349. 稽古の打ち上げ(黒羽)
※『輝春』は大地の長兄、楽々浦家の現当主です。
「なにを宣誓したんですか?」
「まずそこですか」
正面に座る慶一さんはニヤニヤとした笑みを浮かべながら、手に取っていた枝豆に口をつけた。
年を越す前――帰省する前に二人で会いませんか、稽古の打ち上げをしましょうと誘われて飲みに来た。といっても、二人とも飲んでいるのは温かいお茶だ。
今日は必ずあの無言の宣誓について尋ねるつもりできた。夏のお泊まり会以降、話す機会はあったが聞きそびれていた。
旦那様との稽古に参加させてもらいたいと電話をしたときは、気づいたら電話が終わっていた。参加したい理由なんて察しているだろうに、意味もなくだらだらと理由を聞いてくると思っていた。なのに、あっさりと承諾され、小清水様の許可もとっておくとまで言われ、拍子抜けしているうちに電話が切れてしまった。そのときは、稽古で会ったときに聞けばいいと考えていた。しかし、話をしようと思ったタイミング――稽古後は、疲れすぎて放心してしまい、我に返ったのは慶一さんを見送ったあとだった。
菖蒲様に関すること。忘れるわけがない。しかしもう二度も逃している。今日も予想外のなにかが――知り合いが乱入してくる等の、ハプニングがあるかもしれない。個室とはいえ、油断はできない。今、確実に聞いておく。
口のなかのものを飲み込んだ慶一さんがにっこりと口の端を上げる。
「教えたくないから言葉にしなかった――とは思いませんか?」
「気になるので教えてほしいですね」
ジッと見つめていると、やれやれといったふうに両肩を上げた。
「黒羽さんが困るようなことじゃないですよ。恋愛とか、そういうのは絡んでません。そういう目で見てないんで。まあ、菖蒲ちゃんと結婚しろって言われたらできるし、しますけど」
「言われないので安心してください」
「嫡子同士ですからね」
そうだが、そうではない。
「こわっ。そんなに睨まなくても。あれは、恩は返すとか、そういうのです」
慶一さんは一瞬だけ遠い目をした。……嘘ではなさそうだ。
「睨むといえば、菖蒲ちゃんにもめちゃくちゃ睨まれたな。でもまあ、変わりなくて、嫌われてないみたいで安心しました」
お泊まり会最終日。応接間での話し合いの途中から帰るまで、菖蒲様に思いっきり睨まれていた。小清水様のことだけでなく、旦那様のことまでを悪いように言ったのだから当たり前だ。
次に会ったとき――稽古のときには普通に接していた。菖蒲様の慶一さんに対する普通は『逃げはしないが警戒はする』『塩対応』だが、二人にとってはそれが普通だから普通でいいだろう。
「最初から変わらず嫌われているのでは?」
裏庭で菖蒲様を泣かせた――大地の頭に抱きつくきっかけを作った。とてもじゃないが、『嫌われてませんよ』などと言ってやる気になれない。
(菖蒲様の胸が……大地の……。よりによって夏、薄着のときに!)
