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「ねえ、見て……噂の……」


「ああ……。 お金で男を買ってるんでしょ?」


「あの容姿じゃあ……お金を出さないと、寄ってこないのよ」


「だから、婚約破棄されるのよ。 婚約者の彼もやっと、好きな人と結ばれるのだから、よかったわよね」


 社交の場では様々な噂が飛び交うのは当たり前だが、その噂の的になるとは思わなかった。

 直接本人に言うのではなく、チラチラとこちらを見ながら噂話をして、有る事無い事を言われるのは正直言って、キツイ。

 その噂は真実ではないと否定したいのに、言葉がでなかった。 私の婚約者とその謎の想い人の話だけが真実であるかのようになっている。


 だが、この貴族の社交場では真実がどうであれ、関係がないのだ。 面白ければ何でもいいのだ。


 この噂が出回ったのは少し前のことだった。


 私の婚約者は騎士団に所属していた。 伯爵家である私の家に婿入りする予定で婚約していた彼の家も同じく伯爵家であることから家柄も釣り合っていたので婚約することになったのだ。 彼を紹介して来たのは私の祖父にあたる。 祖父も昔、騎士団に所属していたのでその縁だと思う。

 初めのうちは婚約者の彼とも良好な関係を築けていたと思う。 まだ、愛こそは生まれなかったが、好意的な感情は生まれていた。


 しかし、その関係が変わって来たのはある男爵家の女性が女性騎士として入隊して来たところからだった。

 騎士ではない私にはわからない絆というものが芽生えたのだと婚約者の彼は言っていた。

 同じ任務をこなす過程で生まれたのだという。 初めの内は彼女とは友情であり、同じ志の仲間だと言っていた彼がいつの間にか、違う感情が生まれていた。

 私達の中では生まれなかった愛というものだ。

 簡単に言うと、彼はその彼女のことが好きになったのだ。 そこまでなら、まあ……婚約者がいる身なのだから、何も起きはしないだろうとたかを括っていた。 しかし、内心では心穏やかではなかった。


 だけど、彼はその彼女と思いが通じ合ってしまったのだ。 気づいたのは、騎士団に差し入れに行った時に彼と彼女がキスをしていた場面を見てしまったからだった。 その場で、彼に詰め寄れば良かったのに、私は逃げてしまった。 彼の裏切りに頭が追いつかななかったからだ。


 だが、それでは駄目だと、次の日にもう一度彼に会いに行った時に事件は起きた。


 その件の彼女が私に話しかけて来たのだ。


「あの……アティスの婚約者様ですよね?」


 アティスというのは私の婚約者の名前である。


「そうですけど……貴方は?」


 彼女のことは知っているが、首を傾げながら知らないふりをする。


「あっ! すみません! 名乗っていなかったですよね? 第三騎士団所属のユア・タージアンと言います」


「初めまして。 タージアン様。 私の名前は……」


「知っていますよ! ダリア様ですよね。 ダリア・マストーニ様」


 にっこりと人好きするような笑みを浮かべて私を見る彼女は小さな顔に大きな瞳、それに鼻筋が通った、可愛い顔をしている。 それに長い髪はどこにでもいる茶髪だが、サラサラでそれを一つに結んでいる。 それに、手足が長くすらっと縦に伸びた体型である。


