第104話 ナンバンの遺跡へ(2/4)
「なんだい、さわがしいね」
そう言いながら廃墟二階にあるむき出しの窓から首を出したのは、女性らしき顔だった。
その人の目の下のクマだとか、不健康そうな青白い顔に、俺は見覚えがあった。
俺が「ボーラさん?」と呟いたのと同じタイミングで、盗賊が「きさまは、ハニノカオ・シラベール!」とか言った。
俺は、「え」と呟かざるを得ない。
どういうことなのだろう。シラベールという名前ということは、ホクキオ自警団の白銀甲冑クテシマタ・シラベールさんや、王室親衛隊の薄紅甲冑サカラウーノ・シラベールさんと血縁なのだろうか。だけど、俺が知っているこの人は、別の名前だったはずだ。
ハイエンジで会った漆黒の絵描き、ボーラ・コットンウォーカーさんのはず。今も黒い服で黒い帽子かぶってるし。
「きさまは……! なぜここに!」
そんな盗賊リーダーの問いに、ボーラさんは答える。
「なぜもなにも、ここが自宅だからよ」
うわ、廃墟が自宅とか、なんとなく芸術的だ。さすが絵描きなだけのことはある。
と、そんなわけのわからないことを考えていたら、ボーラさんと視線が合った。
「ん? あんた、レヴィアの連れの……。何やってんの? じゃれ合うのはいいけど、あんたの近くにはレヴィアがいるんだから、友達は選びなさいよ」
「いや、襲われてんですよ! 助けてください」
「なっさけない。一緒にいる女の子ひとりも守れないなんて、レヴィアと旅する資格なんかあるのかね」
年上の女が言葉でざくざくと刺してくる。俺は言い返す。
「そうは言いますけどね、ここで助けてくれなかったら、レヴィアだって無事じゃ済みませんよ! そうなっちゃってもいいんですか!」
ボーラさんはレヴィアを欲しがっていたわけだから、自分としてはあまりに情けなくて悔しいけれども、超かっこわるいけども、この人になんとかしてもらうしかない。そう思った。
ボーラさんは、「しょうがない男だよ」と溜息まじりに言って、一度首を引っ込めた。
数秒して首を出したボーラさんは、暴漢たちに紙を見せつけて言う。
「おいこっちみなよ、スキルであんたら全員の似顔絵書いたから見てほしいんだけど、似てるかな?」
盗賊どもは次々に叫ぶ。
「うへぇ! すげえ! まるで生き写しだァ!」
「あれは! この辺りに住み着いてるやべえ女!
「激レア記者スキル、マインドモンタージュを持つ女だ!」
「やっべぇ、オレらが新聞に載っちまうゥ!」
下っ端たちが言って、敵の多くが後ずさり、まずはレヴィアが解放された。
「どうするんだ?」とボーラさんが追い打ちをかける。「一発でもそこのザコ男を殴ったら、この似顔絵を世界中に配ってやるけど」
「やべえっすよ! やべえっすよ! さすがにマリーノーツ新聞で大規模指名手配なんかされたら、おれらの立場がなくなります」
その手下の声を受けて、俺に乗っかっている男は、
「クソッ、オレらの獲物を横取りかよ、ちくしょうが!」
そう叫んで立ち上がると、俺の顔面に向って砂を蹴りかけてから走り去っていった。
「こんど会ったらただじゃおかねえぞ!」
とかいう野蛮な捨て台詞を残して。
かくして、この盗賊どもの襲撃は終わりを告げた。俺もレヴィアも無事で済んだ。
「ボーラさん! ありがとうございます!」と俺。
しかし、あっさり無視され、ボーラさんは白い女の子に手を振りながら、言うのだ。
「おーいレヴィア、狭くて汚い家だけど、ちょっと上がっていくか?」
★
ボーラさんのアトリエといった感じだった。
一階部分に足を踏み入れると、すぐに強烈な絵の具のにおいを感じた。天井の高いひろびろとした廃墟で、石壁の崩れたところから陽の光が射しこんできている。
その光が瓦礫のガラス片にあたって反射し、俺の目を攻撃した。まぶしい。
よく見てみると、この廃墟全体が、まるで戦場の建物のように散らかっている。これでもかってくらい散らかっている。瓦礫まみれで、描きかけの絵画がいくつか放置されていて、アオイさんの古文書ワンルームを思わず思い出してしまった。
面積が広いぶん、この廃墟のほうがマシであるけれど、この人とアオイさんと一緒に三人でルームシェアするとしたら地獄だな、なんてことを思った。
「さあ、すわって」
絵の具がまだらについた丸木の椅子だったので、俺は少しためらったけれど、レヴィアはあっさりピョコンと座った。
俺もそれを見てすぐに座ったが、絵の具は乾いていたようで、特に問題ないようだ。
「ああ、レヴィアァ、いいよぉ」ボーラさんは恍惚の表情。「もう一度モデルになってくれないかなぁ」
そこで、すかさず俺が、「今はちょっと……先を急ぐので」などと以前のようにマネージャー感を出して言ってみたのだが、以前のように無視された。
「なあ、いいだろう、レヴィア。描かせておくれよ」
すると、なんとレヴィアがモデルをやりたそうにこちらを見ている。
しかし、俺は首を横に振ってノーを表現した。
残念そうに唇を尖らせながら、レヴィアは俺の無言の指示に従った。この世の終わりみたいな顔をしながら彼女は言う。
「申し訳ありませんけど、先を急ぐので、またこんどに……」
「ん?」ボーラさんは眉間にしわ寄せ。「先を急ぐって、レヴィアはどこに行こうとしてるんだ? てか、冷静に考えたら、こんな危険地帯のナンバン地区を護衛無しで歩くなんて、尋常じゃないんだけど」
