我が名は『エイハブ』
もう30年前の話…誰もが知る大国、―――と―――の一大決戦が起こった。戦いは凄惨を極め、生還者は両軍併せ二人とまで言われている。血で血を洗うなど生温い、現世の地獄を体現したかの様な戦争…
「はい、その戦争の名前は?カルラ!」
「えっあっ…!シヴァちゃんなんだっけ…?」
「『天獄の戦い』!」
「はい!天獄の戦いです!」
「はい正解!シヴァに頼らなきゃ100点!」
ここは私立中高一貫傭兵養成学校ファウンデーション。
私は『エイハブ』。ここで歴史教師兼軍事訓練顧問…要するに殆どの授業の教員を担当している。
「この戦争の惨状は…」
「エイハブせぇんせぇ〜、まだ終わらないのぉ〜?」
「私も早く終わらせたいが、一応ここまで説明しとかないといけないんだと」
「ねむい〜」
エイハブというのは『白鯨』という小説の主人公の名であり、元は悪魔の名らしい。
「カルラちゃん、頑張って。今日カレーにしてあげるから」
「マジ!?シヴァちゃん神!」
「それを作るのは私なんだが…?」
最近は教員の労働環境が騒がれる事などザラだが、私としてはとても楽しい毎日を送らせて貰っている。
全寮制でもあるこの学校はクラスのほぼ全ての授業に加え寮生活まで担任が責任を持ち管理するという形式を取っている。
正直、これを聞いて入りたいと思う人間は余り多くないだろう。仮に教師が己と合わない人間だとしても中高一貫なので6年間は親よりも生活を共にする羽目になるというのだ。
「せんせぇ!早く終わらせてカレー食べよ!」
「カルラ…まだ基礎体力があるよ...」
「え~うっそぉ~!わたし基礎体力いちばんなんだしやんなくてもよくな~い?」
「『玉不琢不成器、人不学不知道。』だよ...カルラ」
「玉琢かざれば器を成さず、人学ばざれば道を知らず。シラユキの言う通り、才能ってのは努力から出てくるもんだ。
...まあ、カルラもこう言ってるしもう戦争史も終わりにしよう、私も飽きた。次は第七訓練場集合だ。遅れないように」
「は~い!じゃ二人とも、行こ!」
「ちょっ...カルラちゃん!走らないで!」
「カルラ...待って~...」
「転ぶなよ~!」
生徒たちが走り去っているのを見送ってから、隙間時間で仕事を処理するのが最近の日課になりつつある。
「第七訓練場まで2分...休憩10分...合間の8分もバカに出来ないよな~...」
話を戻す。この学校はいくつかの学部に分かれており、特に私達がいる所を『実務傭兵部』という学部の『小隊科』と呼ぶ。小隊科はその名の通り軍隊に入るのではなく少数精鋭の独立小隊を進路に見据えた学科であり、これに入れるのは極々一部のエリートだけだ。また、小隊科のクラス人数が極端に少ない理由として「部隊配置制」というシステムも関連している。実際の有識者の手により合格者達を実戦にも有効な部隊として編成し、そこに統率を行う教員が置かれる。
…と言っても、その入学難易度の高さから現状小隊科は我々しかいないのだが。
とにかく私達は『戦闘員カルラ』、『工作員シヴァ』、そして『作戦参謀シラユキ』と私『統率者エイハブ』の四人体制で小隊科として訓練を行っている。
「不思議な感じだよな~...アイツらも超エリートなんだから」
見た目は普通の女子高生なのにも関わらず、彼女たちは作戦・工作・戦闘のどれかにおいて一般兵卒の何十倍もの知見と経験を持っているのだ。
だが、当然他校の教師などからは聞かれる。非効率的ではないか?、と。確かに教師:生徒の差が小さいというのは塾などではともかく学校では非効率的に他ならない。いくらエリート限定とはいえだ。だがそこにはとあるこの学校の忌まわしき過去が関わってくる。それは...
