第152話 フリースとデート(3/4)
相変わらず、雨が降っていた。
俺とフリースは二人、赤い和傘を広げながら雨を弾いて歩いていた。
さて、フリースとともに川沿いの道をずっと歩き、やたら立派な橋に行き着いた。馬車が何台でもすれ違えそうな、ものすごく広い橋だった。建築物自体はそう古くないが、巨大さと装飾の複雑さは職人芸を感じさせる。
周囲に巨石がごろごろ転がっていて、もしかしたら、橋とは別に何らかの遺跡でも存在したのかと思わせる雰囲気がある。
「ここは、ウサギ橋」
「ウサギ……?」
「マリーノ―ツのウサギは今は白いけど、もともとは黒かったっていう言い伝えがある」
「あぁ、あの逃げ足が滅茶苦茶はやいウサギたちか。ラピッドラビットとかいったか」
「年に一度、男と女がデートする日があるって言ったでしょう? でも、もしも雨が降ってしまったら、二人は出会えない。そんな時にウサギを使うんだけど、どういう風に使うと思う?」
突然のクイズである。
「ウサギが、空を飛んで向こう岸に渡した」
「はずれ。飛べなかった」
「ものすごい巨大なウサギで、背中を伝って向こう岸まで行った」
「そんなモンスターいない」
「すごい力の強いウサギにあえて殴られ、その衝撃で空を飛んだ」
「ウサギさんは草食系。暴力的じゃない」
「わからん。何なんだ。ウサギを使って安全に渡る方法なんて無いぞ」
「じゃあ正解を言うとね……女が向こう岸の男に会うために、ウサギをね……橋にするの」
「え、なに、どういうこと? しっぽを噛んで数珠つなぎになった可愛いウサギちゃんたちを踏みつけて進むってこと? 可哀想じゃないか?」
「まぁ、昔話の伝説だから」
「あっさりしてんなぁ。やっぱ長生きしてるとドライになるのかな」
「性格じゃないかな。だって、あたしが、『うぅ、ウサギさん可哀想』とか言いながら目を潤ませたりすると思う? 想像できる?」
「うーん、意外とありそうな気がするんだよなぁ。コイトマルのこと、すごい可愛がってるし」
「…………」
フリースは本当に沈黙が好きだなぁ。
「それで、フリース。さんざん女の足裏で踏みつけられたウサギはどうなったんだ?」
「全身の毛が白くなった」
「どうして」
「ストレスで」
「あの驚きの白さには、そんな不憫な経緯があったんだなぁ」
「うん。もしも雨だった場合は、そのウサギの上を渡ったらしい。でも、今だったら雨が降っても可哀想なことにはならない。この足元にある石のウサギ橋を使って渡ればいいからね」
「晴れた場合は、どうしてたんだ? 大昔は」
「その時は……最初に渡った小さな橋、おぼえてる?」
「なかなかいい雰囲気だったよな、並木道のなかにしっとりと架かる小さな石橋」
「晴れた時には、あの橋で落ち合うんだけど」
「いやぁ、雨でも渡れそうな橋だったぞ? 普通に高いところを渡してたし」
「それは後から作ったから。昔はもっと低いところに石橋があって、水位が上がると隠れちゃってた。というか、あえて雨の日は隠れるように作ってたみたいなんだけどね」
「それはまた、手の込んだことを……」
「ここのウサギ橋だって、今でこそちゃんと橋になってるけど、はるか昔には、ここには白いウサギだけを飼う所があって、橋すら無かったんだから」
「すると、あれかな、今、俺たちは星祭りの日に女の子が通るルートを歩いているわけか」
「空き地のところを起点とするなら、そうだね」
「じゃあ、次の目的地は、愛する男のいるところってわけか」
「正解。さすがラックだね。どっちにあると思う?」
「そりゃ七夕の配置だったら、天の河に見立てた小さな川を挟むわけだから……最初の空き地の反対側だな。川、というか、さっき言ってた並木道にある石橋を軸にした反対側だろう。西から東に流れる川だったから……南側に女で、北側に男かな」
北に男で南に女。その中間に二人が会う橋があって、この配置だと、下流にあたる東側にウサギ橋。
マリーノーツの夜空と現実の夜空が共通しているとすれば、それぞれ対応する星や星座があるのだろう。
「さすがラック。『曇りなき眼』をもつだけのことはあるね」
こんなのは知識と閃きの問題で、目はあんま関係ないけどな。
★
「フゥ、なんて立派な神殿なんだ。このような古代文明が、この地にあったとは!」
俺は大袈裟に言い放った。
「あのさ、ラック……『立派だったって思えるほどの廃墟』でしょう? 別になぐさめてくれなくてもいいよ」
実は、ここに来るまでに似たような建築物を、つい先ほども見た。上り坂の入口あたりだ。その通り過ぎてきたところには、まるで俺が一瞬だけ金持ちだった時に建てたような、これぞ石の文明って感じのローマっぽい神殿があった。
そっちは普通に立派だった。こっちの建物は健在だった形の頃がわからないくらいに半壊している。
この場所は小高い雑木林の丘になっているから、ちょっと苦労して山登りをしなきゃいけなかった。高いところに雄々しく建っていたであろう神殿を想像すると、かなりの信仰を集めていたんだろうけれども、今はもう……。
と、思った時、俺はふと、あるものに気づく。
「ちょっと待て、よく見てみろフリース。言うほどのひどさじゃない」
「どういうこと?」
