第142話 黄色の波(1/2)
さすが牽引スキルを持った人間が引いているグレードの高い車である。全く不快な気分を感じることなく進んだ。
フリースは沈黙しながら流れる景色を感慨深そうに眺めていたし、レヴィアは旅の疲れからか、ぐっすり眠り込んでいた。
なんだか、レヴィアは最近、眠っている時間が長くなったな。まるで猫みたいだ。俺としては、レヴィアと話をすることが少なくなって、なんだか寂しい。
外を眺めていると、街道を抜ける時には、沿道の人々がぽつぽつと、座り込んで頭を下げており、まるで自分が偉い人間になったと錯覚する。
なんでそんな拝まれる立場になってるかっていうと、俺たちが乗せてもらっているハイグレード人力車は、祭りに向かう短い行列の一部だったからだ。
出会った時と行列の形は少し変わったが、普通じゃない厳重な警備であることに変わりはない。
白銀の甲冑男二人が先導し、多くの、十人以上の黒い服の女性たちが後に続き、その後ろに、牽引される大きな人力車。横にはマイシーさんが馬に乗って並走し、一番うしろを固めるのも甲冑の男二人である。
「ずいぶんと厳重ですよね」
と、俺はオトちゃんに向かって言った。
「…………」
まるでフリースのような沈黙を返してきた。
これは要するに、あれだ、敬語じゃないことに対する抗議の沈黙である。
「ずいぶん厳重だなぁ、この行列」
と言いなおすと、すぐさまオトちゃん皇帝は答えた。
「そうか? これでも本当に信頼できる者たち少数しか連れておらぬぞ。以前は、もっと大勢を動員した荘厳な列じゃった」
「へえ、なんで縮小したの。オトちゃんの威光が薄れたとかそういうの?」
「ええい、首を斬られにくる発言はやめい。親しきなかにも何とやら、じゃぞ」
「そんな言葉、よく知ってるなぁ」
「マイシーが色々教えてくれるのでな。何と言ったか……KO学じゃったか」
「いやノックアウトしてどうする。たぶん、帝王学じゃないか?」
そんな俺の発言に、人力車の外から反応があった。
「その通りです、ラックさん」と馬上からマイシーさん。
「そうじゃった、そうじゃった。テーオーガクってやつじゃ。やはりマイシーは物知りじゃ」
どうやらマイシーさんは家庭教師の役目もこなしているらしかった。
それはともかく、話を戻そう。どうもこの皇帝側近コンビとの会話は、誰かがうまいこと仕切らないと、あちこちに飛び回り、収拾がつかなくなりそうだからな。
「それで、オトちゃん。昔はもっと立派だった行列が縮小されたってのは、どういう事情なんだ?」
すると、オトちゃんが答える前に、マイシーさんが口を挟んできた。
「オトキヨ様は何も悪くありません。ただ、実は数年前に、祭りに向かっている行列の中に大勢のテロリストが紛れ込んでおりまして……なんとか撃退したものの、その事件以来、オトキヨ様は『わしは祭りに行きとうない! 襲われるのはイヤじゃ!』と塞ぎこんでしまわれていたのです」
「あぁ、そりゃあなぁ……」
「今年の祭りにも参加を渋っていたのですが……」
「おう、それだ。何でまた、今回は参加する気になったんだ?」
「カナノ地区あたりの情勢に変化が見られたからです」
「というと?」
「市街地に攻め込もうと虎視眈々で、いろいろ難癖をつけてくる飢えた逆賊たちがいたのですが、その者たちがおとなしくなったという情報を聞いて、今がチャンスと手を叩いたわたくしが強制連行した次第です」
カナノの逆賊といえば、ティーアさんたちの賊軍のことである。それを大人しくさせたのは、俺たちなのだが、まあ今はそんなことよりも、言わねばならないことがある。
