第112話 ザイデンシュトラーゼン城(6/11)
「さてと、そいじゃ宝物庫に行きますか」
裸同然のいつもの山賊服の上にヒョウの毛皮でできた服を羽織った姿で、アンジュさんは歩き出した。
俺も、彼女にくっついていく。
「アンジュさん、その服」
「こ、これは盗品じゃないよ。あたしがハイエンジの服屋で買ったやつ」
「まだ何も言ってないんですけど……カッコイイですねって言おうとしただけで」
「そうかな?」
嬉しそうにその場で二度か三度クルクル回転してみせた。
その言い方とか、身体をしならせての回り方とか、ヒョウ柄が好きなところとか、俺が現実世界で好きだった年上の人にとてもよく似ていたけれど、今の俺にはもうレヴィアがいる。
ときめきそうな心をおさえよう。
「それで、宝物庫っていうのはどうやって行くんですか?」
「宝物庫は建物の上にくっついてる構造になってる。上に続く螺旋状の坂道があってね、その終点が宝物庫の入口」
「なるほど」
二人、歩みを進める。
ちなみに、ボーラさんは置いてきた。なんでも、「もっと大勇者まなかの絵画を研究したい!」のだという。アンジュさんは、「それなら下の階に彼女が使ってたアトリエがあるから勝手に見て良いよ」と言い残し、それから二人、宝物庫に向かったというわけだ。
つるつる輝く幅広い廊下を歩いていくと、やがて小さな鉄の扉が見えてきた。
「あれが、登り坂への入口ですか」
「そう。扉の向こうの螺旋を登り切った先が、この建物の八階。宝物庫の一階になる」
アンジュさんが扉を開けて中に入った。
天井も床も壁も、星を散らしたみたいに、あちこちほのかに光っていて、なんだか幻想的だった。
真ん中に太い支柱があって、その周囲を坂道が巻いている螺旋スロープである。支柱と螺旋の間に隙間は無い。
こんな坂を滑り降りたりしたら楽しそうだけど、螺旋状だから目が回りそうだなと思った。
さて、アンジュさんの先導で坂道をゆっくりのぼっていったわけだが、はじめは軽快にのぼっていけたのに、最上階近くになったところで、
「ひゃぁ!」
とか言いながら、城主のアンジュさんのお尻が落ちてきた。
「え?」
とか言ってる間に、ボディにヒップアタックをくらい、俺だけごろごろと転がり落ち、やがて後頭部を壁にぶつけてようやく止まった。
傾斜が急になったわけじゃないってのに、一体何があったんだ。家主のアンジュさんが避けられないトラップが仕掛けられていたとでもいうのだろうか。
「いたたたー……」
「な、何事ですかー、アンジュさん!」
「氷だ、ラック、氷が張ってつるッつるになってる!」
「氷ぃ?」
よくよく観察してみると、スロープと壁、それから支柱も、薄い氷が張られているのがわかった。
進もうとしても滑って進めないようにされているのだ。
氷といえば犯人に心当たりがある。ていうか、ひとりしかいない。
「フリース! おい! いるんだろ? 返事しろ。どういうつもりだ?」
俺はアンジュさんの隣に並んで、上に向かって声を張った。
すると、スロープを滑って文字が流れてきた。
知らない単語で読めない。
「アンジュさん、これ何て書いてあるんです?」
「日本語で言うと、なんだろう、『色狂い』とかかね」
あんまりピンとこない単語だ。
「もう少しわかりやすく言うと?」
「エロエロクソ野郎みたいな意味」
「ご、誤解だ!」
俺が大声で主張したところ、上からレヴィアの声がした。
「うそつき! 最低! 近付くな! 子づくりしてたくせに!」
フリースの氷を待たずして、場が一気に凍り付いた。
俺もアンジュさんも顔面蒼白である。
「な、何言ってんだ。は? 子づくり? やってない、やってないはずだ。な、アンジュさん」
「た、たぶん……」
やめろ、ちがう。自信なさげに呟くんじゃない。ここは正々堂々と否定するところだろう。
とはいえ、俺にも記憶がなく、起きた時には俺はパンツ一枚だったし、アンジュさんは素っ裸だったわけだから、そういう可能性はゼロではない、と言えなくもないような気がしないでもない。
いくら絵描きのボーラさんが「そういうことはしてなかったわよ」と証言したとして、ボーラさんが一部始終を見ていたってのは、誰が証明してくれるのだろう。
性犯罪の冤罪っていうのはこうして出来上がるものなのかもしれない。やってないことの証明はかくも難しい!