 私とは正反対の彼女だ。 全体的に丸い顔に少し癖のある霞んだ灰色の髪。 それに、背が小さく、むっちりとした体型。


 誰もが可愛いと答えるであろう見た目の彼女に私は目を逸らしたくなった。

 だが、そんなことは彼女の大きな声でできなかった。


「あの……彼のことを解放してもらえませんか!」


「えっ……?」


「お金だけじゃ、人の心は手に入らないんですよ!」


 彼女が何を言っているか、分からなかった。 しかし、彼女の大きな声は人を集めるのには十分だったのだ。


 何だ? 何だ? と、彼も所属する第三騎士団に所属する騎士達が私達の元に集まってくる。


「あの……何の、お話かわからないのですが……アティス様のお話だったら、別室でお話しいたしましょう?」


 彼のことを解放。 言っている意味は分からないが、彼というのは婚約者であるアティスを指すのはわかった。 だから、この野次馬がいる中で話すことではないことはわかる。


 そう言ったのに、彼女は聞く耳を持たなかった。


「聞かれたらまずいということは、本当に彼をお金で買ったんですか!」


「だから……言っている意味がよく分からないので……」


 別室で話そう、と言おうとしたら、周りの声が急に耳に入って来た。


「あの話、本当だったんだ」


「アティスの婚約者って、お金でいうことを聞かせてだんだな。 最低だわ」


「ユアとの方がお似合いだよな」


 など、野次馬の言葉が信じられなくて、周りを見ると、皆の蔑むような目が私に向かっていた。


 どうして……そんな目で私のことを見るのかわからない。 私はお金でアティス様を従わせたことなど一度もなかった。


「わっ、私は……」


 皆の視線が怖くて、否定しなければいけないのに、言葉が出てこなかった。


「彼との婚約を破棄して下さい! お願いします」


 私が言葉を発する前に彼女が頭を下げた。

 それにより、周りの野次馬は一気に彼女の味方になった。


「なんて、健気なんだろうな」


「早く婚約破棄して、ユアとくっつけばいいのに」


 そんな声が耳に届く。


 何で、誰もがこんな可笑しな話を信じるのかと不思議でならないのと、それと同時に私には味方がいないということがわかった。 時々差し入れに行って、話をしたことも何度かあるのに、皆が悪者を見ているような目で私を見ることに、信じられないような目を周りに向けた。


「何の騒ぎだ?」


 不釣り合いな声がこの場に響く。


 声がした方を見ると、野次馬の後ろからこの件に一番関わっている彼が姿を現した。

 まるで、今の状況を何一つ理解しておらず、寧ろ面白いものでも見るために集まった人のようだ。


 アティスの登場にユアは困ったように笑った。 しかし、本当に困った様子ではなく、どこか嬉しそうだ。


「アティス!」


「タージアン嬢? これは、何の騒ぎなんだよ……」


 ユアの方に歩きながら、言葉をかけている時に、私がいることに気づいたアティスは目を開いて驚いていた。


「何で……ダリアがいるんだ?」


「わっ、私は……」


 彼に会いに来たはずなのに、言葉が出てこない。


「わっ、私は……」


「ダリア?」


 それを不思議に思ったアティスはダリアの方に行こうとしたが、それはできなかった。 ユアが彼の腕に絡みついて止めたからだ。


「アティス! もう、我慢しなくていいよ!」


「えっ? 何、言って……」


 困惑するアティスを横目にユアや野次馬達はさらなる言葉を彼にかけた。


「婚約破棄しろよ」 「お前の為を思って、ユアが……」 「ユアと幸せにな」 などだ。 まるで、私と彼が婚約破棄をするのが正解だというようにだ。


「はっ……?」


 アティスは彼らの言っている意味がわからずに困惑して、言葉が出てこなかった。


「ねえ、アティス。 ダリア様と婚約破棄しよう?」


「……お前らは一体、何の話をしてるんだ?」


 先程とは違い、低い声が響いたと同時に鋭い視線が、周りに向けられる。


「……えっ?」


 そんな視線を受けるとは思っていなかったユアは困惑した視線をアティスに向けた。 彼女はアティスのためを思って勇気を出したのに、その彼からは鋭い視線を向けられる、その現実が受け入れられなかった。


「俺とダリアが婚約破棄? 冗談も程々にしろよ」


「えっ? 何で、そんなことを言うの……?」


 ユアは信じられないものを見るような目でアティスを見た。


「そんなこと? それは、俺の台詞だ」


 そう言って、絡みついていたユアの腕を振り払った。 その衝撃でよろけそうになったようだが、こんなところで転ぶわけにはいかない、という彼女の意思で何とか踏ん張ったようだった。


