◆063. 婚約?
父の悩みを聞いてから、二週間ほど過ぎた。
父が早めに帰ってきた。夕食をとるために、食堂に集まっていた。
父と私は席についていた。黒羽も隼人の手伝いを済ませ、父の隣の席についた。隼人はシチューを配膳してくれていた。
「話せた。ありがとう」
目が合った父にお礼を言われた。なんのことかすぐにはわからなかったが、孤児院の件かと思い至った。
「良かったね、お父様」
「菖蒲。好きな子はいるか?」
ゴゴンッと音がした。音のしたほうに顔を向けると、隼人がお盆を落としていた。
突拍子もない話に、頭が真っ白になってしまったが、その音で我に返れた。
「いっぱいいるよ。お父様も隼人も黒羽も、みんな好き」
「そうではない。恋人になりたい、結婚したいような相手だ」
この会話はなんなのだろうか。父親が娘に、パパと結婚する、と言われて喜ぶやり取り、ということでよいのだろうか。そういえば、父とはまだこのやり取りをしたことがなかった。
「お父様と結婚する」
父は嬉しそうな顔をした。でも、すぐに眉間にシワが寄った。
「いや、嬉しいがそうではない。そうだな。許婚や、婚約についてどう思う?」
「本人がいいって思ってるなら、いいんじゃない?」
「菖蒲に婚約の話がきている」
ガタンッ
私の隣に座ろうとしていた隼人が、椅子に引っ掛かった。すみません、と謝りながら椅子に座った。チラチラと黒羽のことを見ている。黒羽のことを心配しているのだろう。当の黒羽は平然としている。隼人が焦っているのを見て、冷静になれているのかもしれない。
私も隼人の様子を見て、逆に冷静になれた。
「誰と婚約するの?」
「相手は伏せるが、二、いや、三件、話がある」
「そんなに? 知ってる人?」
父は首を縦にも横にも振らなかった。何も言わなかった。知人かどうかも伏せるということだ。
一人なら予想できる。たぶん、慶次だ。仲も良い、年齢も同じ、親も懇意にしている、さらに再婚問題の解決に関わっている。
もう一人は、慶一だろうか。慶一か慶次のどちらかに、という話が考えられる。ありそうな気がする。
最後の一人、三人目が全く予想できない。
(あれ? でも、待てよ……)
よく考えてみれば、慶一と慶次以外に知り合いはいない。知らない人なのだろう。父は『鬼神』だ。『鬼神』に娘がいるなら息子と結婚させたい、と思う人がいるのかもしれない。
「それは、断れない話?」
「いや、断れる。絶対に一度は聞いてみてくれと頼まれた」
「なんで相手のこと教えてくれないの?」
「それは私の判断だ」
「お父様の?」
「そうだ」
「婚約したくないな。するにしても、まだ早いかな」
「そうか。ならいい」
父は隼人と黒羽に、待たせてすまなかった、と謝った。みんなで、いただきます、と言って食事をはじめた。
本当に、ただ聞くだけ聞いてみてほしい、という話だったのだろう。そうでなければ、こんなにアッサリ終わるはずがない。父のことだ。納得のいく返答をするまで、無言で見つめてきそうだ。でも、結婚に関しては、父は私に無理強いはしないと思う。母は家の決めた結婚で、大変な思いをしたのだから。
(許婚かあ……)
華族でも、小さいときから許婚を決めておくなどのしきたりはない。許婚がいないと面目が立たないということもない。
しきたりがあるのは、王族くらいだ。
第一王子は、隣国に年齢の近い女性がいれば婚約する。複数いる場合はその中から選ぶ。
王女は、隣国に年齢の近い第一王子がいればそちらの婚約者候補となり、決まれば嫁ぐ。
どう選んでいるのかは知らないが、いろいろな思惑が渦巻いていそうだ。
華族のほとんどは、お茶会か学園で出会って、恋愛したり、結婚相手を見つけたりしている。
学園には、王族から一般市民まで通うので、玉の輿や逆玉を狙う人もたくさんいる。学園は社交の場でもあり、盛大な婚活の場にもなっている。
学園を卒業したあとは、お見合いをしたり、パーティーで探したりする。もちろん、この限りではない。結局のところ、その家の方針次第だ。
前世よりも『家の格』問題は大きいが、王族や上流華族でもない限り、恋愛も結婚も前世とあまり変わらない。いや、前世でも『家の格』問題は、あるところにはあっただろうから、前世と変わらないのかもしれない。
(そういえば、黒羽は『栄光の学年』か)
学園には、『栄光の学年』の呼ばれる学年がある。王族の子と同じ学年になることだ。
『栄光の学年』になりたいがために、多少ずらして入学する人もいる。いろいろな理由をつけて、入学を早めたり遅らせたりする。そのせいで、『栄光の学年』前後は入学者が減少、『栄光の学年』は増大する。
黒羽は、第一王子と同い年だ。
(女の子はちょっと残念だよね。確か、第一王子は婚約者が決まっていたはず)
第一王子の写真を見たことがある。新聞のカラーの面に載っていた。不思議な髪色をしていた。薄い茶色にところどころ薄い紫色をのせたような髪色だった。
写真にはもう一人写っていた。第二王子だ。色違いの似たような髪色をしていた。
第二王子は幼さがあり可愛らしい感じだったが、第一王子はとてもかっこいい人だった。王子でこの容姿ならば、さぞかしモテるだろうと思った。婚約者が決まっていても、友人になりたい、お近づきになりたい人はたくさんいるだろう。
王族には側室制度がある。正室にはなれなくても、側室になれるチャンスがある。
(私には関係のない話だけど……)
「お父様は、私が王子様の側室になりたいって言ったらどうする?」
「ゴホッ! ゴホゴホッ。す、すみません」隼人がむせ、胸を叩いている。
父は私のほうを向くと、ジッと私の目を見つめてきた。私から視線を外すと、何も言わずにパンをちぎって口に入れた。
「えっと~、それじゃ、華族じゃない人と結婚したいって言ったらどうする?」
パンを咀しゃくしていた父の口の動きが一瞬止まった。数秒後、パンを飲み込んだ父は、水を飲んでから口を開いた。
「王族も華族も関係ない。ただ、人柄などは見させてもらう。それ次第だ」
「そっかあ」私も水を飲んだ。
(王子様でも関係ないんだ。まあ、王子様はないけどね)
華族以外と結婚したいと言っても、問題はないそうだ。将来、私が結婚したい相手を連れてきたとき、父はどんな顔をするだろうか。
(眉間にシワは寄るだろうな)
父の顔や態度を想像しながら、シチューを口に運んだ。
チラリと隣に目を向けた。隼人はまだ苦しそうにしていた。黒羽はそんな隼人を見て、笑いを堪えているようだった。




