第12話 ゆきずりの冒険者(9/10)
「取り返したかったら、あたしに勝ってみな!」
アンジュさんは、ナイフに手をかけたかと思ったら、すぐにそれを抜いて切りつけてきた。
刃渡りは十センチくらいだ。あんなので刺されたら絶対に痛い。
「ひっ」
なんとか避けたけれども、すぐさまもう片方のナイフが向かってきた。
食事するときと同じで、ナイフ二刀流が彼女のスタイルのようだ。隙の少ないナイフさばきは見事だった。
それに対して、俺ときたら武器も持たずにスキルもなく、レベルも低い。この年上の女に勝てる要素は一つもない。
「ほらほらどうした、反撃してこないのかい?」
次々に襲う銀色に煌めくナイフ。反撃に出られない。
テーブルに並べられていた食器が落ちる。積まれていたタバコの箱がばらばら落ちる。木箱が落ちて、小銭がばらまかれる。
できない。野蛮な山賊行為に及んだ悪人だからって、年上の女の人を殴ることは絶対にできない。……というのも心のどこかにはあると思う。言い訳っぽいけど、俺はアンジュさんを殴りたくない。
いや、でも、やっぱりそもそも、それ以前に、単純にアンジュさんがとても強い。本当にもう、なすすべがない。
防戦一方で、ついに壁際に追い詰められた。
年上の女に激しい壁ドンされた。
顔の横の岩肌に、野蛮にナイフが突き立てられている。
息がかかるくらいのところに顔を近づけたアンジュさんは、悪者そのものの顔で威圧的に声を出す。
「なぁ、織原久遠くん。あたしが、なんで転生者狩りなんてことをして今まで生きてこられたか、わかるかい?」
「さ、さあ……」
「決まってるだろ、そのくらい強いからさ。『マリーノーツ』は現実とは違うんだ、レベル差が物を言う世界。性別や筋肉量が強さを決めるんじゃない。レベルとスキルとステータスだよ。あんたみたいな、駆け出してもいない冒険者とあたしとじゃ、絶望的すぎる差がある。たかが三日か四日では埋められないような差がね」
「くっ……」
悔しくて奥歯を噛む。だからといって急に力が上がるわけではなかった。
ああ、何故、人間は争わなければならないのだろう。
紛争の九割はすれ違いや勘違いから起こるというのが俺の考えだ。だが、このアンジュさんの起こした事件は、明らかに一方的に過ちを犯した人がいて、それを裁くための戦いだ。どこをどう考えても正義は我にあり。
我にあり、なのだが……。
俺は力に屈した。
「おやぁ? よく見たら、あんた良い服を着てるじゃないか。あんたが着てる鬼の服さ、そいつはけっこうレアでね、べらぼうに高く売れるんだよね。誰にもらったか知らないけど、そいつを脱ぎな」
「ハイ、すみませんでした。脱ぎまぁす」
自分の持ち物を取り返すこともできず、彼女を山賊生活から救うこともできず、二度目の身ぐるみはがしを経験することになった。
虎柄のツナギを脱がされ、パンツ一枚で正座する。
心から強くなりたいと願う。両手を握りしめ、祈りをささげる。祈りや願いだけでは強くなれないことは知っている。きっと誰だって知っている。
でも、絶望的に埋められない差をどうにかするには、もう神頼みしかないじゃないか。
アンジュさんはそんな全力のお祈りポーズを気に留めることもなく、山賊らしいぶっきらぼうな口調で言うのだ。
「この鬼の服に免じて、今回は許してやるよ。だけどな、あたしのこと、誰かに喋ったら今度こそ命はないからな」
「はい」
俺はがっくりと肩を落とすしかなかった。
まったく本当に俺は、一人じゃ何もできないんだな。
★
アンジュさんは、俺から奪い取った鬼の服だとか、アイテムポーチの中身だとかを一通り鑑定した。
「うーん、どうも鑑定できないアイテムばかりだねぇ。この『謎の草』と『謎の角』ってのは、てんで正体がわからない。どうもあたしの鑑定レベルが足りないみたいだ」
ていうか服を脱がされて奪われたばかりか、全部の荷物を差し出させられているのだが、これは一体、どうしたことだろう。
すべて俺がザコなのが悪いとは思うけれど、それにしても無慈悲すぎる。
ちょっとは転生したての俺に優しくしてくれてもいいものを。
どうして年上の女ってやつは俺に苦痛を与えてくるのだろう。
何の試練なんだこれは。
「さてと」
アンジュさんは呟き、立ち上がった。
「どこかに行くんですか?」
「あんたはここに居なさい。逃げてギルドに通報されたら面倒だから」
手に折りたたんだ虎柄の服を持っているということは、近くの防具屋にでも売りに行くのだろうか。
「通報なんて、そんなことしませんよ」
俺が言うと、アンジュさんは、まるで俺から視線をそらすように、背を向けた。
「どうかな。そう言ったやつの八割は、みんなあたしのこと通報したよ。人間ってのは嘘つきだからな」
人間不信のようだ。だからといって、山賊をやっていい理由にはならない。
「アンジュさんは、どうして山賊なんてやってるんですか?」
そしたら彼女は、俺に背を向けたまま言うのだ。まるで自嘲したような声色で、
「当たり前だろ、金もうけになる」
なんとなく嘘っぽい空気があるように思えた。気のせいだろうか。俺がアンジュさんのことが好きすぎて目や耳が腐り果ててるだけなのだろうか。
「お金を手にして、何になるんです?」
「ごらんの通り、自由で良い暮らしができる」
「何か理由があるんじゃないですか? 転生者なのに山賊をするなんて、きっと普通じゃないです。俺はアンジュさんを信じたい。本当はアンジュさんは良い人なんだって思いたいんですよ」
きっと、好きだった人に似ている人が悪者であることが許せないんだ。俺の自分勝手な押し付けだ。アンジュさんがいい人だと思うことで、俺を振った好きだった人を許そうとしているんだ。
ひゅん、とナイフが飛んできた。ナイフは俺の膝のすぐ近くの床に刺さった。薄い刃物の小刻みな振動が脚に伝わってくる。
「決めた!」とアンジュさん。
「何を……ですか?」おそるおそるきいてみる。
「お前、むかつくから奴隷として売り飛ばすことにした」
「――なっ」
「おら、こっちにこい、絶対に逃げられないように縛ってやる」
「ちょ、え、うそでしょ、やめて!」
アンジュさんは俺の腕を乱暴に引っ張って椅子に座らせ、手を椅子に縛り付けた。足も椅子の足に固定された。
ここまで人間としての尊厳を奪われたのは生まれて初めてだ。
「しばらくそこで待ってろ。お前の服を売り飛ばすついでに、奴隷商人にも話をつけてきてやるからな! いい持ち主に買われるといいな!」
舌打ちをしながら、彼女の姿が岩壁の向こうに消えた。年上の女の逆鱗に触れてしまったらしい。
「アンジュさん……」
俺は、彼女の名を呟いて、彼女を見送るしかなかった。