第100話 フリースの秘密(3/4)
――どうしたの?
夢が終わってすぐ、目を開いた俺をのぞきこむフリースが書いた文字。そいつが落っこちてきて、痛くて冷たくて、俺は本格的に覚醒した。
「いてて、おい、痛いって」
――あたしのヒザまくら、うれしくない?
そう書かれた文字もゴツゴツ落ちてきて、うれしくないわけないけど、めちゃくちゃ痛い。
実はドSなんじゃないかと疑いたい。
それにしても、これがフリースのひざまくらか。後頭部の感触は柔らかいけれど、ひんやり冷たい。
とても静かになった。風もやみ、動物の声もないから、二人の呼吸の音がよく響いていた。
「……なあフリース」
フリースは返事をしなかった。夢できいた澄んだ美しい声をきかせてはくれなかった。
「フリースとアリアって、どういう関係なんだ?」
「え?」
思わずフリースが声をもらした。すぐに口元をおさえた。
「いや、膝まくらしてもらったからか、さっきフリースが出てくる夢を見ていたんだけども、途中で終ってしまってなぁ。アリアの名前が出た瞬間にスイッチが切られたみたいに暗転したから、続きが気になったんだけども……」
――どんな夢?
ちょっと動揺したように揺らいだ大きな氷塊文字が頭の上に降って、俺は「うぉあ」と口にしながら回避した。
これにて膝まくらタイムが終わってしまった。ざんねんだ。
二人、座ったまま向き合って話す。
「えっとなぁ……幼いフリースがカナノの地を追われ、純血エルフに追い出され、ちょっと成長した後に沼地に住んだらそこが焼かれ、大勇者になって魔王撃退ってところまでは見た」
しばし無言の沈黙の後、不快そうに深いため息を吐き、フリースは文字を生み出す。
――レヴィアのしわざね。
「え? レヴィア? いや、レヴィアは夢には出てこなかったけどな」
――夢スキルの一つ。見せたい夢を見せるスキルでしょ? そのなかでも比較的低ランクの、過去の事実を見せるスキル。だから、ラックが見たっていう夢は、たぶん全部実際に起きた事だよ。
「ちょ、待ってくれ。そんなスキルを持ってるなんて、レヴィアはひとことも言ってないぞ」
――でしょうね。あの子、うそつきだから。
「あぁ、まぁ……」
そんなスキルがあるって話はそれとなく聞いたことがあったが、まさか身近に所持している子がいたとは。
――で、ラックは、あたしのことを知った結果、どうしようっていうの?
「いや、なんていうかな……さっきの夢でのフリースは、すごく悲惨で、俺が泣きたくなったくらいだけれど、それでもまだフリースの声は出てたからさ……。以前、秘密を教えてくれるって言ってたけど、もしかしたら、声を出せなくなった原因も、その辺にあるんじゃないかって」
――出せるよ?
――でも、出したら不愉快な気分になる。
――ついさっき、うっかり声出しちゃったから、今まさに不快な思いをしてる。
何が変わったのだろう。特にフリースの様子から変わった様子は見受けられない。相変わらずの白銀の髪で、青い衣を着て、平然としているように見える。
フリースは、おもむろに青い衣の内側から小瓶を取り出すと、自分の手のひらに黒っぽい粉末を振り落とし、飲みこんだ。
「今のは、薬みたいなものか? 呪いを無効化するために?」
――そう。ラックは実際に見えないとわかんないだろうから。
その粉末は、スパイラルホーンの粒であろう。百八の呪いに効くというアイテムだ。
「そろそろ説明してくれ。フリース、お前が受けてる呪いってのは、何なんだ?」
――何度も言っているでしょう? 声を出してはいけない呪い。
「出せない、じゃなくて、出してはいけない、なんだよな」
そして彼女は語り出した。
本当に語り出した。
自分の声で語り出した。
空中に書く文字ではない。覚悟を決めた彼女の口から、吐息まじりの澄んだ声が、月面みたいに荒れ果てた静かな荒野に心地よく響いた。
穏やかに軽やかに、夢のなかで聞いた、機織りのリズムのように。
「あたしが呪われた話なんて、そんなに面白い話じゃないけどね――」
★
本当に、そんなに複雑な話じゃなくてね、あたしが呪われたのは、アリアという女のせいなの。
知ってるかもしれないけど、あたしが大勇者として活躍してたのは、本来だったらおかしなことだった。
だって、大勇者っていうのは、本来、「魔王を倒しても消えない特別な転生者」のことだったから。さいしょからこの世界の住人だったあたしは、大勇者としては珍し過ぎる存在だったってこと。
それでも、あたしは自分の力は大勇者にも引けを取らない優れたものだと思っていたし、周りからも認められていると思っていた。
大勇者アリアが来るまではね。
ご存知の通り、あたしもアリアも、氷の使い手なんだけど……知ってるよね?