 しかし、それを見ていたダリアも野次馬もユアと同じように、信じられない目をアティスに向けた。


「……アティス様?」


「どうしたの?」


 ダリアに向けるのは鋭いとは程遠い、蕩けるような笑みだった。


「どうしたの? って……それは、私のセリフよ」


「えっ? 何か、怒っているの?」


 見当違いの彼の言葉に段々と腹が立ってきた。


「……そうですね」


「もしかして……あれかな? 昨日のこと? 昨日、君が来るのを知っていたのに、騎士団を留守にしたことかな? あれは仕方なかったんだよ! 君のお爺様が……」


「留守……? 嘘をつかないで下さい!」


 昨日は騎士団を留守にしていた。 そんな話、信じられる筈がない。 何故なら、彼は昨日、そこに呆然と佇んでいるユアとキスをしていたのをこの目で見ていたのだから。


「ダリア? 俺は君に嘘をつかないよ」


 眉を下げて、悲しげな瞳で私に一歩近づこうとした。


「ちっ、近づかないで下さい! わっ、私……見たんですから!」


 私の大きな声に怯んで、その場に止まったが、困惑したままだった。


「何を? ダリア。 昨日、君は……何を見たんだ?」


「私が……見たのは……見たのは……」


 彼を見ることができなくて、視線を下に向けて地面を見つめる。


「ダリア……泣かないで」


「えっ……」


 地面には小さな雫の跡がついていた。 それに、頬に暖かな水があたる。

 いつの間にか、泣いていたのだ。


「君に悲しい顔をさせたのは、俺かな?」


 悲しげに私を見つめる彼は今にも泣きそうだ。


「どうして……」


 貴方の方が悲しげなのよ。 私の方が……。


 そう思っていると、いつの間に、近づいたのか、彼が真正面に立っていた。

 そして、すぐに私の足元に膝をついた。


「ごめん。 ダリア……。 俺が何をしたのか、わからない。 教えてくれないだろうか? 君の悲しみを取り除きたいんだ」


 そう言って、膝をついた彼は、さらにそのまま、私の靴に口付けようとしたので、慌てて止めた。


 その彼の様子を見た、野次馬は驚きから言葉を発せずにいた。 しかし、彼女は違った。 先程まで、呆然と佇んでいた筈だが、今は我に返って、可愛い顔を崩して鬼のような形相をこちらに向けていた。


「アティス! 何をやっているの! 彼女と婚約破棄するんでしょう?」


 その言葉に、野次馬もうなづいている。


「それに……俺は、婚約者の従者だ! って、いつも周りに言っていたじゃない!」


 またしても、その言葉にうなづいている。


「他にも、他にもあるわ! 俺はお金によって……って、よく、愚痴をこぼしていたじゃない! それは、嘘だったの?」


 最後の叫びにも大きくうなづいていた。


「アティス様……?」


 彼は、ゆっくりと立ち上がって、彼らに視線を向けた。


「確かに……言った。 だが、それがどうした?」


 彼の言葉にショックを受ける私がいた。


 この婚約に不満があるなら、直接言ってくれれば良かったのに……。 そうしたら……。


 目の前に見える彼の背中から目を逸らした。


「なっ……。 どうしたって? そんなの……こちらのセリフよ! 愚痴を溢したってことは、婚約に不満を持っていたんでしょ? 破棄したかったんじゃなかったの?」


「はっ……?」


 ユアの叫びに彼は首を傾げて、不思議そうにしている。


「俺が、ダリアに不満……?」


 心底不思議そうにする彼に野次馬もユアの方に同意し始めた。


「たっ、確かに! 俺達にも言っていたじゃないか!」


「そっ、そうだ!」


「皆もこう言ってるんだから!」


 背中しか見えないので彼がどんな表情をしているのか分からない。


「はあ……。 何を勘違いしていたのか分からないが、俺が皆に話したのは婚約者との惚気話だ」


 惚気……?


