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drinkの短編集

魅了の呪い

作者: drink


 俺の幼なじみ、三原 光はとにかくモテる。


 それだけなら、別段不思議なことではない。元々顔自体は悪いわけではない。モデルのような美しさと比べると、幾分見劣りするが、笑顔という一点から見れば一級品である。今どきの思春期男子が、ふとした拍子に好意を寄せるのも無理はない。


 しかし、彼女のモテ具合はクラスのマドンナという域を越えていた。少なくとも傍観者である俺から見てしまえば、その様子は『異常』という一言に尽きる。


 毎年のようにクラスの男子はおろか、教師までも一人残らず全員を一目で虜にしてしまうのだ。一方、異性でも皆が彼女を目の敵にすることは無い。むしろ、みんなの愛されキャラとして確立している。


 『三原 光』という太陽が存在するところでは、全員、彼女の周りを公転する太陽系惑星でしかなかった。皆が彼女に一目置き、常に彼女を囲ってひとつの輪をつくる。彼女の前では笑顔の絶えない仲良しクラスが出来上がる。


 その光景は狂気でさえある。


 その上、この事実は彼女と俺しか気が付いていない。なぜ俺が気が彼女の『魅了の呪い』にかからないのかは分からない。俺以外に呪いから逃れたやつがいないから判別のしようがないが、俺の場合は茹でガエルのようなものなのだろう。なんせ、幼稚園のころからの付き合いである。

 そこは大した問題ではないので勝手にそう結論づけた。



「ユウ、おっはよー! ぼーっとしてどうしたの?」



 学校の登校中、吹き付ける木枯らしの冷たさに身震いしながらもそんな事を考えていた。しかし、馴染みのある声が聞こえて思考を遮断する。この幼い頃から聞き慣れた声が、ヒカルのものであることはすぐに分かった。


 ヒカルは俺の制服の袖を引っ張りながら、顔を覗き込もうとする。彼女の透明感のある瞳がアメジストのように輝いている。成長期を迎え、俺と彼女の身長差が出来てしまったので、最近は彼女の上目遣いを見る機会が多くなったと(うっす)ら思った。



「わりぃ、今日提出の課題で頭がいっぱいだったんだ」


「あー! そう言えば私もやってなかった。古文の現代語訳だっけ?」


「あぁ、主語が省略されすぎてて、しっちゃかめっちゃかになりそうだから、誰もやってないと思うけどな」


「そんなぁ……じゃあ誰にもノート見せて貰えないじゃん」



 本当のことを言うのもなんだか気恥ずかしいく、取って付けたような言い訳を言ってしまった。実際に課題は白紙なので嘘ではない。ヒカルも同じらしく、慌てた様子で頭を抱えていた。

 今日はそうした彼女の髪を捲し立てる仕草に違和感を覚えた。



「そう言えば、髪型変えたんだな」


「お、分かるかね? キリフジくん。最近流行りのフィッシュボーンという髪型なのだよ。ふっ、これでセカイのキリフジ・ユウ氏も悩殺さ。ねーユウ、どうどう?」



 最近終わったドラマとアニメの余波のさらに残り香が微妙に混ざりあって、口調に一貫性がなくなっている。何かとそういった物に感化される彼女だが、やられる側としては反応に困るからやめて欲しい。


 ヒカルは一歩距離を詰めて、俺に彼女自慢のブロンズヘアを見せつける。丁寧に結ばれた三つ編みはいつものポニーテールと違った印象を与えてた。こちらも新鮮で悪くない。むしろ、俺好みであった。

 だが、ここで彼女を褒めるのも癪だった。


「ふざけ過ぎて色々キャラブレてんな……まぁ、可愛いんじゃね?」


「えーなんで疑問形? はっきり言ってよ、気になるじゃん!」


「あーはいはい、可愛い可愛い。ほら時間ないから早く行くぞ」


「あ、こらぁ! 話をそらすなー!!」



 俺は早々に話を切り上げ、早歩きで学校へ向う。後ろから抗議の声が聞こえるが、彼女もそこまで本気ではないらしく、学校へ近づくに連れてなくなっていった。その分、今日の髪型の説明を淡々と聞くハメになってしまったので、うるさいという点においてはあまり変わらなかった。



 ヒカルの第一回フィッシュボーン会談は留まることを知らないまま、気がつけば教室まで来ていた。

 俺が教室に入ると、既にクラスの奴らはほとんど来ているようだった。各々が友達同士で塊となって談笑している。

 その教室の中へヒカルは飛び込んだ。



「みんな、おっはよー」



 この彼女の挨拶が“いつもの”始まりの合図である。

 元気ハツラツとしたヒカルの声が教室中を反響する。ヒカルの声を聞いた途端、皆が会話を止める。息をつく程度のしじまが訪れた。


 俺はこの張り詰めた空気が少し嫌いだ。



「ヒカルちゃん、おはよう。わぁ、髪型変えたんだね!」


「なになにイメチェン? かわいー!」


「本当だ。似合ってんじゃん」


「でしょでしょー! 朝早く起きてセットしたんだよ!」



 ぞろぞろと皆が群がり、彼女を中心としてひとつの幾何学模様が出来上がる。唯一、異物である俺は押しのけられ、その枠組みから淘汰された。誰も俺の存在を認識していない。奴らの瞳に映っているのはヒカルだけである。


