枯れ専がばれました 5
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ステファーニ公爵領には、少しずつ秋の足音が聞こえはじめていた。
日中は暑いが、夜になればすごしやすい気温まで下がるようになり、わずかに開いた窓からは気持ちのいい風が入り込んでいる。
湯上りのイアナは窓から入って来る風が当たる場所に椅子を持って行き、もう何十回眺めたかわからない絵姿を見つめていた。
(ああ、やっぱりカッコいい……)
フェルナンドの絵姿である。イアナの好きな、いぶし銀の彼の絵姿だ。
若返ったフェルナンドも、もちろんイアナは大好きだし、今や彼に六十二歳の姿に戻ってほしいとは思っていない。それよりもこの先の人生長く一緒に過ごせるほうがいいからだ。
とはいえ――
(ごめんなさい、やっぱりこの顔が一番ときめくの……!)
フェルナンドに六十二歳の姿に戻ってほしいとは言わないが、絵姿は見たい。これを見ながら四十年後に思いをはせてうっとりするくらいは許してほしいと思うイアナである。
(できることならもっと大きな絵姿を部屋に飾りたいけど、さすがにそれはまずいわよね?)
部屋の壁に額縁に入れて飾っておけば、いつでも好きなだけ眺めることができるのに、とイアナは小さく嘆息した。
いくら夫の絵姿でも、なんとなく、この絵姿を周りに人がいる状況でニマニマしながら眺めるのには抵抗がある。
クロエもマーラも、イアナが六十二歳のフェルナンドの絵姿をうっとりしながら見つめていたら戸惑うだろう。
(そう言えばエラルドが、ステファーニ公爵家では数年に一度は肖像画を描いてもらうって言っていたけど、どこかに六十歳の旦那様とか、五十五歳の旦那様とか、五十歳の旦那様とかの絵姿もあるのかしら?)
お金を出して描いてもらった肖像画を処分するとは思えないので、きっとどこかに保管されているはずだ。それとなく執事にでも聞いてみよう。見たい。
「はあ、それにしても……すてき……」
「何が素敵なんだ?」
「ひゃあっ!」
うっとりと呟いたイアナは、背後からフェルナンドの声が聞こえて飛び上がらんばかりに驚いた。
見れば、フェルナンドが寝室と繋がっている内扉にもたれるように、タオルで髪を拭きながら立っている。
(あわわわわわっ)
まずい、とイアナは慌てて絵姿を閉じた。しかしイアナが何かを見ていたのには気づいていたフェルナンドは、にこにこと笑いながら近づいてくる。
「それは?」
なんか、笑顔が怖い気がするのは気のせいだろうか?
「いつもの時間になっても寝室にいないから様子を見に来てみれば……。イアナ? それはなんだ?」
「こ、これは……」
「素敵って、その手にあるもののことだろうか。見せてくれないか?」
「え、ええっと……」
なんでか知らないが、フェルナンドの機嫌が悪そうだ。
絵姿を隠したいイアナだったが、ここで隠そうとすればフェルナンドが怒りそうな気がする。
うぅ、と小さく呻きながら、イアナはかくんとうなだれてフェルナンドに絵姿を差し出した。
無言で受け取った彼は絵姿を開き、そのままの体勢で固まる。
「……イアナ?」
「はい」
「これはどうした?」
「ええっと……、嫁ぐ前に渡されていた、旦那様の絵姿です」
「エラルドが、これを?」
フェルナンドは自分の絵姿がイアナに渡されていたと知らなかったらしい。
フェルナンドは絵姿とイアナを交互に見た。
「この絵姿を、なんでまた君は引っ張り出して見ていたんだ? 聞き間違いでなければ、その……素敵、と言っていた気がするのだが」
(ああっ!)
イアナは顔を覆いたくなった。顔から火が出そうだ。
これ以上は隠し通しておけないと覚悟を決めて、真っ赤な顔のままフェルナンドを見上げる。
「実は……」
「実は?」
イアナは大きく息を吸い、ぎゅっと目を閉じると、勢いをつけて叫んだ。
「一目惚れなんですっ」
「……は?」
「だから、一目惚れなんです! その、絵姿の旦那様にっ!」
フェルナンドは目をぱちぱちとしばたたき、たっぷり沈黙した後で言った。
「……。……これに?」
「は、はい」
「どこからどう見ても、ここに描かれているのは年寄りの私の姿だが?」
「はい」
「これが、素敵だと?」
「はい」
「一目惚れ?」
「は、はい……」
繰り返し確認が入れられるのが恥ずかしくて仕方がない。
これ以上の責め苦には耐えられないと、イアナは正直に白状した。
「わ、わたし、年配の男性が好きなんですっ! そしてその……旦那様の、その絵姿は、わたしにクリーンヒットでして……」
「クリーンヒット」
「好きなんですごめんなさい! 四十年後の旦那様はこうなるんだなと思うとニマニマと笑っちゃうくらいときめいてしまうんです!」
わたしの宝物だから取り上げないでくださいとイアナが頭を下げると、フェルナンドが自分のこめかみを指先でぐりぐりと押した。混乱しているようだ。
「要するに、君はうんと年の離れた男が好きなのか」
こくんと頷くと、フェルナンドがはーっと息を吐いた。
「道理で私との縁談を了承するわけだ。顔を合わせた途端にショックを受けた顔で気絶するし、私との生活にも戸惑わなかったし……。謎が解けた気分だよ」
フェルナンドが絵姿を返してくれたので、イアナは再び取り上げられる前にといそいそとライティングデスクの鍵付きの引き出しに納める。
それを見ていたフェルナンドはまた嘆息した。
「それをそんなに大切にされると、今の私としては非常に複雑だな。それも私ではあるのだが……不思議だ。自分自身に嫉妬しそうになる」
「嫉妬?」
手を差し出されたのでイアナが彼の手を取ると、そのまますっぽりと抱きしめられた。
「君は今の私より、年を取った私がいいんだろう?」
「そ、そういうわけではないですけど……」
まあ、顔の好みはいぶし銀の方で間違いはないのだが、若いフェルナンドも好きなことには変わりない。
フェルナンドがイアナの頭頂部にすりっと頬を寄せる。
「じゃあ、今の私と年を取った私のどちらがいい?」
嫉妬しそうになるどころか、完全に嫉妬しているようだ。
自分自身に嫉妬するフェルナンドが可愛く見えて、イアナはついぷっと噴き出してしまった。
すると、ムッとしたフェルナンドが噛みつくように口づけを落としてくる。
「イアナ、私を嫉妬させると、ひどい目に遭うかもしれないよ?」
唇が離れて、至近距離で見つめれば、フェルナンドの頬がうっすらと赤くなっていた。
イアナは彼の首に腕を回して微笑む。
「じゃあ、質問をお返しします。旦那様は今のわたしと、四十年後の年を取ったわたし、どちらが好きですか?」
フェルナンドは虚を突かれた顔になって、それから「その質問はずるいな」と微苦笑を浮かべると、ひょいっとイアナを横抱きに抱き上げる。
そしてもう一度口づけを落とすと、茶目っ気たっぷりに片目をつむった。
「その答えは、寝室の中でしよう」
イアナはフェルナンドが何と答えるのか想像がついていたが、わからないふりをして彼の肩口に頬を寄せた。