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第9話

 次の日から、グレイヴの行動は変わった。

 書庫に入り浸りの『書庫の主』から一転して、余暇時間には積極的に外へと出た。


 後進の訓練への参加や進言、国王直属の近衛兵たちとのやり取り。

 きっかけは、どこにでもあった。

 彼はただ一つの目的のため、『英雄』、そして『忠臣』としての自身を、最大限に利用していた。

 自身の持つ『証』を確実に、宰相さえも手出しできない、その高みへと届けるために。


 そして、ついに決定的な瞬間は訪れる。

 しかしそれは同時に、猛禽の爪の一撃が彼へと食い込む、その瞬間でもあった。


 その日の午後、自室にいたグレイヴのもとへと、衛兵が一人、たずねてきた。


「グレイヴ卿。宰相閣下がお呼びです」


 衛兵の服は白。宰相の私兵ではない。

 しかし唐突な呼び出しのその背後には、間違いなく宰相の策謀が潜んでいるであろうことを、グレイヴは肌で感じ取った。


「承知した」


 しゃん、と鎧の擦れる音が響く。

 鋭利な音は彼に再び、『忠臣』の顔を与えていた。


 宰相の執務室の周囲はすでに、夜が与える闇に覆われていた。

 王宮の最奥に位置する部屋の周囲は窓も少なく、廊下の燭台は闇を払うには不足していた。


 グレイヴはもう一方の手を右手に重ね、友の形見を確かめるように、強く握るとともに顔へと寄せた。

 意を決したように、片手を伸ばし、部屋の扉を数度叩いた。

「入れ」

 響く声には、なんの温度も感じなかった。


 宰相は執務机に座り、書類へと目を落としている。

 その表情は厳格で、カイへと最後の裁きがくだされたあの法廷での、彼の姿と変わりなかった。


「招致に、馳せ参じました」

 ひざまずいたグレイヴの姿は、宰相への最高の敬意を思わせていた。

 宰相の目が机上の書類から静かに上がる。

 半分閉じられたようなその目には、一切の感情が感じられない。


「容態はどうだ、騎士グレイヴ」

「おかげさまで、つつがなく過ごさせていただいております」

「そうか。一時は塞ぎ込んでいたようで、気をもんでいたものだが、最近は随分と、他の者との接触にも精を出しているようだな」


 グレイヴの背がわずかにこわばる。

 心臓に刺すような、閉塞感が感じられる。


「古い財務記録――、枢密院の議事録――、それに、戦線の補給に関する文書だったか。研究熱心なのは結構なことだ」

「はっ」


――動じるな、悟られるな。


 けたたましく鳴る半鐘の音を悟らせぬよう、下を向いたままグレイヴは、極めて短い返事を返す。


「しかし――」

 宰相の言葉はさらに続く。

「なぜ今それを、王へと伝え、広めんとする必要がある」

 グレイヴの心臓を杭が打った。

 背中を冷たい汗が伝い、掌へと水が溜まっていく。

 近衛隊長に渡したはずの文書。

 その内容はすでに宰相の元へと渡っていた。


――まさか、近衛隊長までも――


 だが、グレイヴの疑惑に対し、宰相の声は冷たく響く。

「残念だが近衛隊長は『無実』だ。しかし近衛隊長をわざわざ脅さなくとも、情報をえる方法などいくらでもあるのだよ」


 そして、宰相の机の下から出された書類が、音を立てて机に広がる。

「さあ、言うがいい。なんの意図があってこのような文書を集めんとした。これは、ただの興味本位ではあるまい」


 宰相の言葉に感じた違和感に、グレイヴは初めて顔を上げた。

 机の上へと放り出され、散乱した書類は、たしかに彼が老いた近衛隊長へと接触し、託したものに違いなかった。

 しかしそこには、決定的なものが欠けている。――二重帳簿。


 彼はただ、その機密があるべき場所にたどり着いたという、あまりにも希薄な可能性へと望みをかけ、絹糸よりも脆弱な一本の細縷を、わたり切るより他なかった。


「恐れながら、申し上げます。

 私は我が手で断罪したかつての『英雄』の、その原罪について調べておりました。

 その手口を研究し、二度とこの国で同様の裏切りが起こらぬよう、その背景を把握した上で、近衛兵らの部隊に対しても情報を共有するべきであると、ただ――」

「――ほう」

 グレイヴの言葉尻をとらえたように、宰相は皮肉な笑みを浮かべた。


「では、貴公はなぜ、出どころすらわからぬ、このような奇妙な帳簿にまで手を出すのだ。これは『再発防止』などとは無関係だ」

 宰相が右手で振るう薄い書類。

 裏側に鳥のサインが書かれたそれは、紛れもなく、あの二重帳簿の写しだった。


 グレイヴの方ヘと足音が迫る。

 机から離れた宰相は『騎士』の耳へと口を寄せ、彼のそばに低くなった。


「騎士グレイヴ。貴公の忠誠と聡明さこそが、我らを安寧へともたらすものだと思っていた。だからこそ貴公はあの『緋色の男』の死をもって、全てを忘れるべきだった」

 グレイヴの耳元に、宰相の言葉が重く響いた。


「明朝、近衛兵を含めた全ての兵らの前へと立ち、これらを『緋色の男』の反逆の、確実な証だとして証言せよ。さすれば、貴公には再び、忠実な英雄騎士として生きる道が与えられる」


「――宰相閣下」

グレイヴの声は、驚くほどに静かだった。


「私は、『英雄カイ』の遺志を継ぎます。

 カイは最期まで騎士の矜持に殉じていた。

 私は彼の意思に従い、これらの書類を陛下へお渡しし、この国へと、新たな樹木を芽生えさせます」


「――愚か者が」


 宰相の顔が怒りに歪んだ瞬間、執務室の扉が開き、十数人の私兵が雪崩れ込んできた。


 グレイヴには、剣を抜く間もなかった。

 数名の私兵に掴みかかられ、彼の存在は一瞬にして、闇の奥へと引きずり込まれた。

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