第135話 ネコババガーディアン
ザイデンシュトラーゼン城に来て、一番よかったと思うのは、呪いがさっぱり解けたこと。それは当然として、二番目に良かったと思うのが、スキルの向上である。
ここにくる前の『曇りなき眼』は、偽装かそうでないかを見破るだけの能力だった。偽装されたものが紅く光って見えるというものである。
だが、今の俺は、宝物に宿る神性のごときものを見分けることができるようになった。
俺の目で見て黄金の光が強いものほど希少で高価だってわけではない。
けれど、市場の需要と供給に左右されない真の価値ってやつを、俺の目は見出すことができるのだ。
というわけで、宝物が星のように散らばる薄暗い宝物庫で、俺は腕組をしながらウンウン唸っていた。
なんというか、「もらいすぎかな」とか「いや、あのくらいもらう権利はあるだろう。香木とレヴィアのやつ以外、俺の『曇りなき眼』では光っていなかったくらいだ」とか「いや、でもなぁ」とか言いながら迷っていたのだ。
すでに手を加えて形を変えてしまったものやプレゼントしたものがある以上は、もう悩んでもしかたないのだけれど、もしかしたら、自分自身に悩んでいる姿を見せつけることで、罪の意識を軽減したかったのかもしれない。なんとも小賢しい精神安定法である。
「さて、と……」
落ち着いて気持ちを切り替えたところで、人の気配を感じた。
振り返ってみれば、そこには薄着の上にヒョウ柄の上着を羽織ったアンジュさんがいた。様子を見に来たようだ。
「ラック、欲しいものは手に入ったかい?」
「ええ。本当にありがとうございます。いつかまじで返しますからね」
「あはは、ラックは本当に真面目だねぇ」
「アンジュさんも、根は真面目ですよね」
「そりゃそうさ。山賊時代とは違うんだ。あいつらを真っ当に生きさせたいし、あたし自身も宝物庫のものを売っちゃったからね。せめてここを守っていく責任がある」
全然完璧ではないけれど、考え方としては真面目だ。そんなアンジュさんを一言でいえば、
「これからのアンジュさんは、最高に優しい『宝物庫の守護者』ですね」
「ありがたいね。そう言ってもらえて、あたしも頑張ってる甲斐があったよ」
そう言って笑った彼女は、これからも宝物の守り手として活躍していくことになる。
もう世のため人のために役に立っているのなら、山賊時代のアンジュさんのせいでひどい目にあったって話は、誰にも言わないことにしよう。
「本当、いい人になっててくれて嬉しいです」
「でもね、ラック。さっきのは一つだけ訂正だ」
「え? 訂正?」
「これからは、ただの守護者じゃなくなろうと思う」
「ん? どういうことです?」
「あたしはさ、調律守護者アンジュとして、ザイデンシュトラーゼンを守っていこうと思ってる」
「んん……? 調律……って……新しいスキル……でもアンジュさんはレベルが上がりにくいくらいの高レベルで……って、まさか!」
「そのまさかよ。いやあ、調律に来てたおばあちゃんの跡を本格的に継ごうかなって思ってね」
「それで、アイテムでスキルリセットを……?」
「えへへ、宝物庫にあったからさ、スキルリセットアイテム使っちゃった。世界樹のナントカ、だっけね」
使っちゃった、とか軽いノリすぎる!
スキルリセットアイテムだぞ。それは、超がつくほどの激レアアイテムなんだぞ。悪の組織の偽ハタアリおじいちゃんですら入手の困難さを嘆いていたレベルだ。
唯一大勇者まなかさんだけ、軽いノリで使ってるのを見たことがあるけど。
あのアヌマーマ峠でのまなかさんは、俺に絵を描いてくれるためだけにスキルリセットしてくれたんだったか……まなかさんは、どれだけレアアイテム持ってるんだろう。あの頃は何とも思わなかったけど、旅に出た今になって、あの大勇者樣の異常性を思い知らされる。
「アンジュさん、一つ、言っていいですか?」
「なんだいラック、言ってみな」
「そういうの、横領っていうんですよ」
自分を棚に上げて、俺は言い放った。
ネコ科肉食獣の柄をした服を着てるからって、ネコババはよくない。
しかしアンジュさんは俺の言葉をスルーして、
「それでさラック、頼みがあるんだが……宝物庫にあるたくさんのモノをちゃんと鑑定してくれない? 価値をわかった上で、守っていきたいんだ」
「ネコババガーディアンさんのお願いだからな、どうしようかなぁ」
「いやいや、過去のことはもう仕方ないじゃん。今を生きて、未来に向かおうよラック」
「まあ、いいですけど、報酬はくださいよ?」
「わかった、宝物庫のお宝を使ったことは誰にも黙っといてやる」
「ひっでぇ……」
「しょうがないでしょ、お金ないもん」
鑑定の仕事が舞い込んだ。報酬ナシでな。
★
アンジュさんは俺の好きだった人に似ているから、良心の許す限りで協力したいと思うのだ。
「それにしても、価格調査か……俺の力だけじゃ無理だな」
俺の目は、モノの真価は見えるが、今のところ市場価値まではわからない。
