第153話 フリースとデート(4/4)
俺が土下座を敢行する前に、フリースのほうから許しが出た。
「これで、デートに集中できるね」
そこに怒りなど微塵もなかった。わかりにくい微笑みと共に放たれた言葉は、俺を深く安心させたのだった。
その後、何かデートらしいことをしようと俺たちは、大広間に横倒しになった大きな柱にのぼり、並んで座った。崩れたところからのぼれるようになっていたので、わりと楽にのぼれた。
フリースはコイトマルを取り出し、膝の上にのせると、やさしく撫でながら、得意そうな顔で俺を見た。
どういう意味の顔なのだろう。
もしかしたら、「あたしの膝でくつろぐ蟲がうらやましい?」みたいな挑発だろうか。それとも、「あなたのおかげで、こうしてコイトマルと一緒にいられる」みたいなメッセージだろうか。
よくわからなかったので、俺は黙ったまま曖昧に頷いた。
石や、樹木や、土など、色んなものに打ちつけた雨の音がよく響いて、極上の音楽のようだった。
「ラック、さっきの話の続きだけど」
「…………」
何の話だっけ、とか言ったら絶対に怒るだろうから、俺は無言を選択した。
沈黙って便利だなぁ。判断を相手にゆだねることができる。
「雨が降ったときには、この荘厳な神殿が二人のデートの場所になるはず」
どうやら、七夕と似たエルフの神話についての続きってことらしい。
しかしなあ、目に映る半壊した建物を見ると、やはり荘厳な神殿という表現はどうかと思う。
俺は好きではあるけれど、荘厳さは全くないからな。放置されて崩れかかった、いいかんじの廃墟だ。
もしかしたら、ここに座った時からフリースには、健在だったころの神殿が見えているのかもしれない。
いや待てよ。俺が見ているほうが間違いだって可能性もあるよな。偽装の紅い光は出ていないけれども、もしかしたら……いやむしろ、そうであってほしいとさえ思う。俺の曇りなき眼は他の人と見える世界が違ったりするのだから。
「…………」
俺が静かにしていたら、フリースは頷き、深く息を吐いてから、持ち前のきれいな声を出した。
「雨が、降り続ければいいと思う。一瞬たりともやまずに、ずっとずっと、降り続ければいいと思う。そうすれば女の子は、この神殿の中で暮らしていける。『――外で雨がやんでも、ここ以外に雨が降らない世界になっても、どうかこの真上だけは雨を降らし続けてください』きっと雨の日に、好きな人に連れて来られた女の子は、そんなふうに願った。でもね、そんなささやかなお願いさえ、世界は許してくれなかった」
「この神殿には、そんな悲しい昔話があるのか……」
「今のは、あたしの創作」
「え、そうなのか」
「…………」
「願いが聞き入れられないのは仕方ないよな。ずっと雨が降り続ける場所なんて、人の住む所じゃないからな」
「エルフの住める所ではあるけどね」
「ん? どういう……」
「たとえば、北のフロッグレイクにはエルフが守り続けていた水源の泉がある。でも、その根源の水は地面から湧いてくるんじゃなくて……空から降ってくる。はるか空の上から絶え間なく、ざざーってね。だから、いつもやまない雨があって、いつも消えない虹がある」
「なるほどな。ところが、女の子の恋の相手はエルフじゃなくて、そこに行ったとしても種族ちがいの彼と一緒に暮らせない……ってところか」
「……なんか、ラックに言われるとムカつく」
「…………」
返答に困った俺は、また曖昧に笑いながら沈黙を返した。
フリースは、俺の沈黙に対して不満だったようだが、すぐに諦めて、もう一度願いを口にする。
「こんな風に大雨のまま、時間が止まればいいのにな」
だけど、天の神様ってやつはフリースに厳しいみたいだ。
その絹糸のようにか細い言葉を放った途端に、俺たちを閉じ込めている雨はやんでしまった。
建物の崩れたところから、光が射しこんでくる。
彼女は、コイトマルを一旦俺にあずけると、大きな柱からジャンプして降りて、華麗に着地を決めた。
「裸足なんだから危ないぞ」
という俺の忠告には、
「誰に向かって言ってるの?」
と、ふんぞり返りながら返してきた。
「そういえば、お前は大勇者フリースだったな」
俺は、手を伸ばしてきたフリースにコイトマルを手渡すと、足元をたしかめながら、ゆっくりと、九歩くらいかけて苔むした石柱から降りたのだった。
「…………」
★
「晴れたから、違う場所に行こう。ついてきて」
俺たちは、緑のトンネルの中を歩き、最初に来た橋に戻ってきた。
あふれる木漏れ日と、ひだまり。そのほかには巨石がいくつか転がっているくらいで、何の変哲もない小さな石橋。
悪くない雰囲気ではあるけれど、特別な場所になるような場所かと言われれば、そうでもないなと首をかしげるような、普通の風景だった。
「ううむ、光を浴びた緑色がキレイだな。郷愁というのかな、グッとくる」
「無理に褒めなくてもいいよ。今はそこまでキレイな季節じゃない」
「キレイな季節?」
「春なんか、すごいんだから」
「へぇ、どうなるんだ?」
「白い花が視界いっぱいに咲いて、風が吹くとキレイに舞い散る」
「じゃあ、その時に、また来ようか」
「…………」
フリースは思いっきり目をそらして黙り込んだ。なんでだ。
俺は何を言ったら良いのやら、わからなくなり、焦って言う。
