第170話 ラキア遊郭(2/7)
遊郭の渡り廊下をオトちゃんと並んで歩いていると、見知った顔を発見した。
「あっ」
と俺が声を出した時、「ん?」と喉を鳴らしたツンツン赤髪の上級剣士は、顔を上げ、「よぉ」などと挨拶してきた。
あれこそは、水銀等級の冒険者、マスター八雲丸さん!
なぜこんなところにいるのだろう。
「ラックだよなぁ? おれのこと憶えてるか?」
「ええ、お久しぶりです、八雲丸さん」
「久しぶりってほどでもねえがな、どうだ、あの後、護衛は見つかったのか?」
「ええ、まあ」
見つかったんだけども、その護衛にぶっとばされてここに心を癒しにきてます、なんて言えない。
そして八雲丸さんは、俺の横にいる美女に視線を送った。
「ふぅむ、この遊郭で見たことない顔だな。もしかして、護衛って、そこの女性か、ラック」
オトちゃんはフフッ、と笑いを漏らした。これは、どういう意味の笑いなのだろう。少し呆れが混じった悪い方向の笑いにきこえたけども。
「この方は、護衛ではないですよ」
「ってことは、この瑞々しい美女は、遊郭の新入りか何かか?」
「そういうのでもないですね」
神聖皇帝オトキヨ様である。が、それを言う前に、八雲丸さんは寄って来て、俺の肩を軽く叩いた。
「まあとにかく、護衛が見つかったってんなら何よりだ。けっこう心配してたんだぜ? 闘技場に一人で置いてきちまったわけだし」
「大丈夫でした。俺の護衛は、大勇者フリースですから」
「あぁん? フリース……元大勇者のフリースお嬢だぁ? なんであの陰気な『魔女』が?」
今の発言には間違っている点が三つくらいある。指摘せねばなるまい。
「元、じゃないです。今まさに大勇者ですよ。あと、陰気でもないし……絶対に魔女じゃない!」
ここで八雲丸さん相手に宣言したからといって、罪滅ぼしや償いや謝罪になるとは思えない、だけど、俺は、場違いなのを自覚しながらも謝罪の気持ちを込めて、「魔女じゃない」と言い放った。
俺の迫力に、八雲丸さんは「お、おう……」と言いながら少しだけ後ずさった。
それを見たオトちゃんは、にやりと笑い、
「ほう、次期大勇者候補の筆頭である八雲丸を数歩退かせるとは、ラックもなかなかやるようになったようじゃのう」
などと言い、俺の肩を抱いて、ポムポムと頭を叩いてきた。
それを見て、八雲丸さんは不快感を抱いたようだ。
「なんだぁ、そいつ偉そうな女だな。おれは八雲丸だぞ、遊郭の女風情に呼び捨てにされるたぁ不愉快だぜ、言いなおしてもらおうか。知ってんだろ? おれの等級くらいよぉ」
遊郭の空気がそうさせるのだろうか、八雲丸さんのプライドが鎌首をもたげていた。
「ああ、よーく知っておるぞ。なぜなら、わしは、貴様より偉いからな」
まぎれもない事実である。
「ラック。お前が連れてる女、頭おかしいぞ」
「八雲丸さん、あまりそういうことは言わない方が……」
「ああん? なんだ弱腰だな。いいか、ラック。ここの遊郭の女をオトすコツはだな、強気にガンガンいくことだ。ここは特に気が強え女が多いからな、そこに負けたら、バカにされちまってよ、始まる前に終了だぜ?」
「ふぅむ、わしの嫁たちをオトすとな? いい度胸じゃ」
「……ん、わしの……嫁?」
八雲丸さんは見たこともない焦り顔になった。
「わしの顔を見るのは初めてよなぁ、マスター八雲丸よ。貴様のまえでは、いつもフードをかぶっておったと記憶しておる」
「まさか……」
「わしは、神聖皇帝オトキヨじゃぞ」
「まじ?」と、俺に向かってきいてきたので、俺は深く頷いた。
「そもそも」とオトちゃん。「ここは立ち入り禁止じゃぞ? こんなところで何をしておる?」
「やっべ」
「正規の手続きを踏まずに侵入し、わしの大事な嫁たちを誑かそうなどと、まさしく不逞の輩よ」