 彼女が皆に笑いかけ、皆がそれに応えて笑う。ただ、それだけだ。それが皆にとっての当たり前な日常のセカイ。狂気という名の平和であった。


 俺は窓側の自分の席に腰を掛け、クラスの皆の様子を眺めていた。結局、それはチャイムが鳴り、担任の先生がホームルームを始めるまで続く。


 これが、俺と彼女の日常だった。



 今日の昼頃、狂気の日常がついに崩壊の時を迎えた。


 そもそも、ヒカルは常に平和主義者の立場にある。争いを何よりも嫌い、生温い環境を好む。彼女に多少関わりのある人はそれをなんとなく知っている。だから、彼女の前ではいつも平和であった。


 だが、その空気は皆にとって息苦しいものだ。ヤマアラシのジレンマのようなもどかしい距離感を強制されている。無理はない。ヒカルの『魅了の呪い』の副作用は日に日に皆の心に蓄積され、ついに限界を迎えた。狂気がついに自分自身に牙を剥いたのだ。



「ヒカルちゃん、俺と付き合ってくれ」


「……え?」



 きっかけは些細なものだった。昼休みになって、あるクラスの男子──確か、サッカー部部長のイケメンくん──が突然、意を決して教室でヒカルに告白をしたのだ。先生が近くにいないのを見計らいつつ、クラスの全員にまじまじと見せつけているようだった。


 傍から見れば異常なのだが、狂気の日常から見ればちょっとした誤差であった。しかし、その僅かなズレは自己免疫疾患のごとく過剰反応し、不可逆的な暴走を引き起こした。


 結果、俺を除いたクラスの男子が次々に名乗りを上げ、その全員がヒカルに告白をし出した。好意を純粋に述べる者、巧みな文学表現で彼女を口説く者、口下手でしどろもどろながらも何とか自分の気持ちを言葉にする者、様々であったがその想いはひとつだった。

 彼らに盲点があるとするならば、その想いはヒカルが受け止めるにはあまりにも重すぎたことだろう。



「わ、私……急にそんなこと言われても……」



 ヒカルは震える声を無理やり押し込み、狂気に耐えながら何とか言葉を紡いだ。彼女はあれが狂気であることを知っている。そして、それがいつか禍々しさを帯びてやってくるだろうことも予期していた。少し前に実際に相談も受けたのだ。だからこそ、この状況に“人並み”の同情くらいは持つことができた。



「くだらな」



 あぁ、本当にくだらない。



「おい桐藤、今なんつった?」


「くだらないって言ったんだ。あと迷惑だし」


「ヒカルちゃんと仲良くしてるからって良い気になんなよ! てめぇに俺らの気持ちがわかんのかよ!!」



 クラスメイトの一人が俺の胸ぐらに掴みかかる。いつものクラスメイトの様子とは打って変わって、感情のままに身体が動いてしまっている。狂気の牙を剥いた彼らを止める手立てはないのかもしれない。


 しかしながら、「てめぇに俺らの気持ちがわかんのかよ」とは何たる偶然か、呪いの狂気にかかっていない俺には分かるはずのないものである。彼女に対して狂った愛情の矢を向ける理由など尚更のことである。なぜ意中の人への愛情が、その人にとってのキョウキになるのか。なぜその事に誰も気が付かないのか。理解し難いことである。恋は盲目とはこのような意味を持たないはずなのに、なんだが元から含んでいたかのような錯覚さえ覚えてしまう。


 俺はクラスメイトの男子と対峙する。だが、意外にもここで口を切ったのはヒカルだった。



「皆もうやめてよ! 私は……誰とも付き合う気なんかない!!」



 ヒカルの張り詰めた声で窓ガラスが震えた。彼女の鶴の一声はたちまち皆を非正常的な日常へと拘束する。クラスの皆は何もなかったように喧嘩を止めて、彼女の言葉に従う。好いている相手の前でみっともない真似をするものはいない。『魅了の呪い』の暴走は収まる。