「食べ物とお酒が、お供えされているぞ。祭壇らしき部分は掃除もされてる。こんな姿になっても、ここの信仰は死んでないんだ」
白っぽい陶器に入れられた液体。透明なガラスに蔽われたお菓子がいくつもある。
「え、でもぼろぼろじゃん。無理に褒めなくてもいいよ」
「そういうわけじゃない。まだ人が来てるんだ。それに、実はな、俺は、こういう雰囲気の廃墟が好きなのだ。崩れかけの神殿、苔むした石壁、容赦なく侵略する植物たち。誰か一人でも好きな人がいる以上、つまり俺が好きでいる以上、この神殿は生きている!」
「…………」
「惜しいかな、背景が青空だったらもっと俺の好みだったんだけども、雨なのは残念だ」
「…………」
フリースは沈黙を返した。
そして黙ったまま、別の柱に倒れ掛かっている柱の下を滑りくぐって、神殿の内部に向って進んでいった。
「あ、おい、フリース、いいのか、勝手に入って!」
「ラックも靴を脱いで入ってきて」
俺は赤い傘を閉じ、言われた通り、彼女の後を追った。
彼女は天井の高い大広間にいて、その中心にしゃがみこんでいた。
「ここには何があるんだ、フリース」
「これ、見て」
フリースが指さしたのは、足元にあった横並びの三つの石である。
「これは何なんだ。オリオン座の真ん中にある三つの星みたいだが」
「ん? オリオーンザーっていうのが何かわかんないけども、これが最初の空き地に置かれてた三つの石と対応するもの」
さっきは「く」の字型で、こっちは狭い間隔で一直線に並んでいる。
「男をあらわす記号ってことか」
「そうだね。ここは、男側の住居だと言われてる」
「へえ、男のほうが立派なんだな」
「女のところも立派な建物が建ってたはずだけど、木造だったし、ちょっと低いところにあったから流されちゃったみたいだね」
「残念だな」
「でも、いまさら残ってても、オトキヨにとっては迷惑な信仰だから……」
と、なにやらしんみりした感じでフリースが呟いて、俺が慰めの言葉を吐こうとした時である。またしても邪魔が入ってしまった。
「マスタァー!」
そう言いながら跳ねるようにやって来たのは、さっきのホワイトバニーガールである。声が反響してよく響いた。
「マスター! さきほどのシュマーホのお客様がしつこくて」
「スマホな」
「呼び方なんてどうでもいいですぅ! とにかく助けてぇ! 拒否しているのに追いかけてくるんですぅ!」
「ようし諦めるまで逃げ続けろ! 君ならできる!」
だんだん返答が適当になってきたと自分でも思う。
でも、さすがに今のタイミングでの割り込みは許されない。フリースとイイ感じの廃墟の雰囲気を楽しんでいたのに、邪魔ばかりしてきおって。今はギリギリ許されているものの、あんまりこういうことが重なると、フリースが怒って俺を冷凍してしまうかもしれないじゃないか。
だいたい、なんで俺がいる場所がわかるんだよ。尾行でもしてるのか。それともそういうスキルでもあるのか。
いや冷静に考えれば、悪いのはセコい俺なのかもしれない。なぜなら、金も払わず傘を借りるためだけにウサギちゃんたちをグレーな商売に巻き込んだわけだからな。
タダより高いものはないというのは、こういうことだったのか。
「マスター!」
今度は私服のウサギ女が来た。
「助けてくださぁい。『一対一しかないのか、複数の君たちとデートするのは可能か、何人までオーケーだ?』としつこくたずねてくる紳士っぽいお客さまが!」
その後ろからも、何人も列をなすかのように、次々に広間の中を走ってくる。
はっきり言わせてもらおう。もはや面倒くさい。俺には荷が重かったんだ。
「よくきけ! きみたちは自由だ! 免許皆伝だ! 自分たちの判断で動くべし! 以上!」
俺の声が、神殿の広間に響き渡った。
「ちょ、どういうことですかぁ、マスター!」
「どうもこうもない。俺はマスターを降りる!」
そしたら色んな服を着たウサミミ女たちは次々に、
「なっ! マスター! 見捨てないでくださぁい! マスター!」
「助けてぇ、マスター!」
「お願ぁい、マスター!」
「マスター、ご指示を!」
などと言って、うるうるした瞳を見せつけてくる。
フリースは、逆に冷たい目をしている。
「ねぇ、こいつら、うるさくない? 全員冷凍して出荷して良い?」
「やめてくれ。素直でいい子たちなんだ」
そしたらまた一人、必死に駆け込んできた女の子がいた。俺が最初に声をかけた女の子が、白っぽいバニー服のまま走ってきたようだ。
「マスター! 朗報ぉう! 売上金額が目標に達しましたぁ! カップル誕生数も目標の数を大幅に上回っていまぁす!」
そしたら、俺の答えなど待たずに勝手に大歓声があがった。
やったぁ、やったね、と言い合いながらぴょんぴょんしてる。
「これで、うちら全員クビにならずに済みまぁす! ありがとうございましたぁ!」
報告に来たウサギ娘は俺に頭を下げ、そしてみんなの方に向き直り、続けて、拳をあげながら呼びかける。
「みんなぁ! せっかくだから稼げるだけ稼いでいこぅ!」
「はぁい!」
ウサギ女たちは次々にキャッキャと抱き合って勝利を祝福すると、みんなで手を取り合って、わらわらと走り去っていった。
「…………」
残された俺の隣にはフリースが無言で立っている。
振り返るのが、とてもこわい。