『空の箱』
D.C.P.feat. W.アプラクサス
夢籠暦20××年6月24日
空色のお客様現る。
“青の歌"“空の箱”をお預かり。
「良いのですか」
その意志は堅い模様。「本当に良いのですか」
未来は決まっていることを知らないような方ではない。
でも。
でも僕は、そんなふうに未来をひとを試そうとする輩はキライじゃない。
だって…
知らないみちを歩いていた。最初は知っている街だった。でもどんどん景色が変わっていって…。
知らないみちを歩いていた。でも怖くはなかった。私は行くべき場所が分かっている。素直に瞳をひらけば、見えてくる光さす道。そこをまっすぐに進んでいけば良いのだ。あたりが暗くなるほど道はくっきりと浮かび上がる。ここをたどっていけば、たとえ歩けなくともあの場所へたどりつく。
誰もが知り、誰もわからず終わる場所。
扉の前に立つ。
今日のとびらはお菓子だった。
もう、まよわない。昔みたいに迷ったりはしない。
わたしはとびらを思い切り引いた。
ギィィィィィ。
『今晩は』
『今日は!!』
扉が開くのをわかっていたかのように、夜色と朝靄、そうとしか形容できないふたりが私を迎えた。
『まだ引き返せますよ』
夜が言った。
『どうする?』
綺羅綺羅と朝がわらった。
以前と変わらない会話。昔ここへ来たときは、この言葉たちに気圧されて、私はこの部屋をあとにした。
でも、もう、迷わない。
『いいえ。』
笑って言えた。
朝は私に微笑みかけ、夜は一瞬唇を噛んだ気がした。そして、言う。
『『ようこそ。“夢わたりの小部屋"へ』』
夜と朝が同じ笑みを浮かべる。
『『あなたは大切なお客様です』』
そう。昔はこの言葉が怖かった。でも。
『もう引き返せませんよ』
『御用はなぁに』
夜と朝は代わる代わる言葉を紡ぐ。
『預かって頂きたいものがあるんです』
『お名前をどうぞ』
『大崎未来です』
夜の表情は全く変わらない。しかし朝は困ったような顔をした。
『ちがうよ?』
違う…?違うとは何なのだろう。私の名前は大崎未来。でも、ここでは違うのか。じゃあ…そうなんだ。
『サキといいます』
私の口からするりと言葉が。
夜の微笑。そうだ。わたしはサキだった。
『サキ様。何をお預かりしましょう』
わたしは何も持ってこなかった。沈黙が落ちる。わたしは何を預けようというんだろう…。
『サキちゃん?』
朝が励ますようにわたしを見つめる。ぼんやりと白いマントのような上着が目にはいる。
『どうしたの?サキちゃん。はやく、出しなよ』
白いまっしろい長いズボン。太股にかかるスカート。ぜんぶ真っ白。ぜんぶ…
わたしは箱を胸に抱いていた。そして歌う。青い青い青い青い…歌?
朝と色違いの服を夜は着ている。黒黒黒黒。
『“青い歌"と“空の箱"ですね。確かにお預かりしました』
夜は深々と背を折り、わたしを見た。しゃぼんだまと同じいろの朝と同じ色の瞳。服も形も中身も対照の二人。瞳だけが同じ。
『ある人がきたら渡してほしいのです。あの日までに…』
『承知いたしました』代わる代わる二人は口を開く。
『それで、この日までに其れが来たら、“青い歌"を来なかったら“空の箱"を渡すんだね?』
まだなにも言ってないのに。
『はい』
わたしはもう頷くだけでいい。わたしのために。
『…よろしいのですか?』
夜はこころなしか悲しそう。わたしは…、…に泣かないでほしかった。…?なんだっけ?
