『その先にあるもの』
D.C.P.-feat.翡翠
世の中にはどうやったって自分には手にいれられないものがあって、それが必ずしも、自分の興味のないものではないことに気がついたのは、高三の夏だった。絶望に似た喪失感と、安堵と渇望による葛藤が繰り返される日々が続いた。
幸せは自分で掴むものだとよく聞くが、自分の手の届く範囲に幸せなんてものが存在しないことを思い知ったのは、大学二年の夏だった。今までそんなことにも気付いていなかった自分に、同情すら覚えた。
四つ下の弟が自殺したのは、大学三年の夏だった。
就職して二年目の夏に、会社が倒産した。それが一昨年のこと。
去年の夏には婚約相手に逃げられていた。
だから、今更夏が来るからといって心が躍るなんてことは、ありはしなかった。
二十六歳の夏。
青春とは程遠い、ひどくくたびれたように見える、夏の空。
すべては過去のことだった。だから僕は生き続けられていたし、世の中は続いているのだと思う。
気がつくと、電車の窓の外をながられる雨にぬれた街を眺めながら、そんなことを考えていた。今年の夏は涼しい。雨の街も、じめじめとした雰囲気ではなかった。ただ、薄靄に包まれて視界の悪い景色は、儚げで、視線を逸らしがたい存在感があった。儚さの存在。
駅から徒歩五分。会社に着いた。小さな雑居ビルの二階。主に雑誌のデザインや編集を手がける、小さな出版社。雑誌といってもコンビニや本屋に並べられているようなものではない。その手のジャンルの専門店の片隅に置かれているような、発行部数が極めて少ない専門誌ばかりだ。
薄汚れたドアを開けると、エアコンのカビ臭い冷気とともに、甘い紫煙が漂ってきた。
「田島さん、また中で吸ってるんですか?」
窓際のデスクで不機嫌そうにパソコンのディスプレイを睨んでいた男は、そのままの姿勢で、
「・・・ん。まあ。」
とだけ答えて作業を続けていた。
「柏木さんが戻ってきたら、また怒られますよ?」
田島の正面のデスクにカバンを置き、雨で濡れたシャツをエアコンの風にあてて乾かそうという無駄な努力を試みてみる。そんな僕を、田島はわずかにパソコン画面から視線を上げ一瞥し、
「・・・ま、そん時ゃそん時。その前に換気しておいてくれや。」
と言うと、また作業に戻ってしまった。田島の左手の人差し指と中指の間には、まだマイルドセブンが挟まれたままだ。
「はぁ」
しばらく換気は出来そうにない。
換気機能付のエアコンに買い換えるべきだと思った。
数分後柏木さんが戻ってくるなり、「ちょっと取材に出てきます」と田島さんは足早に去っていった。今日は直帰かもしれない。えてして、事務所には柏木さんと僕だけがのこされ、タバコ嫌いな柏木さんがそそくさと窓を開け換気を始めたため、暑さと湿気に戦いながら仕事をこなさなければならなかった。
十分後。そろそろいいだろうと思い、エアコンのスイッチを入れ、窓を閉めようとした時、柏木さんが唐突に口を開いた。
「なあ、新井」
「あ、まだ換気しますか?」
「いや、もういいよ。暑いし。そんなことよりお前に頼みたい仕事があるんだけど」
そんなことを言いながら、全くパソコン画面から顔を上げない柏木さん。この事務所の人はみんなこんな感じだ。
とりあえず窓は閉める。
「今度出す雑誌のさ、表紙用に空の写真撮ってきて欲しいんだけど」
「・・・空の写真て、どういうのですか?」
「なんかこう・・・ファーとしてて、キューンって感じの」
どんなんですか。
「とりあえず、キレイなの。青空でも夕陽でもなんでもいいから。カメラマン、いつも通り伊藤さんに頼もうと思ったんだけどさ、なんか長期でスペインに行っちゃったらしくて、連絡つかんのよ。だから、お前、よろしく」
柏木さんはすべての会話をパソコン画面から視線を外さずに済ましてしまった。
まあ仕方ない。
こんな無理やりな仕事が今までに無かったわけではない。
好きな写真が取れるんだから、よしとしよう。
「ニ・三日顔出さなくてもいいから。出社にしとく〜」
手をひらひらさせている柏木さん。たまに行動がおかしくなる。
「じゃあ、今日はもう帰りますね」
荷物をまとめる。埃が積もった棚から、置きっぱなしにしていた私物のカメラと三脚を取り出し、点検。
異常なし。
帰りにフィルムを買って帰らなければ。
去り際に、柏木さんに呼び止められた。
柏木さんはやっぱりパソコン画面から顔を上げずに
「新井、がんばれよ〜」
と手をひらひらさせていた。
階段を下りていく途中、小さく聞こえたドアが閉まるバタンという音が、心地よく感じた。
か○ちゅはコメンタリーの倉田さんと舛成さんが面白いんですよ。え?なに?・・・あとがき?オレ、時雨○恵一みたいのできないよ?とまあ、あとがきだそうですが、完結した話をあれこれコメントしても意味ないしね、短編だし。・・・ん?完結してねぇだろ?・・・いやいや、完結してるんですよ、これ。うん。少なくともオレはもう続き書く気ないね。誰も望まんだろうし。まあ、そんなこんなで、こんな話ですから。僕自身、一切成長していないことが分かる方もいらっしゃるかと。あ、オレのこと知らないか。えっとね、毎年定演に来て、ステージから見て一番左の一番前にいる人だよっと!