第187話 ドラゴン鎮圧戦(1/7)
我を失った黒龍に、ついに前足が生えてきた。これは、次の形態へと変化する前兆のように思えた。
黒龍は、それぞれ五本の鋭い爪をもった前足を使ってフリースに反撃を始めた。
しかし、攻撃は緻密さのかけらもなく稚拙そのものである。鋭い爪は、何度も空を切った。
その間にも、さらにドラゴンらしくなってきた黒い身体は硬質化を続け、どんどん硬くなっているようだ。
今のフリースの氷では、傷をつけることすらできていない。
さて、俺とマイシーさんは厳しい戦況を怪鳥ナスカの背中を借りながら見下ろしていたのだが、そこに一羽の伝言鳥が飛んできた。立派な猛禽類。翼を広げた時の全長は1メートル以上ある。雄大な翼と鋭い爪、そして全てを見透かすような琥珀色の瞳だった。よく見ると、クチバシに雑に破られた紙片がくわえられている。
マイシーさんの差し出した籠手にバッサバッサと羽ばたきながら取り付いた後、紙片を渡す。この鳥も、よく訓練されていた。
マイシーさんは文字が殴り書きされた紙片を見るや、それを投げ捨てて、俺のマントのエリを掴んだ。
「え、なんですか」
「ラック様、ちょっと失礼します」
「え、え?」
戸惑う俺を引き寄せ、マイシーさんは、「行けばわかります」などと耳元で囁いた。
わけがわからない。説明不足すぎる。不安ばかりが爆発的に膨らんだ。
「えっ、ちょっと――」
そして俺は、放り投げられた。
「お、おわああああああああああああああああああ!」
遠ざかる自分の叫び声。近づいてくる草原と、サークル状に並べられた岩石群。
今度こそ死ぬ、と思った。
マイシーさんは知事とかいう強権をもっていたばかりでなく、強肩スキルもお持ちだったのかもしれない。――こんな微妙な言葉遊びが、マリーノーツ人生最後の思考だなんて、嫌だな。
死んだらどこに行くんだろうか。
ああ、もう目の前に――。
そして俺は岩にぶつかり……ゴムボールみたいに空に跳ね上がった。
「うっ、ぉおああいやああああ!」
この世界には物体を柔らかくするスキルというものがある。それを使えば、岩を柔らかくすることもできるし、俺が物にぶつかっても傷つかないようにすることもできる。
たとえば、以前、オトちゃんと出会った時に、俺が落下し、マイシーさんに受け止められるということがあった。その時、鎧が柔らかくなっていたのは、物体を柔らかくするスキルのおかげだった。
たとえば、八雲丸さんの抜刀術の中にも、やわらかな藁を発生させるという不思議な技がある。
マイシーさんのスキルか、それとも両方か。詳しくはわからないが、とにかく――、
「ああああああああああああああッ!」
そのスキルのおかげで、背中から岩にぶつかってグチャっとつぶれるはずが、壊れずに空高く跳ね上がり、そして草原に、これまた落下するという二連続の恐怖を味わうことになった。本当にもう、尋常ならざる恐怖だ。
衝撃。激しい音。土ぼこりが舞う視界。
ずっと抱え続けていた小糸丸くんが無事だったのは、本当に奇跡としか言いようがない。
もしも、この世界の住人だったら、全身を柔らかくされていたとしても、岩と草原に叩きつけられた衝撃で、死ぬほどの激痛でのたうち回る結果になっただろう。あるいは、外傷はなくても痛みだけでショック死していたかもしれない。
「っくぅ……いてて……」
痛みに鈍感な転生者でよかった。それでも、どこが痛いのかわからないくらい全身が痛いから、もしも近くに魔法使いの女の子がいるのなら、回復呪文とか、痛覚遮断の呪文とかを掛けてほしい。
しかし、俺が落ちたところにいたのは、残念ながら男。ツンツン短い赤髪の、肩だけに和風の鎧を装備した水銀等級の剣士だけであった。そう、八雲丸さんである。
「よう、来たか、ラック」
心配する様子もなく平然と、パイプをふかしながら、彼は俺の名前を呼んだ。
寝転がっている俺は言葉を返せない。そんな余裕が無いのだ。
「いやぁ、さすがだな、あのマイシーって女。『投げてよこせ』ってメモだけで、完全におれの意図を読み切りやがった」
さっきの鳥がくわえていた紙片は、八雲丸さんのだったか。ひどい。ひどすぎる。せめて心の準備をさせてほしかった。
「ラック、一時的でいいからよ、おれたちのパーティに入っとけ。ドラゴン鎮圧戦の切り札になり得るからな」
いや、俺が切り札とか、何をどう立ち回ればいいのかもわからないし、どう考えてもおかしいでしょう……と言いたいけれど、まだ言い返す元気はなく、俺は有無を言わさぬ緊張感をもった赤髪剣士の雰囲気に圧倒され、痺れる腕を持ち上げて、ステータス画面を開き、パーティ参入を承認した。
パーティメンバーは、八雲丸さんをリーダーに、マイシーさんもいた。それと、ここには姿がない知らない女の子たちの名前が二十人くらい大量に並んでいた。
ハーレムに割り込んでしまったみたいで、女の子たちに申し訳ない気持ちになりかけたけど、そんな場合でもない。要するにこのパーティは、遊郭の花魁女子たちと協力してドラゴンを鎮めるためのものらしい。
「いいかラック。動けないなら、そのままきいとけ」
