第167話 フォースバレー宮殿(5/5)
「では、受取るがよい」
と、オトナモードのオトちゃんが言って、スマホを持ち上げ、俺に手渡す。スマホは、この世界において価値は高いが宝物というわけではないらしく、黄金のオーラを纏っているわけではなかった。
「ありがたきしあわせ」
頭を下げて、賞状を受け取る時のように手を伸ばした。
ところがどうだ、受取れなかった。
手から滑り落ちたわけではない。実はスマホに見せかけた偽物だったとか、そういうわけでもない。俺の手に触れるより先に、そいつを奪い去ったやつがいたのだ。
フリースだ。
何もいらないとか言っていた割には、異世界の品物に興味があるようだ。
するするっと音もなく滑って来て、スマホをかっさらい、まじまじと見つめて氷文字を示す。
――これ何なの?
「スマートフォンってやつだ」
――へぇこれが。
――初めて見た。
大勇者を経験したことのあるフリースにとっても珍しいものなんだな。
「うむうむ、そうじゃろう? 以前、まなかが自慢してきおったからな、わしも対抗して手に入れたんじゃ。マリーノーツじゅうを探しても、売り物はそれひとつしかなくてのう、アホみたいに高かったんじゃぞ?」
「でしょうね」
大勇者まなかがスマホを手に入れたのは、俺から半ば強引に巻き上げたからであり、それが原因でオトちゃんが持つに至ったということは、俺が知らず知らずのうちに皇帝様に影響を与えていたことになる。
思ったより世間ってのは狭いもんだよな。
ふとフリースを見ると、上にかざしたり、ペチペチ優しく叩いたり、裏面を撫でたりして首をかしげていた。使い方がわからないらしい。
「フリース、そのままじゃ使えないだろ、ちょっと貸してみろ」
――わかった。
受け取り、電源を入れてやる。
――わ、動いた。すごい。
俺が持っていた機種に似ていたので、電源の場所は直感的にわかった。だが、見たことない機種だ。背面に写真撮影用のレンズが三つくらいついていた。画面に関しても、俺の持っていたよりもキレイだったし、もしかしたら未来の機種を先取りしているのかもしれない。
――これ、どうやって使うの?
タッチパネルを操作する姿を見せつけてから、「気を付けろよ」と言いながら持ち方を教えた。
フリースは興味深そうに画面を眺めている。
「いいか、ここに四角いカラフルな図形がいくつも並んでるだろう。これをアイコンっていうんだ。これら一つ一つにそれぞれ役割があるんだが、この世界では、ほぼ使えない。なにせ、ネットが繋がらないからな」
――ねっと?
「あぁ、俺たちの世界では、遠く離れていても、言葉を伝えたり、文章や映像を届けたりすることができるんだ。それも、鳥も使わず、一瞬でな」
――へぇすごい。
あまり信じてなさそうだった。あるいは、実感が湧かないだけか。
とりあえず、スマートフォンのすごさを感じさせるべく、俺はフリースの手ごと包み込むように機体を持ち、カメラアプリを起動させた。
「これがカメラだ。写真を撮れる」
「カメラ? しゃしん?」
「後ろ側で光る目玉に映った景色を、まるで本物の絵みたいにして保存できるんだ」
――すごそう。
「ここをタッチすると、自撮りに切り替えることができる」
俺はスマホをかざし、フリースの肩に手を回し、顔を近づけると、自撮りモードで一枚撮影した。
シャッター音が鳴り、フリースと俺のツーショット画像が生まれた。
「あ、待って、ラック」
フリースはフードからコイトマルを取り出すと、胸に抱いた。
もう一枚撮影しろ、ということらしい。
再び自撮りのシャッター音。俺はフリースに撮った画像を見せた。
「すごい。すごいね、ラック」
「俺がすごいんじゃない。スマートフォンがすごいんだ」
「ね、レヴィアに見せてきていい?」
「ん? ああ、扱いには気をつけろよ」
俺がそう言って、フリースの背中を軽く押してやると、彼女はスケートリンクに滑り出すみたいに、えんじ色の絨毯の上を滑っていった。
そんな様子を見て、オトちゃんは言う。
「うむうむ、さすが、わしの見込んだだけのことはあるのう。シュヴァルツホルンの使い手であったのじゃな」
シュヴァルツホルン。なんだそのドイツ語みたいな単語は。『スマートフォン』が訛ったのかな。
「オトちゃんには、使えなかったのか?」
「うーむ。わしの指とは相性が悪いようでな、マイシーが触る時は動くのに、わしの思うとおり動いてくれぬのじゃ」
「なるほど、ヒトじゃない弊害か」
「うっかり五龍の一柱であるばかりにな」
オトキヨ様は自分で言って、自分で大笑いしていた。
俺は苦笑いだ。
ふと、シャッター音がしたので、そちらを見ると、フリースがこちらにカメラレンズを向けていた。オトちゃんとマイシーと俺を撮ったらしい。あとで見せてもらおう。
その写真を見せられたレヴィアは、「おぉー」と言いながら小さく拍手をしていた。
微笑ましい光景である。二人とも、スマホのカメラ機能を気に入ってくれたらしい。あとで動画の撮り方とかも教えよう。
さらにフリースは、レヴィアと二人で記念自撮りをしようと――。
画面を見ながら……スマホを持ち上げて……。
いきなりだった。
何か理由があるのかもしれない。でも、たとえそうだとしても、許されない。
急に沈黙のフリースの手から氷が出現した。その氷は透明な巨人の手になった。
氷巨人の手は、人差指と親指でスマホをつまむ。そこそこ画面が大きいはずの機種なのに、豆粒みたいに小さく見えた。
メキャキャ。とかいう音がした。
二つ折りスマホの誕生である。
え、なんで? ねえなんで? 折りたためると思ったの?
