I go on a journey tomorrow
夢を見た。
周囲は霧に覆われているのに、夜空だけははっきりと見えるおかしな場所に自分はいた。雨でも降ったのだろか。足元には水が広がり星の瞬く夜空を映している。そこには一本の線路があって、一つだけ電車が存在していた。
気が付けば広い電車の座席に腰掛けていた。外には現在地を示すと思われる看板がある。一体ここはどこなのかと確認してみれば、そこには和泉蒼介、十八歳と表記されていた。
なんだそれは。おかしな夢だと思っていると、たった一人の乗客を乗せて、電車がゆっくりと動き出す。しばらく大人しく揺られていると、車内アナウンスが流れた。それはよく聞く駅員の声だった。
次は終点、和泉蒼介、十九歳。
ああ、なんだ。そういうことか。
蒼介は聞いた瞬間、思い至った。
人はよく三途の川を渡るとかっていうからてっきり船で行くのかと思ったがそれは昔の人の想像であって、現代を生きる蒼介は電車で運ばれていくらしい。よく見れば下は水溜りなどではなく川だった。
これはただの夢ではない。そんな直感があった。きっと死期が近いのだと、蒼介は他人事のように思った。
*****
長きに渡る不妊治療の末に、自分は生まれた。しかし両親の喜びも束の間、俺は心臓に欠陥があった。両親の悲しみはどれほどのものか計り知れない。
誕生日を迎えることはないでしょう。五歳まで、生きられません。
医者はそう言ったという。そうして発作が起こるたびに、両親は目に涙を溜めて、いるかどうかもわからない神に祈っていた。
だけど、俺は死ななかった。
余命が五歳から十歳に延び、十歳から十五歳に延びていった。その間も発作は何度も起き、死の淵を彷徨った。
そんななか、最初に限界が来たのは、父だった。
ある日、何度目ともしれない発作を起こした。いつもはすぐに駆けつけてくれる両親が、その日は母しか来なかった。一命を取り留めた後で母が言う。
「お父さん、お仕事が忙しくてどうしても抜けられなかったの。ごめんね、蒼ちゃん」
その時浮かんだ感情は、まぁ仕方がないだろうな。という程度のものだった。何度も何度も死にかけて、でも死なない、人騒がせな奴。自分自身に対してもそんな風に捉えていた。
幼いながらに根底にあった諦観の念。走ってはいけない。これを食べてはいけない。薬はきちんと飲みましょう。
やりたいことはあった。でも許されなかった。何もかも我慢。日中行くのは学校ではなく病院で、苦い薬を飲み、検査を受け、痛い注射を何本も打った。何不自由なく生きる同世代の子供を見るのは辛かった。
なぜ、こんな思いをしてまで生きていなくてはいけないのだろう。そんな風にさえ思った。
でも欠陥品の自分にも、唯一優れているものがあった。絵を描くこと。それは非凡な才能だった。人が長い時間をかけて上達していくものを自分はその何倍も早く吸収していく。周囲はそれを褒めそやしたが、自分だけは何も特別なことではないと思った。むしろ当然だとさえ思った。人より時間が少ないのだから、そうでなくては不公平というものだ。絵だけでなく、勉強も人並み以上にこなせたので、学校になかなか行けなくても、困ることはなかった。
夢も希望も欲しくはない。自分の生に執着もない。そう思っていた。そうならない為にも、自分の世界から他人を排除した。それはたとえ両親であっても同じことだった。
自分にとって世界を映す鏡でもあった絵から人を追い出したのもその為だった。これから先、死ぬまでずっとそれは変わらないはずだった。
世界の見え方が変わる瞬間って、あると思う。
自分にそれが訪れたのは、二度目の高校三年生の梅雨の季節だった。
土足で人の世界に上がり込んでくるような無礼な奴。何度追い返しても戻って来て、居座るような奴。そいつとの出会いが全てを変えた。
笑ったり、怒ったり、でも基本的には笑顔でいる。元気の塊みたいで、会うたびにコロコロと変わる表情は、まるで万華鏡を覗き込んでいるようだった。
そしてきまって俺の描く絵を楽しそうに眺めている。何がそんなに面白いのか理解できなくて、聞いた。彼女はやはり笑って言った。
「初めて先輩の絵を見た時、感動したんです。平面に描かれた絵が、現実に生きる人に影響を与える。それって、絵が生きてるってことでしょう?」
全ての物事に意味や価値を見出せない自分には、思いもよらない言葉だった。自分が死んだ後も、残るもの。影響を与えるもの。生き続けるもの。胸が熱くなった。欠陥品の自分に初めて価値を見出した。
いつからか、自分の世界に東城真琴という人間が住みついていることに気が付いた。そんな時だった。見知らぬ男子生徒と楽しげに語らうあいつを見たのは。
あいつが笑顔を見せるのは、自分だけではない。誰にでもそうなのだ。そう思った瞬間、怒りが込み上げた。それから動揺した。なぜこんな気持ちになるのかと。自分を見つけたあいつがこちらに向かって声をかけ掛けるがそれも無視する。
知らない自分の感情に恐ろしくなった。だから彼女を遠ざけた。
一人生徒玄関へと歩いていく最中、頭を整理し気付いた。これは嫉妬なのだと。
なんだ、自分は彼女に対して独占欲なんてものをもっていたのだ。あの日、あの言葉をもらった日から。いや、本当は初めて出会ったあの日から既に、自分は彼女に恋をしていたのかもしれない。
驚きながらも、一年前に見た夢を思い出す。自分はもうすぐ死ぬ。それはきっと変えられない。
初めて、自分の生を惜しく思った。
だが、感情が昂ったせいなのか、またしても発作が起きた。それはいつもより酷いものだった。そして気付いた。大人になれないと言われていた自分が今まで生きることができたのは、感情の起伏が少なく、負担がかからなかったからだと。でもそれは人としては死んでいるのだ。
彼女と出会ってから、色々な感情が芽生えた。その時の俺は確かに生きていて、でもだからこそ、それは臓器への負担となり、肉体の限界へと近付いた。
東城真琴。彼女は俺に生を与え、そして俺を殺すのだ。
でもそれでいいのだと思えた。死んだように生きるよりも、限られた時間を精一杯生きて、潔く死ぬ。彼女と出会い、そう思えた。
本当に自分の描いた絵が生き続けるというのならば。俺は彼女の言葉を信じて、最期の力を振り絞り彼女を描いた。目の前にいなくても、彼女の笑顔は脳裏に焼き付いていて、手が止まることはなかった。
俺はまた君と出会うために、旅に出るのだから。そう思うと、先ほどまであんなに惜しいと思っていた自分の生が惜しくはなくなっていた。
君はこのメッセージに気付くだろうか。言葉にはできない、この感情を。いいや、きっと気付いてくれる。六年越しの絵でさえも、俺だと気付いてくれた君ならば。