(ピピピピピピピ。ピピピピピピピ。)
タイマーの音が私を現在に連れ戻した。どうも私は物思いにふけては誰に向けてでもなく何かについて心で語ってしまう癖がある。
「もう三分前か...さて、さっさと終わらせて家に帰るか」
私達の家、小隊寮へと帰るためにも、第七訓練場へと私は足を伸ばした。
「ふぁ〜〜終わった〜〜〜!」
四人で寮に戻った時、いつも一番最初にベットに飛び込むのはカルラだ。赤髪が白の枕の上に乱れ咲く。
「先生、カレーの具買いにいきましょ」
シヴァはしっかり者だ。いつも最初に冷蔵庫を見る。
そしてその蒼い髪は常に透き通った形をしている。
「お腹…すいた」
意外と一番食い意地が張っているのがシラユキで、一言目は常にコレである。腰まで伸びた白髪を垂らし椅子の上に手を膝に起き座る姿は若い老婆のようだ。
「あれ?私の財布知らない!?」
「せんせ〜また〜?」
散らかり放題の寮の唯一の難点といえば財布が定期的に無くなる事だろう。私自身ずぼらな性格なので直す気はさらさら起きないが。
「先生、私の財布…お金貸すから、後で返して」
「経費処理は面倒くさいんだよ〜シラユキも探してくれない?」
「早く」
「わ…分かった分かった!」
おっとり目の彼女だが、食に関すると途端に覇気のある声になる。流石の大人の私といえどソレには逆らえない。しぶしぶサファイヤのような留め具の白い財布を受け取り、そのまま寮を出ていく。
「んじゃ、いってきま〜す」
「7時には帰るから、二人ともそれまで待ってて。じゃ、行ってきます」
元気な声と静かな見送りの言葉が聞こえる。ああ、一生こういう風に生きたい、そう思った。
寮から出ると既に夕日が落ちかけていた。黒に染まりつつある空の下で、妙に騒々しい車の音を聞きながら歩く道。それすら漫画のように面白く見えた。
「先生、にんじん買っとく?無かったけど」
「いや、う〜ん…シラユキが食べたがらないしなぁ…でも使える時はあるし…まぁ買っとこっか」
シラユキはああ見えてかなりグルメだ。私に言わせれば好き嫌いが激しいだけなのだが、本人曰く
「私はグルメだから…舌に合わない物は喉が受け付けない」
との事だ。カルラとシヴァは基本的に何でも食べれるからそこまで問題という訳では無いが、不運にも彼女の好き嫌いは私と反対な事が多く、ちょっと困る。
「にんじん…お肉…じゃがいも…よし、後はまだ合ったはずだから」
「いつもありがとうよ、本当に助かるぜ」
「別にいいけど、助かるって思うなら教えてくれない?例のアレを」
「ダ〜メ、秘密だからな」
「ケチ」
私がこの地に来るまでも幸せだったと言ったら嘘になる。哀しき過去…という訳では無いが、あまり振り返りたくはない。
人間は死んだ後、天国と地獄、そしてその間の煉獄のどれかに行くという。天国は天国、地獄は地獄として、煉獄と言うのは働き続ければ天国に行ける場所らしい。
(そこに行ったらかつての日々なんて振り返りたくないよなあ)
しかし煉獄から天国にやって来た物は、そこに居る中でもかつての己の悪行とその報いを果たす為の日々を振り返らなければならないと言われる。
「己の悪運因果を呪え…って事かね。全く…」
「何か言った?」
「んいや、なんでも。」
その事実に納得はいかない。それでも元から天国にいる彼女達に、煉獄…いや、地獄も生温い日々。そして私が背負う羽目になった十字架を共に背負わせる訳にもいかなかった。
「…先生の仮面の下、気になるなぁ」
「そう言い続けてもう3年目だろ、諦めな」
「美人だった?自分の中では」
「まあ…クラスのマドンナにはなれるかな」
彼女達とは中学一年生からの付き合いなのですっかり慣れたようだが、私に初めて出会う人間は皆必ず驚く事実がある。
それは私が常に『仮面』を身に着けているという事だ。比喩などではなく、物理的に。
もう何年外してないだろうか…
おかげで自分でも自分の顔を知らない。メイクも目元だけで済む、口紅を塗る必要も無い。耳で固定している為、髪を切るのは面倒だ。前髪を切るときだけ、上部分だけを取り外している。
「怪我したから着けてるんだっけ?」
「違うよ、怪我なんかこの方したこと無い」
「じゃあ何でだっけ?」
「それは…何ていうのかな〜…」
真意を隠す為の嘘を考えいたその時だった。
(ドカーン!)
