第180話 カネシロの悪夢(5/9)
第三商会にも所属しない。旅にも出たくない。人間が嫌い。大魔王なんてどうでもいい。けれども、何もせずに引きこもってるわけにもいかない。
金城は苦難に見舞われてなお、労働への意欲を失ってはいなかった。偉い。
そんな折、店頭でラストエリクサーという名の忌まわしい草が叩き売られているのを見た。いくらか偽装されているのも混じっていたが、多くが本物だった。『曇りなき眼』で見れば一目瞭然だ。
「安い……!」
金城には、『ラストエリクサー・極』を苦労して手に入れた過去があった。
俺の時は、まなかさんが家を吹き飛ばしたお詫びとして受け取っただけだったけれど、金城の場合は思い入れが違うし、その高価さを身に染みて理解していたのだ。
「この量を売ることができれば……もう一度チャンスがあるんじゃないか」
俺は金城の夢を見ながら、やめろやめろソイツに手を出すのは危険だ、と言ったが、結局これは夢であろうから、そんな声にならない声は届かないのであった。
この無謀なラスエリ買い付けの結果は、見えているだろう。
抱える大量の在庫。俯いて頭を抱える金城。
自分を見ているようで、とてもつらい。
大勇者たちの魔王討伐による賑やかなパレードを死んだ目で眺めながら、金城は何を思っただろう。これから始まる歴史的ラスエリ大暴落に目の前が真っ暗になったかもしれない。
街道を走る荘厳な馬車でニコニコ手を振る大勇者まなか、腕を組んで胸を張る誇らしげなセイクリッド、退屈そうに座るサービスの悪いアリアの三人を見て、歯を食いしばる音がした。
さて、金城比が、俺、織原久遠と違っていたのは、俺にはない積極的な行動力である。
ありえないくらい大量の在庫を抱えたまま、未来のない商品開発にいそしんだ俺とは違って、金城のやり方には、即効性があった。
それが善か不善かと言われれば、まったくもって不善なのだろう。絶対に褒められたことじゃない。
まず、買い取ったラストエリクサーをそのまま売り飛ばすことにした。第三商会に価格調査に行った際、「ラストエリクサーの買い手ならホクキオにいる」という情報を、バンダナ商人が別の商人と話しているのを偶然きいて、雑草まじりのラスエリを売り払うことにしたらしい。
自分の名前を名乗らずに、「第三商会」と名乗り、かの商会の、三角に横並びの星マークがついた袋に草たちを入れていた。
幸いにと言うべきなのかどうか、そのバンダナの言っていた買い手が見つかり、オリハラクオン宛てに送られて行く荷物。
「ハハッ、この愚か者は、まだ価値の暴落に気付いていないらしい。こいつはいい金づるだ。動向を見守ってやろう」
同情して損した気分になる。なんだこいつ。俺に粗悪品を売りつけておいて悪びれもしないとは。
しかし、なるほど、あの雑草まじりのラスエリたちを送り付けてきたのが、この金城比だったというわけだ。
ところが、オリハラクオンの身に何かが降りかかったのだろう。オリハラクオンとの複数の偽名を使った商談に返信がなくなり、連絡がつかなくなった。ラストエリクサー大暴落をようやく知り、ひどく落ち込んでいた時であろう。その時までに発注していたラスエリは届き続けたけれど、あの時点で発注はやめたからな。
反逆罪の濡れ衣でオリハラクオンが旅に出るのは、これよりももう少し後の話だったかな。
「ちいッ、潮時か」
金城の口調や態度から、どんどん余裕がなくなって、追い詰められていくさまが見て取れた。
「何とかして、価値を生み出さないと」
続いての策は、どうしてそうなってしまうのか、俺には理解できないことだった。
カナノ地区の南に住んでいたのだが、こいつは、近所の建造物への放火を行った。
どういう心の動きでそうなるのか、本当に理解に苦しむ。
どんなに悲しいことや辛いことがあったからって、そんな行動に走ったら人間、おしまいである。
誘拐に手を染めたキャリーサなんかは、そんなに強い悪意があったわけでなく、不器用なだけだった。でも、このときの金城の心はどうだ。
比較にならないくらい、あまりにも獣だ。
いや獣よりも劣るだろう。
もう完全に、常軌を逸していた。
人間は、ここまで狂えるのかと不安になる事件だ。
金城が火をつけた理由は、強敵を呼び寄せるためである。カナノ地区の私服調査員は、大勇者セイクリッドの部下であり、精鋭揃いであったが、それに挑もうというのだ。
金城は、動物の皮を繋ぎ合わせた分厚いコートを真っ黒に染め、鏡の前に立つ。
「よし、おれには見えないな」
