第169話 ラキア遊郭(1/7)
わしの嫁たちを貸してやる。とか言われてもなぁ。
確かに魅力的な女性たちだと思う。けれども、神聖皇帝の嫁たちと接するとなると、それだけでそれなりの覚悟が必要だ。失礼や粗相があってはならない気がする……。
「なんの! 無礼講じゃ!」
豪快にあぐらをかいて美女をまとわりつかせている男にそんなことを言われた。
だが、無礼講とか言う人に限って、酒の入った部下が失礼を働くと烈火のごとく激怒するというのは、経験上わかってるんだこっちは。一応、人間を二十年以上やらせてもらってるんでね。
とはいえ、オトちゃんは人間ではないという話だから、人間のパターンが当てはまるとは限らないけれど。
「ほんとうにな、遠慮せずともよいぞ、ラック。フリースがあんなことになったのは、わしも責任を感じておるのじゃ。せめてもの詫びのしるしに、遊郭での様々な余興を楽しんでもらいたい」
「そうは言われましても」
「なんなら、少し触ったりするくらいなら許してやろう。その結果、遊女に尋常でなく好かれてしまった場合……養う覚悟があるのなら連れて行ってもよい……と言いたいところじゃが、おぬしにはフリースもレヴィアもおるしな。んー、他にもいるんじゃったか?」
「人聞き悪いっす。そもそも俺はレヴィアが好きで、フリースは護衛だ」
レヴィアにはキープされ、フリースには護衛どころか暴力で気絶させられたわけだけどな。
「なるほどのぅ、そうであれば、そうじゃな……レヴィアとフリースの二人とうまくやっておらぬのに、わしの嫁たちに手を出したら、それはもう首切り案件じゃな。好きになられない程度に触れ合うがよかろう」
「いやいや、俺はそもそも、そんなに好かれるような人間ではなくて」
「過ぎた謙遜じゃぞ? もし、好かれておらなんだら、フリースがあんなことになんかならんじゃろ」
「いえね、フリースは『魔女』って言われたら誰にだってああするはず。以前、八雲丸さんが口を滑らせたとき、通路の真ん中で吹っ飛ばしてるところを見ましたもん」
「それにしたって、誰にでもってわけではないじゃろう。あそこまではのう……」
「あそこまでって……一体、どんなことされたんだ……俺は……」
「うむ……おぬしが気を失った後、フリースが大泣きしながら、『起きろ』だの『起きてあやまれ』だのとわめきながらな……なんとなんとじゃな、あのフリースが自分の手でおぬしの胸倉を掴み上げ、顔を引っぱたき続けておった。手が痛かったろうに……あんなフリースは見たことないぞ」
「よく死ななかったなぁ、俺」
「一応、氷で吹っ飛ばすときには加減しておったみたいじゃがな、素手で殴っとるときはマジ渾身じゃった。腫れあがるまで殴られるとか、おぬし、そうとう惚れられておるぞ?」
「…………」
俺はフリースばりの沈黙を返した。
「わしがシュヴァルツホルンなど渡したせいじゃな」
シュヴァルツホルンとは、スマートフォンのことである。ドイツ語感があるカッコよさげな訛り方だ。
「そんなことないです。悪いのはフリースで――」
言いかけたとき、仲間を売るような自分勝手な俺の謝罪を未然に叩き潰すように遮って、オトちゃんは頭を少しだけ下げた。
「すまぬ。トラブルの元凶は、わしの与えた宝物じゃ。わしに責任がある。まさか、あそこまでの事態になるとは思わんかったのじゃ……。じゃからの、せめてもの詫びとして、この遊郭におぬしを連れて来たというわけじゃ」
遊郭って女の子と遊ぶところだよなぁ。いくらリニューアルしたからって、そこは変わらないはずだ。もしも俺が怒れるフリースに好かれているんだとして、もしも、これが俺を試す場で、あれば、どこかでフリースが俺の姿を見ているかもしれない。
その場合、別の女の子と遊んでいる姿を見せつけるというのは、どうなのだろう。さらに怒りを増幅させやしないだろうか。
そもそも、見ていないからって、こんなところで遊んでいい状況なのだろうか。
一刻も早くフリースと対話すべきなんじゃないのか。
フリースだけじゃなく、レヴィアの姿が見えないのも気になるし。
などと、俺が心の中で考えていたところ、俺の不安を読み取って、オトちゃんは言うのだ。
「安心せい。ここは健全な遊びと学びの場である。短いポエムを交換したり、魔法やスキルを遊びの中で磨いたり、歴史や神話を遊びの中で学んだり、一緒にスポーツで汗をかいたり、お風呂で背中を流してもらったりする気分転換スポットなのじゃ」
それは遊郭と言えるのだろうか。