「そもそも……俺は彼女の従者だと言ったのは、ダリアには俺だけを頼ってほしい。 ダリアのお願いは俺だけが叶えたいし、叶えるつもりだ、と話した時のことだろう? ……それも、お酒の席での話だ。 どうして、愚痴になるんだ」


「じゃっ、じゃあ、俺はお金によって……って、言っていたじゃない? それは、どうなのよ!」


「ああ……あの話か。 あれは、ダリアのお爺様に先を越された話だ。 本当は俺が彼女のドレスを買ってあげたかったのに、あのじじ……んん。 お爺様が、俺の方が稼いでいるから、孫娘のドレスは俺が買うと言い張ったんだ。 だから、あの話はお爺様のお金によって……が正解だ。 どこで話が捻じ曲げられたんだ?」


 私は段々と顔が熱くなっていくのがわかった。


「はっ……? アティスは婚約破棄したかったんじゃない……?」


 彼の背中から少しだけ顔を覗かせてユアを見ると、呆然としながら、信じられないというような顔でアティスを見ていた。 そして、私の存在を再び視界に捉えた瞬間、こちらに向かって走り出した。


「あっ、あんたのっ! あんたのせいで!」


 ユアは腰にさしてあった剣を引き抜いた。

 咄嗟にアティスの背中に隠れて、目をギュっと閉じる。 しかし、その次の瞬間にキンっと剣同士がぶつかる音がした後にドサっと倒れる音も聞こえた。


「ダリア。 ダリア、目を開けて。 大丈夫」


「あっ……」


 目を開けた先には優しい顔をしたアティスが立っていた。 その後ろで剣を吹き飛ばされて、倒れているユアの姿も見えた。


「ごめんね。 怖い思いをさせて」


「わっ、私は……大丈夫ですけど、彼女は……?」


「ああ……。 大丈夫。 気絶させただけだから」


 あの一瞬で彼女を気絶させた彼は今は私に微笑んでいる。


「…………アティス様」


「ん……?」


「貴方が、この婚約に不満があるわけではない、ということは分かりました。 しかし、彼女に思わせぶりな態度をとっていたのではありませんか?」


 助けていただいたのに冷たい声で彼に問い詰めてしまった。 しかし、気になってしまったのだ。 昨日、彼が彼女とキスをしていたのを見てしまったから。


「えっ……?」


 彼は私がこんなことを言うなんて思っても見なかったのだろう。 少し驚いている。


「キッキス……を……キスしていました!」


「はっ?」


 凍えるような寒さを感じるほど冷たい声だった。


「アッ、アティス様?」


「誰に? 誰にキスされたの?」


「えっ?」


「こいつらの中にいるの?」


 そう言った彼は剣に手をかけて、周りを見渡した。 その瞬間、呆然と立っていた野次馬達は我に返り、今にも逃げ出しそうになっていた。


「こいつらの唇を削ぎ落とせばなかったことになるかな」


 ボソッと、とんでもないことを口にする彼。


「ちっ、違うの! 違うのよ!」


 殺気だっている彼に私の声は届かない。 それによって、今にでも斬りかかりそうである。


「〜〜っ。 アティス様! アティス様! 待って!」


 このままでは、ここが血の海に変わってしまう。 それを恐れた私は決死の覚悟で彼の背中に抱きついた。


「アティス様! 違うのです!」


「えっ? ダリア? ダリアが……俺に抱きついて……えっ⁈」


 ギュっと強く抱きしめているダリアだが、アティスにとっては簡単に振り解けるほどの力だ。 しかし、彼は振り解こうとしなかった。


「可愛い……」


 アティスは耳まで真っ赤にしながら、天を仰ぎ、小さく呟いた。


「アティス様! 違うのです! キッキスしたのは……アティス様の方ではないですか!」



 彼に言葉が届いていないと思ったダリアは声を張り上げた。


