And rain in the mind
空が夕焼けに染まる頃、放課後の弓道場に快音が響く。射手から放たれた矢は的の中心部分にしっかりと中っている。部員達の目は見事な行射をしてみせた真琴へと向いた。しかし驕りや得意げな様子は
全くなく、真琴は無駄のない所作で手を挙げた。
「矢取り行ってきます」
そう言って的のある安土の方へと歩いて行った。その後ろ姿を部長の国見冬吾が感心した風に眺めていた。
「八本射って、全部ど真ん中って……。弓道始めたばっかの一年ができることじゃねーよなぁ。最近特に調子も良いし。なぁ本郷、東城なんかあったのか?」
「さぁ……」
楽しそうな国見にとは対象的に、聞かれた圭一は遠い目でそう答えた。圭一は胸の中に渦巻く苦い思いを、溜め息にして吐き出す。真琴の調子が上がっている要因は、どう考えてもあの男しかいない。だがそれは圭一にとっては面白くないものだった。
「なんだ、お前は元気ないな。悩みあるなら聞くぞ」
ほれ、言ってみ?と気軽に話し掛ける国見に圭一は苦笑し手を振った。
「別になんでもないです。すいません」
「なんだ、つまんねえな」
国見の言葉においおい、と心の中で突っ込みを入れつつ、やはり素直に打ち明けたところでからかわれて終わりだろうと思った。
「それにしても東城が今後もあの調子を維持できるなら夏の団体メンバー入れ替えも考えないとだな」
インターハイ出場を目指す国見は、戦力が増えたことを純粋に喜んだ。他の一年生がまだ満足に弓を引けずにいる中、真琴は既に美しい射形で皆中(矢が全て中ること)させている。
弓道ってこんなに簡単なものだったか、と上級生達が首をひねりたくなるほど真琴は筋が良かった。
「お、もうこんな時間か」
国見は携帯電話を開いて時間を確認すると鞄を持った。
「俺これから生徒会に顔出さなきゃなんないんだ。適当に練習切り上げるように他の連中に言っといてくれ」
「わかりました」
圭一は道場から出て行く国見を見送ったあと、言われた通り指示を出した。それから着替えを済ませてさっさと帰ろうと歩き出すと、後ろから声をかけられた。
「あれ、圭一?もう帰るの?」
真琴だった。腕には回収した大量の矢が抱えられている。
「あー、ちょっと調子悪くて」
圭一はそう言って後ろ頭をかいた。別に嘘ではないが、不調なのは心理状態の方なのでなんとなく後ろめたかった。
「じゃあ、私も切り上げようかな」
「えっ」
圭一は思わず声を漏らしてしまった。
「えっ、ってなによ。別に嫌がらなくてもいいじゃない」
真琴はムスッとした顔で圭一に言った。
「や、別に全然嫌じゃないから」
むしろ嬉しいと思った。特に他意はないのだろうが、圭一には真琴の言った「じゃあ」という言葉が嬉しかった。都合よく脳内変換してもいいのなら圭一がいないなら私もやめる、に聞こえなくもない。
圭一は先程までの鬱屈とした感情に晴れ間が現れたことを単純だと思いつつも、甘い余韻に浸った。
「片付け、手伝うよ」
圭一は真琴の腕から矢を受け取ると部室へと歩き出した。そのすぐ隣で真琴が笑う。
「ありがとう圭一。和泉先輩じゃあこうはいかないんだろうな」
和泉先輩。真琴の口からその言葉が紡がれるたび、言ってしまいたくなる。今目の前にいない奴のことなんて忘れてほしい。俺だけを見てほしい、と。
「いやいや、駄目だろそれ」
「え、なんて?」
「ごめん、独り言」
思わず漏れた圭一の言葉に真琴は不思議そうな顔を向けた。それからじっと圭一を見つめる。
「せっかく二人でいるんだから、私とも話してほしい」
拗ねたような口調で真琴が言うと、圭一は自然と顔が綻んだ。本当は圭一が言いたくて、でも口に出来なかったその言葉を、真琴は躊躇いもなく言ってのけた。真っ直ぐで、何色にも染まらない自由な彼女。何もかも頭で考えてばかりで人の顔色を伺う圭一とは正反対だった。だからこそ、眩いばかりの真琴に惹かれたのだ。
「部長がさ、このままの調子なら大会の団体メンバーに東城を入れるって言ってたよ。もしかしたら一年唯一の大会メンバーになるかもな」
圭一の言葉に真琴は表情を明るくした。