レヴィアの声が降り注ぐ。
「だって、だって……裸で抱きしめ合ったら、もう赤ちゃんできちゃうんでしょう!」
「え、できないだろ、それだけじゃ」
と、俺は眉間にしわを寄せて言ったが、アンジュさんが、
「確かにこの世界では抱きしめ合うだけでデキちゃうけど、今のあたしとラックじゃできないよ」
「え? そうなの? 抱きしめ合うだけで子供できるの?」
「条件があるけどね。婚姻契約してて、なおかつパーティーメンバーである二人が、一緒に呪文を唱えて抱きしめ合うと子供できるよ」
「そうなのか……」
「でも契約も呪文もナシで抱き合っただけなら絶対大丈夫だから」
「だってさ。抱き合うだけで赤ちゃんは誤解だってこった。フリース、教えてやれ」
しかし、今度は俺にも読める氷文字が坂をシュルルルと流れてきた。
――問題のすりかえ。
――抱きしめられて喜んでたのは事実。
――これは控えめに言ってギルティ。
「記憶にない! だから喜んでない! むしろあの柔らかそうな胸に抱かれてたのを思い出せなくて残念だ! いいから坂の氷を解除してくれ」
――解除するわけないでしょ。
――ていうか何?
――さっきから全然反省の色が見えないんだけど。
――まずは「ごめんなさい」でしょ?
冷たい文字が次々に流れてくる。
考えてみると、フリースの言葉はもっともだ。身に覚えはないけれど、レヴィアに誤解させるような状況を見せて不安にさせてしまったのは事実。ここは真剣に謝ろう。
「レヴィア、ごめん。ごめんなさい」
ところが、これにはレヴィアが、
「謝るってことは、やましい気持ちがあったんですね! 一晩中抱き合うとか最低です! 浮気者!」
もう、どうしろってんだよ。
謝れって言われて謝ったらレヴィアが怒るし、
――なんでレヴィアだけに謝罪?
――あたしには?
フリースの怒り文字もヒートアップしてくるし、アンジュさんはダンマリを決め込んでしまうし、もう収拾がつかないにも程がある。
こうなったら、玉砕覚悟で突っ込むしかない。
「アンジュさん、ちょっと耳を貸してください」
「ん、なんだい?」
耳を傾けてきたアンジュさんの耳元で、俺は囁く。
「頼みがあります。俺の背中を思い切り押してくれませんか?」
「え? どういうつもりだい?」
「アンジュさんの元山賊パワーで押されれば、上まで滑って上がれるはずです。声の感じからするに、そんなに長い距離じゃないと思うし」
「炎魔法とかで溶かせばよくない? あたし実はかなり得意だよ、炎系の呪文」
「フリースの本気の氷が、そう簡単に普通の炎で溶けるとは思えません。もしも溶けたとしても、溶かされたことに腹を立ててさらに強い氷を張ってきます。そういう子供っぽいヤツなんですよ」
「そういうことなら……いくぞッ、ラック!」
「はい、お願いします!」
アンジュさんは俺の背中を、思い切り蹴飛ばした。
「かはぁ!」
勢いをつけられて吹っ飛んだ俺は、両足で氷をとらえ、見事に滑り昇っていく。
遠心力で壁に肩を押し付けられながら、そのまま上にいくと、二周か三周したあたりで、青と白の女の子が見えた。
片方は白い帽子と白い服。もう片方は、白銀の輝く髪にゆったりした青い服を羽織っている。いつものレヴィアと、いつものフリースだ。
「レヴィア、よく聞けぇ!」
「え、え?」戸惑うレヴィア。
「俺が好きなのは、レヴィア! お前だけだァ!」
そして思い切り抱きしめてやろうとした。
アンジュと抱き合ったことに怒っているなら、レヴィアとそれ以上に激しく、愛情深く抱き合えばいいと思ったんだ。それこそもう、子供が出来ちゃうくらいに。
「うぉおおおおお! レヴィアァ!」
これでもかってくらいに両手を広げて、白い女の子に突っ込んでいく。
「ひゃぁ」
とか言いながら、レヴィアが跳んで避けた。
「えぇえええっ!?」
止まれず、方向転換もできない俺は、
「うわああああああああああああ!」
そのまま壁に激突した。
悪のフリースは悪い笑顔を浮かべながら、空中に氷の文字を書く。
――ざまみろ。
この氷のクソ魔女が……。
そして、俺の顔面に氷文字が降って来て、また俺の意識は闇に吸い込まれていった。