期間労働者として1
福岡市中央区赤坂にハローワークがある。
令和の今はハローワークだが、その当時は職業安定所、通称「職安」そばに赤坂交差点がある。その交差点からほどなく天神方面にいったところに5階建ての雑居ビルがあった。ビル名こそ忘れたが、昭和感満載の雑居ビル。私はその雑居ビルの薄暗い階段を上っていた。
時は1990年。バブルの頃。自動車業界もバブルの恩恵を受け、非常に景気が良かった。そのためか、常に人材不足感があり、求人雑誌には大手自動車メーカーの従業員募集の記事が載っていた。当時は「アルバイトニュース」通称「AN」と呼ばれていた雑誌、確か100円程度だったと思うが、その裏表紙には必ず自動車業界の求人が大々的に掲載されていた。
大学生だった私はお金を必要としていたため、なぜにお金が必要であったかは後述するが、自動車業界のその魅力的な給料体系に惑わされて電話をかけてしまっていた。
電話先は非常に丁寧な感じのする男性。ドキドキしながら、
「あのう、求人を見たのですが、学生でも大丈夫ですか?」
「ご連絡ありがとうございます。学生でも大丈夫ですよ。春休みのみで働かれてる学生さんも多いですから。」
私が電話をしたのは2月上旬。おそらく電話先の担当の人は三か月程度春休み中での仕事と思っていたのだろう。
「いや、1年ほど働きたいのですが・・・」
その時の求人広告にはこのような記載があった。
「入社祝い金5万円、月給30万円、満了報奨金150万円、社会保険完備、寮完備云々」
つまり、一番美味しい満了報奨金は長い間勤めないともらえないのだ。そのため、私は1年の契約を希望していた。
「学生さんですよね?学校は退学するのですか?」
「一応、大学は休学する予定ですが・・・」
「・・・わかりました。とりあえず、履歴書持参で中央区赤坂にある〇〇ビルの三階に来てもらえますか?明日の15時でどうでしょうか?」
翌日私はその薄暗い雑居ビルの汚い階段を上っていた。期待と不安という表現はよく使われているが、まさしくその心境であった。階段を上った先に「T自動車株式会社 期間労働者面接会場」と小さな標示があり、その奥にいかにも冴えない風貌の初老、50歳後半くらいのおじさんが二人腰かけていた。
「どうぞどうぞ、お待ちしておりました。おかけください」
多分にバブルのため、人手不足感があるため貴重な労働力を逃したくないのか知らないがかなり丁寧な対応であった。
いわれるがままに私は座り、持ってきた履歴書を手渡した。
その時の私の年齢は19歳。特に履歴書に書くような職歴もなければ資格もない。学齢は大学在学中といったところか。
初老のおじさんの一人が履歴書を確認し、もう一人のおじさんがなにやら帳面に記入をしている。
履歴書確認のための沈黙のあと、
「わかりました。いつから来れます?学校はどうするの?」
さっきまで丁寧な口調のおじさんがかなり年下の学生ということで、かなりフレンドリーになってきた
「そうですね、とりあえず、今は春休みなので休学届をだしたらいつでも大丈夫ですが」
「それなら、3月中旬くらいはどうですか?」
「わかりました。大学に届けを出したら連絡します。」
即採用だった。多分によほどの問題ある人でなければ即採用なのだろう。あとは、工場で働ける程度の健康状態の確認くらいか。
いずれにせよ、私の中で何かが動きだしたような気がした。なんてことない求人情報誌から、軽い気持ちで連絡し、即採用。ほんの少しだけど人生の重心がズレたのだろう。赤坂から帰る車の中で、気持ちが踊っていた。