「ひどい。意地が悪い」
「慶一さんには言われたくないです」
思わずギロリと睨む。慶一さんは、こわっと口にしたが、言っただけ。平然と箸を手に取った。視線の先には漬物。
「……気は済みましたか?」
慶一さんがピタリと動きを止めた。
実家、特に父親の話をするときに険があると感じたのはいつだっただろう。実家の話にならなくても、二人きりになるとイライラしているのが見え隠れするようになったのはいつからだったか。それがない。スッキリとしているように感じる。
応接間の話し合いで、言いたい放題していた。あれだけ言えばスッキリするのも当然か。軽い気持ちで尋ねたのだが……
(――珍し……)
初めて見たかもしれない。慶一さんの困ったような照れたような、バツの悪そうな表情。
まさか気づかれていないと思っていた? それとも、気づかれていても、そこにふれられることはないと思っていたのだろうか。
慶一さんはうつむき、箸をテーブルに置いた。一呼吸して、顔を上げる。いつもの表情に戻っていた。
「そんなにわかりやすかったですか?」
「あれだけイライラしてれば」
「私もまだまだですね」
慶一さんは背もたれに寄りかかり、はあ、とため息をついたが、表情は暗くない。
「口先ばかりで、なにも……誰も護れてないって。タイミングを見て話したって言われても、後付けとしか思えなくて。タイミングも入学まであと一、二ヶ月ってところで。私はともかく、慶次に短期間で受け入れるなんて難しいってことが、わからないのかな? ほんとこの人は家族のことを見ていないんだなって思ったんですよね」
これまでの愚痴、お泊まり会での出来事から、慶一さんがなんの話をしているのかすぐに察せられた。
『誰も』には、慶次くんや人身売買の件で責任をとって辞めたという当時の家令――説得して別邸に雇い入れたらしい――だけでなく、母親も入っているのだろう。むしろ、母親のことのような気がする。
慶一さんは体を起こし、枝豆に手を伸ばした。手に取った枝豆を食べるでもなく見つめている。
「伯母たちは会うたびにイラつくし。伯母たちの性格の悪さに気づいてない慶次にもなんか……純粋だなと思う気持ちとモヤる気持ちがあって。今は気づいてくれて、ホッとしました。このまま気づかないでいるほど天然じゃないし、気づいたら必要以上にダメージ受けて弱りそうだし」
――慶一様ってアレだけど、いいお兄ちゃんだよね。
口を尖らせる菖蒲様が頭に浮かぶ。
「うわさ話は基本楽しいけど、なかにはイラつくのもあるし。……大地さんと話しました?」
「いえ。旦那様と菖蒲様とは話しました」
元まとめ役のうわさも、付随する菖蒲様と私に関するうわさも、慶一さんに教えてもらった。前者はかなり前に、後者は最近。二回にわかれたのは、大本のうわさは一昔前のもので、私たちのうわさは――最近のものだから。しかも、うわさの出はここから離れた場所、王都を挟んで反対側のほうらしい。
大地が王都に帰るのを待って、菖蒲様に話した。
菖蒲様はきっと、自分のうわさよりも私のうわさに怒り傷つく。うわさを聞いた最初の感情を、私が一人で受け止めたかった。大地が近くにいれば、すぐに大地を頼るだろう。私のためとはいえ、それは嫌だった。私だけの時間がほしかった。
菖蒲様の髪が、ぶわりと浮いた。夏なのに。寒い季節のほうが、服を着込んでいるため髪が浮きやすい。漏れた氣力の多くが、首元から抜けていくから。あのとき菖蒲様はカーディガンを着ていたが、薄い七分袖のもの。あれだけ髪が浮いたということは、相当漏れたということだ。
号泣する菖蒲様を抱きしめ、氣力とともに立ち上ってくる匂いをかいだ。汗の匂いと混じった菖蒲様の匂いを。あらゆる感覚で、私を想う菖蒲様を感じた。
菖蒲様がある程度落ち着いてから、旦那様のもとに向かった。
「旦那様はご存じでした」
私が旦那様に伝えるのが早いか、旦那様が私と菖蒲様に伝えるのが早いかだった。
「まだ王都でも聞かないうわさなのに、耳が早い。うちの父……、いや輝春さんかな? ……大地さんが知らないわけないと思うけど、知らなそうだったな。輝春さん、わざと伝えてない?」
そうかもしれない。自然と耳にするまで言わないつもりか、裏取りが終わってから伝えるつもりなのか。うわさを流したのは十中八九あの人だろうが、確認は必要だろう。
(おかげで大地から菖蒲様に伝わらずに済んだけど。……いや、大地は先に……私にだけ話しただろうな)
そのときに頼めば、私から菖蒲様に話す――二人きりで話す機会をくれたと思う。つい大地を警戒してしまったが、菖蒲様に先に伝わる可能性が高かったのは、大地からではなく旦那様からだった。
それにしても、時間が経って気がゆるんだのかなんなのか知らないが、今さら余計なことをする。違約金などのペナルティが発生することを忘れたのだろうか。
「菖蒲ちゃんは親のヤラカシに対して、くすぶらせてるものはなさそうだったし、こっちはこっちであのあと、菖蒲ちゃんを見習って――」
ふふ、と慶一さんは笑った。思いだし笑い?