爆発音がした。狙いは私達なのが爆発位置から見て取れた。
「チッ…こんな時に…特売が終わっちゃうわ…!」
「財布を渡す。買ってきてくれ、シヴァ。彼等は私が処理する」
振り向いて構えると戦車がからからと音を立て歩いて来ていた。そして顔を出している乗組員が私に語りかける。
「エイハブだな?」
制服はファウンデーションの物、しかし色が少し違う。私達は真っ黒だが、敵は紺色が混じっている物を着ている。
これが、我が校の忌まわしい風習である。
「ククク…戦車相手に人一人で適うわけが無い!大人しく降参し、ショウカは我々に屈服すると言え!」
信じられないかもしれないが、ファウンデーションには大きく分けて三つの勢力がありその中の二つは内戦中なのだ。我々の敵は実務傭兵部『兵務科』。小隊科と違うのはその兵力、一騎当千の我々に対し多勢に無勢を極めた生徒の数と兵器の類いが強みだ。
「私は多勢に無勢って余り好きじゃないんだがな。だってそれで終わらせたらロマンが無いだろう?」
「減らず口を叩けるのもそれまでだ!先生とて主砲が命中すればどうなるか分かるだろう!」
「軽くて全治一週間の火傷!当たりどころが悪ければ一ヶ月はベットの上だ!さあ降参しろー!」
戦車のスピーカーからも戯言を垂れ流される。
かつての戦争から人間は進化し、武器の殺傷能力は大幅に規制されたとは言え、戦車の主砲を躊躇いなくぶっ放すくらいには最悪の関係性。
これがわざわざ小隊科数名に対し専属教師が付く理由でもある。中途半端になってしまっては教師が危険だからだ。
「…何とか言ったらどうだあ!」
…また自分の世界に入ってしまっていた、つくづく悪い癖だ。
「…まあ、友達にこう伝えとくんだな」
「…ん?どういう事だ、ついに降参するのか?」
冗談ではない。降参するのはどちらか…それを教えるのも教員としての責務だ。静かに腰に折り畳んで隠していた『相棒』を構える。
「『エイハブは戦車持ち出しても勝てないぞ』ってな」
「どういう―――」
その言葉を聞き終わる前に仕掛ける。
人一人で戦車に敵うわけが無い、と彼等は言った。
「跳んだ…!?」
「ば、ばかな!ジャンプ一回で主砲の可動域から逃れるなんて…」
確かに人なら敵わないかもしれない。だが私は違う。
(バァン!)
一発目でエンジン部分を狙い撃つ。これで移動を封じた。
「被弾した!対物ライフルだ!」
「対物ライフルだと!?嘘だ!奴は片手だぞ!対物ライフルを片手で持てる人間が…」
(バァン!)
サイレン越しの言葉を遮る様に二発目を命中させる。
位置は出入り口の鍵。これで戦車は要塞にすらならない、ただの棺桶と化した。
「まずい!出入り口が!」
「総員、銃を出せ!入ってくるぞ!」
サイレンを切り忘れているのか中の慌てぶりが手に取るように分かる。
正直、平穏な生活はスパイスが足りない。先程までは『忌まわしい風習』などとボロクソに言っていたが…正直言ってこれも生活の楽しみの一つになりつつある。生徒を虐めて楽しむのは教員としては少々如何なものかとも思うが、まあ自ら仕掛ける事は無いので許される…だろう、多分。
「せー…のっ!…っと、じゃ入るぞ」
出入り口を蹴り飛ばし戦車内部に侵入すると、四人程度の生徒、恐らく中等部の子たちが銃を構えて出迎えてくれていた。
「ククク…かかったな!流石に屋内ではその身体能力も活かせない!」
「対物ライフルでは倒せて一人だろう!だがその隙に我々は貴様を撃ち倒すぞ!」
「今度こそ大人しく降参しろー!」
(なんか…可愛いな)
少しチワワのような小動物味を感じつつも、一応鎮圧をしなければならない。教員の辛いところだ。問題を起こした生徒だって教員も本当は叱りたくないのと一緒で、可愛い子たちに怪我などさせたくないものだ。
「な…何を笑っている!?」
その言葉で自分がニヤリと笑っている事に気付く。どうも顔に出やすいタイプだからか、ゲームで良い作戦を思い付いてもバレる事が多い。
「このーっ馬鹿にしやがって、くらえーっ!」
おっとりそうな女子の手から数回の発砲音がした。
その銃弾を見切りつつ、やってみたかった事に挑戦してみる。改造を加え数発の連射を可能にした銃と、反動にも耐えられるように鍛えた今なら出来るかもしれない。
「喰らえ!私の…『早撃ち対物ライフル』ッ!―――」
「…で、どうしてこんな事になったの…?」
頭上から声が聴こえる…なんとか首を動かして見ると、買い物袋を持ったシヴァが上から見下ろしていた…
「腰が…腕というより腰が…」
確かに早撃ちは出来た…出来たのだが…どうやら腰が弱かったようだ…情けなく5人まとめてシヴァに引きずり出されてしまう。
「…ほら、遅れたら二人とも怒るよ。立って立って」
「ああ…悪い。コイツらは放っておいてさっさと帰ろう…」
肩を担がれ、なんとか寮へと歩いて行く…しばらくは無茶出来なさそうだ…
これは悪魔となった私が、『人』に戻る為の短いお話。
私は『エイハブ』、悪魔の名を継ぐ女。
神の使いの『白鯨』と戦う定めを持つ名を付けられし悪魔。
だが悪魔と神獣が、かつての因縁を共に背負い手を繋いだ時、悪魔は人に戻り、神獣は鯨に戻る。
私はそう信じている。