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花屋の後悔

作者: 鏡花水月

“私の将来の夢はお花屋さんになることです。お花は人を幸せにして、笑顔にします。私は、誰かの幸せを手助けする人になりたいです”


 小さい頃の夢を追い続け、ようやく得た小さな店。毎日色々な人が幸せの花を買うのを手伝うこの仕事を私は誇りに思っている。


「……あれ?」


 ザーザーと雨が降る外を何気なく見ると、そこに段ボール箱が置かれていた。そこからは黒くて小さな手が出ていて、微かな鳴き声をあげている。おそらく、捨て猫だ。


「えぇ……。迷惑だなぁ、ちゃんと育てればいいのに」


 パチンパチンと花の剪定をしながら捨てた飼い主を恨む。私は動物を飼ってはいけないアパートに住んでいるし、そもそも猫を拾うなんて面倒なことをしたくはない。絶対に汚いし、雨で濡れているし、他の人が拾ってくれるはずだ。


 さっさと誰か拾えばいいのに、と思っていたが誰も彼もが見て見ぬふりだ。チラッと目線を送るだけで、拾うなんてしない。気づいたなら拾える人がいるはずなのに、誰もそれをしないことにイライラし始めた。


「……まったく。こっちは忙しいんだから、はやくそれをどけてよ」


 このまま誰も拾わなかったら、多分明日には死んでいる。そうしたら、誰がその死体を捨てるのか、考えはしないのだろうか。気の利かない通行人達に苛立ちながら、猫に気づき二時間が過ぎようとしていた。


 流石に少し猫のことが心配になってきたが、拾うなんてことはしない。でも、もう夕方も過ぎて暗くなってきたから明日には死体の線が濃厚だ。はぁ、と溜め息を吐いていると、猫の前で一人の少女が止まった。


 ウイスキーのように透明な輝きを放つ長い茶髪に、線が細いながらも女性的な肉体。顔は長い前髪で隠れているのに、直感で綺麗だとわかる少女は何度か見たことがある子だった。


 この地域では有名な学校の制服を身に纏い、傘をさし段ボール箱を見つめている姿は、絵になりそうなくらい幻想的で思わず見入ってしまった。


 ゆっくりと膝を折り段ボール箱を覗き込んだ少女は、中にいる猫をしばし見つめたあと鞄の中からタオルを取り出し、くるんだ。そしてそのまま抱き抱え去って行った。


 他に人が誰もいない、おそらく私が見ていることにも気づいていないのに、当たり前のように猫を拾うその姿に、私は自分が恥ずかしくて仕方がなかった。


 誰か拾って、なんて、浅ましい。身も心も綺麗なあの子が、誰が見ていなくとも善意の行動を自主的に行えるのは、一体何故か。


「きっと、皆んなから愛されてるんだろうな……」


 そうだ。そうに決まっている。私の心が貧しいのではなく、あの子の周りが綺麗だから、あの子が綺麗なんだ。そう思わないと、やりきれない感情が溢れそうだった。


「でも……」


 綺麗なあの子は、何故か傷だらけだった。頰には絆創膏を貼っていたし、服の袖からは包帯などが見えた。それに梅雨時の蒸し暑い中、長袖の服を着ている姿は妙だった。その時ふと思いついたことをまさか、と思い打ち消した。


 まさか、まさか。そんなわけがないだろう。私ならそんなことをされているのに猫なんて拾える余裕がない。


 パチンパチンと次々に花を剪定しながら、私はその疑問を雨の音とともに頭の中で押し流した。




「お花屋さーん!きったよぉー!」

「いらっしゃい、今日も友達のお見舞い?」

「へっへーん。そうだよ、今日も喜んでくれてたんだ〜」


 ここ最近毎日のように訪れ、お見舞いの花を買ってくれる可愛い女の子の来訪に思わず破顔する。


「昨日は菊の花?だっけ。今日はどうするの?」

「ん〜。百合!その子すっごい綺麗でね、百合とか菊とか牡丹とかが似合うんだ!」

「あら、そんなに綺麗な子なの」

「うん!すっごく綺麗なの。羨ましいぐらいに、ね」


 ニコニコと嬉しそうに喋る様子を微笑ましく思いながら、百合の花を手渡す。特別に、リボンも巻いておいた。


「はい、どうぞ」

「わぁ〜、ありがとうございます!」


 ぎゅっと花を抱きしめて朗らかに笑う姿は子供らしくて可愛い。だが、ふっと表情を曇らせて悲しそうな顔をする。


「……どうしたの?」

「友達が……、あまり良くなくて……。早くもとに戻って欲しいんです。私、遊んでくれるあの子が大好きで……」

「……まぁ」


 思わず手を掴んだ。ふるふると震えるまつ毛が可哀想で、喋る言葉に力がこもる。


「大丈夫。きっと元通り良くなるわ。こんなにお花をお見舞いに買う優しい子が、そんな顔するなんておかしいわ」

「……ありがとうございます、嬉しい……」


 目の縁に涙を浮かべながら緩く笑う姿に庇護欲がそそられる。店を出ていく後ろ姿を眺めながら、なんとか気分を上げてもらわなきゃ、と思っていた私は、数ヶ月後、後悔することになる。




