第11話 ゆきずりの冒険者(8/10)
モコモコヤギとの戦いを終えた後、アヌマーマ峠のてっぺんにのぼった時、俺はようやく景色を見渡す余裕ができた。
まなかさんと並んで世界を見渡す。
「ラック、どうよ、この絶景。美しいでしょ、マリーノーツの景色は」
「水と緑にあふれるキレイな世界ですね」
「ほら、あっちに見えるのが北の森林と、大樹の町フロッグレイク」
風に吹かれた彼女が指さした先を見ると、手前には沼地があり、いくつかの河がそこから何本も伸びているのがぼんやりと見えた。この世界の北側は、この世界の水源そのもののようだった。その奥に、鬱蒼とした深緑の森が広がっている。森の中心には豊かに枝を広げた大樹が見えた。大樹のそばには雨雲があって、虹が掛かっていた。
きれいだ。あの樹の根本にまで行ってみたい。旅に出たくなる景色だった。
さらに、東を向けば、今度はたくさんの建造物とそこに鎮座する一基の巨大漆黒ピラミッド。まるで黒い富士山のような威容でそこにあった。
南にはいくつかの建物と砂漠地帯。荒れ地が地平線まで広がっている。
西には草原が広がり、その奥にどこまでも広がっていて果てがないような海がある。
つまり、ホクキオから西には、草と海しかない。『マリーノーツ』の起点にして終点の地が、ホクキオというわけだ。
峠から西側の麓を見下ろすと、そこに石畳のまちが見えた。オレンジ色の三角屋根がいくつも並んでいるのが、ホクキオの町らしい。思ったよりちゃんとした市街地だった。
さっき、うっかり「未開で野蛮だ」とか口を滑らせたけど、それは撤回しておきたい。立派な建物のある世界だ。文明がないところに美しい町も巨大建造物も生まれない。
「どう、ラック? 旅に出たくなった?」
「ええ」俺は力強く頷いた。「この景色を見て旅に出ない転生者はいませんよ」
「だよね」
彼女はまた、向日葵のように笑ったのだった。
★
ホクキオとは反対側の東側には、サウスサガヤの市街地がある。ホクキオからサウスサガヤに行くには、なにもこの峠を越える必要はない。峠越えが必要なのは、関所を通れない日陰者とか、お忍びで移動する身分の高い貴族とか、そういう特殊な場合に限られるという話だ。
普通は、石畳の街道を使うという。俺がパンツ一枚で放置されていた道だ。
ふと、山道を歩きながらそのパンイチ街道を見下ろしていると、二頭立ての馬車が走っているのが見えた。がらがらとかすかな音がきこえてくる。
「まなかさん。あの馬車って一日どのくらい通るんですか?」
「一日に一回かな」
「えっ、たったの一回ですか? 少なすぎません?」
「そうだね。あの道を使えば簡単に行き来できるから、昔は、もっと多かったんだけど、このへんに山賊が出るって噂が広まってから大幅に本数が減ったみたいだよ。実際には山賊が出ないことが多くても、噂だけでもうダメだったね」
なるほど山賊アンジュのせいというわけか。つくづく迷惑な人だ。このままにしてはおけない。
絶対に彼女を懲らしめなくてはならない。心を鬼にしよう。ちょうど鬼っぽい虎柄の服を着てることだし。
「さ、着いたよ。引っ越してなければ、ここがアンジュの住処」
階段状になっている地面を数段降りたところに、洞窟があった。
「なるほど。洞窟住みとはワイルドですね。では、俺はここで待ってますので」
そしたら年上のまなかさんは明らかに怒りモード。冷たい声でいうのだ。
「あ? わたしに取り返してこいって?」
「だって、俺は女の人と本気で戦える気がしないんです」
さっきの心を鬼にするという決意はどこへやら、我ながら優柔不断の豆腐メンタルで、自分で自分が嫌になる。
「ふぅん、ラックは優しいんだねぇ。――なんて言うと思う?」
ほほえみから一転、冷たい瞳で射抜かれる。
「そもそもですね、本当にここにいるんですか? まなかさんが以前に来たときには、ここに住んでたんでしょうけど、引っ越したりしてないですか? だいたいにして、もう俺のスマホを売るために外に出ていて留守なんじゃないですか?」