「本当に可愛…………えっ?」


 声を張り上げたおかげか、彼は勢いよく振り向いた。


「きゃっ」


 バランスを崩した私を支えてくれたアティスは焦った様子だった。


「ごめんね。 大丈夫?」


「だっ、大丈夫です」


「良かった……けど、さっきの話は本当なのかい? その……俺が、キスしたというのは……」


 私から目を逸らした彼は、俺が……ダリアと……? と、小声で呟いていた。


「本当ですが、私ではないです!」


「えっ?」


 私の言葉にキョトンとした彼は首を傾げた。


「俺は、初めてのキスも最後のキスもダリアだけに捧げるって決めているよ」


 コテンっと首を傾げて、微笑んだ彼は嘘をついているように見えない。

 というよりも、彼の発言に心臓が弾けそうになった。


「でっ、でも……昨日、私は見ましたよ。 貴方とそこに倒れている彼女がキスをしていたのを!」


 ドレスの裾をギュッと握りしめながら、彼から視線を逸らした。


「俺が、そいつと……?」


 心底不思議そうな声が聞こえて、彼を見ると、心底嫌そうな顔をしていた。


 言い訳を言うか、開き直ったりするのだと思っていたので、拍子抜けしてしまった。


「本当に俺だった?」


 そう言われたら……後ろ姿を見ただけなので、本当に彼なのかと言われたら、はっきりと言えないかもしれない。


「…………多分?」


「俺は、ダリアがいるのに、浮気はしないよ。 それに、昨日は君のお爺様に呼ばれて騎士団に来ていないからね」


「お爺様に?」


「その通りだ」


 後ろから、渋い声が聞こえて、振り返ると、熊と見間違えるような体格に、真っ白な髪をオールバックにしたお爺様が立っていた。


「おっ、お爺様! どうして、ここに?」


「ああ……。 少し、仕事を片付けにな」


 そう言ったお爺様は倒れているユアと野次馬を鋭い視線で睨みつけた。 野次馬の中には腰を抜かす人もいた。


「仕事ですか……?」


「本当は孫娘の婚約者に頼んだことなのだが、中々終わらせないものでな。 ワシが直々に来てやったと言うものよ」


 そう言って、ワハハハハ、と口を大きく開けて笑ったお爺様をアティスは苦笑いしながら、拳を強く握っていた。


「もうすぐ、終わるところでした。 …………それに、来るなら、昨日の呼び出しなど不要だったのでは?」


「そう言うな、アティスよ。 それに、ワシが来たことでダリアの誤解が解けると言うのに、そういう態度でいいと思っているのか?」


 またしても、アティスを見ながら大口で豪快に笑った。


「…………すみません。 お爺様が来るのは必然でした」


 苦虫を噛み潰した顔をしたアティスは渋々、お爺様に頭を下げる。


「ワハハハハ。 そうだろう。 ダリアよ。 昨日、お前が見た男はアティスではないだろう」


「そうなんですか……?」


 疑い深くお爺様を見るが、目の前で笑っているだけだ。


「疑い深いのはいいが、これは本当の話よ」


「…………お爺様がそう言うのであれば信じます」


 私の言葉でホッとするアティスは鋭い視線で周りを見渡した。


 すると、一人の男がオズオズと手を挙げながら、近くに寄ってきた。


「あの……昨日、ユアとキスしていたのは俺です」


 そう言った彼の背格好はアティスと似ていた。 筋肉のつき方などは違うが、髪色や背の高さなど似ていて、遠くから見たら、見間違うほどだ。


「そっ、そうだったんですね」


 チラッとアティスを見ると、俺ではなかっただろう、とウンウンとうなづいていた。


「あっ……でも、キスをしているフリをしていた、が正解ですかね」


「フリ?」


「えと……」