「オトちゃん、きみは引きこもりだったのかい。親近感わくなぁ」
「ちがうわい! 首を斬られたいか、ラック!」
「安心しろ、俺もホクキオにひきこもってたんだぜ!」
親指を立ててやったが、オトちゃんは「うぐぐぐ」と言いながら、怒りやら恥ずかしさやらを我慢している様子だった。
「それにしてもオトちゃん。賊に襲われた時、マイシーさんがいたはずだよな。そんなに危険な目に遭ったのか?」
すると、マイシーさんが、こう返してきた。
「傷一つつかないうちに退治しましたが、そのときの人数がですね、オトキヨ様にとってはインパクトが強かったみたいですよ。行列の半数以上が、いきなり黄色い服の反乱軍に大変身で、オトキヨ様を取り囲みましたから」
黄色い服の賊って、あれかな、『三国志演義』とかに出てくる、黄巾賊みたいなものかな。そういう戦記物に影響された賊がオトちゃんの命を狙っているということだろうか。
「そいつら、『蒼天已に死す!』とか叫んでなかった?」
「いえ、ちょっと違う感じでしたね。『われら汚水をせき止める堤防なり!』とか言ってたと思います」
似たようなもんかなという印象を受ける。
なるほど、思い返してみれば、さっき岩を落としていったと思われる賊が身に着けていたのも黄色い服だった。そういう反乱組織の一派があるのかもしれない。
「災難だったな、オトちゃん」
しかしオトちゃんは呼びかけを無視した。
度重なる情けない皇帝エピソードの紹介に、すっかりへそを曲げて黙り込んでしまった。子供っぽいオトちゃん。見かけはオトナな感じであるので、そのギャップがかえって可愛らしく見えてきた。
曇りなき眼を持つ俺が言うのだから間違いない。オトちゃんは可愛い系だ。
黙っている神聖皇帝のかわりにマイシーさんが話を続ける。
「そういえば、あのとき賊に囲まれたのも、この辺りで……」
と、言ったきり、マイシーさんも黙り込んでしまった。
「ん、どうしたんですか、マイシーさん」
返事がない。どうしたのだろう。
外で何かが起きたなら、ずっと外を見ていたフリースが気付いているはずだ、と思った。ところが、フリースはフードからコイトマルくんを引っ張り出して、じゃれ合って遊んでいた。
それを見たオトちゃんは、やっと口を開き、
「お、フリース。かわいい子を連れておるのう。うまそうなイトムシじゃ」
その言葉に、フリースは尋常ならざる冷気を発散させて無言の威嚇をした。
「ふはは! そう怒るなって、冗談じゃ」
――皇帝を処刑する時が来るなんてね。
「む? なんじゃ? やるのか? わしは構わぬぞ、どこからでもかかってくるがいい。わしへの攻撃が届く前に、マイシーのスーパースキルで色んな技を叩きこまれてしまうがよい!」
――あの子じゃ、あたしには勝てないよ。
「やってみなければわからぬじゃろう。マイシーもここ数年で加速度的に力をつけておるからの。フリースも魔力の使い過ぎで疲労がものすごーく溜まっておるようじゃし、案外、良い勝負になるやもしれぬ」
――はぁ? そこまで言うなら、やってやろうじゃん。
――あんな若造と一緒にされて黙ってらんないもんね。
黙っていられないという割には、さっきから氷文字で会話していて、黙りっぱなしなんだけど、そこにツッコミ入れていいものかどうか。
「ふん、たまにはこうした余興もよかろう」
その時、ちょうどオトちゃんの考えを察したかのように車が停止した。
「さすがわしの部下じゃ。わしの意図を余すところなく汲みよるわい。さいわい、このあたりはウサギ飛びかう草原じゃ。さあマイシー! 模擬戦闘の準備をせい! フリースが平たい胸を貸してくれるそうじゃぞ!」
――平たいだぁ?
