第161話 レヴィアと逢引き(8/9)
「これを見ろ!」
そう言って俺が頭上に掲げたのは、ギルド会員証であった。
俺は、ホクキオの牧場主エリザベスさんやサウスサガヤギルドの鑑定士アオイさんの計らいで、不正にギルド会員証を入手している。つまり、俺は一応、ギルド所属の冒険者ということになっているのだ。等級はそこまで高くもないが、低すぎもしない、と、そんなところだ。
その会員証が今、俺の頭上で光を反射して輝いていた。
「見ろ! 俺はラック! この町のギルドに所属する、赤銅等級の冒険者だ!」
王室親衛隊の人々はざわついた。けれども、それは「だから何だ」といった反応ばかりであった。
当然だ。冒険者だからって、脱獄を正当化できるわけがない。
考えるんだ、地下牢侵入を試みる自然な理由を。罪なき人がお咎めを受けないで済むような、脱獄の動機を。
しばらくの沈黙。そのうちに俺は閃いた。
「実は、神聖皇帝オトキヨ様より密命を受けて、この地下牢に潜入させてもらった。何故なら、このウサギ捜査員は、いかがわしい客引きをしていたわけではない! オトキヨ様の指示を受けて祭りの治安調査を行っていた覆面捜査員なのだ」
ざわつく隊員たち。中には、「あの白い服の子、たしかオトキヨ様と一緒に儀式に参加していた白日の巫女だわ。じつはその正体が、オトキヨ様が雇った捜査員だったのね」だとか、「だったら、あのバニーもそうなのか」などという声もあった。
信用されつつある。この追い風、生かさないわけにはいくまい。
「何のために捜査員を、と思う事だろう。その目的は一つ! いかがわしい客引きに引っかかる男がどれだけいるか調査していたのだ!」
その場しのぎの作り話はなおも続く。
「よく聞け下っ端ども! この事件! そもそもの非は君たち王室親衛隊にある! 君たちは知らないかもしれないが、王室親衛隊の隊員が捜査員の勧誘に引っかかったものだから、上層部はもみ消そうとしたのだ! しかし、俺たちはそれを責めるつもりはない! この何の罪もないウサギ娘に対する筋の通らない死刑さえ取り消してくれるならな!」
俺たちを囲んでいた連中は武器を構えてはいるものの、攻撃性は少なくなったように感じた。
そして不本意ながら俺はいう。
「嘘だと思うならオトキヨ様に確認してみるがいい! いや待て、いきなり本人にきくのは失礼にあたるので、側近のマイシーに鳥でもとばして連絡してみろ! あいつは俺の同志なんだ! ラックがそう言っていると言えば通じる!」
虎の威を借る狐、というやつである。
そこから数分。
一触即発。少しでも逃げようとしたり、武器を取り出すなどの怪しい動きをしようものなら、一瞬で三人仲良く仲良く串刺しにされてしまうという極限の状況が続いた。
緊張感のある長い沈黙が続く。
あまり好きな沈黙ではない。
そこに割り込むように、上空から降臨してくれたのは、銀の鎧のおねえさん。
わずか数分で大きな鳥に乗ってやって来て、草原の丘の上に着地を決めて弓兵を何人か吹き飛ばすような強い風を発生させると、そこからすぐにジャンプしてきて、俺たちを守るように立ちはだかった。頼もしい背中が見える。
「わたくしの名はマイシー。神聖皇帝オトキヨ様の側近である。いますぐ刃をおさめられよ。わたくしに逆らうことは、国家への反逆と思うがいい」
その、いつもより威厳ある一声で、剣を抜いてすらいないのに相手は一人残らず縮み上がった。すべての武器が地面に落ちていった。
「各自、持ち場に戻りなさい。反逆者を取り締まるのが貴方がたの役割のはず。率先して反逆者になってどうするのですか?」
逃げるように散っていく王室親衛隊。
ただ、その中で一人、武器も持たずに突っ立っている甲冑男が残された。
マイシーさんは、その甲冑にも目線をやって去るように促したが、そいつは一向に去ろうとはしなかった。
ああそうか、と俺は思った。ピンときた。甲冑の中身がわかったのだ。
俺に脱獄の手助けを依頼したドッグくん……じゃなかった。グッドくんが入っているのだ。きっと、いざという時は飛び出して、身を挺してエアーさんを守るつもりでいたのだろう。
そして今、エアーさんが捕まった原因を作ってしまった手前、顔を出せないでいるのだろう。