あたしは自分の内部から氷を生み出すタイプで、アリアは周囲にある魔力を氷に変換する能力を持っていた。お互いに補い合える良い関係になれると思ってたんだけどね、そんなのは最初だけだった。
あたしとしては、いいコンビになりたかったんだけどさ、アリアのライバル意識が強すぎたんだ。
「キャラがかぶってる」とか言われた時は、こいつどうしてやろうかと思ったよ。
いい先輩でいたくて我慢してたけど、「あたし一人で良くない?」とか言われた時には、正直イラっときてしまってね、先輩として生意気な新人に立場をわからせてやろうと思ったの。
ちょっと、こて調べに氷の矢を撃ったら、相手も弾いてから反撃してきてね。
反省するどころか、「あんだよ、やんのか?」とかってすごまれちゃって。
そこで引いたら、先輩としての面目も立たないと思ったあたしは、ちょっと強い攻撃を出したの。あまりの可愛げのなさに、頭にきちゃってね。
全然本気じゃなかったけど、アリアはけっこうダメージ受けてた。
「はっ、今のが本気だっての? 全然ヨユーなんですけど! やっぱ、氷使いはあたし一人で十分だわ」
明らかな強がりだって思ったけど、さらに冷気をあげて攻撃を加えてみた。
「まだまだァ、全然あたしには効かないっての」
「いい加減にして。アリア、負けを認めなさいよ」
あたしはそう言ったのだけれど、厳氷のアリアの真骨頂はここからだった。
「そろそろ、エンジンかかってきたところなんだから」
強がりが滑稽だと思ったけれど、アリアの言葉は嘘ではなかった。
あたしが挑発されて撃ちまくった氷魔法によって、周囲に魔力が充満しててね、反撃の強烈な氷魔法があたしを襲った。氷のハンマーが落ちてきた。
でも、あたしには氷攻撃に対する耐性がある。
「そんなッ、効かない?」ってアリアが驚いた。
「そろそろわかったでしょう? あなたの実力なんて、まだまだそんなもの。今はまだ、レベルが低いんだから背伸びしないことね」
きまったと思った。大勇者の先輩として存在感を示せたと思った。でも、アリアはプライドが高い女だった。
「負けてない! まだ負けてない!」
アリアは奥の手を出した。自分を中心にした広範囲の魔力を槍の形に整形し、力を一点に集中する形にした。
けっこうな魔力が集まってしまっていたから、あたしは分厚い氷の壁をつくって、それを防いだ。
その時に生み出した魔力もアリアに取り込まれ、氷の力に変換され、前よりも大きな槍になった。
あたしが魔力を使って氷を生み出し、その氷を取り込むかたちでアリアは次々に槍を作る。
だんだん攻撃が大規模になっていき、それを防ぐためにあたしの盾も大きく分厚くなっていった。
そんなことを繰り返すうちに、真夏だったはずなのに雪が降り始めた。
あたしも、アリアも、後に引けなくなって、倍々で重たくなっていく我慢比べをしているうちに……王宮が、凍りついちゃった。
それどころか、後になって、あたしたちのせいでマリーノーツ全体が寒冷化してしまって、冷害による大凶作が起きるとかいう、最悪の結果になったことを知った。
まなかが再々転生で割り込んでくるのがあと少し遅くなってたら、冗談ぬきに世界が滅ぶところだったね。
軽く思い知らせてやるつもりが、大変なことになってしまって、あたしは反省した。だけど、反省を見せただけでは罰が足りないというので、大勇者の地位を降ろされたうえ、処罰されることになった。ネオジュークから東側一帯の開拓をさせられることになった。
今の王宮の関連施設が連なってるあたりは、あたしが開拓したエリア。氷の力が使えるから、そこまで苦にならなかった。けれど、ずっとイライラしながら作業してたから、あんまり丁寧じゃないかも。坂とか谷が多くなっちゃってね。今にして思うとちょっと後悔。