 彼は説明したくないのか、チラチラと私とアティスを交互に見ている。


「さっさと説明しろ」


 アティスが軽く睨んだことによって、彼は大きな声で返事をした後に説明を始めた。


「簡単に言えば、アティスさんを婚約者さんから奪いたかったようです。 なので、俺達はユアに協力することにしたんです」


「はっ? 何故、お前達が協力するんだ? あんなにダリアとのことを惚気ていたのに?」


 声を低くしながら、彼を睨むアティスにビクビクしながら、小さく呟いた。


「だって……あれが惚気だと気づく人間がいると思いますか……? それに、噂もあったし……」


「「「噂?」」」


 声が重なった。 私達はどんな噂が流れていたのか知らなかったからだ。


「おい、どんな噂か言ってみろ」


「ひっ」


 アティスに睨まれて、今にでも逃げ出しそうな彼は小さな声で話出した。


「婚約者さんが、お金でアティスさんを買ったとか……ひっ!」


 隣から吹雪が吹いているのかと錯覚してしまうほど、この場の気温が一気に下がった気がする。 チラッと隣の彼を見ると、表情がそぎ落ちていた。


「ヒッ」


 そんな彼を見たことがなくて、叫びそうになったが、なんとか抑えた。

 しかし、噂話をした彼は恐怖からか、視線を彷徨わせてオロオロとしていた。


「それだけか?」


 アティスの代わりにお爺様が、彼に問いかける。


「えっ! えっと……あの……」


 彼の冷や汗が止まらない。 お爺様も彼を睨みつけた。


「あああっ、あの! えと……あとはですね……。 逆らえないアティスさんは、婚約者さんに束縛されて、言うことを聞かせているとか……など……です」


 こちらを一切見ずに言い切った彼はビクビクしながらアティスをチラッと見る。

 私も同じように彼を見ると、やはり表情を何も浮かべていなかった。


 噂の的であるはずなのに、隣の彼が怖くて、話があまり入ってこなかった。


「その噂の出所は?」


 何を言われるか、恐怖していた彼はアティスの一言に、ひっ! と驚いてはいたが、少し拍子抜けたような顔をしていた。


「うっ、噂のでっ、出所ですか?」


 こちら様子を窺っていた野次馬達を見た。


「ああ……成程」


 それだけ言ったアティスは腰の剣に手をかけた。

 急いで止めたくてはと彼の前に出ようとしたら、お爺様に手で止められた。 だから、お爺様が彼を止めてくれると思ったのだがーー。


「アティス。 ここはワシが、一人一人斬っていこう」


 違った。 お爺様もアティス様と同じだった。


 お爺様のこめかみがぴくぴくしており、今にでも野次馬達に飛びかかろうとしていた。

 それを見た噂話を話してくれた彼は腰を抜かしていた。

 これぐらいで腰を抜かしていて、騎士としてやっていけるのかと呆れた目を向けてしまうのは仕方がない。


「まっ、待ってください!」


 野次馬達が危険を察して叫んでいた。


「逃げるな」


 アティスの一言で逃げようとしていた数人の足を止める。


「勝手に嘘を話して、俺の婚約者を傷つけた奴は誰だ?」


 底冷えする声で野次馬に問いただしたアティスに皆が目を彷徨わせてオロオロした後に、一人が 「ユアが……」 と言った後に、それに続く人が大勢出てきた。


「俺もユアから……」 など、そこで倒れている彼女を指差していた。


「成程……やはり、原因はこの女か……。 斬るか」


 矛先を彼女に変えたアティスにホッとする野次馬にお爺様が 「ワハハハ」 と笑った後に鋭く睨みつけた。


「お前らの罪もしっかり問うからな。 そのために、ワシが来たのだから」


 罪……? 噂話だけではないのだろうか?