「……え?」


 ごとり、とスマホが落ちた。スマホの画面に表示された写真には、花を買っていたあの子がいじめをしている姿が写っていた。


「え、嘘」


 何度も確認しても、変わらない。コメント欄には誹謗中傷が書きめぐらされ、学校も特定されていた。


 ここ最近中学生の少女が自殺する事件があり、その子が死の間際に投稿したいじめの証拠でテレビも、SNSも持ちきりだった。私は、いじめられていた子の画像を見た時に、小さな悲鳴をあげた。


 猫を拾ったあの子だった。


 猫を拾う、ずっとずっと前から、あの子はいじめられていた。誰も庇わず、先生までもが参加して、よってたかってあの子を傷つけた。傷だらけの姿を見て、あの時よぎった仮説は事実だった。


 震える指で事件を検索すると、あの子の人生がわかった。昔から綺麗で、優しくて、容量がよかったあの子は、周りの人から嫉妬されていた。周りに溶け込めるように頑張って、周囲の期待に応えて、つとめて明るく、泣き言も言わず、それが当たり前になり、苦しくなっても。決して逃げずに立ち向かっていた。


「な、なんで」


 ある画像を見た時、ブルブルと震え、立てなくなり座り込んだ。膝を強かに打ちつけながらも、写真から目をそらすことができなかった。その写真には、死んだあの子の机の上に百合の花が置かれている様子が写っていた。


「ち、がう。違う!わ、私っ、知らな、くて!」


 はっはっと息苦しさを覚える。吐き気を堪えながらボタボタと落ちる涙でスマホの画面が濡れる。


 知らない、知らない。いじめられて、いじめてたなんて知らない。そんな、私は関係ないことでしょ?何、この写真。菊に、百合に、カーネーションに……。


「あ……」


 全部、仏壇によく飾られる花だった。冷や汗がブワッと体中から溢れ、意味もわからずガタガタと震える。


「え、え、……や、やだ。嘘。な、なんで、私……」


 気づかなかった。単体ならただの綺麗な花だから。そこに悪意があるなんて、気づきもしなかった。


“私、遊んでくれるあの子が大好きで……”


 遊び?なんの?もしかして、いじめ?


「うえ……っ」


 思わずびちゃびちゃと吐いてしまう。あまりの醜さと悍ましさに、嫌悪感が滲み出る。どんどんどんどん湧き上がる感情に、折り合いがつかない。


 私が売った花を飾られたあの子は、どんな気持ちでいた?幸せだった?嬉しかった?違う、違う。それなら、自殺なんてしない。なら、私は……。


“お花は人を幸せにして、笑顔にします”


 花が、誰かを傷つける道具になるなんて、知らなかった。


“私は、誰かの幸せを手助けする人になりたいです”


 幸せにするどころか、気づかぬうちにいじめに加担していた。


「はは……っ」


 乾いた笑い声が響く。全く正反対なことをしている頓珍漢な私が、憎たらしくて仕方ない。


 テレビでも、SNSでも。毎日毎日取り上げられ、加害者達が糾弾される。私も、その中に入るのだろうか。いじめていた、加害者の方に。


 そんなわけないと頭を振り払っても、悪い考えは頭にこびりついて離れない。自殺したあの子からも、私は恨まれているかもしれない。


「そんなことない……」


 だって、あの子は。


 立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花、清廉潔白、才徳兼秘、と言われていて。慈悲深くて、身も心も綺麗で。沢山の人達に愛されて。なんでもできて当たり前で。謝れば許してくれて。困ったことがあったら助けてくれて。暴力から庇ってくれて。言うことを聞いてくれて。いつでも、他人の幸せを願っていて。まるで、神様のような人だと言われていて。


 そんな人が、何も知らない私を恨むはずがない。だって、知らなかった。知らないなら、私は悪くない。そう、悪いのは、近くにいるのに助けなかった人達なのだ。


 それなのに、夢見の悪い日は続く。自殺をしたあの子に、周囲の人に、永遠と責め立てられる夢。怖くて、苦しくて、辛くて、毎日飛び起きると汗でぐっしょりと体が濡れている。