『ええ。どちらを渡しても構わないわ』
『承知いたしました』
『これで全部かな?』
気が付くとわたしのことばは文字となり、“はこ"の中に吸い込まれていた。そう。ここへ初めからそうだった。見えなかっただけ。
『では。またどこかで。今日はいままでで一番楽しかった。ありがとう。“私"の話を聞いてくれて…ありがとう』
『滅相もございません。お客様のためなら、世界の果てまでも、』『『あなたのために』』
夜と朝のハーモニー。それもこれで…
『さよなら』
緊張がほどけて、わたしはまたつい思い切り扉を引いた。
ギィィィィィアっ。
『…!?』
取れた。
『逆です。お客様』
『あはははははは!!』
夜の苦笑。朝の破顔。
わたしもおかしくなって…
「はは…はははは」
『ふふ…あはははははは』
わたしは笑った。こうして、部屋はとおのいていった…
青い少女が去っていった小部屋。
『ナイスだね!!“夜"。わざとドアを壊しておくだなんて。僕感心しちゃったよ』
『私は彼女の願いを叶えたかっただけだ。越権行為か?』
『やさしすぎるよ。“夜"は』
話す間に日は迫る。彼女が与えた精一杯の期限。この部屋は“普通"と時間の軸が違う。
『来ると思う?』
『お前は…どう思うのだ?』
『僕は好きだよ。決まった未来を変えようと足掻く姿は。だって…』
『さぁ“青い歌"という名のこの鍵を使うときがきたぞ』
『…ふふ。迎えに行かなくちゃね、彼女』
青いペンキで塗りたくられた個室。抱き締められたスケッチブック。
『綺麗だね』
すべてのページが青いクレヨンで塗りたくられていた。むらなく、全て。
髪は長くのび、爪はここ数年切られた気配がない。絵の具がぶちまけられたベッドと床。
サキはそこに横たわっていた。涙をたくさんながしたのだろう。あとがついてしまっている。病魔に耐えられなかった体。白くやせほそった頬。
それでも、美しい、死に顔だった。
真っ青の部屋。かべも天井もベッドも床も。白かっただろうサキの服も斑模様。
『サキちゃん…雲みたいだよ…』
『“靄"箱をあけろ』
『“空の箱"だね?』
夜は頷いた。
開かれた“箱"は両手に少し余るくらいの大きさしかないのに、部屋のすべてを飲み込んだ。色を全部。哀しい青を全部。
スケッチブックも真っ白になった。
最後に“夜"はサキを抱き上げる。そして、“箱"へ。
『サキちゃん…頑張ったね』
サキはその“箱"の中、すっぽりとおさまった。
夢籠暦30××年9月7日。
サキちゃんの待ち人が来た。
僕たちはもちろん“空の箱"を渡した。真っ青の箱。
オカアサンという人間だった。
『ミライはここだと聞いたのですが!!ミライはここですか!!ねぇ答えなさいよ!!ねぇ!?』
『はい。お預かりしました』
『ミライ!!あぁミライ。良かった。あの子は小さい頃から外になんか出たことなくて。その…病気…で。空しか知らない子なんです。一日中空ばかり見て。』
『恥じてるの?それ』
『ええ!!もちろんですとも!!できそこないですわ。だから私がいないとダメなんです。わたしがいなくちゃ!!はやくミライを出しなさい!!出しなさい!!』
『こちらがお預かりしました…』
『あぁミライ!!ここにいたのね!!』
そうしてオカアサンは“空の箱"から大崎未来を取り出した。抱き締めて、壊れものを扱うみたいに、連れて帰った。
サキちゃんはオカアサンを試した。命をかけて。歩けない足で歩いて、廃屋の小さな部屋で待った。自分を探してくれるかどうか。そして、自分の誕生日を覚えていてくれているかどうか。死ぬまで、待った。でも、オカアサンは来なかった。誕生日も覚えてなかった。
ただ彼女の押し殺した願いが叶っただけ。
『自由になりたい』
『思い切り笑いたい』
透けて青くなってこの部屋にやってきた彼女。歩けないから空を飛んで。それも気づかずに。
サキがいったあと、“夜"はずっと泣いていた。名もない僕らに名を与え、去った少女。サキを想って彼女は泣いた。
ねぇ。未来を変えようとするなんて無理なんだよ。でも…そんな輩を僕はキライじゃない。だって…。
だって…
愚かしいじゃない。
なんで“夜"は泣くの?
僕には永遠にわからないよ。
わからないよ…
白いスケッチブックは風に揺れて、ページは空へ、かえろうとしていた。
♪
“fin"
そら【空】1・地上に広がる空間。地上から見上げる所。虚空。2・空模様。天候。時節。3・落ち着く所のない、不安定な状況。4・心が動揺し落ち着かないこと。放心。また、一つに決めかねている心境。…ここには空がない。あるのは都会に切り取られた“そら”だけ。だから私は空を探す。歩いては目印をつけ、歩いては慟哭する。これまで私の思考にお付き合いくださり、ありがとうございます。では。またあの樹木の下でお会いいたしましょう。そっと誰かがこの日を吹き消した…