もしもヒロインが本当に悪女だったら
王太子の婚約者である公爵家のご令嬢から王太子を奪ったお花畑ヒロインのお話。
「クラリッサ・グリーンバリー公爵令嬢! お前との婚約を破棄する!」
王太子ジョシュアは王立学園の卒業パーティーで、自分の婚約者であるクラリッサに人差し指を突きつけながらそう言った。
その腕には、特待生として入学した平民の少女シェリルがしがみついている。シェリルはクラリッサと眼が合うと、びくりと身を震わせてジョシュアの陰に隠れた。
その様子を見て、ジョシュアがますますいきり立つ。
「見ろ、シェリルが怯えているではないか! 今までも、公爵令嬢という身分を笠に着てシェリルを苛めていたのだろう!」
一方的に決めつけるジョシュアに、クラリッサは溜め息を吐きたい気持ちを堪えて扇子の後ろに表情を隠した。
「殿下、それは誤解ですわ。そちらのシェリルさんは殿下に不適切な態度で接していたものですから、ご忠告を差し上げただけです」
「わたしが許していたのだ、何の問題がある! 冷徹なお前などとは婚約を破棄して、わたしは真実の愛の相手であるこのシェリルと婚約する!」
婚約者を差し置いて特定の女性と親しく接することに問題がないと思っているのだろうか、この王太子は。
それに愛妾にするならまだしも、まさかシェリルを正妃にするつもりだったとは。
王太子の婚約者として今までもさんざん我慢を重ねる日々だったけれど、クラリッサはいよいよ完全に愛想が尽きた。
そもそも、この婚約自体が考えの浅い王太子を補うために組まれたものだったのだ。公務だって王太子に難しいものは回されず、なぜか婚約者であるクラリッサがほとんどを処理してきた。
クラリッサを切り捨てて困るのは王太子だ。けれど婚約を破棄するのであれば、もうクラリッサには関係がない。
「殿下のご意向は承りましたわ。婚約につきましてはまた後ほどお話しましょう」
真実の愛のお相手と、どうぞお幸せに。
胸のうちで呟いて、クラリッサは不敬にならないギリギリで浅く礼をした。
***
さて、そんな経緯で王太子の婚約者の座に収まった平民シェリルだったが、周囲の冷ややかな反応に対して、これがとんでもなく優秀な少女だった。
もともと特待生だからお勉強はできたのだろうが、シェリルは周囲の予想を超える優秀さを見せつけた。辞書のような分厚さの書物をほんの三十分で読破し、ページ数を指定すれば本文を丸ごと諳んじる記憶力まで披露した。記憶力だけではなく理解力にも優れ、一を聞いて百を知る優秀さで家庭教師たちが次々に音を上げるほどだった。
文句を言っていた貴族たちがほんの一か月で黙り、三か月で認め、半年もすれば王妃となるのはシェリルしか考えられないとまで叫ばれた。足りないのは身分だけだったけれど、シェリルは養子入りの誘いをかける貴族たちに頑なに首を振り続けてついに平民のまま王太子と婚姻を果たした。
婚姻から三年も経てば、シェリルの地位は盤石となった。平民の生活を経験していたからこその柔軟さで次々に政策を提案し、貴族たちの相談役として国中に影響を与えた。そんなシェリルを称え、人びとは彼女を最優の賢妃と呼んだ。
更に半年が経つと、シェリルは第一子を宿した。平民出身の自分が皆さまに認められるまでは、と子ができないようにしていたから、貴族たちも平民たちも待ち望んだ懐妊の知らせだった。
そうして今日もシェリルは、膨らんだお腹を抱えて熱心な信奉者である侍女たちに支えられながらにこやかに国民に手を振っている。
***
さて、そんなシェリルだけれど、実のところ王太子ジョシュアを愛しているわけでは全くなかった。シェリルはシェリルの目的のために、ジョシュアに近づいただけである。全ては愛する男のために。
シェリルが愛しているのはコンラッドという、もう十年以上も前に亡くなった平民の男である。あまりに賢すぎたために不気味がられて親に捨てられた幼いシェリルを、拾って育ててくれた男だった。
コンラッドは、もう百年も前に滅んだ旧王家の生き残りの末裔だった。いまの王家に卑劣な手で攻め込まれて滅びたのである。
コンラッドはいつも旧王家の紋章が彫られた首飾りを持っていて、魔道具でもあるその首飾りはコンラッドの魔力に反応していたから、これは幼い養い子に向けたほら話ではない。
そんなコンラッドは、いまの王家に殺された。すでにとうの昔に権力を失っているのに、かつて国を救った勇者の末裔である彼の血統を王家は恐れたのだ。
首飾り一つを持たされて、シェリルは隠された。押し込まれた狭い戸棚の隙間から、シェリルはコンラッドが殺されるのを見ていた。
だから、シェリルは、いまの王家が大嫌いだ。その王太子であるジョシュアも当たり前に。
そんなシェリルが王家に近づいたのは、コンラッドに王家を返してやろうと思い立ったからだった。
シェリルは王太子としか体を重ねたことはない。これは事実だけれど、シェリルが宿しているのは王太子の子どもではなかった。王太子と体を重ねる前には必ず薬を飲んでいたから、間違いないことである。
シェリルが宿しているのは、コンラッドの子どもだった。十余年前に亡くなったコンラッドの遺体を魔法で保存しておいて、その遺体から精液を採取して自分の胎内に放り込んだのだ。
「国はちゃんと正統な王家に返してあげなくちゃね」
シェリルは呟いて、気持ちのまま唇を吊り上げた。コンラッドの血筋である自分の子が、愛おしくて仕方なかった。
本当は、子どもにはコンラッドという名前をつけてあげたかった。けれどさすがにそれはできないから、なにか連想する名前をつけてあげようと考えるのが楽しい。最適解がすぐに出せてしまうために考えるという行為が退屈なシェリルにとっては、新鮮な感覚だった。
近ごろ、王太子はシェリル以外に女性を作っているようだ。シェリルが妊娠しているから行為ができないというのもあるだろうけれど、きっと優秀さを称えられるシェリルが面白くないのだろう。結局のところ、それまでの男だったということだ。
万が一にも落とし胤など作らないように手を回しているから、いくら遊んで貰っても構わなかった。どうせ王太子はまともに公務などしないのだから、その間にも、貴族たちの支持を得られるように粛々と行動するだけだ。
真実の愛などと豪語しておきながらあっさりと浮気をする王太子に、貴族たちは冷ややかな視線を向けている。ましてやその相手が歴代最優とまで囁かれ始めているシェリルなのだから、彼らの反応は推して知るべしだった。
まぁいい、とシェリルは思った。自分で占ってみたところ、孕んでいるのは男児の双子のようだった。であれば、もう焦って王太子の種を求める素振りを見せる必要もない。
できればスペアにあと一人くらいは欲しいけれど、その役割が終わったら王太子も用済みだった。どちらにせよ、シェリルが孕むのはコンラッドの子どもだけだ。
膨らんだ腹をさすって、シェリルは恍惚と、まだ見ぬ我が子に語りかけた。
「この国はあなたのものよ」
正しく人びとに慕われる表情で、シェリルは微笑んだ。後世には、稀代の愚王と最優の賢妃として名が残るだろう。
そういえば、テンプレの婚約破棄が成功したヒロイン側のお話って書いたことない気がするなーって思いついたので書きました。そうしたら養父の遺体から種を採るやべーヒロインが爆誕しました。まあお花畑っちゃーお花畑なので嘘は吐いてない。世の中には色んな愛があるよね。
【追記20250510】
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