俺は、「ここは任せてください」とマイシーさんに言って、彼に歩み寄ると、肩の高さで彼に手のひらを向けた。
彼も、俺の意図に気付いて甲冑の籠手を外して、開いた手のひらを叩いたのだった。
グッドくんとハイタッチを交わしたわけである。
そうして黙ったまま彼は頭を下げ、街の方へと走り去っていった。
「ラックさん」
「なんだレヴィア」
「今のが勝利後のハイタッチというやつですね」
初めて見る輝かしいものを見たように、彼女は言った。
「ああ、脱獄成功を祝う美しき勝利のハイタッチだ。でも、まだお互いに照れがあったな。正真正銘のハイタッチは、もっとイエーイって感じだぞ。感情が爆発して、飛び跳ねるような感じだ」
「まだ上があるんですね。楽しみです」
そう言って、レヴィアはニコリと笑ったのだった。
★
マイシーさんと別れる時に、彼女は言っていた。
「別に、これで一つ貸しができた、なんて言ったりはしませんよ。一昨日は、オトキヨ様の警護のために、情報をくれて助かりましたからね。その恩返しの一つだと思ってください」
「いやいや、本当に助かったよ。命を救ってくれたんだから、やっぱりこれは借りだと思う」
「ラックさんがそう思うのでしたら、勝手にそう思っていればよいとは思いますが……それにしても、わたくしに言ってくだされば、脱獄のまねごとなどしなくても何とかなりましたのに」
「いや、面倒かけるかなと思って」
するとマイシーさんは明らかに怒りのオーラを纏った。
「逆でしょう? 何も言わずに牢に侵入したことで、むしろ面倒かけまくりです。ありえません。反省してください」
「ごめん」
と、俺が今日何度目かの謝罪を口にした時、ぼろぼろに傷ついたウサギ娘が言うのだ。
「マスターは何も悪くありません!」
この言葉に、マイシーさんは、ピクリと反応した。
「ん? マスター……ですか? ラックさん。こちらの色気あふれるバニー様とはどういったご関係で?」
「関係は、えっと、そうだな……エアーから傘を借りてたんだ。借りは返さないとな」
「もしかして、昨日、祭りの場にバニーむすめの客引きが大量発生していたのは、ラックさんのせいですか?」
マイシーさんは、眼を鋭くして、俺を見据えた。
これは……この目は……厳しい追及の目に違いない!
「なっ、なんですかそれ」
俺はとぼけてみせたが、マイシーさんは若干かぶせ気味に、
「相合傘サービスをする観光案内のことです」
「…………」
長い沈黙。
これはまた、俺の嫌いなタイプの沈黙が訪れてしまったようだぜ。
何かを言わねばと思って、考えに考えた結果、俺は知らぬふりを決め込む選択をした。
「いっ、いやぁ……知らないなぁ。マスターってやつのせい……かなぁって……」
ところが、マイシーさんは意外な言葉を口にした。
「実は、かなりの好評でして、また来年もやってほしいという要望が非常に多く集まってきております。縁結びのウサギと相合傘で祭りをめぐることができたとあって、本当に喜んだ人が大勢いたようですよ?」
なんだって……。完全に予想外なんだけども。
てっきり叱られるとばかり。
「オトキヨ様も、『粋なことをする者が、まだおったのじゃな! 考えた者には褒美をとらせたいぞ』などとおっしゃっていました。あれは久々に見る満面の笑みでしたね」
思いもよらないことが起こるもんだなぁ、人生ってやつは。
雨降って地固まるってのは、このことだろうか。
「というわけで、ラックさん。いえ、マスターとお呼びした方が良いのでしょうか? 貴方さまと、フリース様、そしてレヴィア様を、正式にオトキヨ様の宮殿にお招きいたします」
断る理由は何もなかった。ただ、一つだけ言っておかねばならないことがある。
「マスターって呼ぶのはやめてくれ。そいつは、ウサギちゃんたち専用なんだ」
★
俺はエアーさんを連れて『傘屋エアステシオン』に戻った。
店の外に従業員を集めて、エアーさんは言う。
「みんなきいて! マスターってすごいんですよぉ、皇帝様とつながりがおありなんですぅ! さすがでぇす」
すごいすごいと歓声が上がった。
「本当にありがとうございます、マスター!」
そう言ったシオンも、エアーさんを抱きしめて「よかったよかったぁ」と言いながら嬉し涙を見せてくれて、誰も死ななくて本当によかったと思う。