そこで俺は、ギルド鑑定士のアオイさんに鳥を飛ばし、フリースに翻訳してもらった宝物リストをもとに価格調査を依頼した。
さらに、ネオジュークで活動するバンダナ商人にも鳥を飛ばして同じ調査を依頼した。
三日後、二人のプロフェッショナルからかえってきた結果は、アオイさんのほうはホクキオで使われてるナミー基準で、バンダナのほうはカナノ地区で使われているハーツ基準での価格を提示してきた。計算してみると、ほぼ同じくらいの査定額。いずれにしても、価格表記がえらいことになっていて、長い数字列がビッシリ書き込まれていた。
正直、これを見せてアンジュさんが正気を保っていられるか心配だ。だって俺たちは、このリストに書き込まれた桁違いの財宝たちを好き放題にしまくったのだから。
黄金の宝物を溶かし、最高級香木を削り取って燃やし、アンジュさんなんかは勝手に布を切り刻んで売り払うなんてこともやっている。
「いやぁ、まあでも、包み隠さず見せるしかないよな」
アンジュさんを探して歩き回ること数分。彼女は自分の部屋のベランダで一服しているところだった。今日は上着を着ていないので、褐色の肌面積がかなり広くてグッとくる。
タバコがわりの木の棒を口にくわえながら景色をながめている露出好きの巨乳おねえさんに後ろから声を掛けた。
「うん? なぁに?」
その優しげな甘い声と振り返る姿が、はるか昔に好きだった人と重なってしまって、ドキッとした。
だけど、今の俺にはレヴィアがいるからな。どんなにドキドキしたって、所詮はドキドキどまりである。
「アンジュさん。結果が出ましたよ」
「あん? 何の?」
「ほら、このあいだ言っていた、宝物リストの査定額ですよ」
「あぁ、もうできたの? さすがだねぇラック」
俺は大して何もやってない。実際に完成させたのはアオイさんとバンダナである。だから俺は、人間ができているフリをして、
「いやぁ、俺の友人が頑張ってくれたんですよ」
などと控えめを気取ってみる。
アンジュさんは、宝物の価格がビッシリ並んだクリーム色の紙をつまみ取ると、俺が清書した文字列に目を落とすや否や、目を見開いた。
「んんッ?」
顔やら肩やら腕から、汗がだらだら流れだした。瞳が上下左右にゆらいで、まぶたを閉じたり開いたりしている。くわえていた木の棒もカシャンと落ちた。
「え、は? なにこれ? スキルリセットアイテムって、こんな高いの?」
かすれた声である。
「そりゃ、『世界樹の樹液』はそうそう溜まるもんじゃないらしいっすよ」
「先に言えよな……」
今度は消え入りそうな声だった。
俺は何とか彼女を元気づけようとフォローしてみる。
「でも、アンジュさん。ギルドや商会の価格設定も、時々おかしいのがありますよ。黄金オーラの強弱でいったら、間違いなく高いだろうって品が、あり得ないほど安く設定されてたりしますから」
「そうなのか」
とはいえ、それは流通量とか、需要と供給のバランスとか、代替品の有無とかの要素によって価格の変動があるってだけかもしれないけどな。
とりあえず、このままにしておいたら彼女の心が砕け散ってしまうかもしれないから、重ねてフォローを入れとこう。
「とにかく、アンジュさんが失わせた宝物の価値は、たぶん、きっと、その表の通りではないと思います」
「そ、そうか」
ここで少し安心してくれたようなのだが、次の瞬間には、別の気になる品を見つけたようだ。
「ちょ、ちょ、ちょ、待って待って……ねえ待って。これ……これさ……あたしがザクザクに切り刻んで売り払ったやつ、あの琵琶カバー。あれトンデモナイ値段じゃん! ナミー金貨ウン億枚とか! 億って! ねえ億って……」
要するに、それってのは、値段が付かないっていう意味である。誰も買えやしないほどの価値なのだ。
それきりしばらく沈黙し、重苦しい沈黙を破ったのは、アンジュさんだった。
「ねえラック、あたし本当にネコババガーディアンだったんだね……」
泣きそうな声だった。呟くような声だった。
すげー落ち込んでる。ショックで顔が青白くなってしまった。
「あたしってば、元山賊で、今はネコババガーディアン……あー、どうしようもねー」
「今を生きて、未来に向かいましょうよ、アンジュさん」
笑ってはいけないと思いながらもニヤニヤしながら俺は言った。数日前にアンジュさんが言った言葉をそっくりそのまま。
「どうやって返したらいいのよ、こんなお宝……」
なんというかね、場違いかもしれないけれど、俺は、こんなアンジュさんの姿を見て嬉しくなった。別に、かつて自分をだました人間が落ち込んでるのを「ざまあ」と思っているわけではない。むしろ、昔好きだった人に似ている女性が、自分と同じような立場になってくれたのが嬉しかったのだ。すなわち――、
「これで借金仲間ですね、アンジュさん」
「やめろぉ!」
耳を塞いでしゃがみ込んでしまった。
かくして、共犯関係の俺たちは、晴れて互いの罪を握り合ったわけだ。