ああ、ここにいる誰よりも平たく見えるけれどもな。
レヴィアは、あれでけっこう胸あるし、マイシーさんも大きい。オトちゃんもオトナモードだからゆったりした服の上からわかるくらいに出るとこ出てるし。
「おい、マイシー、きこえぬのか? マイシー……?」
返事がない。
「マイシーさん? おーい、マイシーさーん」
俺が呼びかけても反応がない。
外の様子がとても気になる。
嫌な予感がしているのは俺だけだろうか。外の景色をのぞいてみると、相変わらず草原が広がっているばかりだけれど、なにか違和感がある。なんだか時間が止まったみたいで、静かすぎる。あまりにも不審だ。
「おかしい。みんなは、ちょっと待っててくれ。俺がちょっと見てくる」
そんな風に声を掛け、銀の鎧美女の名を呼びながら外に出る。そして車の外、地面に足をついたところ……。
「のわっ!」
爆発音、金属のぶつかる甲高い音。急に騒がしくなった世界。突然飛んできた物体に、俺は目をつぶらされた。
再び目を開いた時、そこにあったのは、ヴィーンと羽音のような音を立てながら小刻みに震える矢の先端と、それを掴む女の銀の籠手。
一体、何が起きているというのか。
女は矢を投げる。矢はものすごい勢いで飛んでいき、黄色い服の弓兵を一人倒した。
だけど、敵の兵士は百人……いや二百人以上いるように見える。
「ラックさん、足手まといですので外に出ないでください。それと、みなさんにも決して外に出ないように言ってください」
「一応、俺だけが行くって言ってきたから、しばらくは出てこないと思うが……何が起きてるってんだ」
「敵襲です。わたくしが車を守る結界を張りましたので、外からの干渉ができないよう遮断されているはずです。中からは自由に出ることができますが、決して結界の外に出てはいけません。まぁラックさんはもう半分以上でちゃってますけど」
「結界?」
「ええ、この技は八重垣流防御術、垣」
「ん? 八重垣流って、八雲丸さんが使ってた……」
「あの御方の剣術とは暖簾ちがいの流派らしいのですが、ラックさんの言うとおり、確かにこれは、かなり昔にマスター八雲丸の師匠筋の方が使っていたのを真似たものです。わたくしが使うと不完全ですので、はやく車の中へ」
どういう仕組みの技なのだろう。
車の外に出てきたら急にやかましくなり、空中をたゆたう薄膜の外では戦闘が繰り広げられている。
戦いはお世辞にも優勢とは言えなかった。
黄色い服を着た軍勢が数をたよりに攻撃を仕掛け続け、味方もろとも撃ちぬくような矢の雨を降らせている。
土砂降りの矢たちから身を守ろうと黒い服の女たちが障壁を張ったり、さまざまな攻撃魔法で応戦するが、じわじわ押され戦線の崩壊は時間の問題のように思えた。
大きな人力車の中にいる時には外の音が全て消えていたのに、襲撃中の本当の世界はこんなにも激しいことになっている。
「おい、大丈夫かいマイシーさん、フリースを呼んできていいか?」
「フリース様を? いえ、客人をこの程度の戦いに引っ張り出すなど、側近のプライドが許しませんので、わたくしが対処します」
「でも、どう見たって苦戦しているようにしか……」
「本当に大丈夫ですから。オトキヨ様にも言わないで下さい。こわがって帰りたがってしまいますので」
なるほど、それで前触れもなく返事がなくなったわけか。逆に心配になって外に出る展開になる気もするけれども、とにかく、池の水みたいにすぐに波立つ繊細な皇帝を心配させないために、マイシーさんは俺たちに内緒で戦っていたのだ。
「なら、俺がやるべきことは一つだな」
俺は車の中に戻って伝えよう。オトちゃんもフリースも落ち着いてくれ、ケンカは中止だ、外は全く大丈夫、見えている通り、何でもない草原が広がっているばかりだってな。
「ラックさん、ご心配には及びません。敵も少しだけ粘るでしょうが、次にお呼びした時には、あらかた片付いた後です。本当に大丈夫。わたくしは掃除も得意なのですよ」
「ああ、じゃあ、ここは任せたぜ。俺はみんなに出てこないように言ってきてやる」
カッコつけた口調で言い放ち、俺は車の中に戻ろうと思った。
思ったのだがなんと、見えない壁にガードされて帰れなかった。
「え、なにこれ」