◆060. 恥ずかしい仕事 1/2
自室の腰高窓を開け、窓の手前にある本棚に手をついて、外を眺めていた。ヒュウッと吹いた風に、落ち葉が流されていくのが見えた。
(寒い……)
窓から入りこんできた風が、顔や体をなでた。冷たい風だった。窓を閉め、部屋を出て、談話室へ向かった。
新聞を手に取り、いつものように、背もたれも肘掛けもないソファーに広げた。空いている部分に、跨いで座った。
今日はズボンを穿いている。跨いでいるところを見られても、注意されないはずだ。スカートだと必ず注意される。
本の新刊などが紹介されている面を開いた。おもしろそうな本がないか探そうとした。
視界がにじんで、よく見えない。パタパタと水滴が落ち、新聞を濡らした。
昨夜は、父が早めに帰ってきた。父の正面に私が座った。父の隣に隼人が、私の隣に黒羽が座り、夕食をとった。
隼人が食後のお茶をいれてくれた。隼人が座ると、父がそちらに顔を向けた。隼人は、お願いします、と小さな声で言いながら頷いた。
「菖蒲、黒羽。隼人は三月でここを辞めることになった」
驚いて隼人に顔を向けた。黒羽も驚いていた。黒羽が小さく息をのむ音が聞こえた。
「そういうことなんです」
隼人は右手を頬に添え、少しだけ首を傾けて、優しい顔で微笑んだ。
この前の隼人の表情を思い出した。
私が黒羽を怒らせてしまった。頬にキスをしあって、仲直りをした。そこまでは良かったのだが、そのあと、黒羽がしつこくキスを繰り返してきた。それを隼人に目撃され、注意された。黒羽は涙目になっていた。いつものやり取りだった。
私はそれを見て、これからもずっとこうして怒られるんだろうね、と言った。隼人は、下唇を噛み、眉を八の字にした。どうしてそんな顔をしたのかわからなかった。
話を聞いて、その理由がわかった。あのときすでに、ここを出ていくことが決まっていた。だから、私の言葉に対して、とても悲しそうな顔をしたのだと思う。
私も黒羽も、そうなんだと頷いたあと、会話をすることなく黙ってしまった。父と隼人は、そんな私たちを見て困ったような顔をしていた。
(隼人もいなくなっちゃうなんて……)
三月から、本邸に移り住むことになった。本邸から、隼人を送り出すことになる。
今まで何回も本邸で過ごしている。屋敷にも使用人たちにも馴れてきた。でも、そこで生活することになるとは思わなかった。とても不安だ。
(不安……。でも、それよりも……、隼人……)
隼人はたくさん教えてくれた。勉強だけではない。簡単な料理を作れるようになりたいと頼めば、快く教えてくれた。ストレッチも頼んだら教えてくれた。
私の手伝いになっているのかわからない手伝いを喜んでくれた。昼食を作る手伝いがしたいとお願いすれば、隼人は嫌な顔もせず手伝わせてくれた。
一緒に本を探した。私が気に入るんじゃないかと、探してきてくれたりもした。本の感想を伝えると、目を細めた優しい顔で微笑んでくれた。
大地が出ていってしまうとき、寂しくて辛かった。でも、隼人と黒羽がいた。隼人までいなくなってしまうとは思わなかった。隼人も大地と同じ、腰かけ前提の使用人だと知っていたはずなのに、また忘れていた。
黒羽はいるが、黒羽もその一年後には学園での寮生活が始まる。
(出ていくってことは、やりたいことが見つかったってことなのに。いいことなのに。わかってるのに……)
また、パタパタ、と新聞に水滴が落ちた。ティッシュを取って、涙を拭いた。読むのをあきらめ、新聞を片付けた。
「そうそう、ゆっくり、細~くですよ」
談話室のソファーに座って、隼人と氣力の制御の練習をしていた。氣力が全身から漏れ出たときの制御ではない。
私は、『氣力流出過多症』になってしまった。通称『キリカ』、または『キリカ症』と呼ばれている。
氣力を通す物質に触れたとき、体から流れでる氣力の量が多い。一般的な数値からかけ離れてしまっている。
元々ではない。氣力が全身から漏れてから、そういう体質になってしまった。
最初のうちは気づかなかった。ドライヤーを三台壊したところで、父が気づいた。病院で検査したところ、そう診断された。
父も氣力流出過多症だった。父は元からそうで、氣力が漏れたのが後だったらしい。
氣力流出過多症は、生活に支障をきたす。
氣力を通す物質に触れた際、普通の人は、『5』から『8』くらいの氣力が流れるとする。氣力流出過多症の人は、倍くらいの氣力が流れてしまう。症状がひどいかどうかで流れてしまう量は違うが、だいたいこのようなイメージだ。
氣力を使用する電化製品などは、一般的な流出量を想定して作られている。氣力流出過多症の人が使用すると、負荷をかけることになり製品を壊してしまう。氣力の減りも速い。
氣力流出過多症の人用の製品も、あることはある。ただし、値段が跳ね上がる。ほとんどの人が、流出量を制御し、普通の製品を使用している。
父や私のように全身から氣力が漏れてしまう体質はとても珍しいが、氣力流出過多症は世間に認知されている。そのため、流出制御訓練用の機器がある。
それを使用して練習している。
隼人は氣力流出過多症ではない。でも、私に教えるために、いろいろと調べたり、流出制御訓練機を使ってみたりと時間を割いてくれた。休日を利用して、そういう講習を受けてきてくれたりしていた。
私は知らなかった。父が教えてくれた。
感謝して頑張りなさい、と。
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