罪の意識で背筋にものすごい寒気が襲ってきた上に、涙が出てきたんだけど、なんだこれ。
「…………」
フリースは沈黙している。顔を伏せながら。そして氷の巨人の手は、さらにきつくスマートフォンを握りしめて、バキバキと音を立てた後で、ゆっくりと開いた。
ごとり、と黒い塊が落下した。ぱらぱら、と軽い基盤の破片とか、画面の一部とかが絨毯に落ちた。
あれでは、もう画面はきっと暗転してしまったであろう。ヒビが入りまくっていて、もう画面がどうとかじゃなくて、もうそれ自体がゴミと化したけど。
いろいろと楽しみだった。もしかしたら前の持ち主が音楽とか映画とか残していたかもしれない。もし残されていれば、レヴィアと一緒に楽しみたかった。
それから、前の持ち主がどんな画像を撮っていたのか、だとか、これからどんな写真を撮っていこうか、とか、期待に胸を膨らませていた。
ねえ、なんで?
耐久テスト?
それとも一瞬で情緒が蒸発したの?
意味不明すぎんだろ。いい加減にしろよ。
「フリースぅ」と呼んだ俺の声は震えていた。
怒りもあった、悲しみもあった、けれども、混乱というのが心の大半を占めていた。
「…………」
フリースは沈黙を続けている。何のつもりなんだよ本当に。
「おまえ! なんでこんなことすんの! ていうか、これオトちゃんへの反逆だろ! 反逆罪だよ! 最悪だ! せっかくお礼にくれた貴重なものを一瞬で壊すとか! 人間じゃねぇ!」
俺が強い口調で言い放つと、フリースはしばらくの沈黙の後、ふぅと息を吐いて、
「今のラックにはわかんないことだけどね、あたしはいま、すっごく人間らしい行動をしたよ?」
「はぁ? んなわけねえだろ! この魔女が!」
これが失言だった。冷静さを欠いていた。
おろおろしながらも止めに入ろうとしたカウガールレヴィアを突き飛ばしたフリース。
そして、怒れる氷巨人の手が地面からの氷の塊で攻撃してきた。下から突き上げるような大きな氷の拳が俺を襲ったのだ。
と思った瞬間には、俺の身体は宙を舞っていた。
流れていく視界。俺の背中は一度壁に激突し、天井で跳ね返ると、シャンデリアに激突して、ガラスの割れる音と、やや遅れて全身がつぶれたような感覚。
「ラックさん!」レヴィアの悲鳴まじりの声が響く。
他の皆は言葉を失っていた。ひどい大惨事となった。
「あたし魔女じゃない! ラックに言われるのが何より傷つく!」
「うぐぐ……」
「一生ゆるさないから!」
この氷の大勇者様は、魔女と言われると怒るんだった。
もしもパーティメンバーじゃなかったら、今ごろ魂だけになって飛んでいっていたことだろう。
そして追撃の氷塊で全身を押しつぶされたところで、俺の視界は暗転していった。
気を失いかけているときに「グェ」という田舎ガエルみたいな声が、妙に遠くきこえた。窓の外の誰かが発した声のようだったけれど……ああ、なんだ、俺の声か。
ていうかこれ、死んだかもしれない。
一体、何がどうなってんだよ。
何がどうすれ違ったら、こんなことになるんだよ。
護衛するはずの相手に、死を想像させるほどの打撃をかましてどうすんだよ……。
【第八章につづく】