第4話
地下牢は、王宮の華やかさとは無縁の、冷たく湿った石の塊だった。
その最下層の一室こそが、英雄と呼ばれた、緋色の剣士の最期の寝床。
夜の静寂の中、グレイヴは重い扉の前で立ち尽くした。
数時間前、法廷からカイが連れ去られた後、彼へと告げられた短い命令。
「明朝の執行役はお前が務めよ、騎士グレイヴ」
騎士にとって、王命は絶対。
反逆者の断罪が王の名によるものなら、彼はそれに従う他ない。
しかし、その剣が向かう相手もはや半身とも言うべき友であるなら――
グレイヴは鉄の鍵を回し、扉を開ける。
軋む音が、彼をねじ切るように響く。
開け放たれ扉の先。
緋色の剣士は、薄暗い部屋の隅へと横たわっていた。
グレイヴの施した手枷と足枷をそのまま、粗末な藁の上に眠るその姿は、『英雄』と呼ばれた本来の彼とはかけ離れている。
「カイ」
その声に応じるように、カイは目を開け、グレイヴを見た。
「英雄の騎士が、こんなところにいてもいいのか?」
そう言ってカイは上体を起こし、ゆっくりと、壁に背中を預けて座り直す。
いつもと変わらない軽口に対し、引きずられる鎖の鳴る音が、そこに見えない壁を築く。
「なぜだ、カイ」
グレイヴは先の法廷と同じ問いを、今度は血を吐くような思いで口にしていた。
「処刑は明朝だ。わかっているのか。明日の朝、お前は――」
――俺によって処断される
グレイヴは言葉を継げなかった。
「わかっているさ、グレイヴ」
見透かしたようにカイは言う。
「私のやったことは紛れもなく反逆であり、裏切りだ。いくら周囲が英雄と呼ぼうが、事実だけは誰であろうと変えようがない」
「――教えてくれ。何が目的だ。
お前ほどの男が、たかが金銭目的で国を売り渡すような男でないことは俺が何よりもわかっている。
お前は何を隠している。そして、一体何を守ろうとしている」
カイはゆっくりと両目を閉じた。
「全て、真実だ」
「嘘だ!」
グレイヴは声を抑えきれず、低い怒鳴り声になった。
彼方から看守の杖が床を叩く音が響く。
グレイヴは抑えたように口にする。
「俺は、お前の剣をずっと見てきた。お前に預ける背中はむしろ俺の誇りだった。お前ほど国を思い、戦った男を俺は知らない。
本当のことを語れ、カイ。このままでは、お前は――」
カイは一度だけグレイヴを見上げ、そして硬く冷たい言葉を返した。
「グレイヴ。お前は騎士だ。騎士は有り得ない現実に対して、それをどう処理するかこそが真の価値だ。
お前は、俺が裏切ったという事実を、そのまま受け入れてくれ。それが、俺がお前に贈る、最期の正義だ」
「最期の正義だと!俺はそんなものはいらない。
俺は――」
グレイヴは自身の右の壁へと、拳を強く叩きつけた。
じりじりと響く痛みと痺れは、その右手のわずかな震えを、隠してくれている気がした。
「俺の、最期の追跡者がお前だった。だからこそ、俺はお前に抵抗しなかった。
お前は、お前のままであり続けろ。私のことなどすぐに忘れて、ただ忠臣として王を守れ。」
「カイ!」
「私は断頭台に種子を残す。その種子が芽を出し、育つ様を、お前が最後まで見届けてくれ」
カイはそう言って初めて笑った。
諦念さえも通り越した、悟りのような静かな笑み。
「最期に話せたのがお前で良かったよ、グレイヴ」
「――ああ」
グレイヴは、かろうじて声を絞り出した。
彼の脳裏には、断頭台に広がる、緋色のイメージがついて離れなかった。
「――俺もだ」
グレイヴは、重い沈黙の後、そう呟いた。
「おやすみ、カイ。どうか、安らかな眠りを」
「ああ、お前も」
グレイヴは下をむいたまま立ち上がり、そのままカイへと背中を向ける。
「グレイヴ」
カイが静かに呼び止めた。
「お前の剣は、国の誇りとともに、俺の誇りでもあった。振るう相手は選べ、曇らせるな。
ずっと――、いつまでも」
グレイヴは、返答もせずに扉を閉めた。
そのままずるずると扉に背中を触れさせたまま、重力に任せて滑り降りる。
顔を覆う震える両手が、彼の視界に闇を与える。
相手を選べと言われたその剣は、明日、最も大切なその親友の首へと振り下ろされる。
夜の中、グレイヴは自身の体そのものさえも、闇へと閉ざされて行くような、重々しい感覚を感じ取っていた。




