第174話 ラキア遊郭(6/7)
「アチキさん? 今、なんて言った?」
「ですから暴走中です」
「……もう一度言ってもらっていいですか?」
「制御不能です……。ここまで火が強くなると、燃え広がって、対象物を燃やし尽くすまで止まらなかったりします」
言っている間にもう、ますます炎が広がっていく。視界がどんどんオレンジに染まっていく。
「なんでそんな技使ったの」
「いつものクセで」
「ふざけんなよ、頭おかしいだろまじで」
「あちき、水魔法苦手なんです」
「一番苦手なのは炎魔法だろ。制御できなくなるものを得意とか言うの許せないんだが」
しかし、アチキさんは俺の言葉などスルッと流して、言うのだ。
「さっき一緒にいた子がいれば広がる前に消してもらえるんですけど」
なるほど、絶対に崩してはいけない二人一組だったか。そして小さいほうがお目付け役だったか。あろうことか八雲丸さんを独り占めしたくて、どっか行っちゃったから、ブレーキ役がいなくなった……というあたりだろう。
そういう不運が重なって、この事態である。
なんだぁ、このめぐりあわせの悪さ。
どうして、俺の異世界生活はこんなにトラブルに見舞われるんだよ。俺はラックって名前になったのに、幸運の数値ゼロ通り越してマイナスなんじゃないの。おかしいよ。それとも、運がよくなってコレだってのか。本当にもう、この世界はおかしい。
これなら遊女と全裸で抱き合ってるところをフリースとレヴィアに目撃されるほうがまだマシだ。
いや、しかし、とにかく、何とかする方法を探さなくては。
「水魔法が使えれば何でもいいのか? 氷とかでもいけるか?」
するとアチキさんは三回目だからか全く慌てる様子もなく、だれかがどうにかしてくれるだろう、みたいな無責任な雰囲気を出しながら、言うのだ。
「ここまで広がっちゃうと、あれですね。水でも氷でも、最上位じゃないと無理です」
最上位、か。
ならばもう。呼ぶしかない。ケンカ中だとか、まだ仲直りしてないとか何だとか、もう気にしている場合じゃない!
俺は空に向かって叫ぶ。
「フリース! たのむ! 炎を消してくれ!」
しかし返事がない。まだ到着してないのか。
おちつけ、まだ策がある。諦める時間じゃない。取り返しがつかなくなる前に、この事態を何とかできる存在に、あと一人心当たりがある。これでダメならもう知らないぞ。
「オトちゃん! このままじゃまずい! 出てきてくれ!」
しかし、すぐには返事がこなかった。
「オトちゃん……オトちゃん!」
三回目に名前を呼んだ時であった。
俺の何も着ていない肩は、がしっと力強い手に掴まれた。まるで、大男のようなしっかりした手だ。
「なるほど、事態はだいたい飲み込めたわい。わしの力が必要なようじゃな」
渋いおじさまの声であった。
俺の背後に、男性モードであらわれたらしい。
「オトキヨ様! ごめんなさいです!」
遊女は両手と両膝をつけ四つん這いになって謝っていた。これがこの遊郭流の謝罪ポーズなのだろうか。体型のいいビキニの水着のおねえさんがこの格好をすると、パンツ一枚の俺の喉は、いやでもゴクリと鳴ってしまう。けれども、今はそんなものを気にしていい状況じゃない。
「オトちゃん! 本当にな、何度も呼びつけて、申し訳ないと思うけど――」
「よいよい、みなまで言うな。わしの遊郭じゃからな、わしが何とかする」
オトちゃんは、黒い服を脱ぎ捨てた。
しかし、人間型の裸体を晒したわけではない。
大変身である。
それは、ひとことで言えば、龍というものなのだろうか。
いや、でも、これは、龍というよりも、亀に近い形である。甲羅があるし。
大きなドーム型の甲羅からは、にょろりと長い頭が出ていた。しかし、それを引っ込めると、上空に飛び上がった。
異様な光景だった。
まるでUFOのような見た目でもある。
円盤状の甲羅は、浮遊してその場に留まりながら、ぎゅるぎゅると回転を始めた。