「かもね。もういない可能性もゼロじゃない。でも、この世界ではインターネットなんて使えないからね。ギルドに見つかりにくい闇ルートで物を売るっていうことは、買い手が商品にたどり着くための情報を手に入れるにも時間がかかるから、取引も慎重にならざるをえない。この世界での商談は簡単には進展しない。闇取引き連絡用の鳥が戻ってくるまでの間には最低でも一週間くらいはかかるからね」
なるほど、連絡用の鳥がいるとなると、その鳥が自分のところに戻ってくるように教育するためには、けっこうな手間と時間がかかるはずだ。
だいたいにして転生者狩りを生業としているなら、転生者が初めに送られてくる場所の近くにある住処を簡単に手放すことは考えにくいってわけか。
だから、同じ場所に定住していると思われるってわけだ。
「でも、やっぱ悪いことをしてるわけですから、住む場所を転々としてる可能性とかゼロじゃない気がしないでも……」
「いいから行ってきなよ。手掛かりくらいはあるでしょ」
まなかさんは言って、どこからか取り出した火のついた松明を俺に向けて差し出してくる。
俺は、ハイといって松明を受け取るしかなかった。
「わ、わかりましたよ。行ってきますよ」
「転生者同士の紛争は、当事者同士が何とかするもんだよ」
その声を背中で受けて、俺は歩き出す。
行きたくない気持ちでいっぱいだ。
真っ暗な洞窟に足を踏み入れる。松明を手に、しばらく進む。
洞窟内の道は蛇行していて、ヘビの体内を進んでいるようだった。
ふと道の先から、ぱらぱらぱらと紙束をめくるような軽快な音と、女性の鼻歌がきこえてきた。
岩陰に隠れながら、中の様子をうかがう。
健康的な褐色の肌。口にはタバコをくわえていた。
アンジュさんだ。
手には見たことない紙幣の札束が握られている。その紙幣をパラパラとめくりながら、お金を数えているアンジュさん。
「織原久遠か」
彼女の口が俺の名前を呼んだので、思わずビクッとする。もしや侵入がバレたのかと心臓の鼓動が早くなる。だけども、どうやら俺の気配に気づいたとか、そういう雰囲気ではなかった。
「若いわりに、けっこう金持ってたな。服と学生証もけっこうな値段で売れたよ。犬みたいで、けっこうかわいい男の子だったね。タバコ持ってなかったのは残念だったけど、感謝感謝っと」
誰かに語るわけではない。独り言だ。
「あとはこの機械だけども……」
アンジュさんは呟きながら、俺のスマートフォンを取り出した。頭の部分を親指と中指で掴んで、裏返して眺めたりした後、言うのだ。
「いっやー、見たこともない不思議な機械だから、これは高く売れるなぁ。売る相手を選べば、億の値がつくかも」
「お、億っ?」
俺は桁違いの金額を聞いて、思わず声を上げてしまった。
「誰だ!」
当然、見つかる。
「あ、えっと、あのう……」
そう呟きながら顔を出すと、アンジュさんはびっくりしていた。
「織原久遠……何で、ここがわかった?」
「ええと、人に教えてもらって」
「サガヤギルドの連中か。まったくしつこい奴らだ。何度追い払っても嫌がらせをしてきやがる」
教えてくれたのはサガヤギルドではないし、悪いことをやって追われているのだから、嫌がらせというわけでもないだろう。ここは、勇気を出して、ハッキリ言ってやらねばなるまい。
「いやそれは、山賊やってるアンジュさんが悪いっていうか……」
「あぁ? 何それ」
「す、すいません」
正しいことを言ったはずなのに、威圧されて思わず謝ってしまった。このままではいけない。なんとか強気に出なくては。
「俺の持ち物を返してもらえませんか?」
「ないよ。もう売っちゃったし」
「じゃあせめて、その手に持ってるスマートフォンだけでも」
「ん? ああ、この機械はスマートフォンって呼ぶのかい。ま、返してやらないこともないけど、条件があるね」
「何ですか……」
「あたしに勝てたら、あたしが持ってるもの、全部くれてやるよ!」
アンジュさんの腰からナイフが抜かれた。