「その、別に深い意味はないんだぞ。ただ、今回のデートはたくさん邪魔が入っちゃったから、なかったことにして、また次の機会に――」
「は?」
ものすごい険しい声がした。
「え、どうしたフリース」
「ねえラック。なんで今日、ここに来たかわかる?」
「え」
「は?」
ちょっと何これ、こわいんだけど。なんか俺、すごく責められてる気がする。返答を間違えたら死にそうな気がする。何かの地雷を踏んだかもしれない。
「え、だ、だって、約束だったから、仕方なく」
「そうじゃなくて。今日じゃなきゃいけない理由は? さっき、あたし、言ったでしょう?」
「…………」
俺は黙った。そしたらフリースも黙った。
これは、これまでで最大級の心地悪い系のどす黒い沈黙だ。
「ごめん、フリース」
「何が?」
「ええと……」
それからまた、静かになってしまって、俺は必死に脳内で正解を探した。
「ヒントをあげる。デートは今日じゃなきゃいけなかった。それは何で?」
これでようやく答えに思い至った。
「あっ、今日が、その一年に一度しか会えないっていう日だったか。そういえば」
「そういえば、じゃないよ」
「ごめん」
「いいけど」
あっさり許された。なんだか逆におそろしく感じる。
そして、本日何度目かの居心地の悪くない沈黙が訪れたとき、また、雨が降り出した。ただ、今度の雨はそんなに強い雨ではなく、しかも陽射しが残ったままの天気雨だった。
今日の空模様は、ずいぶん気まぐれだ。
「また、降ってきたな」
「うん」
フリースは雨に濡れるのもお構いなしに、その場から動かなかった。だから俺は傘を差し出してやった。雨粒が傘を叩く振動が、手に伝わってくる。
さっきまで緑色の光を浴びていたので、いつもの赤より赤く見えた。
「なあ、フリース」
「なに、ラック」
「この傘って、本当に赤いのかな」
本当に赤いってのは、わかっている。これだけ近くでみれば、そのものが赤色なのか、オーラをまとっていて紅いのかは区別がつく。これは偽装されているわけじゃない。本当に赤い和傘だ。
だけど、それでも、赤よりも赤く感じたんだ。
「あたしが赤くないって言ったら、赤くなくなるの?」
「そんなことはないが」
「じゃあ赤でいいじゃん」
「そうだな」
「…………」
フリースは一度黙って、俺の顔をじっと見つめた後に、こんなことを言った。
「今の沈黙は、何色だと思う?」
「え?」
沈黙っていうと、なんとなく黒いイメージがある。でも、今のフリースの沈黙は、そんなに暗い色ではない。「沈黙は金」という言葉があるけれど、かといって今のはキラキラの金色ってわけでもない。無色透明ではなく、白ほど白くはなく、ちゃんと色がついているように感じた。
そうだな……パステルカラーの感じがした。
「桜色、とかかな」
「それどんな色?」
「白にほんのり赤を混ぜたような。そうだな……王室親衛隊の甲冑……というと少しだけ赤が濃すぎるかな……セイクリッドさんの髪の色が変化した時の色も似ているけど、あれよりも、さらに淡く儚い感じの……でも、決して真っ白くはないという……」
「あたしは、水色のつもりだった」
「そうか、はずれたな」
「…………」
でも、そこまで遠くなかったと思う。
フリースのことを以前より少しでも理解できたんだと思って、前よりも通じ合った気がして、嬉しかった。
もちろん、レヴィアのほうが好きだけどな。
★
雨があがった頃、俺たちは祭りの儀式が行われた街道に戻った。
借りていた傘を返そうと思っていたのだ。
だが、どうやら今日は傘を返すことはできないらしい。そこには白っぽい服のバニーガールズの姿はなく、出店が復活し、人も増え、活気のあるお祭りが戻っていた。
俺とフリースは、そこで少し遅めの昼ご飯を食べた。
祭りの名物、快速ウサギサンドである。ラピッドラビットサンドともいう。
「なんだこれ、うまいな!」
以前レヴィアと一緒に草原で食べたのと同じもののはずなのに、味が全然違って驚いた。
「昔よりもおいしくなってる!」とフリースも感動を隠せなかった。
それから、デザートにどら焼きのようなものも食べた。福福蓬莱茶なる高級茶を飲んだら、どら焼きのような菓子の甘みが一層引き立てられた。
祭りを満喫した。
フリースがジャンクなお菓子をまた食べ歩き、のど自慢大会をみて「あたしのほうが上手い」とか言い張ったり、若い男エルフの輩がコイトマルを見て「気持ち悪ぃな、穢れた蟲が」と言い放ったのを耳にして、氷の力でビビらせて謝らせたり。
あとは、フリースが金魚すくいに初挑戦したが、一匹もつかまらなくて、「氷漬けにしたほうがキレイ」とか言い出して、金魚すくい屋の店主である若い女性ににらまれ、焦って逃げたりした。マリーノーツにも金魚すくいなんてもんがあるんだな。転生者が持ち込んだ文化だろうか。
そして、夕飯も一緒に食べた。出店で最後の一皿分だけ売れ残っていた、やたら美味しいパスタを街道沿いのベンチに並んで半分こして食べて、オトちゃんが用意してくれた豪華な宿泊施設に帰った。
まあ豪華といっても、それはマリーノーツ基準での豪華ってだけで、現実の基準からすれば平均レベル。大したことはないんだけどな。
すごく楽しかった。
だから、明日はレヴィアと一緒に行こうと思って眠った。