学校機能を複合した多目的レジャー施設のようではないか。フットサル場とかバスケコートとかと一緒に、ボウリングとかバッティングセンターとかカラオケとか漫画コーナーとかがついているあの施設っぽさすらある。
「要するに、あれじゃ。今はもう、覚悟なき者に対して、そういうサービスはしとらんのでな、期待してもムダじゃぞ」
「いえ、もともとそういうのは、今は……」
「まぁ、とにかくじゃ、いやなことは忘れて、軽い気持ちで、ゆるりと楽しむと良いぞ。身体を動かして、ストレス発散じゃ!」
★
あみ羽子板、という遊びをやりながら、俺はオトちゃんと話した。
これは、網がかけられたラケット状のもので、羽根の付いたゴムボールを打ちあって遊ぶというものである。早い話がバドミントンであった。
オトナ女子モードになって俺と遊んでくれとお願いした結果、簡単に受け入れてくれた。
かくして、ところどころ破れた黒い服を体に合うように縛ったりして、美人なオトちゃんが前よりセクシーになって戻ってきた。嬉しい。
「わしと遊んでも楽しうないぞ。へたくそじゃからな」
「こういうのは、逆に上手すぎると楽しくないもんなのさ」
「そうなのか?」
俺もあまり上手とは言えない腕前だったので、オトちゃんとのラリーは多くは続かなかったけれど、羽根の往復とともに、いくつかの言葉を交わすことができた。
「それにしても、オトちゃん。なんでフリースは、スマホを壊したんだ」
羽根をついて、すぐに戻ってくる。
「それは、わしからは言えぬな。当人の気持ちを考えるとのう」
「まじでフリースが何を考えてあんなことをやらかしたのか、わかんないです。オトちゃんのくれた貴重な宝物を、一瞬で……本当、申し訳ないです」
「じゃがな、フリースはあの時、人間らしくて、優しいことをしたと、わしも思っておるぞ。心の底からな。わしなんぞが『人間』を語るのも、どうかと思うがな」
「それって、どういう……」
「じゃから、言えぬのじゃ。当人の気持ちを考えるとな。あとは自分で考えることじゃ」
「そうは言われてもな」
わからないものは、わからない。
だけど、確かに、何か俺の考えつかないような理由があるのだろう。フリースは悪人じゃないし、悲しい体験をたくさん経験していて、人の気持ちがわかる女の子だと思う。
「……まあ、争いの大半は、すれ違いから起こるもんだ」
俺は自分を納得させるために言い、オトちゃんは頷きながら羽根をうち返してくる。
「そうじゃぞ、悪意に敏感になるのと、なんでもかんでも悪意のせいだと決めつけるのとでは大きな違いじゃからな」
オトちゃんの打った羽根は俺に届いたが、
「そう、ですね!」
と言いながら強く返そうとしたところ、見事に空振りしたのだった。
★
次は、治水将棋なるものをやった。
碁盤のような網目状の板の上に、水に見立てた黒い石と、土のうに見立てた黄色い石を交互に並べていく。縦・横・斜めのどこかに同じ色の石を五つ並べたほうが勝ちである。
早い話が、五目並べであった。
「特別ルールとして、わしが黒い石を使う時には、同時に二つ置けるようになっておる」
「それ卑怯すぎじゃない? 勝負にならねえよ」
「じゃあわしがセキトメをやるから、おぬしがハンランをやるのじゃ。果たしてラックごときに水をうまく扱えるかな?」
ニヤリと笑って自信ありげなオトちゃんだった。
どうやら、流れ出す洪水に見立てた黒い石が先攻の「氾濫」で、それを阻止するための即席の土手や土のうにみたてた黄色の石が後攻の「塞き止め」であるらしい。
結果を言えば、俺は黒い石を何度も並べ切り、連戦連勝した。もちろん、一個ずつ置き合う形でだ。二つ置けるなんてズルをするまでもない。
「もう一回! もう一回じゃ!」
涙目である。
じゃらじゃらと音を立てながら石を回収し、黒い袖で涙をぬぐってから、言うのだ。
「うぐぐ……普段はこんなに負けないんじゃぞ」
そりゃあなた、自分だけ石を二個置けるルールが許容される環境じゃ勝って当然じゃないの。遊女たちから、ぬるい環境でおだてられてきたとしたら、友人たちと黒板○×ゲームを繰り返して育った俺に勝てるわけがない。
「わしは、セキトメと相性が悪いのじゃ。チェンジしてくれ、ラック」
「まぁ、いいけども」
そして特別ルールが適用され、オトちゃんはあっさり勝利を収めた。
「わずか八手でわしの勝利じゃ! 大洪水でラック敗北! 思い知ったか!」
「いや、ずるくない?」
「ずるくない! わしは水を司るのじゃぞ? 当然の結果じゃ!」
それでいいのか、オトちゃんよ……。
「やはり、わしの操る水は最強じゃな」
ものすごい子供っぽさであった。見た目はオトナっぽいのに。