「実はですね、呪いを解くアイテムを探してまして」
「ザイデンシュトラーゼン城に行くのかい?」
「ザイデンシュトラーゼン! 何ですそのカッコイイ名前の城!」俺は一気に大興奮した。
「こっから南西で、まがりなりにも城っぽいところといったらあの場所しかないね。案内してほしければ、もう一度レヴィアを描かせてもらいたい」
案内人はレヴィアだけで十分、と言いたいところだが、レヴィアが案内人として機能したことはただの一度もないので、案内してもらえるなら非常にありがたいと思わざるをえない。
その対価が絵を描いてもらうことだとするなら、そんなものは二つ返事でオーケーしてもいいくらいだ。
とはいえ、素直にお願いするのも負けたようで非常にシャクである。そこで俺は言ってやるのだ。
「ボーラさん、レヴィアを描いてもらうには、条件があります」
と、俺が言った瞬間に、間髪をいれずに「それは?」ときき返された。
俺も前から決めてあったかのように即答する。
「俺とレヴィアが二人で並んでいる絵を描いてもらいた――」
「お安い御用さ」
若干かぶせぎみ即答してきた。
「でもこの前みたいな仏頂面の絵はナシっすよ。幸せな雰囲気の絵。それが描けないってんなら、二度とレヴィアをモデルにさせるわけにはいかない!」
「そんなの楽勝さ。ちょっと待ってな」
ボーラさんが机に白い紙を置くと、真剣な表情で鉛筆を握った。急に空気が張りつめた。
紙の上に世界が創造される音色が響く。
★
「これですよ! これ! これが俺の求めていた絵だぁ!」
俺とレヴィアが並んで二人。レヴィアはいつもの白い服を着ていて、俺もレヴィアと釣り合うような綺麗な紺色の服を着ていた。
それは、もはや絵画スキルを究めた人の絵だった。一見すると雑なようでいて、しかし、その雑さやボヤケた感じなどが全て計算されつくしていて、絵を眺めている俺を幸せな気分にさせてくれた。
「ボーラさん、やればできるじゃないですか!」
「ひどく失礼な男だね。あたしを誰だと思ってんだい」
「そういえば、ボーラさんって何者なんですか? さっき盗賊が、シラベールさんがどうとかって呼んでましたけど」
「うーむ、秘密なんだけど、バレちゃあしょうがない。オリハラクオン、絶対に内緒にしてほしいんだが、実は、あたしの本当の名前は、ボーラ・コットンウォーカーじゃないんだ。そいつは絵描きの時に名乗る仮の名前でね」
「じゃあ、本当の名前は……」
「そう、ハニノカオ・シラベールってのが、あたしの本名さ」
「じゃあ、クテシマタさんや、サカラウーノさんとは、兄妹ってことですか?」
「きょうだいか……。あまり仲良くないから認めたくないけども、血縁上はそうだね」
と、そのとき俺は思い出した。いつぞや、俺の指名手配を伝える新聞において、ものすごく不細工な似顔絵が描かれていた。俺とは似ても似つかないクソみたいな似顔絵だった。その時の似顔絵作者が、精神聞込読取術なるスキルを持った人間だった。名前もシラベールだった気がする。
「ボーラさんの裏の顔って、もしかして、新聞記者とかだったり?」
「へぇすごい。よくわかったね。あんたも、あたしと同じ隠れ新聞記者になれるんじゃない?」
そんな隠れキリシタンみたいな言い方しなくても。
「ていうか、なれませんって。自分の書いたものがニュースになって、不特定多数の人生を左右してしまうなんて……そんな覚悟はありませんし」
「ふぅん、もっと気楽に考えていいと思うけどね」
「いやそういうわけにもいかないだろ、俺みたいな無責任人間は新聞記者になんぞなっちゃいけないです」
「お気楽に記者やってるあたしが無責任だってこと?」
「いえ、決してそういうことではなく……」
「ま、何と言われても仕方ないね。あたしは覚悟とか責任とか考えもしなかったし。あくまで金稼ぎのための副業だよ。知ってると思うけど、絵ってお金かかるから」
「ここに住んでるのも取材のために?」
「そんなところね。そろそろカナノあたりで戦が起きそうだったからさ、スクープを狙ってたんだけど、誰かさんが止めたよね。それはそれで面白い話だけど、エリザベス義姉さんの要望でオリハラクオンの正体を秘密にしなきゃいけないから、記事にもできなくて、どうしてくれんのって感じ」
「あぁ、それで納得しました! 三つ編みのベスさんと親戚関係で繋がってたんですね! ベスさんの依頼で、あえて似顔絵を醜悪に書いて、ばれないようにしてくれたってことですか」
しかしボーラさんは、激しく眉間にしわを寄せた。
「はぁ? 違うね。ゴミみたいなあんたの隣にレヴィアがいるのが気に入らなくて、嫉妬しただけさ」
「えっ……」
「だから、自分で描いといてなんだけど、今さっきあんたに渡したその幸せそうな絵もね。今すぐビリビリに破り去ってやりたい」
「いやいや……」
俺が急いで絵をしまい込もうとしたところ、尋常じゃない寒気を感じた。
精神的にも、物理的にも鋭い冷気が俺を襲っている。
別にボーラさんやレヴィアが何かしようとしてるわけじゃない。
魔女と呼ばれても仕方ないようなヤバい目つきで、修羅の如きオーラをまとっているのは、むこうで眠ってたはずの女の子。
ちょっと忘れかけていた青い服の女の子。
すなわち、フリースである。