「マスター! 度重なるご恩は一生忘れません。この傘屋エアステシオンは、あなたのものですぅ! うちらを好きに使ってくださぁい!」
「いや、エアーさん、そんな……」
「特に、レヴィアさまとの恋物語。うちらは応援しますので! いざとなったら踏み台にするなり何なり、好きにしてくださいね」
踏み台というのが一瞬、何を言っているのかわからなかったが、きっと昔の伝説で、ウサギが離れ離れの二人を引き合わせるために繋がって橋を作ったという話がもとになっているのだろう。
要するに、どんな協力でも惜しまないという意味だと思われる。
だけど、踏み台っていうのはな……。ウサギ娘たちを踏みつけている光景を想像して、すぐにそんな想像を振り払う。
「まぁ待て、そこまでしてもらうことはないぞ。強いてお願いすることがあるなら、飯を割引で食わせてもらえたら嬉しいなってくらいだ」
「割引どころか、マスターでしたら、未来永劫、末代まで無料で結構です!」
「願ってもないぜ。エアーも、困ったことがあったら俺に言えよ。たとえば、権力のイヌなんかに言い寄られて困った時には、追い払いに来てやるから」
エアーさんは、この言葉だけで誰の事を言っているのか、わかったようだ。
「でも、あの童顔の男の子、たまたま昨日は、ステラが高跳びしてて留守だったから、うちとデートしましたけどぉ、普段はステラ推しなんですよぉ」
「え、そうなの? エアーさんひとすじだって言ってたんだけどな」
「でもでも、ステラが考えたメニューを、いつもモーニングケーキセットで頼んでますよぉ?」
「ステラさんのっていうと……」
「手羽先とごはんのやつです」とシオンさんが横から、指先で涙をぬぐいながら。
「ああ、あのケーキじゃないやつか」
二通りの可能性を思いついた。エアーさんとステラさんに同時にアタックしているのか、それともモーニング手羽先セットの考案者をエアーさんだと勘違いしているのか……どちらだろう。
たぶん後者のメニュー勘違いの方なのだろうけども、いずれにしても、俺は、ここに居ないグッドくんに、こんな言葉を残してやらねばなるまい。
「もしも、次にグッドくんが来たら、彼に伝えてくれ。『二兎を追う者は一兎をも得ず』ってな」
「はい、マスター!」とエアーさんは元気に返事をした。
だが、別のとあるウサギ女が控えめに手を挙げた。
「お言葉ですが、マスター」
「どうしたんだい、シオンくん」
「マスターも、昨日は別の女の人とデートしてましたよねぇ?」
「うぐっ」
俺の偉そうな説教は、見事にブーメランして突き刺さったのだった。
「でも俺は、レヴィアひとすじだから!」
「えー、でもでもぉ、昨日の青い彼女とのデート、かなりイイ感じだったじゃないですかぁ。人のいない廃墟に二人きりで、何しちゃってたんです? ていうか、ひとすじだっていうなら、あの人とのデートなんかオッケーしちゃダメなんじゃないですかね。ひとすじって言葉の意味、わかってます?」
やめろシオンこの野郎。レヴィアの表情がだんだん険しくなってきているじゃないか。もしも、これが切っ掛けになってレヴィアに嫌われたら、本気で怨むからな。
「どうしました? 反論があるって言うならいくらでもどうぞ、マスターさん」
「うぐぐ……」
この意地悪ウサギの煽りスキルは、こことは別の世界の大学にいた俺の後輩女子に少し似ている。煽られるのはそんなに嫌いじゃないけど、レヴィアの前ではやめていただきたい。
「ちょっと、やめなよシオン。マスターは、うちの命の恩人だよぉ? なんでいじめてるの?」
いやまぁ、自分でつけた炎を自分で消したってだけの話で、早い話がマッチポンプってやつなんだけどね。俺が傘レンタルを指示しなければ、死刑になりかけなかったわけだし。
案外、シオンは、そのことをわかってるから突っかかってくるのかもしれない。
少なくとも、俺がこしあん派だからとか、俺がモーニングケーキのメニューを馬鹿にしたからとか、そんな理由で厳しく接してくるわけではないだろう。もしも、そんな下らん理由だったとしたら、それこそ狂気にあてられてると言わざるを得ないな。
そんなわけで、一部の攻撃的な看板娘との人間関係に問題を抱えながら、俺はエアーとステラとシオンの店、『傘屋エアステシオン』の公認マスターとなった。
また近くに寄ったら来ることにしよう。