「すみません、オトキヨ様。数々のご無礼、お許しください。いや、え、でも、なんで、ラックなんぞと一緒に……」
「こやつはな、わしを助けようとしてくれた恩人なのじゃ。それと、わしがこやつに悪いことをしてしまったのでな、詫びもかねて連れて来たのじゃが……八雲丸。貴様は呼んだ記憶がないぞ。ここで何をしておる」
「け、警備です」
「嘘をつけい」
「うぐ……罰は何なりと」
「うむ。本来は首ちょんぱが妥当なところであろうが、反省しとるようじゃし、一週間、この遊郭で女たちの奴隷となるのじゃ」
「……お、おそれながらオトキヨ様! 奴隷制度はオトキヨ様ご自身が廃止されたはず。それに、おれが奴隷なんかやったら、仲間や部下に合わせる顔が」
「なんじゃ、何なりと、などと言っておいて、自分で示した約束も守れぬのか?」
「し、しかし!」
「ならば首を刎ねられる道を選ぶということか?」
「それは……」
「さあ選ぶのじゃ。女たちの奴隷となるか、死刑か、もしくは銀等級への降格か、仲間と部下全員に罰を与えるのも良いかのう」
選択肢が増えたが、いずれにしても究極の選択である。八雲丸さんの選択やいかに。
「わ、わかりました……くっ……奴隷で」
かすれた声で、彼は言った。
八雲丸さんの屈辱にまみれた奴隷生活が始まったのであった。
★
「奴隷さま、わちきの靴を磨いておくでありんす」
「承知いたしました」
「そこの奴隷くん。ゴミすてと花瓶の水がえと猫たちのブラッシングしとけよな」
「ははぁ! 身を粉にしてやらせていただきます!」
「ねえ奴隷さん、魔法の実験台になって」
「よろこんで!」
「奴隷様、服を脱いでいただけませんか。上半身だけでよろしいですから」
「これでよろしいでしょうか?」
「奴隷さん奴隷さん、掃除、洗濯、風呂洗い、マッサージお願い」
「はい……」
「奴隷くん、ネズミ退治をしておくでありんす」
「あ? 猫にやらせろよ」
「口答えでありんすか?」
「いえ、すみません」
このようにして、八雲丸さんは女性たちの命令に従い続けた。
「次は夕食の準備ですよ、奴隷丸さん」
「はい」
「奴隷丸、なにか芸をやりなさい」
二時間もすると、いつの間にか奴隷丸という呼び名が定着しつつあった。不憫である。
「芸か……よし! うおお、八重垣流奥義、其の参、荻!」
八雲丸さんは刀を抜き、一発芸を発動させた。この「荻」という技は、刀を装備しているとき限定の大技である。伝説の宝刀を呼び出し、その力を引き出すことができる。
「――越王勾践剣!」
持っていた刀は、黄金に光り輝く直剣にすがたを変えた。流線型のフォルムに近い形をしていて、刀身には菱形をいくつも並べたようなパターンが模様として刻まれている。とても洗練されたデザインの剣だった。
八雲丸さんは、細い糸が美しく巻かれた柄を握り、芸を要求した遊女に差し出した。
「持ってみるか? 三分くらいは戻さず維持していられる。もっとも、こいつは刀じゃなくて剣だから、力は引き出せないんだけどな、おれの好きなデザインだから見た目だけは再現できるようになった。どうだ、なかなかイイ感じだろう?」
しかし女は、剣に触れようともせずに言うのだ。
「マニアックすぎてわかんない。武器とか興味ない。奴隷丸つまんない」
あっさり突っぱねられて、完全に燃え尽きた顔をしていたな。
現実世界では刀剣好きの女性というのは珍しくはないが、この遊郭では不人気のようだった。
やがて陽が落ちて、俺は部屋に戻った。しばらくぼんやりとレヴィアやフリースのことを考えていると、今にも死にそうな、病人みたいにかすれた声が障子の向こうからきこえてきた。
「ラックゥ……助けてくれ……」
障子をあけてやると、そこには憔悴し切った八雲丸さんの姿。俺が泊まっている部屋に逃げ込んできたわけである。
「なんでおれがこんな目に……」