そして、甲羅のあいているところから、踊り狂うホースのように水の束を放出し始めたではないか。
廃墟に近い街並みが燃えかかっていたのを、オトちゃんの雨が阻止して、さらに修復までやっているようだった。
神の恩寵、そのしるしのごとき効果をもたらす恵みの雨が、空に控えめな虹をかけ、赤みがかった世界を清浄化していく。夕焼けから昼間へ、時間を巻き戻すかのように。
「きれい……」
水着姿でウットリと、アチキさんは呟いたけれど、まさか、この鎮火の光景が見たくて暴走させてるわけではないよな。
わずか十数秒くらいで、水路は正常な水の流れに戻った。
「ふぃ~」
まるで首長竜みたいなフォルムから変化し、黒い服の幼女型になってゆっくりと降りて来たオトちゃん。着地してすぐに少しふらついた。
「おっと」
幼女の姿だと、髪が地面にまでつくほどになる。その先端が少し赤みがかっている綺麗な黒髪をできるだけ掴みながら支えてやると、小さな手で上半身裸の俺の胸のあたりに手を触れた。
「すまぬ」とオトちゃん。
「気にするな。それより大丈夫か?」
「ううむ、ちょいキツいのう」
と俺に言って、続いてアチキさんのほうに向き直り、申し訳なさそうに言うのだ。
「ちいとでも体積が少ないほうが楽なのでな、筋肉モードが好きな、おぬしら遊女たちには申し訳ないが、今しばらく、小さな格好で我慢してくれんか」
力を使いすぎて、大きな形態を保てなくなっているようだった。
「そんな、申し訳ないですぅ」とアチキさんは四つん這いのままで頭を垂れた。
ふと、サッサッサとか、カランカランという足音がいくつもきこえてきた。音が、だんだん近づいてくる。大火事の危機が去ったとみて、現場に遊女たちが駆け付けたのだ。
「またあなたのミスなのね」
「反省するのですよ」
「何回目なのかしら」
「あとで水魔法の特訓でありんすな」
などと口々に注意を与えていた。
「ごめんなさーい」
泣きながら水着姿で肘をつけ、地面にクタッとうつぶせになった。まるで五体投地である。遊郭流の最大限の謝罪なのだろうか。
「まあまあ、無事だったんじゃ。もう言うでない」
と、許しを与えようとしたオトちゃんが、パンツ一枚の俺から離れて不器用な炎使いに手を差し伸べた時である。
「危ない!」と遊女の一人が叫んだ。
「え」
俺が呟いた時には、地面から突き出した岩の塊が、襲撃者を弾き飛ばしていた。
それで、許しの儀式は中断された。
そう、襲撃者。突然のことで戸惑い全開の俺だったが、遊女たちは、もしかしたら慣れているのだろうか、素早く散開し、距離をとって、魔法で反撃していた。
しかし、遊女たちの反撃は全て避けられた。
相手は敏捷性に特化したタイプのようだ。
どこからか突然に湧いてきた襲撃者は、目にも止まらぬスピードで移動し、遊女たちを相手に次々に斬撃を繰り返した。見えない相手に斬られ、数人が傷を負った。
だが、遊女たちの高い戦闘力は謎の襲撃者の正体を明らかにする。
一人が、土魔法で足元を砂だらけにしてスピードを奪い、足跡から進行方向を予測して、別の一人が大きな泡を設置する。その泡に弾かれたところに、魔法で生み出された剣が向かっていった。
両手にもった小刀を振り回し、防御を試みた襲撃者だったが、小刀のほうがもたなかった。折れた。そこで、魔法で生み出された剣を掴み取ると、くるりと一回転。自分のものにして振るいはじめた。
敵の二刀流剣士は防戦一方。
数の多い遊女たちの攻撃は止まらず、こんどは雷が落とされる。襲撃者は飛び退いて回避したものの、手に持った金属に向けて追尾し、電撃が全身を駆け巡った。「ぁああ!」と甲高い声をあげて膝をつく。
俺はその、苦悶の表情をした少女……息を切らして膝をつく桃色ブラウスの女の子のことを知っていた。もっと幼い頃の絵画も見たことがある。
「おいおい何かの間違いだろ」
彼女の名前は――。
「プラムさん? なんで」
彼女は答えなかった。