第176話 カネシロの悪夢(1/9)
俺は、何も守れなかったのだろうか。
何も守れないまま死んだのだろうか。
目を開けば、俺はいつぞやの草原にいた。ホクキオ近くの緑の大地。小川が流れる音がした。
これは、まだ俺が身の丈に合わない自分の豪邸を建てていな居ない頃の景色。アンジュさんが転生者狩りに使っていたぼろぼろの家屋が見えた。
時間がマリーノ―ツ転生直後に巻き戻ったのか。それとも、死ぬときに見る走馬灯ってやつが始まるのだろうか。はたまた、この殺風景な草原こそが天国か地獄の風景なのだろうか。
いや待てよ。もしかしたら、俺は一度死んで、今度はマリーノーツとは別世界にまた転生やら転移やら果たしたのではないか。
わからない。状況が確定できない。
「ここは、どこなんだ」
呟いて、ふと気づく。時間が巻き戻ったわけではないようだ。俺が自転車をよけて川に落ちた時に着ていたのと違う服装だったからだ。ピーコートとかいうやつだ。
他に何か手掛かりがないのかとコートやチノパンのポケットを探ってみたが、スマホや携帯の類は存在しなかった。ただ、身分証明の生徒手帳があった。高校生のだ。これは大きな手掛かりである。
ここに来る前の俺は、大学四年であり、大学院生になる予定だったから、俺よりもずっと若いな。
「聞いたことない学校だな。三年C組……名前は……金城比……知らないな」
耳なじみもないし、全く顔が浮かんでこなかった。住所から考えるに、やや遠い地域の学校のようだ。
そう思った時に、俺は自分で身体を動かせなくなった。他人であると認識した途端に、操作権を失うルールでもあるのだろうか。
似たようなことは以前もあった。ザイデンシュトラーゼン宝物庫の前で気絶したとき、調律師のおばあちゃんの過去と思われる時代を夢見た時。
あの時も、途中から知らない人になっていて、自分が言おうと思わない言葉を言わされるということがあった。
だとするなら、俺は今、夢の中にいるってことなのだろうか。
いずれにしろ、ここからはもう、見せられるままに夢を見るしかないようである。
金城という男の身体は動き出した。
「あっつい」
すぐに男はコートを脱いで、高校の制服姿になった。
俺はあまり暑さを感じなかったが、それは、やはりここが夢の中だからであろう。
もともとマリーノーツでの転生者は、度を越えた寒さや暑さを感じないはずなのだが、もしかしたら現実世界から持ってきたものに関しては、また別のルールがあるのかもしれない。
俺の場合は、早々に山賊だったアンジュさんの狩りに遭い、現実世界と繋がるものたちを一気に手放すことになったから、確証はもてないけれど。
さて、金城はアンジュさんのいた倉庫を探索することもなく、スライムや犬からも逃げて回り、村人から話を集めて、教会に辿り着いた。
教会では、俺が裁判にかけられた時に一番偉い感じのポジションに立っていた老人が、チュートリアルをしてくれた。
「ここは、お前の世界ではない。マリーノーツという世界なのだ」
そう言われ、大まかな地形が書かれたマップをもらい、スキルや戦闘についての質問を受け付けてくれて、神聖皇帝オトキヨ様の存在や、「今、またマリーノーツに一柱、魔王が生まれた。元の世界に帰りたくば、魔王を倒すことだ」と魔王と戦う理由までご丁寧に説明してくれている。
しかも、「わからないことがある時には、鳥を飛ばしてくるがよい。鳥を育てるには、それ専用のスキルがあるが、始めのうちは、ホクキオの町にも調教屋がいる」とかいう情報をくれて、なんと連絡用の鳥ももらえた。
あまりに親切過ぎる。
しかも、その鳥を調教してもらいに調教屋に行ったところ、「ムムッ、それは違う世界の通貨だね。ここではナミー硬貨を使うんだ」とか「現実世界で持っていたお金は、この世界では貴重だからね、しばらく使う機会はないと思うけれど、いつか役立つ日がくるかもしれないから……」などと金銭についても丁寧に教えてもらえた。
換金したお金でこの世界の服を揃えるといい、と言われ、露天商人たちの間をたらいまわしにされながら、駆け出し冒険者みたいな服と防具、それから武器まで手に入れた。
その後にも、村の人々や商人たちから役立ちアイテムをもらっていた。
こんなヌルい世界とは知らなかったな。けど、これが普通なんだ。いきなり身ぐるみはがされたり、いきなり罪を押し付けられたりした後で年上の最強女剣士に叱られながら導かれるスパルタなチュートリアルは、やっぱり異常だったんだ。
しかも、この教会では、スキルを振る際の注意点についても教えてくれた。戦闘スキルではないものに振ると、パワー系の戦闘力が下がり、与えるダメージにマイナス補正がかかるという説明もされた。
それを知っていれば、鑑定スキルを伸ばすのにもっと慎重になったかもしれないのに。
俺の時とは比べ物にならないくらい優しいおじいちゃんから、「試しにスキルを覚えてみましょう」と言われて、レベルが上がってさえいないのにスキルポイントを10もプレゼントされた。こんなイベントがあるなんて知らない。不公平だ。今からでも貰えないだろうか。
それから「この町は、他の町とは少し違っている。偶像崇拝が禁止されており、人間の描かれた写真や絵画は禁止され、動物を象ったものも敬遠される。反逆とみなされることがあるから注意するんだぞ」という忠告までしてくれた。
こんな親切すぎるチュートリアルを受けられていれば、俺のマリーノーツ人生も違ったものになっていたかもしれないな。なんて、今さら言っても仕方ないんだけれど。
だんだん楽しくなってきたのだろうか、街をめぐる金城の足の運びが軽快なリズムを刻むようになってきたと感じられた。
ところで、ホクキオ市街では、まだベスさんと仲良くない甲冑のシラベールさんの姿とかも見られたから、これは俺がマリーノーツにやってくる前のことなのだろう。あと、俺の時は住人がこんなに親切じゃなかった。みんなしてギルティギルティって言ってきたのに、金城に対しては優し過ぎる。まだ高校生で若いからだろうか。本当に不公平だ。
さて、彼はマップを開いて、次の町を確認する。
道なりに行くとサウスサガヤがあり、そこにギルドがあることを知った金城。冒険者ギルドへの登録のために石畳の街道を歩き出した。
草原の道をリズムよく歩いていく。
ここまで順調だった金城のマリーノーツ人生。しかし、サウスサガヤに向かう途中で事件は起きた。
山賊アンジュである。
胸の大きな女山賊は、露出の高い下着みたいな赤い服を着て、緑の葉を茂らせる樹木に寄りかかりながら金城に声を掛けた。
「ぼうや、今、暇かい?」
その後、岩かげに誘い込まれた金城は、二刀のナイフを突きつけられて、全財産と現実世界から持ってきたものを全て没収された。
あらためて思う。転生者狩りってのは、もはや人間のやることじゃないね。
でも、パンツ一枚にしなかったのは納得がいかない。俺の時より優しいじゃないか。不公平だ。