「自業自得かなと思いますけど……なんで遊郭に侵入なんてしてたんです?」
よろよろと畳を這って、俺の近くに大の字で寝転んだ八雲丸あらため奴隷丸さんは、よく見ると全身が汚かった。そうとう酷使されたらしい。
しばらくゼエゼエと言いながら呼吸を整えた後、奴隷丸さんは言うのだ。
「何しに来たのかというとな……まあ、忘れ物を取りにってとこだな」
「何を忘れたんです?」
「ハクスイって女がいてだな、そいつと一緒にいたガキを探してるんだ」
なるほど。ハクスイという名は、きいたことがある。ザイデンシュトラーゼンのアンジュさんと同じパーティで活躍していた魔術師だったか。だとすると……。
「あぁ、隠し子ですか」
「平然とすげえこと言うなあラック。ちげえよ。なんつーか世話係みたいなヤツだ。今日のおれみたいなキツい雑用を毎日やらされてたガキがいてな、そいつの行方がわからねえんだ。あいつは、口が悪いくせに純粋で、騙されやすいやつだからよ、ハクスイが戻るまで、おれが面倒みてやりてえんだ。どっこい、どこにも居やしねえ」
「つまり、うっかり騙されて売り飛ばされ、二度目の遊郭に来てないかと思って探したけれども、ここには居なかったと、そういうことですか」
「ああ、幸か不幸か見当たらねえな。そいつを探すために、金にならねえ警備の仕事を請け負って、こっそり忍び込んだってのに」
「それは、残念ですね」
「ああ、だが、幸運なことにな、手掛かりは掴めた」
八雲丸さんはそう言って勢いよく起き上がると、俺をにらみつけた。
「女の子ちゃんたちはな、おれをこき使いながら質問に答えてくれたんだ。『タマサのことなら、ラックくんが居場所を知ってるでありんす』ってな話をよ、口を揃えていうんだ。お前、タマサとどういう関係なんだ?」
ものすごい攻撃的な感じでたずねられたけども、どうもこうもない。ただの知り合いである。
「タマサなら心配いらないと思いますよ? アンジュさんと一緒にいますから」
アンジュさんと八雲丸さんは元パーティメンバーである。山賊から足を洗ったあとに、大魔王討伐をしたと聞いている。
「なに? アンジュと? あいつも、こっちに帰って来てたのか」
「ええ、今では毎日のように善行に励んでます」
「アンジュか……そっか……うーん、なおさら心配だぞ、それ」
「どうしてです?」
「あいつはよぉ、ハクスイとナディアに攻撃されまくってたからな。アンジュのやつ、仕返しにタマサをいたぶってないといいんだが」
全然そんな感じじゃなかったけどな。仲良さそうだったし。
よっぱらったアンジュさんを、シノモリさんと一緒になって叱りながら、掃除しているタマサの姿が思い出された。
「安心していいと思いますよ。そんなに気になるなら、ザイデンシュトラーゼン城にいますから、会いに行けばいいんじゃないですか?」
「なんだと? あすこは近ごろ盗賊が出るって話じゃあねえか、タマサが襲われたら大変だぞ」
おそらく上半身むきだしの裸賊のことを言っているのだろうけど、むしろタマサが裸の盗賊を襲う側なんだよなぁ。
「本当に大丈夫ですよ。もう呪われてもいませんし、あのへんにはもはや盗賊もいません。賊軍も暴れていません。俺が保証します」
「本当だろうな、ラック」
「なんだか、ずいぶん過保護な気がしますね。タマサのこと好きなんですか?」
俺は素朴な質問をぶつけてみた。女性として好きか、という意味である。しかし、八雲丸さんは「そりゃねえな」とさっぱり否定した。
「おれには、もう嫁がいるもんでね」
「えっ、誰ですか? ナディアさんか、ハクスイさん……どっちでしょう。裏をかいてシノモリさんか、プラムさんとかですか?」
すると八雲丸さんは、ちょっぴり苦笑いしながら言うのだ。
「ハクスイとナディアの二人だよ」
嫁が二人いることを、平然と語ったわけだ。
乱れてんな、マリーノ―ツ。