から外へ逃れている。刃は振っても青い服まで届かず、また首のない黒龍に傷を負わせた。
黒龍は、まるで痛みにもがくかのように、バタバタとうねった動きをみせ、また毒水を吐き出した。
この攻防が、しばらく繰り返された。
もう俺は呆れて呟くしかない。
「おいおい、コイトマルに毒水が迫ったってのに、いつまでやってんだ、フリース……。八雲丸さんも、本来の目的を見失って……あれ、でも八雲丸さんにとっては良いのかな」
だって、黒龍の首は切断できたというのだから、なんとか暴走を止められたということなんじゃないだろうか。そうなのだろう。そうだと思いたい。
頭の隅っこで、「絶対そんなにうまくいくはずがない」と思っているけれど、このまま黒龍が鎮まったことにしたら良いんじゃないかと思う。
思うのだけれど、ああ、やっぱり違っていた。
俺の都合の良い解釈は認められず、再び龍が鎌首をもたげようとしていた。
切断面から、ヌルッと出てきた新しい頭は、はじめこそ透明のプルプルで、角や牙なども無かったのだけれど、すぐに硬質化し、黒く染め上げられ、牙が生えてきた。続いて、稲妻のような角が何段階かに分けて形になり、おそろしい地獄の番犬のような風貌が戻ってきた。
再生した、というわけである。
ただ再生したわけではない。なんと、二つ目の頭を伴っての超再生である。
「これは、まずいんじゃ……」
しかも、これまで全く動いてなかった黒龍は、激しく咆哮し身体の下にあった瓦礫を弾き飛ばし、這い動きはじめた。
「おいおい……」
お互いの戦いに集中していた二人は、ひどいことに、オトキヨさん第三形態への変化にも気づかずに、異次元鬼ごっこを続けていた。そしてなんと、この動き出した新しい黒龍の肉体に二人まとめて轢かれてしまった。
プチプチっとか音がしそうなくらいに、あっさりと。
「えええぇ……」
信じられない光景を目の当たりにしたけれど、止まってばかりもいられない。
どういうわけか、双頭の黒龍は怒りの形相で俺の方に向かってきているからだ。
「やばいやばい、無理だって!」
て、いうか、なんで、こっちに向かって来てんだよ!
「ヒュドラだぁあああ!」
俺は叫び、二人を助けようなんて気持ちよりも先に、この場から離れなくてはいけないという思いに支配され、背を向けて逃げ出した。
これは、二つの意味で悪手だったかもしれない。
まるで仲間を見捨てるようで最悪だというのが一つ、もう一つは、多くの獣は、本能的に背を向けて逃げる動物を追い回してしまう習性があるからだ。熊なんかがそうだって話をきいたことがある。この巨大なヒュドラさんは、全く熊っぽくないけれど、俺を追いまわすのに悦びを見出し始めているようだった。
「オトちゃん! 目をさましてくれ!」
むしろ、目をさました状態がコレなんじゃないかとも思うけれど、俺は心の底から願う、オトナ女子モードに戻ってくれとまでは言わない。幼女でもむさくるしい男の姿でも、何でもいい、人や人の住む所を襲ったりしない、優しくて偉大なオトキヨ様に戻って欲しい。
けれど、ああ、追いつかれてしまう。黒い邪悪な龍の息遣いがすぐ近くに迫っている。
足をもつれさせながら必死に走ると、分かれ道が見えてきた。
左に行けば下り坂、右手に行けば上り坂がある。水は低いところに流れていくものだから、この水でできた龍も下り坂を好むはずだ。つまり、そう、右に行けば、禍々しい龍とお別れできるに違いない。
俺は一縷の望みにかけて、上り坂を選択した。
駆け上がってから、さあ、どうだ。と振り返ってみたけれど、残念ながら、まだ俺を追ってきていた。
「ですよね!」
と、再び前を向いた時、見覚えのある顔たちが横一列にずらりと並んでいるのが見えた。
花魁服の遊女チームの精鋭が十人くらい並んで待ち構えていた。
「わっちに任せるのです」
「やってやるでありんす」
ひときわ胸の大きな二人組が中央に立っていた。
それとは少し離れたところに、大きいのと小さいのの二人組の姿。
「わちきが地形を変えて閉じ込めるから、その隙に、お願いするでありんす」
そう言って水の球を作って、指先でクルクル回している小さな女の子がいて、その横には、さっき風呂で大火事を起こしかけて、暗殺者とオトちゃんとレヴィアと俺の四人を螺旋の炎で貫いた女性が右手に炎を纏わせて立っていた。水着から花魁服に着替えていた。
「あちきの炎をお見舞いしてやる! あと、ラック様、さっきゴメン!」
ついでみたいに軽く謝罪されたけど、ここで助けてくれるのなら、全てを許したいと思う。なんとかできなくて俺が死んだら、あの世で偉い人に言いつけてやる。
「頼む!」
花魁たちは、揃わない返事をして、身構えた。