動くくらいならできるようになったので、近くにあった柔らかい岩に座る形になる。俺が姿勢を変えるのを見守ってから、八雲丸さんは状況を解説してくれた。
「さっきからバンバン打ちまくってるフリースお嬢の清浄な氷な。あれだけで大魔法級の破壊力をもってる。さっき、お前さんを殺しかけた遊女の炎の槍と同等か、それ以上の破壊力なんだ。かすっただけで潰されるような、おれの防御スキルを全て使っても耐えられないくらいのな……。それなのに、傷を与えることさえできていない」
「意味のない攻撃をしている……と? じゃあ、やめさせないと」
「無意味ってわけじゃあねえよ。一応、お嬢の清浄な水でできた氷だからよ、中和して毒素を薄める効果を生んでる。けど、これには危険もあるんだ」
「危険? それは……?」
「氷が解けると水になっちまうよな。それが吸われるってことは、それだけ質量が増すってことだ。つまり、今の状況は、黒龍の成長を助けちまってるんだよ。植物に水を与えるみたいにな。いつまでもこの状態を続けていけば、黒龍は巨大化する」
「巨大化したら……もしかして、分裂する?」
「おう、察しが良いな。頭が分裂するわけだ。水がパンパンになって破裂しそうになった時、その水を逃がす先が、新しい頭ってことだ。するとだな、黒龍だった化け物は、水が身体から失われたように感じ、渇きを充たすために新たな水を求めてマリーノーツを徘徊し出すだろう」
そうなれば、もうヒュドラという厄災になってしまう。水を求めてさまよい、各地に毒と病と洪水をもたらしてしまう。
だから、ここで、この状態で、解決しないといけないってことだ。
「援軍は? 大勇者の皆さんは……」
「いやぁ、それがなぁ……多くの大勇者は、軒並み病院送りにされていてよぉ。使えねえんだこれが……。大勇者ありきなら、黒龍を屈服させる策はいくつかあるんだが、この状況じゃあ無理難題ってわけだ」
「大勇者に頼らない方法は……? たとえば、何か規格外の宝具を使うとか」
「色々と制約がなぁ……たとえば、熱で蒸発させる方法をとるなら、とっておきの宝剣がある。あれの封印を解けば、たしかに黒龍は倒せる。けどかわりに世界に穴が開いちまって、色んなものが亡びる」
「それは、元も子もないというか」
八雲丸さんは煙を吐き、そうだな、と頷いた。
「土魔法で黒龍の水分を奪うって策もあるが、形態変化する前の透明な状態ならまだしも、黒龍になった今、土魔法自体がもう効かないときてる。刃で鱗に傷をつけたところで、一瞬で修復されるし、そもそも簡単に傷なんかつかねえし、氷で動きを奪うにも、フリースお嬢だけじゃ厳しい……ていうか無理だぜ」
「あのフリースでも無理って……やっぱり信じられないんですけども」
「絶好調なら一人でも相手できたかもしれねえが、どう見たって本調子じゃねえしな……。もう一人の氷使いがいたところで、二人して氷を撃ちまくったら、封印には成功したとしても、氷河期が来ちまう。現状で、あの状態の黒龍の鱗に傷をつけられる可能性があるヤツは、世界中を見渡しても五人もいないだろう」
「まだ第二形態だって話なのに……完全生物って感じですね……」
「だがな、オトキヨ様の本体ってヤツへの傷が深くなくて、まだよかったぜ。もしも致命傷を負っていたら、暴走どころじゃあなくて、世界全体が丸ごと水に圧し潰されちまって、立ち直れないところだ」
「本当だとしたら、あまりに人智を越えてますよね……」
「嘘に見えるかよ。あの姿を見て」
八雲丸さんの言うとおりだ。禍々しい巨大な黒龍の姿を見てしまったら、認めるしかない。
「本当に、信じられないほどの力ですよね」
「根源を象徴する五龍、その一柱だからな」
「何とか倒す方法は無いんですか?」
「正攻法で屈服させるのは、半端な力では無理だ」
この言い方をするってことは、半端ない力なら、正面からでも何とか鎮められるかもしれないってことだろう。そこで俺は閃いた。
「そうだ、八雲丸さん。まなかさんなら……あの人なら、何とかしてくれるんじゃ」
以前、まなかさんが家を爆破した日、その朝にもらったラスエリを昼には転売なんてことをした。そんな最低な俺のところに来てくれなんて願うこと自体、おこがましいのかもしれない。けれど、こんな状況を何とかできるのは彼女しかいないんだ。心から願う。ここに来て、なんとかしてくれと。
「ああ、おれもそう思ってよ、さっきから最強の大勇者様に鳥を飛ばしまくって連絡してるんだが、全然返事がねぇんだ。クソ、この一大事だってのに」
そうだ。大勇者まなかの剣技なら龍の鱗も微塵切りにできるかもしれないし、召喚術なら、跡形もなく消し去ることができるかもしれない。
あれ、でも、待てよ。消しちゃったら、オトちゃんは、ちゃんと戻ってくるんだろうか。殺してしまったら取り返しがつかないんじゃなかろうか。
「あの、八雲丸さん」
「あん? どうしたラック」
「ええと、本当に、こんな邪神みたいな龍を、殺さずに止める方法なんか、あるんですか?」
そしたら、八雲丸さんはニヤリと笑ってみせた。
「その切り札ってやつがよ、さっきも言ったように……ラック、おまえさんだぜ」
「ご冗談を」