「父に怒って話し合ったんで、わりとスッキリしました。慶次は怒ってなかったですけどね」
わりと、だったらしい。
「この前の稽古で残っていたものを吹っ飛ばされた気がします。あと、菖蒲ちゃんの言葉ですね」
「菖蒲様の?」
「黒羽さんはいなかった? ……ですね。稽古が終わって、菖蒲ちゃんにホースで水をかけてもらう前です」
稽古で泥だらけになってしまった。シャワーを浴びる前に、外にある水道で泥を落とさなければならないくらいに。
菖蒲様がシャワーヘッド付きのホースを持って、水をかけてくれた。慶一さん、私の順に――旦那様と律穂さんはそこまでではなかった――。慶一さんが水で泥を落としはじめたとき、私は離れた場所で旦那様と律穂さんと話をしていた。
「私が、大人げないとか、そんな感じのことを言ったからかな? 『大人は子どもが思うほど大人じゃない』って言われたんですよね。そうなのかもしれないなって……」
ずっと手に持っていた枝豆の豆を指で押しだし、パクリと口に含んだ。大人げないは、旦那様と律穂さんに対してだろう。慶一さんも二人の稽古時の厄介さをようやく理解したか。
慶一さんはなぜか、二粒目、三粒目と口に含むたびに表情を険しくした。
「やっぱり二人のあの体力、おかしくないですか?」
なにが『やっぱり』なのかはわからないが頷く。
「体力おちたって聞いてたんですけど」
「律穂さんの『昔より食べる量が減った』みたいなことだと思います」
「異次元は減ったところで異次元ってことか。……みんな大げさ、父は学生時代を美化してるって思ってたんですけど、実際してましたけど――」
小清水様と旦那様は、最初から仲がよかったわけではない。慶一さんと慶次くんはそれを知らなかったが、徹さんが全部バラしてしまった。
「湖月様と律穂さんの強さは、大げさでも美化でもなかったんですね。……でも、前に稽古してるのを見たときは、あんな感じじゃなかったはずなんですけど」
慶一さんは、だから大げさだと思っていたなんだと言いわけを口にした。
「指導者のときと、そうじゃないときで違うんです」
――それに相手によるんだよ、たぶん。お父様が鬼神になるってことは認められてるってこと。お父様を楽しませる強さがあるってこと。黒羽は強いんだよ。よかったね!
旦那様に認められるのは嬉しい。そうでなければ困る。が、それとこれとは……
「あっ、そうそう! 槍術を習いはじめたってどうしてですか? はじめたとかのレベルじゃないし。上級者って言われても納得しますけど!?」
前のめりに聞いてきた。それについても泣きたい。
騎士になるために必要なのは、まず剣術と体術。馬術もできるとなおいいが、あとからでもいい。騎士団による。槍術もできるにこしたことはないが、今の時代、必要がある場合に体得するのがほとんどだ。
旦那様は騎士時代、槍術が必要な仕事はしていない。軽く教えてもらい、何度か振ったことがある程度。そのときは、騎士になったばかりで忙しかったというのもあり、特に興味を持つこともなく終わったらしい。
「菖蒲様が――」
いい感じに太く真っ直ぐな棒が落ちていた。菖蒲様がそれを体の正面で両手を使って回そうとしたが、長すぎて傘のようには回せなかった。それを旦那様が受け取り、くるくると回して見せた。両手で体の正面だけでなく、片手でだったり体の周りだったりで、くるくると器用に。それを見た菖蒲様たちがすごいすごいと歓声を上げた。子どもたちが――菖蒲様が喜ぶのを見て気をよくした旦那様は槍術に興味を持ち、めきめきと上達した。
みんなから聞いた話をまとめるとこんな感じだ。
「覚えが早いっていうのも本当なんですね。……なんですか、その顔」
「剣術も体術もおかしいレベルで強いのに、槍術まで――」
稽古がより大変になった――愚痴をこぼした。
ニヤニヤしながら適当に『頑張ってください』とでも返されるだろうと思っていた。しかし慶一さんから発せられた言葉は意外なものだった。
「お互い父親には苦労しますね」
「…………苦労だなんて思ってません」
「またまた~」
慶一さんは楽しそうに笑った。
『父親』とひとまとめに表現したことに、裏は感じなかった。父親ではない――否定するのは違う気がして、そこにはふれなかった。