帽子を目深にかぶり、顔を包帯で巻いて隠し、底の厚い靴を履いて、カナノの街に繰り出した。
そして、夕方、人が多く出歩いている頃、まずは路上に火炎瓶を投げた。炎上する石畳。飛びかう悲鳴、逃げ惑う人々。
次に、巨大なハンマーを振り回し始めた。石壁が簡単に崩れていく。これは破壊後に修復されない攻撃のようであり、壊れた石壁は、壊れたままだった。
まるで狂人の振舞い。
しかし、彼は自暴自棄にはなってはいても、自我が崩壊しているわけではない。金城が次にとった行動は、建造物への不法侵入である。
ここで金城は、人間が一人もいないことを確認し、『陽だまりの集会所』と呼ばれる五階建ての建物に火を放った。
建物の外にあった鐘が置かれた広場に立ち、自分への攻撃を待ち構えていた。
「おれに勝てるやつはいるかァ!」
放火犯罪者の金城は、燃え上がる炎の下で叫んだのだった。
劇場型の凶悪犯罪である。
数分で、消火隊とカナノの私服調査員が到着し、金城を逮捕しようとした。
一撃のうちに、全員が金城に吹き飛ばされた。消火のための人々を含め、全員が石畳の上に横たわる結果となった。
――なぜこんなに強いのか。
それは、ラストエリクサーを大量に服用しているからである。
そして金城はまた、ラストエリクサーを口に運んだ。
早い話が、これは金城なりのラストエリクサーの実演販売であった。
要するに、こういうことだ。
――こんなにも強くなれるアイテムを、忘れたらもったいない。おれが実演して価値を証明するから、どんどんラストエリクサーを買い取って欲しい。
金城には、そんな思惑があったのだ。
危険な場所に踏み込まねばならない場合のある消火隊や救護隊。戦闘を伴う任務を行う私服調査員。そういう職業にターゲットを絞って呼び寄せ、目の前で雑草味のラストエリクサーを食ってから戦い続けた。
五回ほど私服調査員たちの攻撃を跳ね返したところで、両手に赤い銃をもったマントの女性がまだ燃えていない家の屋根にあらわれた。炎があるせいか、この日は馬には乗っていなかった。
大勇者セイクリッド。別名にハタアリという名をもつ、カナノの私服調査員たちの総元締めである。カナノの地で私服調査員がらみの仕事をする時には、このハタアリという名を名乗ることが多い。
この時の金城は、誰にでも勝てそうな万能感を抱いていたので、大勇者相手でも、ひるまず立ち向かおうとした。
けれども、そこは規格外の相手。
どれだけラストエリクサーを使っても、全く差が埋まらない。
自信の正体は過信だった。
攻撃を軽くいなされ、銃を抜いてもらえさえせず、抑えつけられ、後ろ手で縛られてしまった。
握った拳から、ラストエリクサーが燃える石畳に落ち、燃えて灰になった。
「なんで、こんなことしてんだい?」
「お前たちの……せいで……」
少しだけ気持ちはわからないでもないけれど、そういうのを逆恨みというんじゃないのか。
いくら大勇者の大魔王討伐がラスエリ暴落の引き金の一つだったからといって、街に火を放ち、ラストエリクサーを使って脅威を演出するなんて、人間がやっていいことじゃない。
もはや獣の金城比というわけである。
セイクリッドさんは、金城を足で踏みつけながら語り掛ける。
「あたしねぇ、このカナノ地区でこういう仕事する時は、『ハタアリ』って名乗ってんのさ。あんた、荒れ地の出身かい? 食べ物が無いからって……」
「おれは……」
「ん、この感じ……あんたも転生者か。大魔王を倒すはずの転生者が、こんな狼藉はたらいて、どういうつもりだい?」
「…………」
金城は押し黙った。
「あたしら、カナノ地区の秘密の諜報員はね、『仕事にハートあり』をモットーに活動してんのよ。ま、これ、あたししか言ってないんだけどね。あんまり流行ってなくて悲しいのよ……」
「くそっ、はなせ!」
「あんたの仕事には、ハートがあったかい?」
言うまでもない。人間の心があれば、街をハンマーで壊したり、建物に火をつけたりできない。もはやこの男は、手遅れレベルで狂っている。そう思う。
「ま、これに懲りて、二度を悪さするんじゃあないよ。もし、次に何かやったら、処刑だから」
「放せ! 放せよぉ!」
涙でにじんだ視界、じたばたさせてもらうことさえできなかった。
「一応、名前きいとこうか。正々堂々、かかってくるなら、いつでも相手になってやるから」
金城比は答えなかった。
財産は多く没収、しかし裁かれることもなく、ただ家に戻されて、特に監視も無かった。
その生ぬるい対応が、かえって金城のプライドを傷つけたかもしれなかった。