それでね、アリアに何のお咎めもなかったのは本当に納得がいかなかったけど、あたしが先に仕掛けたわけだし、アリアは新人だったわけだし、妥当なところだったのかなと今では納得してる。
もちろん、その時は全然納得なんかできやしなかったけど、
まなかが大勇者に推薦してくれたのに、世界を凍らせる事件を起こしてやめさせられるなんて、まなかに申し訳ないって思った。
まなかは、気にしなくていいよと言ってくれたけど、気になるものは気になるんだ。
あたしは塞ぎ込んだ。
しかも、大勇者を降ろされるだけ済めば、まだよかったんだけどね、ここからが……その……あたしが呪われた話。
あたしは、エルフの議会があるフロッグレイクに呼び出された。エルフの首長が行方不明になったあとに、大魔王を追い出す戦いがあって、少し疲弊していた頃のビフロストの森に。
大樹をくりぬいて作られた木のぬくもりあふれる会議室は、サークル状に机が並べられ、その中央にあたしは立たされた。まるで見せしめか、裁きの場か、いけにえの祭壇かと思ったよ。
純血を気取るエルフの長老たちは、あたしを罵った。
「エルフの面汚しめ。混血はこれだから」
「母親の血も穢れていたものな。エルフの血が半分も流れていない。たった四分の一だ。だからこうなる」
「おぬしには穢れた沼地がお似合いじゃ。魔女め」
沼地への追放と、魔女の烙印。
理不尽だと思った。
どうしてあたしだけが、と思った。
さらに、ビフロストの長老たちは、あたしに呪いをかけた。
エルフ族に伝わる最悪の呪い。魔法の詠唱ができないように、声を出したらさ、こんな風に、呪いの生き物があたしの身体から生まれるようになってる。
そういう、最低の呪い。
そんでもって、最低ついでに、もう一つ。
あいつらは、あたしの耳を、普通の人間の耳に見えるようにさせた。
あたしの耳に、高レベルの偽装を施した。
簡単に見破れないように、エルフ族で一番の偽装スキルの持ち主が、あたしの耳を見えなくさせて、あたしの誇りを奪ったんだ。
「これにて封印が施された」
「二度とエルフを名乗るな、面汚しの魔女が」
「魔女と同じ血が流れていると思うと実に気持ちが悪い。極刑にならなかっただけでもありがたく思え」
「魔女が」
「魔女め」
だからね、魔女と呼ばれるのは大嫌い。この時のことを思い出すから本当に嫌なの。
ただ、それだけの話。
どう、つまんない話でしょ?
……まあ、ラックなら、そういう顔になっちゃうよね。なんとなく予想はしてたよ。
でも、あたしは大丈夫だよ。
だって、父は人間だったけれど、いろんな種族が入り混じっていたカナノの地で暮らしていける優しさとか愛とかを持った人だったし……。
そして、母はハーフエルフだったけれど、純血エルフたちに何か言われても、ひたすら自分に出来ることをやって必死に生き抜こうとしてきた。
あたしには、そういう優しい血が流れているんだから。
つまりね、あたしは、ハーフエルフの母と人間の父との間に生まれた、エルフのクォーター。
母から受け継いだ耳は誇りだった。父は「母親に似てかわいい」といつも優しく撫でてくれた。
もう誰も、あたしの自慢の耳を見てくれないものだと思っていた。
もう誰も、あたしの声をちゃんときいてくれないと思っていた。
だから、あなたにあたしの声を褒めてもらえたのが、もう死んでもいいと思えるくらいに嬉しかった。
だから、あなたがあたしの本当の耳を優しくさわってくれたとき、急にだったからビックリだったし、立ってられないくらい、くすぐったかったけど、泣きたいくらいに嬉しかった。
その時点で呪いなんて解けたようなものだって思ったけど、現実は甘くないみたいだね。
……ほらね、知りたがりのラックのせいで、またこの場所が呪われちゃった。