 それよりも、今にも剣を抜こうとするアティスを止めなければ。


「アティス様! 待ってください!」


 急いで、彼の前に出て両手を広げて彼を止める。


「ダリア? 危ないから、そこをどくんだ」


「嫌です!」


「彼女に用があるんだ」


「でも…………。 嘘を広げただけで斬らないでください」


「それだけで重罪だよ。 ダリアを傷つけたのだから。 それに……彼女と他の騎士たち、数人は他の罪もあるからね」


 罪……。 彼もお爺様と同じことを言っている。 他に何か余罪でもあるのだろうか? しかし、それでも、今は剣を抜かないで欲しい。


 そう思って、じっと彼を見つめる。 背が高い彼なので、自然と上目遣いになってしまう。


 すると、彼は口元を手で押さえて視線を私から外した。


「わっ、わかった。 わかったよ。 ダリア。 だから、俺以外の人間に、その顔はしたら駄目だよ」


 どんな顔をしているのか分からなかったが、一先ずは彼女が斬られないことにホッとした。


「では、彼女の拘束をお願いします。 それと、他の連中の拘束も……。 証拠は全て揃いましたから」


 アティスは振り返って、それだけ言うと、お爺様の部下といつの間に来ていたのか、第一騎士団の証をつけた騎士が数人お爺様の側に立っていた。


 第一騎士団の方はアティスの元に走って整列した。


「話は第一騎士団で聞くことにする。 逃げたものは多少手荒にして拘束しても大丈夫だ。 行け」


「はい!」


 彼らはアティスの言葉で一気に拘束にかかった。


「えっ……?」


「ダリア、ごめんね。 今日のところは家に送るね」


「でも……」


「ごめんね」


 眉を下げて、困ったように笑うアティスに何も言えなくなった。


 どういうことか分からなかったが、彼の言う通り、家に帰ることにした。 帰る前に、アティスが今度、会った時に全て話すよ、と言われた。


 ベッドに横になって目を閉じると思い出すのは彼の事ばかりだった。

 頭の中を整理するだけでいっぱいいっぱいである。


 彼は、私の事が好きなのだろうか? もしかしたら……という淡い期待が胸を埋め尽くす。


 しかし……その日以降、彼からの連絡はなかった。


 だから、あの日の出来事は夢なのではないだろうかと思い始めた頃、プレゼントが毎日届き始めた。


 一日目は一輪のマーガレットだ。 二日目はイヤリング、三日目はそのイヤリングと同じデザインのネックレス、四日目はまたしても同じようなデザインの髪飾りだ。 メッセージカードも一緒に届くのだが、いつも一言だけ。 『愛しい貴方に』 とだけ綴られている。 昨日は靴が届いた。 そして、今日はドレスが届いたのだ。