 だが、ヒカルだけはすでに心の限界を迎えてしまったのかもしれない。クラスメイトの争いの終結を見届けることなく教室から出ていってしまった。


 しかし、誰も彼女を追いかけようとはしない。彼女への好意はあっても、彼らにはそれしかない。彼女に対する心配も、驚きも、何も無いのだ。



 しばらくして、担任の先生が戻ってきて、ヒカルの早退が伝えられた。





 俺の家の隣がヒカルの家だ。今は疎遠になってきているが、物心のつく前はよく彼女の家へ遊びに行ったものである。今日の放課後のように、学校が終わるとすぐにヒカルの家のインターホンを押すのが習慣だった。


 唯一違いがあるとすれば、珍しくヒカル母の車が家の駐車場に止まっていない事だろうか。


 そんな小さな引っかかりを残したまま、再びインターホンを押した。すると、家の中から物音が近づいて、やがてガチャリと鈍い金属音が鳴る。そして、物音は遠ざかった。これは入れと言うことなのか。



「ヒカル、入るぞー」



 見慣れた玄関に向かって妙な宣言をして、足を踏み入れた。2階の南側にある部屋がヒカルの部屋だ。彼女の部屋の窓からは俺の家が見える。というか、彼女部屋の丁度向かいが俺の部屋だ。一応、礼儀として、彼女の部屋の扉をノックした。



「ヒカル、ここにいるのか?」



 返事はない。思い切って扉を開けると、彼女が暗い部屋で静かに座っていた。俯きながらもその瞳は今の彼女の様子を物語る。



「ねぇ、ユウ」


「ひ、ヒカル……?」



 ヒカルははだけたワイシャツ一枚と、下着のみという何とも無防備な格好で、俺の方へ近づく。ゆっくり、着実に、一歩ずつ、近づいていく。彼女の様子がおかしい。俺は思わず後ずさる。だが後ろは壁だった。もう逃げ場はない。彼女は俺を既に捉えている。


 気がつけば、俺とヒカルは互いの吐息がかかる程の距離しかなかった。体を俺に任せ、身をよじり、決して小さくない胸を押し当てるようにして、恍惚とした瞳で俺を見据える。頬も心なしか火照っているように見える。

 彼女の髪から、フワッと俺の好きな柑橘類の香りが鼻をくすぐる。

 ここまで接触しているからだろう。彼女の胸の鼓動が速いテンポで伝わってくる。


 ヒカルは黙っている。いや、俺から何かを待っている。


 俺は朴念仁なわけではない。彼女が何故こんなことをして、そして、俺に何を求めているのか見当がつく。だけど、どうしてだろう。彼女に対して、“そう言った”感情が湧かない。


 それはまるで、何者かによってその手の感情を操作されているようだ。



「やっぱり……なんで? どうしてユウは好きになってくれないの?」



 ヒカルの紅く染まる頬に一筋の涙が伝う。彼女の言葉の意味に一瞬戸惑うが、薄々気がついていたため納得も早かった。この一日だけでも思い当たる節は度々あった。


 俺は、彼女が俺に好意を向けているがために、『魅了の呪い』を受けることがない。むしろ、それが為に、俺は彼女に好意を向けることがない。ヒカル自身の心と彼女の呪いが表裏一体であるとするならば、うまい具合に辻褄が合った。



「ヒカル……」


「ユウだけが本当の私を知っている」



 なぜ、今まで気が付かなかったのだろう。



「ユウだけが本当の私を見てくれる」



 『魅了の呪い』について、知っていたのだ。少し考えれば分かるはずである。


 ヒカルはずっと『魅了の呪い』による狂気の愛情に囲まれて生きていた。そんな彼女が──



「ユウだけが本当の私の気持ちを受け止めてくれる」



──普通の愛を知っているはずがない。


 呪いが知らぬ間にヒカルの環境を蝕んでいき、ついには本人の認識にまで及んでいた。いや、もしかしたら、ついさっき呪いの侵食が完了していたのかもしれない。狂気の日常の崩壊がその合図で、ヒカルのこの状態になるのも必然であったのかもしれない。あくまで憶測に過ぎないが、それにしては出来すぎていた。



「ユウ……好き」



 かつてのヒカルはもういない。幼なじみとして俺の中で生きていたヒカルは、今の彼女とあまりにかけ離れすぎている。でも、俺には彼女を受け入れる以外の選択肢が残されていなかった。


 ヒカルはアメジストに輝く瞳を閉じた。俺の首へ腕を回し、背伸びをするようにして、その可愛らしく小さな唇をこちらに寄せる。


 俺は、目をつぶって彼女の望みに従った。




──物思ふに 立ち舞ふべくも あらぬ身の 袖うちふりし 心知りきや




 ふと、古文の授業で出てきた和歌がまぶたの奥に浮かび上がった。






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― 新着の感想 ―
[良い点] 「『三原 光』という名の太陽」などの秀逸な言い回しが散りばめられていて、思わず感心させられた。また、『間』の取り方が上手で、物語に入り込んだような錯覚を持った。 空気感の表現が肌にしみるよ…
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