「本当!?そうなったらいいなぁ。最近の調子の良さが部長の目にも止まっちゃったのかぁ」
「そうだな、頑張れよ東城。お前がメンバー入りしたらきっと他の一年のモチベーションも上がると思うんだよ」
「任せといて。私やるからには何事も全力がモットーだから」
真琴は空いている右手で拳を作ると圭一の前へと向けた。そしてそれに圭一もまた拳で応えた。
「信じてるよ、お前ならできるって」
決意を持った二つの拳が軽くぶつかる。真琴の不敵な笑顔が圭一の脳内に焼き付いた。
「あ、でも私なんでこんなに調子が上がったのか、いまいちよく分からないんだよね」
うーん、と考え込み始めた真琴に圭一の顔が引きつった。なんで彼女はこんなにも自分の気持ちに疎いのだろうか。美里から聞いた話ではどう考えても和泉先輩の笑顔を見たのが原因だと思うのだが、鈍すぎるにも程がある。圭一は強敵、真琴を前に頭を抱えた。
「あれ、和泉先輩だ」
真琴はそう言うと廊下の窓から身を乗り出した。上半身が窓の外に出たのを見て、圭一は慌ててそれをやめさせた。一階ならともかく、ここは三階だ。真琴なら着地できそうな気がしてしまうが、当然無理だし危険だ。
冷や汗をかきつつ、圭一は真琴の視線の先を追った。そこには美術室へと繋がる外廊下を歩く一人の男子生徒がいた。彼の持つ一抱えもある大きなキャンバスが一際存在感を放っている。
見えたのは横顔だったが、それだけでも彼の持つ容貌には非凡なものを感じた。あれが例の和泉先輩かと思うと複雑な感情が湧き上がってきた。なんやかんやと応援してくれる美里には申し訳ないが、見た目だけならまず敵わないと思った。
「和泉先輩ー!」
一人落ち込む圭一を横目に真琴は大きな声で外にいる蒼介に声を掛けた。そして笑顔で手を振る。
声に気付いた蒼介が上階の二人の方へと顔を向ける。圭一は正面から見た蒼介の端整な顔に驚いた。もはや諦めにも近い境地である。しかしその端整な顔は、眉を顰めるとそっぽを向いて校舎の方へと歩いて行ってしまった。
圭一はほんの数秒の邂逅に、息をするのも忘れていた。そんな彼の意識は、真琴の声によって現実に引き戻された。
「なにあれ!いつもながら失礼な人っ。圭一、悪いけどこれ片付けておいて」
真琴から矢を押し付けられた圭一は、走り出す彼女をただ見送ることしかできなかった。
足音が消え、廊下に一人残された圭一は思い起こす。色素の薄い不機嫌な瞳が、圭一を射抜いていたことを。さっき、確かに和泉蒼介は圭一のことを見ていたのだ。
*****
真琴が蒼介を見つけたのは生徒玄関だった。彼は既に靴を履き替えて小脇にキャンバスを抱えていた。
「和泉先輩っ」
真琴は息を整えることも惜しんで声を掛けた。すると蒼介は面倒そうにゆっくりと顔を向けた。真琴を見つめるその瞳はどこか昏く、そのことが彼女の心を圧迫した。
真琴はいつもと変わらない調子で言った。
「なんで素っ気ない態度取るんですか。酷いです」
「素っ気ないって?いつものことだろ」
いつもは温かみのある憎まれ口も今はやはり淡白で、近寄り難い様子だった。二人の間に流れる空気が張り詰める。感じたことのない居心地の悪さに真琴は身じろいだ。
「今日は良いことがあって、和泉先輩に聞いてもらいたかったんです。最近すごく調子が良いおかげで今度の夏の大会に出させてもらえるかもしれなくて、それで……」
真琴の言葉を遮るように、蒼介は靴箱に身体を乱暴に預けた。ステンレス製の靴箱が思いのほか大きい音を立てる。
「それ、俺になんの関係があるわけ?そんな報告されたって困るんだけど」
苛立ちを抑えようとしているのか、蒼介は目を閉じていた。
「俺たちは友達でもクラスメイトでもない。ただの他人の筈だろ。いい加減迷惑だって気付いてくれ」
ただの他人。その一言に真琴は言葉を失った。目の前が暗くなって、周囲の音が搔き消える。聞こえるのは目の前にいる蒼介の言葉と、自分の不規則な心音だけだった。
「二度と俺の前に現れるな」
それは真琴を突き放す明確な拒絶の言葉だった。そして蒼介は振り向くことなく外へと出て行った。
なぜ急に、そんなことを言うのか。蒼介の態度の変化に心が追いつかず、真琴は呆然と立ち尽くした。