「これは……」


 思いつくのは一つだけだ。 明日はパーティーがあるのだ。 彼と約束したわけではないが、プレゼントされたものを身につけて来て欲しいという事だろう。


「…………アティス様」


 全て、彼の瞳の色が使われている。 そう思うと、胸がドキドキして、プレゼントされたドレスをギュッと抱きしめた。


 しかし、いざ、その日になっても、彼が屋敷に訪れることはなかった。 仕方なく、父と一緒に会場に行ったが、その会場内では、私の噂が持ちきりになっていたのだ。


 あの彼が言っていた噂のようだった。

 男をお金で買っているとか、アティス様と婚約破棄をしたとか、アティス様には思い人がいるとか……。


 チラチラとこちらを見るが、私に直接話しかけてこようとはしなかった。


 どれも嘘ばかり。 否定したいのに言葉が出ない。


 父が心配するように私を見るが、首を振って大丈夫だと答える。 壁の花になっていようと、父から少し離れようとした瞬間に扉が開き、会場がざわつき始めた。


 誰か、入って来たのはわかったが、人が多すぎて見えない。 しかし、だんだんと皆がその人の行く道を開け始めたのでそれが誰かわかった。


「…………っ」


 息を呑んだ。 驚きすぎて、言葉が出なかった。


「ダリア」


 私のドレスと合わせたスーツを着た彼が花束を持って私の元に歩いて来たのだ。


「えっ……? アティス様?」


 困惑する私の元に来た彼は蕩けるような笑みを浮かべ、その場で膝をついた。


「愛しい……ダリア。 俺と、結婚してくれませんか?」


 花束を私に差し出した。 ゆっくりと彼と花束に目を向ける。 目に涙の幕が張って、彼の姿が滲んで見える。


 驚いて言葉が出てこない。 だが、だんだんと彼の告白が身にしみて実感して来た。 周りはこの光景を息を呑んで見守っている。


 彼の告白に嬉しい私がいる。 この数日間、彼のことを考えない日はなかった。 だから……もう、私の中で答えは決まっていた。


 膝をついている彼の手から花束を受け取り、微笑んだ。


「アティス様……。 喜んで」


 小さな声で告白に答えた。 アティスの息を呑む音が聞こえた気がする。


 そして、次の瞬間に地面から足が離れた。


「キャッ!」


「ありがとう! ダリア! 世界一、君を愛している。 必ず、幸せにしてみせるよ」


 彼は私を抱きしめてギューと抱きしめた後に、目を合わせて蕩けるように微笑んだ。


 この後、彼は噂を消して回ろうとしたが、その間に少しずつ消えていった。 新しく、今日の出来事が噂となって出回ったからだ。


 それと、パーティーが終わってから聞いた話なのだが、捕まったユアと第三騎士団の数人の彼らについてだ。 彼らは騎士団のお金を横領し、さらに裏では貴族の子息を騙してお金を巻き上げていたとか。 その子息の中には第一騎士団である団長の息子も含まれており、その調査を副団長であるアティスに任されたのだという。


「アティス様って、第一騎士団所属だったのですか⁈」


 第一騎士団といえば、騎士団の中で最も優れたものしか入れないと言われている。 その副団長様だったとは……。


 そう、アティスは第一騎士団の副団長である。 そして、お爺様も昔、第一騎士団に所属していた時の縁で協力していたという。


 でも、ユアはアティスの後から騎士団に入隊したのではなかったのか? と疑問に思って、それを聞いてみたら、私の勘違いであった。 私と婚約してすぐに第三騎士団に潜入したようで、その時にはユアは騎士団に所属していた。


「でも、女性騎士が入隊して、私には分からない絆が生まれたって……言った気がします……」


 私の問いに彼は首を捻りながら考え込んで、思い出したのか、手をポンっと軽く叩いた後に、私に笑いかけた。


「あれは、馬の話だよ」


「馬?」


「とある男爵家から贈られた白馬を騎士団が貰い受けたんだ。 性別が女の子で、その子が第三騎士団の預かりになったんだ。 今まで動物に懐かれたことがない俺が任務を一緒にこなしたことによって、初めて動物と絆が生まれたんだ……。 ほら、ダリアは……すごく動物に好かれるから……分からないと思うけど、動物に怯えられないことは初めてなんだ。 相棒と言っても良いぐらいだ……」


 彼は遠い目をしながら語った。


「勿論、俺の一番愛しい人はダリアだよ」


 全て、私の勘違いだった。 ホッとした気持ちと同時に、隣で微笑む彼と一緒にいることができる嬉しさが込み上げてきた。 私の中に愛は生まれていないと思っていたが、愛の芽は確実に生まれていたのだ。


 私は彼の手を両手で包み込むように握った。


「アティス様。 私を愛してくれてありがとうございます」


「ダリア……。 俺は、必ず君を幸せにするよ! 例え、世界が君を俺から引き離そうとしても、俺は一生君を離さない。 ……愛しているよ、ダリア」


 一瞬、背筋が寒くなったが、蕩けるような笑みを浮かべた彼を見て、私も笑みを返した。


 そして、後に結婚した私達は社交界で噂されている。


『第一騎士団副団長のアティス・クロイツは妻を溺愛している』 という話がずっと噂されるようになった。

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