 流石に限界だった。色々な安眠方法を試したけど、結局全部駄目だった。最後の綱頼みに、近くにある大きな神社に行った。


 その神社は一部のマニアで有名らしく、運が良ければその日のうちに願いを叶えてくれる使徒を遣わしてくれるらしい。藁にも縋る思いで石の階段を登り、境内にたどり着いた。


「神様……、神様。許して、許してください。私、何も知らなかったんです」


 千円札を投げ込みガシャガシャと鈴を鳴らす。必死にお願いしてそれでも足りなくて、近くに売ってあった絵馬を買った。


 沢山結ばれた絵馬の中に、「許してください」と書いてある絵馬を吊るす。他の人達に見つからないように、下の方の奥に突っ込んだ。


 よかった、これで、助かる……。


「……あ、れ?」


 視界の端に、最近よく聞く名前が書かれた絵馬があった。ドクンドクンと心臓の音が神社に鳴り響き、血の気が引いていく。


 震える指先で、その絵馬を手に取った。自殺したあの子の名前が書かれている、絵馬を。


“好きな人と幸せになりたいです”


「あ……」


 ぺたんとその場に座り込む。涙がとめどなく溢れて、視界が歪む。


 ただの、普通の女の子だった。神様でもなんでもなかった。私達が、私が、勝手にあの子の気持ちを妄想して、捏造して、世界中に垂れ流した。自分達の、都合のいい“神様”を創り上げた。


 誰かの幸せでもなく、世界平和でもなく。自分の素直な願いが書かれていたその絵馬は。一体どんな気持ちで書いたのだろう。


 誰かに見られたら困ると言うように。奥の、奥の方に吊るされた絵馬。それでも、書かずにはいられなかったのだろうか。本当は、誰かに見つけて欲しかったのではないのか。


「ご、めん、なさ……っ」


 嗚咽が喉を埋め尽くす。情けなくて、惨めで、自分の浅ましさに嫌悪して。人のせいにして、結局は私も加害者だった。


“私のせいじゃないから”


 綺麗だから。きっと愛されているから。事実を確かめようともせず、見て見ぬふりをした私は。本当に悪くないのか。


「うぁあああっ!」


 誰もいない境内に、醜い悲鳴が木霊する。謝りたい。謝らせて欲しい。謝って、許して欲しい。憎んで、憎んで、憎しみ抜いて。責め立てて欲しい。


 あの子を殺す花を売った私を、誰も責めたりしない。気づかないし、気づいたとしてもきっと責め立てない。でも、責めて欲しい。悪いことをしたと責め立てられ、誰かに守って欲しい。でも、自分でそんなことは言えないのだ。


 守られる存在になりたい。違うよと言って欲しい。被害者になりたい。加害者になりたくない。人殺しの一員になんて、なりたくない。


「ごめん、ごめんな、さ……っ!い、いやぁっ!」


 地面に拳を叩きつけ、懺悔する。首を振り、いやいやと全てを拒否する。


“さっさと誰が拾えばいいのに”


 私が拾えばよかった。余裕がなくても、いじめられていても、あの子は誰も見ていない中、ただ一人、猫を助けた。あの時の自分は悪態を吐くだけで、他人任せだった。


 綺麗な花に囲まれた私は、その実、ただの醜い心の持ち主だった。


“私の将来の夢はお花屋さんになることです。お花は人を幸せにして、笑顔にします。私は、誰かの幸せを手助けする人になりたいです”


 ねぇ。大人になった私は、大好きだった花で人を殺したんだよ?誰かを幸せにするお手伝いをするどころか、犯罪者になったんだよ?


 花は、誰かを幸せにするだけじゃなかった。傷つけて、悪意の剣となり、誰かの心臓に刃を突き立てる道具にもなる。それを、考えもしなかった、なんて。


「花なんて……。だいきらい」


 好きで好きで大好きで始めたこの職業は。私の手で枯らし、腐り落ちてしまった。私が、汚した。


「ごめ、ん、なさい……」


 花に殺され、花を嫌い、それでも最後は花に囲まれ身を焦がされる彼女は。私のことをどう思っていたのだろうか。


「ごめん、なさい」


 


 それから私は花屋を辞めた。両親にも友達にも驚かれ、理由を聞かれたけど、答えなかった。再就職が決まり、引越し先に荷物を運ぶ。あの時住んでいた町から、遠く離れたこの地で私は生きていくことを決めた。


 新しく借りたアパートの階段を登っていると、ふわりと金木犀の匂いがした。大好きだった、花の匂い。今は、大嫌いな花の匂い。


「好き、だったよ」


 誰もいない階段で、独りごちる。きっと私も、最後には大嫌いな花に囲まれ、焼かれる。それが、あの子からの私への罰なのだろう。


「……ちゃん、幸せに、なってね」


 花の名前を冠した優しいあの子に私は後悔と懺悔の念をこめて、己の欲望を口にした。

よくいじめで使われる机の上の花。自分が売った大好きな花が、人を殺す道具になってしまった花屋さんはどういう気持ちなのか。ふとして考えたお話です。

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